差別の真相 その2  



さて差別語にはどんな言葉があるのでしょう?

若い世代ではすでに「死語」になっている言葉があります

【穢多(えた)】 【非人(ひにん)】

歴史の専門家は中世・江戸期に創られた身分制度というように

解説しています

さらに明治期になって「戸籍」に階級制度のように記載したことから

現代の部落差別の元になったというように教えています

士・農・工・商・非人・穢多 というように、区別していたと仰る専門家もいます

(士農工商は身分制度ではないことは以前に書きました、今でも身分制度が

あったと信じている専門家がいることに驚いています)


では「穢多(えた)」とはどういう意味でしょうか?

これは 【穢(けが)れ多し】 という意味です

生き物(ケモノ)を殺すことを生業(なりわい)にしている人々のことで

この世で一番穢れていると決めつけました

江戸期にこれほど明確な「ケガレ思想」で区別・差別したとは驚きですが・・・


私はこのような説に疑問を感じています

本当に江戸期に創られた身分制度だったのでしょうか?

私個人の考えでは、もっと、ず~っと以前からこのような区別・差別が

存在していた気がします

だって・・・ケガレ思想の起点は古代ヤマトからのはずですよね・・・

旧ブログでも書いた気がしますが、平安期の貴族は庶民は下賤なモノと

して、人に非ずと扱っていたと言います


安倍晴明の使役していた【式神(しきがみ)】は公家の眼には見えなかった

という説話がありますが、下賤なモノは穢れたものとして、観ると自身が穢れ

るという理由から、「見えないモノ」として通したのである

誰が考えても、人のいないのに門が勝手に空いたり閉まったりする訳が無い(笑)

貴族以外はヒトとして扱わなかった平安貴族・・・・

官位5位未満の人間は昇殿を許さなかったくらい、差別する人種だったのだから

「死」や「血」で穢れた人間を忌み嫌い差別したことは容易に想像できるのです

言葉での差別が何時の時代からなのかは明確ではありませんが、基本的な

穢多(えた)に対する差別は平安期からあっただろうと私は考えています


ちなみに、日本では首都(みやこ)が頻繁に変わったのも世界から観れば「異常」

なんですよね・・・

初代が造った都を、次の王がさらに建て増しして大きく豪華にしていき、さらに次の王が

新たな施設を築いて大きくしていくというのが、世界的な都の姿なのですが・・・

日本では王(天皇)が変わるたびに、都を遷都していました

なぜでしょう?

これこそが「ケガレ思想」というものなのです

先帝が死ねば、その帝の作った都は「死」によって穢れてしまったということ

で、新たな「穢れていない」都を作る必要があったのです

平安京が完成するまでは、そういう思想が基本だったという事でしょう

死=ケガレ の平安期に「穢多(えた)」の差別が無くて、江戸期に差別ができたという

通説には、私は納得できません

言葉はともかく差別そのものは千年以上前からあったと考えるべきだと・・・

私は考えています


それと、穢多や非人というのは身分制度ではないと考えています

いうなれば、ケガレ思想というものが根底にある「偏見・差別」だと思っています


アイヌ差別問題とは・・・

狩猟民族である「日本の先住民」を差別したい「農耕民族」の末裔の偏見以外の

何ものでもないと私は感じています

(現代の部落差別問題とは基本的に違う次元の話ですが・・・)


例えば、皇族が来ると交通規制や入場規制が行われますが、どうしてでしょう?

私たちを下賤なものとして差別している?

まぁ・・・差別か否かは別にしても、区別はしていると思いますが(笑)


ある知人の理論では、天皇制度こそ最大の差別であると言います

我々の税金で生活していながら、我々には無い特権と待遇を保持し

「不敬」だとか、「畏れ多い」とか一方的に言われるだけで、我々国民は

特筆すべき「恩恵」は何も受け取っていないのが現実だ!

というのですが、解釈の違いもあるでしょうが、一概に否定することもできない気がします


我々の祖先と皇族とどちらが自分にとって「大切なのか」

天皇とは何なのか? どうして敬わなければいけないのか?

という疑問も耳にします

(そういう疑問もこの先、考えてみたいと思っています)


時代という流れからすると、誰でも知っている区切り方(区別)が

あります

この日本でも、【石器時代】~【青銅器時代】~【鉄器時代】というものです

時代という表現がふさわしくなければ、文明とか文化でも構わないでしょう

私も含めて大きな勘違いをしているかもしれないことが有ります

石器を使用していた人がある日、青銅器を使用して生活を始めたと

思ってしまうのですが・・・

これは科学の進歩の流れの中にいる「現代人」の感覚なのです

石器文明の人々が青銅器を使用するまでには、多くの争いがあったと

思っています

より強い精度の高い武器を持った人々が「話し合い」で他人の土地に

住み着くでしょうか?

アメリカ人は高度な武器を持っていましたが「ネイティブ・アメリカン」と

平和的に話し合いましたか?

青銅器を以て日本に足を踏み入れた人々は、石器文化の人々の土地を浸食

略奪したかもしれません

その後に鉄器の技術をもった人々が日本に来たときは、青銅器文化の人々を侵略し

追放したことでしょう

明らかに石器人と青銅器人と鉄器人は別の民族です

今この国の頂点にいるのが「鉄器文明」を持ち込んだ人の末裔です

アイヌを東に追いやり、出雲族を遠方に追いやり、ヤマト人と称する

日本人は最後に日本に流れ着いた鉄器人だと私は考えています


こういう理屈からいうと、天皇家の人々は出雲族・アイヌを差別・侵略して

今の地位に君臨しているともいえるかもしれません

あくまでも可能性の話ですが・・・・


私は差別が特別悪い事だとは考えないようにしています

理想からいうと「差別など無い」事が望ましいですが、差別とは

違いでもあります

差別を【虐待】と混同している人も多くいます

差別という語を調べてみてください・・・

きっとこう書いてあるはずです

《 特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為

また、不利益を強制する行為 》


東宮一家がスキー旅行に行く際に、われわれ国民に不自由な思いや

不利益を与えることも皇族による歴とした【差別】にあたる可能性が

あるという考えもできます


部落問題に限らず、その存在に対しての特別視とは別のものとして

規範意識のない言動に対しては明確な【差別】があって然るべきであり

その人物・集団の存在に対し「差別」することがあってはならないという考えです


犯罪者を特別視し、安易に社会復帰させないことも「差別」だと言えますし

それが悪いと言い切れる人だけではないはずです

自分の家族を殺されて、相手が心神耗弱で無罪放免・・・・

そんな加害者を特別視(前科者差別)するのは当然ともいえます

私なら、どんな手段を講じても、安穏な社会復帰などさせません

命に代えても・・・・


私は若い頃、身障施設の職員をしていました

障害者差別という言葉がありますが、私はそのようなものはごくわずかで有って

障害者が自分自身を「特別な存在」として甘えている現実を知っております

差別しているのは健常者ではなく、生涯を持つ人自身が差別という壁を作って

いることが多々ありました

「やってもらって当たり前」

「健常者が何でもやってくれるのが常識」

「何かと言えば、障碍者を馬鹿にする」

事実は当事者しか知り得ませんが・・・現実は小説より奇なりです


まだまだ書くべきことは有ると感じていますが、今回の「差別について考える」は

区切りにしたいと思います


* この差別に関する文章はあくまでも長屋の爺の私感であり、異論がある方は

自身のブログに於いて反論若しくは自説をお書きくださいますように・・・


次回からは「縄文の世界の神様」について、おさらいしてみたいと思います。


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Posted on 2017/04/26 Wed. 22:50 [edit]

category: 歴史

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