民泊の今昔  


最近よく目にする「民泊」

民泊の歴史はとても面白い


宿に泊まるには【木賃(きちん)】というものを支払った

どうして宿代ではなく、木賃なのか?

昔は旅人は食糧を持参して、自炊するのが通常だった

木賃の由来は 【薪(まき)】の代金として支払ったことによるもので

江戸初期の相場は一人三文という (1611年 現在の75~80円)

その後、一人四文になったが、薪を持参すれば半額になったらしい

この辺りから、薪代と宿泊費が区別化されたと考えられる


宿というのは当初は専業化されていなく専門の宿は少なかった

(当然誰でも知っている宿場の形など、もっと後の話になる・・・)

なので農家が副業として旅人を泊めていた

今でいう 民泊だったのだ・・・・


やがて街道に宿場が整備されてくると、専業の宿屋が多くなり

幕府は農家の副業である 民泊 を禁止した(1715年)

早い話・・・理由は明白で、農家が自由に価格を定めていたことによる

【ぼったくり】が横行していたことと、専業の宿屋の

営業を妨害していたからというのが表の理由だ(笑)


宿泊客にすれば困難谷まる旅で、食事や薪の心配をする形式から

金を払えば宿で米が買え、自炊するのも楽になった

このような形態を 木賃米代宿泊 という

だがこの時はまだ 宿 という形なのである


私たちが目にする時代劇の宿は 【旅籠(はたご)】というもので

賄い(宿泊・食事・風呂)と呼ばれる、旅人にとって楽な形式に

次第に移っていくのである


流行は繰り返す

民泊を野放しにすれば、旅行者が酷い目に合う

海外旅行者の日本に対する印象が悪くなるかもしれない民泊

付け焼刃では「まつりごと」は行えない・・・


見た目が同じなら一緒

シナ人と同じ感性の役人や政治家が多いという事だろう(笑)

人柱が多く出なければ重い腰を上げない日本の行政・政治だ


忖度する暇があるなら、熟慮する道を選んでほしいものである

民泊には無関係な爺ですから、どうでも良い話なんですが(笑)

Posted on 2018/05/24 Thu. 19:49 [edit]

category: 歴史

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理由がある  


どうして奈良から京都に遷都したのか・・・

後出しじゃんけんの定説なら数多くある


ヤマト時代と呼ばれたころ、京都とはどんなところだったのか・・・・

百済系帰化人や渡来人が多く住む里だったという

そういう場所だから桓武天皇も遷都を決めたのだろう


桓武天皇の母は【高野新笠】という百済系王族の末裔であり

百済滅亡後、日本に亡命し持統天皇のとき【百済王(くだらのこにしき)】

という氏名をもらった人々に対し、桓武天皇は次のように詔したとされる

『 百済王等は朕の外戚なり 』

私の推測では今上天皇が半島を自身のルーツと考える一因かもしれない


私は「男系男子」に固執する皇族や天皇家を見るうちに、なにか「理由わけ」

が有るに違いないと常々考えて来た

天皇家が男系で繋がってきたと主張すればするほど違和感を感じて

その固執の裏側に「母系」による皇統譜が存在するのではないか

そんな妄想すらしていた

「木は森に隠せ」

女系で繋がってきた皇統譜は男系で隠し通せ・・・・

酔っぱらいの与太話と思ってください(笑)


平家は滅亡した

これは誰でも知っている歴史です

本当にそうでしょうか?

男系で観ればかなりの確率で平家は途絶えたと言ってもいいでしょう

しかし女系で歴史をたどれば・・・・意外な事実が存在します


じつは平氏の血筋は現天皇家に繋がっています

第93代 後伏見天皇の母は 五辻経子 といい、平清盛の末裔です

その経子の叔母(父の姉妹)に当たる人が 談天門院忠子 といい

後醍醐天皇の母親である

平清盛の妻は 時子 といい、清盛との間に産んだ子は数多あり

宗盛、知盛、重衡、建礼門院徳子、冷泉隆房妻、坊門信隆妻などがいる

平時子の妹が 健春門院滋子 である

第80代 高倉天皇の生母であり、その直系が 82代後鳥羽天皇、

83代 土御門天皇、88代 後嵯峨天皇、89代 後深草天皇

92代 伏見天皇、93代 後伏見天皇と繋がり今上天皇に繋がってゆく

何より平氏の血筋という事は裏を返せば 桓武天皇の血統という事になる


しかし・・・前にも書いたように、10代遡れば1024人の祖父母が存在し

15代遡れば 32768人の祖父母が、20代遡れば1048576人の

祖先の血が受け継がれているのです

これが薄いのか濃いのかは個人の判断ですが・・・・


我が家の祖先はと自慢するのも考え物です(笑)

遡ればとんでもないご先祖様がいたりして・・・・


酔っぱらいの戯言でした。


Posted on 2018/05/16 Wed. 21:55 [edit]

category: 歴史

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教えて・・・  


戦争放棄

平和宣言

自衛隊解体

本当にそれで中国や北朝鮮・韓国、ロシアの侵略が無くなるのですか?


「私と家族は争い事は致しません」

「私と家族は法律を遵守します」

「我が家には武器になる物は置きません」

「殺されるまで抵抗・反撃は致しません」

そう宣言し玄関前に貼り紙をすれば「強盗」は来ないのですか?


自衛隊違憲

憲法改正反対

という人に問いたい・・・・

貴方とあなたの家族の命は誰がどんな方法で守るのですか?


殺すより殺される方を選択するという人に問いたい

今日食べた牛の代わりに殺されてみますか?



時として生きると言う事は残酷で非情なものです


動物はNOで、植物はYESという矛盾・・・

命に区別も差別も設定する人には、殺すことと殺されること

動物は命があり、植物は命が無いと言うのだろうか・・・


これも考え方、見方を変えれば「宗教」みたいなもの

信じるから実践しているだけで、大きな意味など無い気がする


どう議論しても「水掛け論」でしかないだろうけど・・・・

誰か納得できる説明をしてほしいな・・・


疲れがピーク

頭の中もぐちゃぐちゃです

社会の中に蔓延る自己欺瞞状態に怒りがこみあげてくる


理想で生きていけるなら極楽

楽観的な意識だけで生きられるなら極楽

しかし・・・・この世は 生き地獄



理想は「霞み」 腹が膨れることは無い

気づかないふりをする お花畑日本人

日本消滅のカウントダウンは始まっているぞ!


Posted on 2018/05/01 Tue. 23:14 [edit]

category: 歴史

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アマテラスの起源?  


日本書紀「神々の誕生」の一書(あるふみ)に

イザナギ・イザナミが共同して日の神を生んだという

その名は【アマテラスオホミカミ】


話は変わって、菅原孝標の女(すがわらたかすえのむすめ)

をご存知の方も多いと思う

更級日記(さらしなにっき)という平安日記を残した女性である

この女性が二十代半ばころの記事に・・・こう書いてある


 「あるとき、浮ついた心を持つ私に『天照大神(あまてるおおんかみ)

をお祈り申しなさい』 と勧める人が居た。ところが、私には、それが

どこにおいでの神様なのか、それとも仏様なのかわからなかった

あとで、人に尋ねて、伊勢国にいる神さまであると知った」


菅原孝標と言えば、菅原道真の血を引く由緒ある貴族の家系であり

その道真直系の家に産まれ、後世に残る日記を書き残した子女が

「アマテラス」を知らなかったと言うのである・・・・


ときは1030年ころ?

天皇家の祖神を名門貴族の子女が知らなかったと言うのは奇怪である

私が日本書紀なる物が一般の貴族には深く認知されていなかったのでは

なかったのか、という疑問を感じる要因の一つでもある

日本書紀も古事記も、ほんの一握りの人間にだけ知られていたか

公には知らされていない㊙扱いの官製史書だったのではないか?

一部の内容は漏れ伝わっていただろうが、全体を観ることができた

貴族がどれほど存在したのか・・・・


時代と共に利害によって「書き換えられ(改ざんされ)」人目に触れることを

善しとしない「腫れ物扱い」の書物だったのではないだろうか・・・

その要因の一つである「藤原氏の凋落」によって、日の目を見た史書だった

私にはそう思えて仕方がないのである


藤原孝標の女が奇しくも、こう書きのこしているのだから

天照大神(あまてるおおんかみ) をお祈り申しなさい・・・・

伊勢にいる神の名は・・・・あまてる おおんかみ

伊勢にいる神は「アマテラス」ではなく、 アマテル オオミカミ であると当時の

多くの人は知っていたことになるのである


Posted on 2018/04/28 Sat. 23:11 [edit]

category: 歴史

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頭を柔らかく  


テレビもネットも観ない日を送ると心が穏やかになる

日常は情報があふれて真偽の泡に埋没する気がしている


頭の中を溶ける寸前まで「柔らかく」「軟らかく」してみると

違った気色が見えてくるのかもしれない


公私を問わず意見や感想、判断、批判は往々にして

主観から導き出されている

どの位置から観るかで大きな違いを生み出してしまう


世間で言うところの「美味い」という表現と同じものだろうが

「美味い」という感想は個人の嗜好であり、主観によって発せられる

個人的意見でしかない

もっと酷いのは「みんなが美味いというのだから、きっと美味いに違いない」

そういう先入観が基準となっていることもある




天皇家は二千年以上続く家系という見かたをする人も居る

天皇家は血統では繋がっていないと考える人も居る

天皇家は何度か「易姓革命」を経験していると考える人も居る


そういう考えとは別の次元で「どうして敬われているか?」に

触れようとはしない人も多くいる

皇族とは尊い人々、恐れ多い人々、冒してはいけない世界の人々

その根拠など考えてもいけない、特別な世界に住む住人なのである(笑)


私は何度も言っているが、天皇擁護論者ではない、されど天皇制廃止論者

でもけっしてない・・・・

尊敬される人は少なからず「尊敬されるべき存在価値」を有している

その基準さえ個人的主観によって形成されていることも否定できないが


皇族だから偉い・尊い、天皇だから尊く否定してはいけない

と考える日本人が多い事を最近痛感している

そういう考えこそ【 痘痕(あばた)も靨(えくぼ) 】だと私は思う

自分の父親や母親より天皇が尊いと考える人はそういう価値観を

常に持っているのだろう



自分が尊敬する人が父親であったり、母親であることも

恩師である場合や、歴史上の偉人と称される人の場合もある

私個人の考えでは、私をこの世に生んでくれた父母をさしおいて

天皇を一番に敬うことなど死んでもできない・・・・


日本人の多くは「神がこの国を造り、その末裔が天皇である」

そういう洗脳を受けている気がしている (これは事実だ)


勝者は自らを神聖化し特別なものとして語り継ぐことが多い

偉いから生き残ったのではなく、生き残ったから偉いだけである

この世に繋がってきた言葉のほとんどが「勝者の弁」であり

歴史とは勝者の足跡でしかない


名も無き人に語る事も残す言葉も許されない

形づくられたモノの「説明」は勝者にのみ許されるのである

どんな時も、どんな場所でも・・・・・・。

Posted on 2018/03/24 Sat. 22:38 [edit]

category: 歴史

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