被差別民を考えてみる  (六)   


差別と区別


差別とは何だろう?

差別とはいつの時代から始まったのか?

差別は区別から始まった?

差別は区別とは別物?


クローンのような人間ばかりだったなら、区別することは全く

意味を持たないと思えます

区別とは何かしらの条件を規定し、その物を振り分けることではないでしょうか

では、差別とはいったい何でしょう?

ずばり「優劣の差」だと私は考えています


差別は少なくとも「支配層」と呼ばれる集団が形成されてから起こったものだと

私は考えます

自分達とわけ隔てる手段として、自分達の優位性を誇示するため・・・

日本に「大王」とその一族と称する一部の特権階級が誕生したときから

差別は始まったと考えます

ただし、その差別なるものの基準は、時代によって変化していたのでは

ないでしょうか

星や月の動きから天文という知性によって、民衆を束ねていた時代は

特殊な能力を持つ者と持たない者の区別はあったでしょう

しかし、私には区別する姿は思い描けても、差別していた状況が

思い描けません

なぜ差別をするのか?

どうしても自分達が勝っているという自己顕示が主体だった気がします


チカラを持つ者と持たない者が生まれた時から、もっと言うなら「富」を持つ

者が現れてから、その富を維持するために「差別」することが起きたという

事も考えられます

その基準になったのが【穢れ思想】だった気がします

貧しいもの、自分達とは大きく違う生活をする者、教養の無い者など

自分より何かの部分で劣っている者を、彼等は「卑しい」として区別した

その結果、区別だったはずの「卑賎視」は、差別という貧富の差、生活水準の差

によって特別視するようになったと想像します


被差別民の多くは特別な「罪」を犯したわけではありません


嘗て まつろわぬ民 と言われる人々が居ました

権力に阿(おもね)ることを善しとせず、漂白する民の事をいいます

その漂白民の多くは【製鐵】【産鉄】に従事した被差別民でした

なぜ彼等は漂泊の道を選んだのか・・・・

日本の統治(争い)の始まりは、鉄利権の争奪から起きたと私は

考えています

鉄を制する者は【ヤマト】を制する

石器から銅器へ、そして鉄器の時代へと移行するとき、それまで

鉄の生産にかかわってきた多くの山の民が武力によって追放され

支配権力に抗(あらが)った者たちは、新たな産鉄地を求めて漂白した

まつろわぬ とは・・・「まつりにかからわぬ」ことから

まつらわぬ→まつろわぬ になったと想像しています

政(まつりごと)とは、祀る事であり奉ること、纏(まつ)ることでもあります

自由に生きた人々を縛り(管理し)、政治権力の手足となる事を強いられることに

我慢できなかったマイノリティーな人々は、後の世に「差別の対象」とされたと

私は考えます



歌舞音曲に従事する者を差別視していたことは知られていますが

もとは歌舞音曲が原因ではなく、それを演ずる者が対象だった気がします

古代では「舞う」というのは神に仕えるシャーマン(巫女)の役目で、その対象に

なる神というのが、自然神である【八百万の神】でした

しかしヤマトの国に「大王」という統治制度が根付き、自然神信仰から

人格神信仰へと変わり、八百万の神に奉仕する巫女を蔑視する風潮に

なったのではないでしょうか・・・

あの卑弥呼も古代シャーマンだったとされ、神と交信できる者こそ民衆を

統べる(統治できる)者として認知されていました

そんな特殊能力(巫術)ができるものを排除する狙いが、新たな統治者である

古代天皇家にはあったと推測できます


天皇が崩御すると古代では【殯(もがり)】と呼ぶ祭事を行いました

殯というのは棺(ひつぎ)を一定期間安置して、肉体から離れた霊魂を

呼び戻す目的で行う祭事を言います

その時に行ったものに巫術師が関わっていました

その巫術を統括する役所が【遊部(あそびべ)】といわれ

そこを統括していたのが【土師氏(はじし)】で、後に「穢れ」に関わっていると

思われるのを回避するため【菅原】という姓に改名しました

もちろん学問の神様と言われている【菅原道真】も土師氏末裔である

菅原道真が遣唐使を廃止したことによって、新しい天文学が日本に入ってこなくなり

その機に乗じて既存の天文学と道教・密教を加味して天皇や公卿に取り入り

陰陽寮を独占したことから、陰陽師賀茂氏・安倍氏が日の目を見たのも運命的な

ものを感じてしまう



天の岩戸の前で踊った「天のうずめ」もおそらくは巫術を行うシャーマン

だったと推測します

死んだ「陽」の再生を、踊り祈った形がご存知の天の岩戸のシーン

ではないでしょうか・・・

巫女はシャーマン(術者)であり歌い踊り祈る・・・ここから歌舞伎や能、浄瑠璃など

多くの古典芸能が開花したのだと思っています

その事を一番よく知っている階層に暮らす人々が揶揄して広めた言葉が

「河原もの」であり「河原乞食」だったのではないでしょう・・・

出雲阿国も元をたどれば、出雲の巫女だった気がします

白拍子と聞くと「遊女」という発想が起こるのも、巫女の衣装が白を基調

にしたものからの連想で、巫女を蔑視したい者の思惑が見えてきます


芸能と聞くと古いイメージですが、芸能は古代では神事としての巫術をさし

新たな信仰(人格神信仰)にとって、邪魔な存在だったという事かもしれません

もしかすると、天皇家より伝統芸能の家系の方が由緒正しいかもしれませんね(笑)


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Posted on 2017/08/31 Thu. 22:39 [edit]

category: 歴史

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