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神の不在  


科学の進歩によって、人類が営んできた生活が

再現されるだけでなく、便利さ手軽さまで手にはいる

そんな時代になっている


だが、私には何かが足りないという気がしている

スイッチ一つで手にする「ガスの炎」

蛇口を捻れば際限無く出てくる「水道水」

手ずから育てなくとも口にできる「野菜」

動物愛護と言いながら、店頭で購入した「肉片」


生きるということは「食べること」であり

自然の摂理によって「活かされている」のだと思っている


その摂理に不可欠なのが 物に宿る 目に見えないモノたち

人はそれを「精霊」「神」「天」と呼ぶが

私は神様の絶対条件は「見えないモノ」だと思っている

形がなく見えないから「畏怖」し、見えないモノに支えられているから

敬うのである


最近食べることに「執着」が無くなってきた

食べる意欲が生命力ならば、食欲減退は生命力の減退という事だろう

以前ならば来年の事とか来月の事、来週の事などを考えたりしたが

最近は今日・明日を生きることで精いっぱいだ・・・・


来年の事を言うと「鬼が笑う」と言うそうだが、来月の事を言うと

「爺が笑う」ようになった(笑)

とくに鬱が酷いから、そう考えているわけでは無い


自分のことが一番理解できないのが自分であり

自分の事を一番理解しているのが自分なのである


極論を言えば、その日のすべてが 《 一期一会 》


行ってきます と言って出かけて行って、帰らない人も居る

「また明日」と言って別れ、再び会えなくなる人も居る

本当に明日と言うものが有るのか・・・・私にはわからない





オリンピックが終わって話題になっている言葉があるそうだ

「そだね~」という方言(北海道)

取り上げ方によっては「ハラスメント」「ヘイト」にもなりかねないが

程度の低いマスゴミの低脳アナがそこばかりに焦点を当てることに

お花畑愚民は違和感すら感じていない事だろう・・・・

中には「北海道で生まれ育ったが、そんな言葉は使ったことが無い」

そういう投稿もあるそうだ


北海道は九州より広い面積であり、東西南北でも異なる言葉を

使うことが有る

函館と札幌でも微妙に違うし、札幌と稚内では違っている

博多と長崎、熊本、鹿児島が違うように・・・・


東京が標準語だと思っている人は多いが、本当だろうか?

東京と北海道は環境が似ている

生粋の地元民が非常に少ないことである

北海道は入植者が殆どで、移民の集合体と言っても間違いではない

東京も地方からの流入者で造られた近世の巨大都市である


地方出身と分からないように独自の言葉を作ったのが「東京(江戸)」だ

江戸時代の街では日本中の様々な言葉が飛び交い、さらには

武士言葉と町人言葉、地方訛りで溢れていて、商売人はさながら

バイリンガルでなければ商いができなかったのではないだろうか(笑)


江戸は葦の生い茂った荒野だったという

そこに徳川家康が移り住み、出身地の三河武士と三河商人によって

造られた国である

江戸初期は三河弁が主流であり、江戸っ子など存在したのかすら不明だ

その後、関東各地から人間が流入し、「ベイ」「だっぺ」が多数を占めるように

なったと思う(笑)

当初から住み暮らした人は区別するために「下町言葉」を作った気がしている

吉原の遊女が廓言葉を使ったのも、地方出身の負い目を隠すためだったことを

考えれば、あり得る話だと私は思っている


江戸っ子が「宵越しの銭を持たない」のではなく、「持てなかった」という事実も

地方出身者とは「違う」という【見栄】が原因だろう・・・


吉原の「花魁(おいらん)」の語源が【おいらのねえさ】だったことも

言葉が文化だった証かもしれない


しゃべれば しゃべったで しゃべられるし

しゃべねば しゃべねで しゃべられるし・・・・

とかく この世は生きにくい ですな・・・。


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Posted on 2018/03/01 Thu. 00:07 [edit]

category: 私の思い

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2018/03/05 04:53 | edit

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