被差別民を考えてみる  (五)   


買わない宝くじは100%当たらない

振らないバットからはヒットは生まれない

口に出さない言葉は伝わらない・・・・

怪我や死を恐れていては、外にも出られない



歴史と宗教は因果関係が有る事に気付かないことが多い

宗教観なしに歴史は語れない


最近は檀家制度が崩れ、寺の運営が厳しいという

そもそも、「檀家制度」なるものは、民衆を管理するために考えられた

半ば強制された制度だったのである

檀家とは簡単に言うと、布施を梵語のダーナの音写で檀那(だんな)と呼び

布施を払う個々の家が寺院の経済的な支援者となって檀家とされた

檀家は寺院に人身支配されていたと呼べるほどの力関係が存在していて

寺院側は、常時の参詣や、年忌・命日法要の施行などを檀家の義務と説き、

他に寺院の改築費用や本山上納金などの名目で経済的負担を檀家に強いた

今現在のお彼岸の墓参り、お盆の法要などは、その名残なのである

*事実を書いているだけで、否定するつもりはありませんが、葬式仏教に

特化した寺制度の限界かもしれません




日本の神道は政治におけるどれくらいの部分を占めていたのか?

高野山という場所に天皇や貴族が詣でたのは知られた話ですが

天皇家の祖神を祀る伊勢神宮に参った天皇は皆無でした


常識の嘘とはこういう事をいうのかもしれませんね

国家神道の真実は歴史が全てを語っています

8世紀以降、この日本では天皇家は「最も信心深い仏教徒」だったのですから

神さまも「へそを曲げてしまう話」かもしれません

日本の歴代天皇が祭祀王だったというのも事実かどうかは知る術は有りません

「宮中祭祀を代々続けています」といわれても、我々が確かめることは不可能なのです




仏教が日本に根付いた当初は、一部の貴人だけのものでした

寺を建てたり莫大な資金を寄付したり、高価な仏像を寄進したり

一般庶民とは無縁の別世界のものでした

それを民衆にも理解できる宗教に変えたのが、念仏を唱えれば

「極楽往生」できると説いた新しい仏教でした

その先駆者となったのが【高野聖(こうやひじり)】と呼ばれる人たちで

平安のころには各地を回って「勧進(かんじん)」と呼ばれる募金活動

を行っていました

念仏を唱え、お布施を渡すだけで仏教徒になれる

きっと素晴らしい宗教に感じた事でしょう・・・・


その「聖(ひじり)」と呼ばれる人こそ、民間陰陽師の姿だった気がします

おそらく ひじり とは【日知り】 【火治り】のことで

天文を能くする人たちのこと、鉱物の鉱脈を探し当てる人【陽知り】であり

【秘知り】だったのかもしれません

修験者とか密教僧と呼ばれる人たちの多くは、鉄や金、朱(水銀)の鉱脈を

探して高山深く分け入ったのだと、わたしは推測しています

その聖は何処から来たのか・・・


此処からは陰陽師・狐説話に関係してきます

信太(しのだ)は和泉地方(現在の大阪南西部)に位置しています

815年 嵯峨天皇の御代に書かれた【新撰姓氏録】の中に

信太首(しのだおびと) 百済国人 百千後也(はくちあとなり)

と記載されています

百千(はくち)とは、百済記に残る【百久至】の事だとされ

信太氏とは百済系渡来人(帰化人)だったと言います

信太氏(信太の狐)の子供である安倍晴明は百済系帰化人だったと

いう事になってしまいます


安倍晴明説話にどうして「信太狐」が登場しているのか・・・

どうして晴明は信太の狐の子供(童子丸)だったと言われたのか

それは安倍晴明という人物が、有力豪族の安倍氏末裔ではなく

渡来系帰化人であることを、説話にこめて残したのではないか・・・・

私はそういう解釈をしているのである

飛ぶ鳥を落とす勢いの藤原道長とその一統の悋気に触れたくないがため

大きな声では言えない話は「説話」にこめて残したと思える

竹取物語で時の権力者を告発するかのような物語を残した歴史もある

書きのこすには「残す」だけの理由があった

だれでも知っていることをわざわざ書き残す必要はない・・・・

やんごとない人々の間では「公然の事実」であっても、下々の庶民には

知り得ない事実もあったはずで、虐げられた人々は小さな声で伝え続けた

と考えれば、納得できる話でもある


そして、猫好きの天皇だったとされる宇多天皇は、13歳の皇太子(醍醐天皇)

に書き残した【寛平御遺誡】のなかで

「怪異があっても軽々しく神祇寮や陰陽寮に占わせるな」

と認めています

神祇寮の神祇官は祭祀を司る役人の事で、陰陽寮は陰陽師が天皇や国家の

大事な事を占ない助言する役目である

その両役所に「占わせるな」と言わせたものとは・・・・

9世紀後半は神祇寮も陰陽寮も、天皇の信頼を大きく損なっていた

そう考えらざるえないと思っています

高潔な役目・役所であるなら、ここまで嫌う必要はなかったはずで

一部の公卿の私的役所という位置づけだったことを匂わせています

ちなみに平安後期には神祇寮も機能を失っていたと言いますから

宮中祭祀関係は全く機能していなかったと想像できます

それでも「万世一系」の祭祀王の家系という言葉に違和感を感じる

長屋の爺なのです。


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Posted on 2017/08/23 Wed. 21:21 [edit]

category: 歴史

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