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理由がある  


どうして奈良から京都に遷都したのか・・・

後出しじゃんけんの定説なら数多くある


ヤマト時代と呼ばれたころ、京都とはどんなところだったのか・・・・

百済系帰化人や渡来人が多く住む里だったという

そういう場所だから桓武天皇も遷都を決めたのだろう


桓武天皇の母は【高野新笠】という百済系王族の末裔であり

百済滅亡後、日本に亡命し持統天皇のとき【百済王(くだらのこにしき)】

という氏名をもらった人々に対し、桓武天皇は次のように詔したとされる

『 百済王等は朕の外戚なり 』

私の推測では今上天皇が半島を自身のルーツと考える一因かもしれない


私は「男系男子」に固執する皇族や天皇家を見るうちに、なにか「理由わけ」

が有るに違いないと常々考えて来た

天皇家が男系で繋がってきたと主張すればするほど違和感を感じて

その固執の裏側に「母系」による皇統譜が存在するのではないか

そんな妄想すらしていた

「木は森に隠せ」

女系で繋がってきた皇統譜は男系で隠し通せ・・・・

酔っぱらいの与太話と思ってください(笑)


平家は滅亡した

これは誰でも知っている歴史です

本当にそうでしょうか?

男系で観ればかなりの確率で平家は途絶えたと言ってもいいでしょう

しかし女系で歴史をたどれば・・・・意外な事実が存在します


じつは平氏の血筋は現天皇家に繋がっています

第93代 後伏見天皇の母は 五辻経子 といい、平清盛の末裔です

その経子の叔母(父の姉妹)に当たる人が 談天門院忠子 といい

後醍醐天皇の母親である

平清盛の妻は 時子 といい、清盛との間に産んだ子は数多あり

宗盛、知盛、重衡、建礼門院徳子、冷泉隆房妻、坊門信隆妻などがいる

平時子の妹が 健春門院滋子 である

第80代 高倉天皇の生母であり、その直系が 82代後鳥羽天皇、

83代 土御門天皇、88代 後嵯峨天皇、89代 後深草天皇

92代 伏見天皇、93代 後伏見天皇と繋がり今上天皇に繋がってゆく

何より平氏の血筋という事は裏を返せば 桓武天皇の血統という事になる


しかし・・・前にも書いたように、10代遡れば1024人の祖父母が存在し

15代遡れば 32768人の祖父母が、20代遡れば1048576人の

祖先の血が受け継がれているのです

これが薄いのか濃いのかは個人の判断ですが・・・・


我が家の祖先はと自慢するのも考え物です(笑)

遡ればとんでもないご先祖様がいたりして・・・・


酔っぱらいの戯言でした。


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Posted on 2018/05/16 Wed. 21:55 [edit]

category: 歴史

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