岸壁の母と舞鶴引揚記念館   


この世で一番貴いのは間違いなく 母 という存在でしょうね

我々男が逆立ちしても勝負にはなりません

自分の子どもだなどと思ったり考えていても、男には「実感」と「痛み」が

伴わない「幻想に近い感情」で子供という存在を意識している気がします


DSC_0007-2.jpg


昭和29年に発表された「岸壁の母」は史実をもとに

創作されたという

私たち年代なら歌詞を観なくても口ずさめる名曲ですね

その歌碑と並んで建てられているのが、この歌碑です


DSC_0006-2.jpg


シベリア抑留者であった故吉田正氏が作曲した曲に

同じく抑留者だった「増田幸治氏」が歌詞をつけた曲で

原曲題名は「昨日も今日も」・・・・・


* 引揚記念館の中は写真を撮ることができず写真はありませんが

靖國の遊就館とは違った貴重な展示がありました近くへ行ったなら

訪ねてみてください


幸いにも私の父はシベリアに抑留されずに21年に復員した

戦後まもなくゲリラの機銃掃射に遭い、自分の足で歩くことができず、

部下に背負われて「骨と皮の状態」での復員だったという

父は戦死した部下への思いから、生涯を閉じるまで【軍事恩給】は

一度も受け取っていなかった

シナの最前線の過酷さは一人の人間を無口にし、多くの仲間と

沢山の若き部下たちの命を奪ったのである

私は父の戦後をこの目で観て、南京大虐殺など絵空事だと確信している

そんな非情なことができるならもっと日本は戦えたはずであり

日本人の優しさ、お人好しが多くの命を失う原因だったとも

感じています

農村の子供がいる村で食料の調達(物々交換)をしていて

村民に紛れたゲリラに背後から撃たれ、それでも子供に銃を

向けなかったために、命を落とした兵隊も居たそうです・・・

南京大虐殺ができるくらいなら、多くの父親が生きて故郷に

戻ることができたはずである

南方戦線での敵艦特攻が表の英霊とするなら、満州の地で敵と

思っていなかったソ連に裏切られ、極寒のシベリアで命を落とした

多くの御霊は気づかれない陰の英霊たちだと思っています


たしかに戦争などと言う愚かなことは、しないに越したことは無いが

争いを放棄した日本人がどういう結末を迎えたのか・・・


殺すくらいなら殺されたほうがまし・・・・という若者に問いたい

本当に争わないで平和な生活が来ると思いますか?

無抵抗な人間がどんな目に遭ったか知っていますか?

争そわないと決めるのは自分ですが、相手が同じ気持ちだという

保証はありません


北朝鮮の金正雲に日本人は戦いませんと言って、拉致された日本人を返し

攻撃を止めてくれますか?


日本国憲法9条とは、日本人が勝手に「平和国家」の宣言をしているだけで

戦争回避に何の効果も力も無い事を、日本人は気づくべきです


9条があるから平和だったという人は、家の玄関に【詐欺お断り】とか

【強盗お断り】、【我が家は争い事はいたしません】と書いてはどうか?

それで詐欺の電話がかかってこないなら、自宅に強盗が入ってこないなら

近所の異常者が刃物を手に襲ってこないなら・・・私もそうしますけどね





DSC_0014-2.jpg




DSC_0002-2.jpg



DSC_0013-2.jpg



DSC_0009-2.jpg



DSC_0011-2.jpg




DSC_0005-2.jpg




DSC_0012-2.jpg



DSC_0017-2.jpg



DSC_0016-2.jpg
関連記事
スポンサーサイト

Posted on 2017/05/08 Mon. 11:14 [edit]

category: 旅の記録

tb: 0   cm: 4

コメント

kuonさんへ

こんばんは

端野いせさんの母心に胸を打たれない日本人は居ないでしょう

平成12年に上海で息子・新二氏が生存していたという報道がありましたが

おそらく、新二さんの身分証明書を手に入れたシナ人だろうと思っています

日本人なら必ず故郷に、母親のもとに帰りたい、帰ってくるのが当然だと

私は思っています

靖國で会おうと誓った若者たちのように、いつか・・・きっと

URL | 長屋の爺 #-
2017/05/11 22:37 | edit

Nちゃんへ

こんばんは

鶴田浩二の曲を流す「自称右翼」

本当の愛国者なら、軍歌を鶴田浩二の歌唱曲を

間延びした状態で流すことなどあり得ない

騙されてはいけないと私は思います

わざとテープを編集し「間延びした曲」を流すことで

日本を嘲笑しているのが現実です

もっとも歌詞の意味も理解せず、「軍歌」=軍国主義とは

あまりにも情けない話ですけどね・・・。

URL | 長屋の爺 #-
2017/05/11 22:26 | edit

こんばんは。

旅。

「異国の丘」という歌、聞けばもちろん、思うだけで胸にこみ上げるものがあります。

なにゆえか戦争に行かなかった父(明治の終わりごろの生まれ)が、床の間に背を向けて立ったまま着流しでうたっていた記憶が、ぼんやりとあるのです。五歳で死別した父ですが、その時、泣いていたように記憶がかすんでいます。

舞鶴には、二度、行きました。

「岸壁の母」は、セリフは恥ずかしくて無理ですが、うたえます。あの「丹野いせ」さん(?)というお母さん。亡くなる少し前頃には、いろんなこと、言われておられたのを、これもかすかに覚えています。小柄なお婆さんでいらした。

だらだらと失礼いたしました。

URL | KUON #-
2017/05/10 21:38 | edit

おはようございます。

舞鶴までいらっしゃったんですか
ドライブと永平寺参りには
お天気もよくいい休日だったかと。

母は牡丹江生まれ
うちの爺さん婆さんも舞鶴引き揚げ組です。
パパさんはお父さんが新聞社の上海支局長だったんで
早くから敗戦を感じ家族は19年には舞鶴へ戻ったようです。

南方の過酷さももの凄いですが
戦後、辛かったのはシベリア抑留された方々でしょうね
もう私達の世代は 直接聞ける爺さん婆さんもいなくなり
また聞きでしか 見聞きできません。
記念館、何度か行った事がありますが
だんだん薄れゆく記憶になってきてますね。

岸壁の母って昭和29年なんですね
小学校の頃、せりふ付きで箒を杖に歌ってました。

でも多分、同級生で歌えるのは いないと思います(笑)
曲を聞いたらなんとなく知ってるかも?  ってのも
3割いたらいいくらいかな・・・

先日うちの前  暮れゆく丘を
街宣車が大音量で走ってました。
やかましいので嫌なんですが
鶴田浩二を聞けるのは好きなんです(不純な動機)

でも! こないだのかかってた曲は・・・・
TUBEの 『あー夏休み』 で右派さんにも
時代の流れを感じて笑ってしまいました。
私達(50歳)くらいが鶴田浩二も前田亘輝も 
分かる挾間の世代かなぁ

有事だと煽りながらも大臣がGWには
こぞって外遊に行く呑気なお国で
私も食博で食べまくってやりました(笑)

全然違いますが
二葉百合子、一応5〜6年前に引退宣言しはったんですが
坂本冬美が何年か前から師事してて
断然上手くなりました。(でもあまり好きではありません)
やっぱり基本浪曲かなぁと思います。

Nちゃん

URL | ワッ・タ・シ熟女N〜 #-
2017/05/09 10:12 | edit

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://tukuyomi2017.blog.fc2.com/tb.php/19-e0834e84
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

訪問者

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード


▲Page top