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間違いだらけの日本の歴史授業(1)  


どうして日本の歴史学者は間違いを正そうとしないのか?

私の積年の疑問である・・・・


小中高と日本の歴史を浅く広く学んでいるが、歴史の常識は非常識

「そこまで言っていいのかい?」

そう思われるかもしれませんが、当たらずも遠からずでしょうね(笑)


今では常識となっている歴史の言葉・表現には多くの疑問・矛盾が

存在します


例えば **藩 という表現ですが、実際の江戸期にはこういう表現は

されていませんでした

藩というのは江戸末期に口にされるようになった言葉で、実際は

**領 というのが近いと思います

(藩主ではなく 領主 あるいは国主と呼んでいたようです)

信長・秀吉の時代では、「国」「国主」という表現を

していたわけですから、江戸初期に「領国を藩とする」という

定め書き・史料が無いならば、**藩と呼ぶのは疑問ですね


藩という言葉が一般的になったのは「廃藩置県」のときから

これも明治新政府の「置き土産」という事でしょう


ですが、テレビなどに出てくる歴史学者さんは自信を持って

「藩」という言葉を使っていますから、私たちがそう思い込んでしまっても

無理はありませんね・・・(笑)


日本には名前で呼ぶ習慣が、そもそもありません

どうして名前を呼ぶ習慣が無いか、学校では教えませんし

その辺りから日本の教育そのものに大きな疑問を感じます



ですから大名・大身旗本を呼ぶときに、名字・名前を呼ぶことはタブーです

井伊直弼を例にすれば、彼は 井伊 掃部頭 直弼といいます

他人が呼ぶときは 「掃部頭(かもんのかみ)」に殿・様をつけて呼びました


言霊をご存知の方なら説明するまでもありませんね・・・・


その時点で同じ官名の人間は居ないので、**守さまで通じたのです

吉良上野介義央なども「吉良様」ではなく、「上野介(こうずけのすけ)殿」と

呼ばれていたはずです


こういった官名は江戸期には「申請して名乗る」ようになったみたいですが

一定のルールは存在しました


* 上総国、常陸国、上野国は親王が「守」を名乗る事になっていたので

武士は使用することができなかった

* 朝廷のある山城国、幕府のある武蔵国の守は使わない

* 常陸介は紀州徳川家初代の官名だったので名乗らない

* 筑前守は、実際に筑前国を丸ごと領地にしている黒田家と

秀吉から「羽柴筑前守」の称号をもらった加賀前田家以外は名乗らない

* 薩摩守・大隈守は島津家、陸奥守は伊達家、土佐守は山内家が

その国を実際に領地にしているので他の大名は名乗らない

* 三河守・越後守は2代将軍秀忠の兄の家系である美作松平家が

名乗っているので他の者は使わない

などの暗黙と呼べるルールはあったようです


正しい歴史は「正しい歴史考証」から導かれるものです


曖昧なグレーを好む日本人だとしても、「おかしい」事は

どうあっても「おかしい」のですから、テレビや映画の影響は

計り知れないほどです

* だからテレビばかり観てると○○になってしまいます(笑)


それにしても・・・いい加減な歴史考証を基準にしてテストに○☓をつける

教育制度って、いいのでしょうか?


お前は黙っとれ!

そういう事でしょうね(笑)

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Posted on 2018/06/12 Tue. 20:43 [edit]

category: 歴史

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