名も無きものにあこがれて 
私はおそらく人格者とは対極にあるクソ爺である
人格者にも偉人にもなれない、なりたくない人間だ
当然、勝者になどならなくてよいと思って生きて来た
勝てない人間は負けることを恐れない
勝つことを義務とも感じない
結果なんてどっちでもいい・・・・
私は勝利至上主義が反吐が出るくらい嫌いである
最近の児童たちに運動会の順位を付けないことが有ると聞く
その反面、成績は露骨に順位・格付けする
若者は歳を重ねるたびにスポーツは楽しむものではなく
勝つために行うものという洗脳教育を意図的に受けている
強い=偉い とおもっている子供たちは多い事だろう
強いの基準が歪んできている気がするのは私だけかもしれない
強い者だけが勝つのではない
勝ったものが強いのであり、勝った者だけが称賛される社会
どんな手段でも勝った者は評価される
土下座しても、涙を流しても、妻や子供を利用しても
選挙にさえ勝てば「先生」と呼ばれ、傲岸不遜な態度も当然になる
そんな人間が日本と言う国を動かしている
負けたら「ただの人」
勝てば官軍とはよく言ったものである(笑)
歴史も裏を返せば 勝者が積み上げた 勝者の歴史である
しかし、勝った人間ばかりで社会が構成されているわけでもなく
負けた人間の上に勝者が君臨しているのが現実社会である
偉人と呼ばれる人や天才・秀才と呼ばれる人が何人居ようとも
社会は平凡で負けてばかりの人間たちで動いているのである
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