学ぶことの本質  


なんだかんだ言ってるうちに、5月も終わろうとしている

時間の流れについていけてない長屋の爺です(笑)


6月は地元にブログで知り合った方々が集まることに

まだ先・・などと言っていると、すぐに「その日」が来てしまいそうだ


7月下旬は「靖国参拝」と「神宮観戦」の予定を立てた

「みたままつり」と「奉納あさがお展」の間なので、静かに参拝できそうだ

神宮球場が雨天中止になれば、総武線にでも乗って千葉に行こうか・・・

40年以上足を向けていない第二の故郷でもある


「学ぶ」と聞くと私たちは「教わる」事だと考えてしまう

たしかに「他者」から教わることも多い気がするが

本当に大切なことは、他者からは教えてもらえないのでは

そんな気がしている

他者から教わったことは「化粧」や「メッキ」のようなもの

自分の「血肉」にはならないのではないか・・・

そんなことを考えている


本当に大切なことは「自ら 気づくこと」 ではないだろうか?


私の信条は「今日を生きなければ、明日は来ない」

明日より今日を大切に生きる

私が言うと、なんか胡散臭い言葉に聞こえてしまうが

今日という日を「無意味」に過ごせば、明日という日は

「意味」の無い一日になる

今日を精いっぱい生きるからこそ、明日が来る


私にとって今日という日も、明日という日も「おまけの人生」だ

おまけで生きているのだから、毎日「得」をしているようなもの

そう考えると、自然と肩の力が抜けてくる気がする


私の人生は見かけより「波乱万丈」であり、生かされているとしか

思えない日々を過ごしてきた

他人に自慢できることも無く、他人を羨むことも無く

自分のいたらなさばかりが思い出される人生である


そんな私は人生の大事な場面で「ありがとう」が言えなかった

そんな経験から結局、私は「生きることが下手」な人間という事に・・・

生き方がへたくそでも、生きてこれたのだから人生も捨てたものではない

もう少しだけ、「おまけの人生」を生きてみようと思っている


沢山の「書籍」を読んだからとか、「身になる番組」をたくさん見たから

学んだことにはならないと私は感じている

最難関の大学入試に合格したから「学んだ」わけでもないだろうし

「覚える」ことと「知る」ことは別なのである


【学】

がく・まなぶ

元の字は 學  

爻(こう) + 臼(きょく) + 冖(べき) + 子 の組み合わせ

字の元の形は、メ + 介 で屋根に「千木」のある学舎の形

後に加えられた 臼(きょく) は左右の手で教え導くの意

さらに年少の「子」を加え  の字となり

「まなぶ」の意味となった

古代では一定の年齢に達した若者は、年長者などから

氏族の伝統や生活の規範を学んだという


今の日本人は「計算」は学ぶが、ヤマトの伝統や誇り、日本人としての

規範や道徳などは学ばない・・・というか、学ぶ環境が無いのが現実である。





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Posted on 2017/05/31 Wed. 23:27 [edit]

category: 私の思い

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