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頭を柔らかく  


テレビもネットも観ない日を送ると心が穏やかになる

日常は情報があふれて真偽の泡に埋没する気がしている


頭の中を溶ける寸前まで「柔らかく」「軟らかく」してみると

違った気色が見えてくるのかもしれない


公私を問わず意見や感想、判断、批判は往々にして

主観から導き出されている

どの位置から観るかで大きな違いを生み出してしまう


世間で言うところの「美味い」という表現と同じものだろうが

「美味い」という感想は個人の嗜好であり、主観によって発せられる

個人的意見でしかない

もっと酷いのは「みんなが美味いというのだから、きっと美味いに違いない」

そういう先入観が基準となっていることもある




天皇家は二千年以上続く家系という見かたをする人も居る

天皇家は血統では繋がっていないと考える人も居る

天皇家は何度か「易姓革命」を経験していると考える人も居る


そういう考えとは別の次元で「どうして敬われているか?」に

触れようとはしない人も多くいる

皇族とは尊い人々、恐れ多い人々、冒してはいけない世界の人々

その根拠など考えてもいけない、特別な世界に住む住人なのである(笑)


私は何度も言っているが、天皇擁護論者ではない、されど天皇制廃止論者

でもけっしてない・・・・

尊敬される人は少なからず「尊敬されるべき存在価値」を有している

その基準さえ個人的主観によって形成されていることも否定できないが


皇族だから偉い・尊い、天皇だから尊く否定してはいけない

と考える日本人が多い事を最近痛感している

そういう考えこそ【 痘痕(あばた)も靨(えくぼ) 】だと私は思う

自分の父親や母親より天皇が尊いと考える人はそういう価値観を

常に持っているのだろう



自分が尊敬する人が父親であったり、母親であることも

恩師である場合や、歴史上の偉人と称される人の場合もある

私個人の考えでは、私をこの世に生んでくれた父母をさしおいて

天皇を一番に敬うことなど死んでもできない・・・・


日本人の多くは「神がこの国を造り、その末裔が天皇である」

そういう洗脳を受けている気がしている (これは事実だ)


勝者は自らを神聖化し特別なものとして語り継ぐことが多い

偉いから生き残ったのではなく、生き残ったから偉いだけである

この世に繋がってきた言葉のほとんどが「勝者の弁」であり

歴史とは勝者の足跡でしかない


名も無き人に語る事も残す言葉も許されない

形づくられたモノの「説明」は勝者にのみ許されるのである

どんな時も、どんな場所でも・・・・・・。

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Posted on 2018/03/24 Sat. 22:38 [edit]

category: 歴史

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