差別の真相 その1  


最近社会で話題の「ヘイト」

なにがヘイトで何がヘイトでないのか、私には理解できません

この言葉を多用している人たちはこの境界や違いを正しく熟知して

いるのでしょうか?


ヘイトとは、憎悪とか反感を抱くこととされていますが

肌合いの合わない人や、かつてひどい仕打ちを受けた相手にも

憎悪の感情や反感を覚えることは多々あります

それを言葉に表すと「ヘイト」ということになるのでしょうか・・・

難しいですね・・・言葉と言うものは


さて日本に限らず世界のいたる所で観られる【差別】

この差別を観ても日本はかなり特殊な民族なのをご存知ですか?

そんな話を2回に分けて書いてみたいと思います


差別とは・・・

世界を見渡せば、肌の色が違うと言うだけで「差別」をする【人種差別】

信仰する宗教が違うと言う事で起こる【宗教差別】

前者は一見するだけでわかる、見た目から来る差別であり

後者は知ることによって起こる思想的な差別です


さて、日本における差別の基本は何でしょう?

宗旨宗派が違っていても差別したり、いがみ合ったりすることは

現代では殆どありませんので宗教的差別は少ないでしょう・・・

人種と言っても日本に済む日本人のほとんどは「黄色人種」であり

見た目だけでは差別の対象にはなりません

日本の差別の根底には人種や宗教ではない、もっと深い理由があるのです


日本には「ケガレ思想」というものがあります

「私には、そんなものはないわ」

もし・・・そう思っているなら、何も言うことは有りませんが(笑)

フリーマーケットで物を買った方は多いと思います

その「モノ」の過去・歴史を知ることが無いから平気で買ってしまいますよね

もし・・・そのモノの持ち主が毎日愛用し、未練を残して死んでいたとしたら・・

喜んで使いますか?

私は父親が生前愛用していた「湯飲み茶わん」を持っています

時折出してはお茶を飲んでいますが、汚いとか嫌だとは思ったことが有りませんが・・・

これが見知らぬ人の使っていた茶碗や器だったら・・・捨ててしまっているでしょう

目に見えない「思い・念」が付着していそうで、私には使えそうにありません



古代日本人が最も「忌み嫌った」ものは【ケガレ】という存在でした

穢れ(けがれ)は、汚れと書いても「けがれ」と読みます

「よごれ」は洗えば落ちますが、ケガレは洗っても落ちないものなのです

死んだ人が息を引き取った時に着用していた着物・衣類を「あなた」なら

平気で着用できますか?

いくらクリーニングに出したからと言えど、死んだ人が最後に纏っていた

衣類を着用するにはかなりの抵抗がありますよね

だけど・・綺麗にクリーニングしているのだから、汚れてはいません

それでも「ダメ」「嫌」というのはなぜでしょう・・・

それが「ケガレ思想」というものです


ケガレにもいろいろあって、なかでも一番のケガレは【死穢(しえ)】というもの

「死」「血」というものが一番穢れているというのが古代日本の考えです


いや・・農耕民族にとって、と言う方が正確でしょうか

日本の先住民は狩猟民族ですから、生き物を殺してその肉を食い

その毛皮を衣服として使用していました

だから死や血をケガレとは思うはずがなく、人間の死すら当然のことと

受け止めていたでしょう

動物の肉(命)は神様からの贈り物、生き物とは神さまから与えられた

聖なる命の糧だったのです

植物を育て、果実を集める農耕民族にとって、生き物の死とはどうしても

受け入れがたい対象だったのかもしれません


なぜ死んだ高貴な人を大きな土の山(古墳)に埋葬したのでしょう?


古代の農耕民族では身分の差が歴然としてありました

古墳に埋葬された人とそうでない人の違いは何でしょうか?


私の個人論ですが、一般人の多くは狩猟民族から農耕民族に

変わった人々の末裔であり、高貴な人に分類されるのは、半島や大陸を

経て日本に流れ着いた「農耕民族」の末裔ではないかと思っています

ですから、一般平民には、死=ケガレ という概念が薄かったのではないか

ではどうして、高貴な人は手厚く埋葬されたのか・・・

それが 死穢(しえ)】 という存在だったと思っています

高貴な人ほど死ぬと「穢れ」が強く表れる


小さな鯵(あじ)が腐敗しても、ひどい腐臭は感じませんが

大きなクジラが死ねば、その腐臭はとっても酷いものに感じるはずです

高貴であればあるほどケガレが強いと思える例えですが・・・


例えば8世紀~11世紀(平安期)にも顕著に現れている出来事があります

地方に配置した「兵士」を廃止したのも「穢れ」を忌み嫌ったからに違いありません

兵士は戦をして敵を殺し血に染まります

そういう人間が居るから、世の中が平穏にならないと考えた桓武天皇が

廃止しました

穢れが世の中に災いを成すという思想は脈々と日本人のDNAに刷り込まれて

いきます

違いますね・・・一部の特権階級、例えば公家や皇族、支配階級だった貴人たちの

DNAに刷り込まれて今に続いているのです

その思想が何時の時からか、日本人の多くに浸透してしまった

その「何時か」とは、明治維新ころではないかと思っています

だって、武士は日本刀を腰に差し人を斬ることが当然でした

ケガレ思想に染まっていたとは思えません

庶民もそれほどケガレの意識は強くなかったと思っています


さて本題に戻ります

日本の差別は穢れが原因ですから、「死」に関わる人「「血」に触れる人

などが、差別の対象に成りました

山に住み狩猟を営む人々「マタギ」なども差別されてきたのでしょう

定住することなく各地を放浪する「サンカ」と呼ばれる人たちもそうでしょう

その差別の考え方が、家畜を屠殺する「解体業」「精肉業」や葬儀を執り行う

「葬祭業」などに向けられたのは想像できます

しかし・・・葬祭業が死にかかわる差別対象なのに、寺の坊主が差別対象に

ならないのは不思議ですね・・・

そうなんです、この差別は日本人がと言うより、一部のやんごとなき部類の人々の

個人的な感情と言えるかもしれません

何しろ、この日本で一番最初に仏教を信仰したのは貴族や皇族たちなのですから

仏教の僧侶を「差別」するわけがありません

千年前なら「ドクター」と呼ばれる人は、差別の筆頭だったかもしれませんが(笑)

(つづく)


関連記事
スポンサーサイト

Posted on 2017/04/23 Sun. 19:09 [edit]

category: 歴史

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://tukuyomi2017.blog.fc2.com/tb.php/13-ee5c5da1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

訪問者

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード


▲Page top