長屋の爺のブログのスタイルと理念  


私は「不必要な善意」からこのブログに於いて、変わらぬスタンス

があります

一つは過去の歴史は「その時、その場に立ち会わなければ真相は見えない」

見聞きした事柄については、「諸説あって」、「・・と言う説もあり」「「・・・と言います」

そういう表現で【紹介】してきました


私が信じる事柄については明確に断言してきましたし、これからも正否が不明でも

私が信じるところの話は 「・・・だと私は考えています」「わたしは断言します」

「確信しています」という表現で態度を明確にしていくつもりです


私は一つの歴史事象において、多くの関連文章・書籍を観て、良かれと思い

その文章を自分の言葉に言い換えて紹介してきました

論理的に齟齬が無いか考え、私が執るに足らぬと思えば、話題にはしません


私のブログは歴史レポートでもなければ、研究論文でもありません

こういう話や説があります・・・皆さんはどう思いますか?どう考えますか?

信じる信じないは個人の自由で・・・という手法でしかありません

考える「参考」「題材」になれば、その程度のブログです

気楽に読み流してくれても結構です、無視しようと軽蔑しようと問題は生じません


多くの歴史研究家や有識者が基準にしているのは「日本書紀」の記述なのは

動かしようの無い事実であり、「書いてあるから事実」ならば、朝日新聞に

書いてあることは間違いなく事実であることになりますし

名無しの犯罪者も「名無し」が事実であることになるのです・・・・


可能性を否定したり「荒唐無稽な説」という方の根拠は・・・

決まって 「**に書き残されているのだから」なのです

私の記事の反論コメントや中傷コメントの多くは、日本書紀や古文書を

引き合い(論拠)にするものばかりで、その歴史書・古文書が「正しい」という

出発点から思考が開始しています

私は「書いてあるから事実」という言葉が大嫌いで、国家が遺した文章・書類

だから「信用できる」というのも納得できません


人間というものは、自分が大事であり、自己というものが最優先され、

自分にとっての不都合は隠したがるものであり、当然であるべき「日常」

などは【遺す】価値は無く、事実だけでなく「悪意のある文字」を残すこともある


告発本とか「手記」「エッセイ」と言われるものが全て事実ばかり書かれているとは

限らないと私は考えています

だれでも「字が読めて」安易に「モノ」が手に入る現代ですらそうなのです

古代では「漢文」や「万葉かな」を読める人がどれほどいたのか?

そのような国家文章をどのくらいの人が目にできたのか?

何が書かれていたのか知らないヤマト人が、事実・虚偽の判断すらできなかった

のではないだろうか・・・



良い事ばかりを書き残すのは、不都合を隠す意図であり、悪口雑言で非難糾弾する

のは、その反対の事実を隠す意図であることが多いと思います


疑ってみると、「新しい何か」に気づくこともあるかもしれません・・

私は「性悪説」が人間の本来の姿だと確信しております!

私自身の性格が悪いからだけではありませんが・・・(笑)


さて、日本で一番偉い人は誰でしょうか?

私が子供のころならば、きっと「天皇陛下だよ!」 と言うに違いありません

現代では「安倍総理かな」、とかいう子供がいるかもしれませんw


どうして日本は天皇がトップに君臨する国なのか その根拠は?

意外と知られていない話なのですが、これも「日本書紀」の記述から

そう信じられてきたというか、刷り込まれてきたという事なのです


日本書紀 巻第二 神代 下》

葦原の千五百秋の瑞穂の国は、わが子孫が王たるべき国である。

皇孫のあなたが行って治めなさい。

さあ、行きなさい。

宝祚(あまひつぎ)の栄えることは、天地と共に窮まりないであろう。


  我が日本は、我々の子孫が治める王であるべき土地である。

だから、その子孫が治めなさい。

その皇統がずっと続いていくことは、この天地が窮まりないのと同じである。


要約すると、この日本はアマテラスの子孫が王となって治める国である

その王(天皇)の血筋はずっと続く・・・


これが日本と言う国を、天皇が統治する論理的根拠なのです(笑)

統治能力、人間性、神秘性が優れていたかどうかは私は知りませんが・・・

日本書紀に書いてあるから「間違いない」ので、国民は信じなさいという事です


私は天皇崇拝者でもありませんし、天皇廃止論者でもありません

何処にでもいるような、少々くたびれた爺ですが

最近の天皇家を観ていると、「もういいかな?」と思ったりしています

私が天皇家を敬っていたのは、赤子(国民)のために【滅私の祈り】を

続けてくれる存在だという「微かな糸」のような繋がりでした


今の天皇家にわずかな神秘性も滅私の姿も垣間見ることはできません

見えないから「貴い」こともあります

聞こえないから「気高い」こともあります

万世一系も、神代からの家系も、何事も無ければ問題にすることも無い

手品に種があるように、皇室の存在も理由があって当然なのですが・・・

許容できることとできない事がこの世の中には存在します


もう一つ、この世の中には時として「必要悪」「無駄な善」というものが存在します

私の思考の中の天皇家・皇族というものは「無駄な善」という印象なのです

良くても悪くても、国民が一つになるための「精神的な束ね」だという事です

その天皇家に常に監視の目を向けているのが「宮家・皇族たち」なのです

その両者が機能しなくなっているとすれば、単なる無駄に思えてしまう・・・

東宮バッシングも結構、秋篠宮家マンセーも結構・・・

最終的に冷静な目で日本と言う国、天皇家の存在を俯瞰できれば、良いと私は思っています。


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Posted on 2017/04/20 Thu. 22:09 [edit]

category: 私の思い

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