如何なる組織も大きくなれば腐ってしまう  



神社本庁で不可解な不動産取引、刑事告訴も飛び出す大騒動勃発

          (ダイヤモンド オンライン 6・21掲載)



どんなに立派であっても、長い年月を経ると、大きくなりすぎて

内側から腐っていく・・・

組織が大きければ大きいほど、人間の【欲】が腐敗菌を出して

周りをどんどん腐らせてしまう

これはこの世にあるすべての集団・組織に共通している事なのでしょう



旧ブログでも書きましたが、宇佐八幡の宮司後継問題で

神社本庁の「闇の部分」を垣間見た気がしていましたが

神を蔑ろにして利権に走り、私腹を肥やすと神仏の怒りに触れることが

本当にあるのでは? という気持ちになります


それが比叡山であろうと高野山であろうと、神社本庁であっても・・・である



私は日本の大王家(天皇家)は少なくと三度「入れ替わっている」と思っています

一度目は「神武東征」のとき

二度目は「壬申の乱」のとき

三度目は「桓武天皇」が即位したとき

最初に日本に君臨した「大王家」はニギハヤヒ王が統治していたヤマト

太陽神を崇め代々【ニギハヤヒ】と称する王が治めていたと考えます

その太陽神は【アマテル神】と呼ばれる「男神」であったと思う


そこに九州から(神武天皇とされる)【イワレヒコ】が攻めてきて

倭の統治者となった

この九州から来た王は【月神】を信仰する一族であったと考えられる

その一族は「月を読む」ことで様々な予測を立てていた

季節や暦の基本を「月の寿命(満ち欠け)」で判断していたと思われる

とうぜんながら「太陽信仰」は敬遠され、月信仰が主体だった

その神こそ【月読神(ツクヨミ)】と呼ばれる神だったと思われる


そして天武天皇と呼ばれる「大海人皇子」が前政権を滅ぼし

月信仰を排し、新たな太陽信仰を創作した・・・

それが女神・アマテラス神だったと想像する

ニギハヤヒの時代の太陽神・天照大神を女神に置き換え

読みを「アマテル」から「アマテラス」に・・・


いかにも永き時代を通して統治してきたかという事と、その正当性を

表すために創作したのが「日本書紀」であったと思われる

不明な点が多すぎるのも皇統が別であったため、正直な記述ができなかったり

口伝しか残されていなかったりしたため、不正確なものを脚色して辻褄を合わせ

何度も書き足したり書き換えたものが「日本書紀」と呼ばれるものだと

私は考えている


なぜ「ツクヨミ」はヤマトの歴史から抹殺されたのか?

それは前政権が信仰していた「神」だったからであり、前政権を否定するうえで

信仰する神も当然の如く廃され、歴史から「永久に抹殺」されたと思っている

三度目の皇統は天智天皇の系譜と言われている

しかし私は「桓武系」の王朝は倭人とは別の「半島系」の系譜だと

思っている

建て前的には「新しい政治」を行うために、平城京から長岡京に

遷都しようとしたとされるが、平城京から新都に逃げ出したのでは

ないかと私は考えている

桓武天皇は実際には皇位継承とは程遠い境遇にいた人物で

井上(いのえ)内親王・皇太子・他戸(おさべ)親王を冤罪によって

廃し皇統を奪ったのだと思われる


天皇直系である井上内親王、その母から生まれた皇太子がどうして

父である光仁天皇を呪詛する必要があったと言うのか・・・・


さらには長岡京の建設中に藤原種継が死亡し、同母弟である

早良親王に罪を着せて死に至らしめた

完成間近の長岡京も母・高野新笠、皇后・藤原乙牟漏が死亡

皇太子・安殿(あて)親王が病気になり、巷では疫病が流行した

早良親王の【祟り】と言われている一連の出来事である

その祟りから「逃れるため」に長岡京を捨てて築いたのが【平安京】

である

平安京 という名前から、日本人は「平安な都」という眼で見てしまうが

平安でない時代だったからこそ、「平安」を熱望した故の名づけでは

と私は感じている

平安になりますように・・・・

平安な治世であれば、わざわざ平安と名付ける理由にならない

それまでの「京(みやこ)」は地名が都の名前になっているのだから

京都に遷都しても、その地の土地名で名付ければよかったはず

それほど「身に覚えのある」行いをしてきたというのが私の感想である


もう一つ、不可解な皇統史が存在する

伊勢の地に鎮座する「天照大御神」とはアマテル神のことであり

改竄したことが負い目となり「神の祟り」を恐れて、歴代天皇家は

伊勢には参拝しない

いや・・・できなかったのだろうと私は思っています


そういう視点から見ると、なぜ突然「伊勢参拝」が実行されたのか

それは日本版「易姓革命」があったからでは?

そう思えることが多々あることも事実なのです


なぜ京都という「京(みやこ)」を捨てて、江戸に遷都したのか?

平安京には住めない理由があったからではないのか?

京都に住まない理由、住めない理由が江戸の方が「利便」が

良かったでは私は納得できない・・・・

父祖の地を捨てるには、それ相応の「理由(わけ)」が無くてはならない

京・大阪が政治・経済を考えるうえで、不都合だとは誰しも思わないだろうし

この不思議は尋常な発想で起きた事だとは思えない・・・



機会が有れば、この不思議にも触れてみたいと思っています。
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Posted on 2017/06/24 Sat. 22:20 [edit]

category: 私の思い

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