藤原氏の出自  

楽しい時間の後はどんな時も、「寂しさ」だけを残していくものである

と言っても、とても楽しい「枯れたオフ会」でした(笑)

集まった4名が店で5時間ほど楽しく宴会をしました

取り敢えず生ビールで乾杯、その後3名で(焼酎3本)呑み続け

「サメの心臓」なるものを食し・・・・

酒も料理も、店の従業員の対応も「満足」でした

店を選んだ私も初めて利用する店で、皆さんの期待に応えられたか

ちょっと心配ではありますが・・・

ホテルの方は「シングル」で予約しましたが、ホテルの好意で

ツインの広い部屋に変更してくださいました

親父様とホテルに帰って焼酎(ストレート)を呑みながら楽しく歓談できたのも

ツイン部屋だからできたのかもしれません


私はオフ会とは「一期一会」だと言う認識で参加しています

二度と行かないとかそういう話ではなく、人間何時どうなるかわからない

そういうこの世の中で、「縁(えにし)」があって語り合える

そんなチャンスが何度も訪れるかどうかなど、神さましか知らない事でしょう

だから縁があった時には「楽しく」をモットーにしてきました

そういう意味では今回も「楽しゅうございました」


他の方が顛末をお書きになるかどうかは分かりませんが

私にとっての今回の集まり(オフ会)はとても有意義でした。



【藤】

ふじ・トウ

この文字の成り立ちを一年以上探してきましたが、不明のままです

私の持っている漢字に関する書籍・辞書にも、成り立ちがありません

中国にも無い文字でありながら、和製漢字にも存在していないようです

元の文字は 【滕】 トウ わ・く

 「藤」 トウ ふじ という文字はいつだれが創作したのでしょう?

滕の文字が「音符」として 「トウ」なのだから「、トウ」 と読むことに

なんら問題はありません

しかし・・・なぜ【ふじ】とよむのでしょうか・・・・


この「藤原」という文字も【日本書紀】が初出なのです

ただし・・・藤原京ではなく藤原宮として記述されています

実際には【新益京】と言うのが本当の京の名前ですが・・・

近世になって「藤原京」と呼ばれるようになったものです


私は藤と言う文字は持統天皇以降の時代に「創作」されたと

思っています


滕(とう)の原(はら)では意味が不明ですが、唐の原だったとしたら

おそらく「とうげん」と呼んだかもしれません

「とうげん」と聞けば、桃源郷を連想します

日本で最初の条坊制の「都城」であった新益京ですから

唐の都城を参考にしたことは想像できます

唐の平野にある都城のように立派な都城を造ることこそ

ヤマトが目指した「夢」だったのかもしれません

夢の唐風都城・・・桃源郷でもあったのかもしれません

しかし、「唐の原」や「桃源」では都らしくない・・・

そこで命名されたのが「新益京」という都だった

日本書紀を信じるならば、694年に遷都されたとされるが

実際には704年に完成したとされ、完成から4年後の708年に元明天皇より

遷都の勅が下り、710年に平城京に遷都された



どうして平安京・平城京より大きかったとされる新益京が捨てられたのか

藤の文字と藤原姓と藤原宮の「なぜ」は研究者も世間も大きく取り上げません

現代の皇室問題と同じ匂いがします(笑)


おそらく藤原という「名づけ」は平安初期辺りの「後付」だと私は考えます

【不死・我・等】

我等は死なず 

そして・・・【富士・我・等】

我等は富士の如く、ヤマトの頂上に君臨する

日本書紀に「霊峰・富士山」の記述はほとんどありません

歴史から抹殺された日本の霊峰の理由は・・・

藤原一族が「ふじ」という音を盗んだからではないでしょうか・・・


新益京という桃源郷を造った勢力の衰退が原因だったのか、それとも

捨てざる得ない重大な理由があったのか・・・・

(つづく)

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Posted on 2017/07/03 Mon. 21:30 [edit]

category: 歴史

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