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神仏習合と分離


私が皇室の「東宮妃問題」「両陛下の言動問題」「宮家の就学問題」でも

多くを語らず、静観することにしたのも、偏に皇室そのものを【信仰】する

国民が多く居られるからでした・・・


ですが、この老いぼれ爺もあとどれほど生きられるか自信も無くなり

言わずに去るならここで書いておこうと思いましたので、読む読まない

肯定・否定、異論反論などご自身の胸の内にてお願いいたします。




日本の国教は何でしょう?

無信教の国民が多いと言われる日本

神道は宗教に非ずと「言い訳」したは、かの明治政府である

徳川政権を滅ぼすために掲げた「王政復古」「神仏分離」だったが

新しき時代では仏教界だけでなく、国内外の宗教界からの指摘を受け

導き出した苦肉の策が「神道は宗教に非ず」だった



明治政府が目指したのは【祭政一致(さいせいいっち)】

祭祀と政治が一体化することです

「祭」とは宗教であり、「政」とは まつりごと の事を指します

アニミズムにより統治される古代社会では、政治的指導者は

宗教的指導者なのです

※ 政という文字が まつりごと と読むのも、政=祭 だからなのです



  神仏判然令  1868年3・28発令

神号々仏語ヲ用ヒ或ハ仏像ヲ神体ト為シ

鰐口梵鐘等装置セシ神社改正処分・・・・・・・


明治元年(1868)3月より、政府は神社から仏教的な要素を排除

しようとしました、これを「神仏分離」と言います

簡単に書くと・・

* 神社では仏像を御神体としてはならない

* 寺院が神社の祭祀に関与してはならない

* 神社で仏事をしてはならない

* 神社では、権現・菩薩・牛頭天王などの仏教名称を廃止する


歴史に興味をお持ちの方でも、日本の皇室(天皇家)が神道の

「長(おさ)」だと信じて疑わない方がたくさんいらっしゃいます

しかしながら、天皇家は1000年余の長きにわたり「仏教徒」

だったのは否定できないのも事実です


アニミズムが主流の日本に仏教が入ってきたとき、日本人特有の

何でも受け入れる体質があって、異文化・異教をも自然と取り込んだ

そう解釈するのが基本ですが・・・


実際はどうだったかは知る術はありませんが、私の考えでは

神道(古代神道)を信仰する一般大衆に仏教を広めるため

「神さまと仏さまも本来は同じだ」

そうやって大衆に信じ込ませたと思っています

これが「神仏習合」の裏の事情、本質ではないかと思います


神道は宗教ではない

これこそ日本の天皇家の宗教観を端的に言い表す言葉はありません

だれが考えても「アニミズム(多神教)」は信仰であり宗教に違いありません


彼等の言う「神道」は皇室神道であり、形式的崇拝が主体の天皇家にとって

信じさせたい見せかけの神道とでも言うべきものです

だからこそ、いとも簡単に方便として「宗教に非ず」と言えたのでしょう



仏教に深く帰依したのは聖武天皇の御代は間違いないと思います

奈良東大寺の造営に際し、多くの帰化人の知識と技術力が必要だった

その力を求めなければならない事情、その見返りとして帰化人たちが

信仰する【八幡神】を朝廷は厚遇しました

八幡神に【八幡大菩薩】という号を授けたことからも、東大寺の鎮守になったことからも

窺い知れることなのです

*東大寺は国家プロジェクトだったのですから、言葉は適切でないですが

国会議事堂や皇居に習近平の銅像を建てるようなものです


異教だった仏教と、帰化人が信仰していた八幡神の信者になった日本の支配者たち

その人間が神道の信者にも、神道の長にもなり得ないのは明白です


そして・・・・明治政府が発した「神仏分離」は当然のこととして、天皇家は

神の末裔であり「神道の宗家」である

だから、異教を信仰することは「あってはならないこと」であって、どんな理由があっても

神道以外を信仰してはならず、学ぶことなど畏れ多いこととして、暗黙のルール化した

と思われます

神道の長として機能したのは明治から昭和前期までの短い期間でした

「天皇家は 嘗て神道の長であり、天皇は祭祀王と呼ばれた」

これが私の天皇家に対する評価です。


(後記)

以前、宮家の子女が異教であるキリスト系の大学に身を置くことに長屋の爺は

強烈な違和感を覚えました

しかしその当時は「東宮排除」「秋篠宮家万歳」の強烈な風が吹き荒れていました

ここで「長い物には巻かれろ」と静観を決め込んだ長屋の爺・・・・

自己嫌悪すら感じながら、ブログに対し意欲・熱意を失ってブログを閉じたことも

ありました

思ったことを書くと決めた「新ブログ・月明かりの下で・・・」

やはりこれだけは書いておかねばの思いから記しております


賛否いろいろあるでしょうが、こういう考え方もあるという一つです

どう考えるかは人それぞれ・・・・気が向いたら大嘗祭について

上皇と天皇など考えてみたいと思います。


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