舞鶴港  


半袖でも汗が出るような好天に恵まれた今回の旅

永平寺にお参りして、混雑や渋滞、天気模様を考えて

舞鶴に行こうか? くらいの計画だったが・・・

天気は5日は晴天、6日は雨という予報だったので

舞鶴の雨は御免蒙りたいということで、舞鶴~永平寺の

行程に変更、雨の永平寺なら観光客も少ないのではないか

そんな淡い期待を抱きながらの旅になった(笑)




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151 護衛艦 【あさぎり】



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177 イージス護衛艦 【あたご】


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181 護衛艦 【ひゅうが】


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130 護衛艦 【まつゆき】
232 護衛艦 【せんだい】


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175 イージス護衛艦 【みょうこう】



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118 護衛艦 【ふゆづき】
   ( 隣に見えるのが 175 みょうこう )



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425 補給艦 【ましゅう】






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828 ミサイル艇 【うみたか】



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824 ミサイル艇 【はやぶさ】


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今回は北朝鮮問題できな臭い状況での舞鶴訪問だったが

どう考えるかは個人の問題ではあるが、このような多くの自衛艦が

停泊しているという事に、「天気晴朗なれど波高し」を実感した

有事であれば一隻たりとも拝むことはできなかっただろうし

考えようによっては、「何事も無くて良かった」と思うべきなのだろう


自衛隊を認めようと認めまいと・・・・自衛隊を否定する者も、容認する者も

区別なく国民を守ることを自衛官たちは義務付けられているのである

Posted on 2017/05/10 Wed. 19:44 [edit]

category: 旅の記録

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舞鶴城  



初めて訪れた舞鶴は観光客は多かったが、穏やかで

魚と酒の肴がとても美味しい街でした


人生で初めて口にした酒の肴


フグの白子


【ふぐの白子】




食べ過ぎると「痛風」になりますよ、と言われたが

お代わりをして食べてしまいました

「お造り」や「焼きもの」、「「煮つけ」「揚げ物」など多彩で

はずれの無い魚介類が歓待してくれました

夏になると「岩ガキ」が食べられるそうな…

この店で出される「トリ貝」は肉厚で手のひらサイズとか・・・

また行きたい店で、もっと近くにあれば通いたいと思いました


マグロ以外は地元の港で上がったものばかりで

何を食べても新鮮な魚ばかり、店主のこだわりが感じられ

思いっきり食べて呑んで・・・一万円弱とはgoodな価格

いや~~~堪能しました

(店名や場所は、内緒で教えますので・・・どうぞ)



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【 田辺城(たなべじょう) 】

別名 舞鶴城(ぶかくじょう)


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【 黒鉄門 】



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この城は細川藤孝(細川幽斎)によって築城されたという

幽斎の子・忠興の妻が明智光秀の娘・玉(ガラシャ)

細川氏は三河・細川(愛知県岡崎市細川町)の出身とされる


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Posted on 2017/05/09 Tue. 23:32 [edit]

category: 旅の記録

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岸壁の母と舞鶴引揚記念館   


この世で一番貴いのは間違いなく 母 という存在でしょうね

我々男が逆立ちしても勝負にはなりません

自分の子どもだなどと思ったり考えていても、男には「実感」と「痛み」が

伴わない「幻想に近い感情」で子供という存在を意識している気がします


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昭和29年に発表された「岸壁の母」は史実をもとに

創作されたという

私たち年代なら歌詞を観なくても口ずさめる名曲ですね

その歌碑と並んで建てられているのが、この歌碑です


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シベリア抑留者であった故吉田正氏が作曲した曲に

同じく抑留者だった「増田幸治氏」が歌詞をつけた曲で

原曲題名は「昨日も今日も」・・・・・


* 引揚記念館の中は写真を撮ることができず写真はありませんが

靖國の遊就館とは違った貴重な展示がありました近くへ行ったなら

訪ねてみてください


幸いにも私の父はシベリアに抑留されずに21年に復員した

戦後まもなくゲリラの機銃掃射に遭い、自分の足で歩くことができず、

部下に背負われて「骨と皮の状態」での復員だったという

父は戦死した部下への思いから、生涯を閉じるまで【軍事恩給】は

一度も受け取っていなかった

シナの最前線の過酷さは一人の人間を無口にし、多くの仲間と

沢山の若き部下たちの命を奪ったのである

私は父の戦後をこの目で観て、南京大虐殺など絵空事だと確信している

そんな非情なことができるならもっと日本は戦えたはずであり

日本人の優しさ、お人好しが多くの命を失う原因だったとも

感じています

農村の子供がいる村で食料の調達(物々交換)をしていて

村民に紛れたゲリラに背後から撃たれ、それでも子供に銃を

向けなかったために、命を落とした兵隊も居たそうです・・・

南京大虐殺ができるくらいなら、多くの父親が生きて故郷に

戻ることができたはずである

南方戦線での敵艦特攻が表の英霊とするなら、満州の地で敵と

思っていなかったソ連に裏切られ、極寒のシベリアで命を落とした

多くの御霊は気づかれない陰の英霊たちだと思っています


たしかに戦争などと言う愚かなことは、しないに越したことは無いが

争いを放棄した日本人がどういう結末を迎えたのか・・・


殺すくらいなら殺されたほうがまし・・・・という若者に問いたい

本当に争わないで平和な生活が来ると思いますか?

無抵抗な人間がどんな目に遭ったか知っていますか?

争そわないと決めるのは自分ですが、相手が同じ気持ちだという

保証はありません


北朝鮮の金正雲に日本人は戦いませんと言って、拉致された日本人を返し

攻撃を止めてくれますか?


日本国憲法9条とは、日本人が勝手に「平和国家」の宣言をしているだけで

戦争回避に何の効果も力も無い事を、日本人は気づくべきです


9条があるから平和だったという人は、家の玄関に【詐欺お断り】とか

【強盗お断り】、【我が家は争い事はいたしません】と書いてはどうか?

それで詐欺の電話がかかってこないなら、自宅に強盗が入ってこないなら

近所の異常者が刃物を手に襲ってこないなら・・・私もそうしますけどね





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Posted on 2017/05/08 Mon. 11:14 [edit]

category: 旅の記録

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明日からちょっと休みます  


突然 7日(日曜)に仕事が舞い込んできた

予定は未定で決定ではないとは言いながら・・・何ともw

そんなことはお構いなしに明日から旅行に行きます(笑)


友人の旅行に便乗して、5~6日と北陸方面に行ってきます

半分は趣味で、半分は真面目な理由で・・・

我が家は曹洞宗なのですが、未だに永平寺にお参りしたことが無く

今回友人に同行してお参りしてきます (ともに曹洞宗なので)

よって明日から更新はできないと思います(酔っぱらってしまうからですがw)


話のネタがあれば旅行のあれこれを書けるかもしれませんが・・・

タブレットは持って行こうと思いますので、皆様のブログ閲覧は

できると思っています (あくまでも予定ですが)

Posted on 2017/05/04 Thu. 21:15 [edit]

category: 私の思い

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鶏が先か卵が先か  


 カミ という文字を見れば誰でも「神さま」を連想する

しかし日本では「神」という文字が伝わる前から「カミ」は居たのである

「カミ」という読み方も日本式であり、日本に入って来た時は「シン・ジン」

というのが正式な音なのである

なぜ「シン(神)」という文字が【カミ】という読み方になったのか?

おそらくは先住民の「カミ」のことを、【カムイ】と呼んでいたことによる

ものだろうと私は考えている

カムイ (kaーmuーi)という音はu-iと子音が連続するので(u)を省略して

KAMIになったのが定着し、その後大陸から意味の同じ「シン(神)」という

文字が伝わりその読みに「カミ」を当てたのだと思っている
 



元の文字は【申シン】

申という一文字で「カミ」を表す

自然の事物や自然のチカラを「カミ」として崇拝したことに由来する

その後、申すなどの意味にも用いられるようになったので、祭卓(さいたく)

を表す【示】を加えて【神】のことになったという


基本的にわが国には音が先に存在していた

その後大陸から「文字(漢字)」が伝わり、本来あった言葉に近い意味の

漢字をあてはめて使用するようになったのだろうと思う

日本に「難読文字」が多く存在するのは、このことが原因だろうと私は

考えている

「かな」で考える習慣にすると、別の世界が見えてくるかもしれない


人は日常的に「間違い」を犯す

その間違いを「間違い」として正さないことが奇妙な結果を招くことがある

新しい だれでも「あたらしい」と読むこの漢字・・・

じつは【あらたしい】と読むのが正しい読み方なのであるが、この言葉を

間違って「あたらしい」と読んだモノが定着し、正(ただ)さなかった故に

いつの間にか「あたらしい」と読むのが正しくなってしまった

例えば、「新(あら)たに購入」は、あ・ら・た・にと読むことでもわかります

あたらしい が正しければ、「あたらに購入」と読まなければ整合性が無い事になる

日本人はいつの時代も、「まあいいか」というグレーな処理をしてきたという見本かも

しれません

間違いは「間違い」であり、それ以上でもそれ以下でもありません

生活保護法に「日本国民に対し・・・」という条文があって、在日外国人に

支給するという間違いを犯しても、それを正さずに「まあいいじゃないか・・」

とうやむやにするところなど、日本人らしいという事かもしれません・・・


今では認知され正しい言葉とされているものに【一生懸命】という言葉がある

そもそもこの言葉は間違いから生まれて、自立してしまった言葉である


本来は【一所懸命(いっしょ・けんめい)】であり

親から受け継いだ「所領(しょりょう)」を命がけで守ると言う意味の言葉だった


ところが「所(しょ)」を「生(しょう)」と間違えて書くようになり、読みも

しょ→しょう に変わり、別の言葉として認知されてしまった代表例でもある


よく「本当はどちらが正しいのですか?」などという質問に対し

どちらも正しい言葉であり、正否を云々することはできない・・・

そんな答えを観ることができますが、私にすればビートたけしの

「赤信号 みんなで渡れば 恐くない」そのものの気がしています

みんなが当たり前のように使用しているから、もう間違いとは言えない

そんな馬鹿な話が日本では当然のようにゴロゴロしているのです


言葉は文化であると同時に民族の歴史であり遺産でもあると私は

常に感じています

文化だから変わるのは当たり前という学者先生には失望してしまいますが

日本語が理解できない日本人だらけになる日も、そんなに遠くない気がしています

変わることで開ける未来があり、失うものも多い

変わらないことで足踏みすることもあり、大事なものを見つけることも多い


幼稚園児から小中学生、高校生にいたるまで、英語教育にばかり

重点を置いていると・・・・

数十年後に、外国の日本語科の学生から、日本人に対し

「その日本語は正しくありません」

「あなたの日本語は間違っています」

そんな時代が来るような気がしています(笑)

Posted on 2017/05/03 Wed. 22:25 [edit]

category: 文字・漢字

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