表と裏  


未だに連勤が続いております

命を削って勤しんでいる長屋の爺です


最近は帰宅後、家事を片付けてから「仮眠」をとります

エネルギー切れによる【充電】です

夜に起きて食事をし、パソコンをつけるのが9時~10時

そのころには酒も入り頭は就寝の準備に入りますので

長い記事を書くことに躊躇い(ためらい)が生じます・・・


はい、これは「いいわけ」ですけど(笑)


最近感じることが幾つかあり、センターラインを跨いで

蛇行運転をする車を頻繁に観ることが多く、明日は我が身

(被害者になる)の覚悟で、運転に集中しています


あとは、商業施設の駐車場で「入口」と書いてあるのに出て行く

命知らず(馬鹿)や「出口」から入ろうとして、出て行く対向車とぶつかる

豪傑(馬鹿)も観ました・・・

何も考えていないのか?

口は食べ物を「入れる」場所であり、食べ物を「吐く」場所ではありません

その「理屈」が理解できないのでしょうか?

とにかく「自分優先」であったり、「損得が基準」の人間ばかりが目につきます

車いすのマークが書かれた駐車スペースに、健康優良な「おばさま」が

当然の顔をして駐車しています

きっと・・・「頭が身障者」なのかもしれません

思考がどう考えても「自分本位」で、他人さまに迷惑がかかるとか

決まり事を守る意識が欠落しています

おそらく、その原因の多くは「くだらんテレビ番組」の影響だと

私は思っていますが、どうでしょう?


テレビの中の「クズ芸人たち」が、何をしても、何を言っても

製作者も視聴者も「嬉々として当然の如く受け入れている」

そういう現実があります

思考回路をマヒ状態にされて、社会生活にまで影響が出ている

私の思い過ごしかもしれませんが・・・・


対人関係で気に食わないことがあると、その問題点とは違う別問題で

難癖をつけたり、批判したりします

表の理由で批判しない代わりに、別の事柄で相手に「一撃」を

加えることって、意外と多いものです

言葉遣いが気に入らない部下に対して、「言葉に気を付けろ」とは

言い出しにくいと、服装の乱れや、髪形などを注意したり・・・


やたらとタレントや芸人の「言葉」を真似て喋る仲間がいます

私の心の中(裏)は【お前の程度はその程度か?】と言いたいですが

口から出る(表)のは、「なにそれ?」 「今流行りなのか?」の言葉で

済ませています


私の本音はテレビに出ている芸人・タレントは【現代の太鼓持ち】という

認識で、それ以上でもそれ以下でもありません

視聴者が「気分の良くなる」「楽しくなる」話やネタで糧を得る職業であり

そんな太鼓持ちが、政治ネタや報道番組の司会をすることに違和感を

感じています (芸人・加藤とか、J系歌手など・・・)


ブログだから書ける話題や本音って精神的には有意義だと思います

訪問者の眼を意識した時点で、自分も「太鼓持ち」に堕ちる

最近はそう考えるようになりました

訪問者(ブログを読んでくださる方)の気分の良くなる話題・記事だけを

書こうとすると、自分が自分で無くなる気がしています


書きたいことを、書きたいときに、一定の決まりを守って書くことが

私のブログのスタンスだと思うようにしています


逆に言えば、訪問者の多いブログって、こうやって書けばカウント数が

上がるなどと思って書いていない気がします

ブログ主が書きたいことと、訪問者が見たい・読みたい事が合致する

それが上位に位置するブログの正体ではないでしょうか・・・



座禅をしたことがある方はご存知でしょうけど

僧侶が棒で打ちますが、あの棒は【警策】といいます

曹洞宗では「きょうさく」、臨済宗では「けいさく」と呼びます

あれは「罰している」のではなく、「励ましている」といいます

修行者を文殊菩薩の手(警策)で打つ(励ます)ことだそうです

だから、打つことを「与える」といい、打たれる人は「いただく」

という事なんだそうです

曹洞宗は壁に向かって座禅を組むので警策は背後から【一打】

左肩は尊い【袈裟(けさ)】をかけるところなので、打つことはしません


臨済宗は壁を背にして座禅を組みますから、警策は前から【三打】受けます

ただし臨済宗は【右肩】に「三打」、【左肩】にも「三打」うつのが基本だそうです


これで座禅の映像を観る際に、どの禅宗の修業道場の映像なのか

みる眼が違ってきますね(笑)


禅と聞くと【問答(もんどう)】を思い浮かべるのですが、これは臨済宗などの

禅宗に見られることが通常です

曹洞宗は無心で座る 【黙照禅(もくしょうぜん)】 が基本ですが

臨済宗は座禅をしながら【公案(こうあん)】と呼ばれる教育課題を

手がかりとして悟りの境地を目指します

*「公案」とは昔の優れた禅僧の言葉などから悟りについて考える

クイズのようなものだと言います


一休さん でおなじみの「そもさん」「せっぱ」という言葉

実際にはこういう使い方はしないらしいですが、言葉の知識として・・

作麼生(そもさん) 説破(せっぱ)

さあ 答えられるかな?  答えてやるぞ! 

そんな意味の、中国・宋時代から使われている言葉なんだそうですが・・・


禅と一口に言っても、「違い」が判ると興味も深くなります

今日は禅の薀蓄でした(笑)
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Posted on 2017/06/05 Mon. 00:09 [edit]

category: 私の思い

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