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我が人生は悔いばかり  


今日も相変わらず本を読んで、いつの間にか酔っている(笑)

最近 自分の人生を考えることが多くなった

それだけ老いたという事だろう・・・・


人間なんてちっぽけな生き物でしかない

我が人生に悔いは無し という人も居るが

私が考える人生に、後悔しない人生など存在しない


人は誰もが、愛し、憎み、喜び、悲しみ、絶望する人生を送っている

ただ・・・他人に知られるか、知られないかだけの相違でしかない

明日が見えるなら、そんな楽な人生は無いだろうが

明日が解らないことが人生を困難にしているのかもしれない


人間なんて・・・黙っていても「いつかは死ぬ」

拘り、しがみついていても、等しく老いは訪れ、その先に

この世とおさらばする時を迎える定めにある


人は生きているのではなく「生かされている」と気づくかどうか

その差で「生ききったか」「あがき続けた」かの思いが変わるだけ


「自分らしく」生きるのは容易ではない

自分の思い通りに生きることはさらに難しい・・・・

「自分らしく」と、「自分の思った通り」とは違う

ドジで間抜けな人生だとしても、「自分らしい」事もある

絵にかいたような人生が「自分の思った通り」の事もあるだろう

それは最期の時を迎えた時に、わかる事かもしれない


失うものが多いほど、得るものも多くある

【コップの水が あと半分残っている】と考えるか

【コップの水は あと半分しか残っていない】と考えるか

おそらく私の残された人生はそれほど長くない気がしている

若い頃、無理した「つけ」を最近支払わされているからだ


私は世間の人が持っている「当たり前」と言われるものの多くを

失って今日まで生きて来た

失うことの「怖れ」など全くないのが本音である

たとえ、この命さえ・・・・

人は失くすことに異常なほど臆病になる

失くしたことが無いからかもしれないが


人間はその身に持てる「荷物」の量は決まっているという

何かを抱えれば、何かを手放し、何かを捨て、何かを失う

「有る」のが当たり前の人生を生きて来た人に、「無い」という現実は

想像以上に「過酷」なのである


こんな文章を書いてはいるが、私よりはるかに辛い人生を送っている

方も多くいるだろうと思う・・・・


家族がいるだけで幸せだよね、と思う人も居るかもしれない

住む家が有るだけで恵まれているね、と思う人も居るだろう

三度の食事を食べれるなんて幸せだね、という人も居るだろう

仕事が有るだけ幸せだわ、という人も居るだろう


そのどれも持っていたとしても「幸せ」と思わない人も現実に居る

それが「人生」というものの正体なんだろう


私は、人生=仕事と思って生きて来た

だから働けなくなったら、人生を閉じるときと常々考えている

我が人生に「隠居生活」は存在しないし、想像することもできない

その人生を生きるために、どれだけの「大事なもの」を失ってきたか・・・・


しかし、仕事が人生を「生き難く」していることだってある

仕事から解放されて、初めて自分の人生、自分らしい人生を生きた

人だっているのである


私は「頑張る」という言葉が大嫌いだ・・・

頑張るとは自分の力以上のことをすることだと理解している

私は他人に対して「頑張れ」とは決して言わない

他人がどれほど「自分自身で精一杯」生きているのかも知らずに

さらに「もっとやれ」とは言えないのである


【努力】と【頑張り】は別物である

努力はどんな時も必要だが、精一杯の努力は他人には理解できない

自分では精一杯努力しているのに、さらに「頑張れ」と言われれば

これ以上頑張れないと感じたら、人はどういう行動をとるのだろう?

一見優しい言葉に聞こえる「頑張れ」には、とてつもない「非情さ」が

潜んでいることを私自身が経験している


これとて、コップの水と同じ論理だが・・・・

身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ

死ぬ気持ちがあれば、どんな困難にも立ち向かえるというが

死んだ気になれというのは「絵空事」で・・・・

「死んだ気になれば」という言葉を口にする人は

死んだことがあるのだろうか?

死んだことが無い人間が、「死んだ気」になれる訳が無い(笑)

本気で死のうと思った人間の心理も理解できない「頭でっかち」が

机の上で考えた言葉に過ぎない軽薄な言葉だと私は思っています


私は色々な意味で「死に損ない」です

その「死にぞこない」が今言えるのは、死んだ気=捨てる勇気である


プライド、持っている大事なもの、過去の栄光、思い出、家族・・・・・

捨てる勇気と、無い現実、失った現実を容認できる気持ちさえあれば

人生 どうにかなると・・・・酔っぱらった長屋の爺は考えます。


ホームにて

詞・曲 中島みゆき 

昭和のよき滝川市の映像 唄 高畑充希



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Posted on 2017/12/14 Thu. 22:57 [edit]

category: 私の思い

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コメント

ウナさんへ

こんばんは

弱い者ほど「群れたがる」とも言いますが、ヒトとは寄りかかり、寄り添ってなんぼかもしれません

縁(えにし)とは見えなくとも・聞こえなくとも・語り合わなくとも、分かり合える「結びつき」ではないでしょうか?

縁は異なもの味なもの

人様とは「教師」であり、己を見せてくれる「鏡」かもしれませんね・・・。

URL | 長屋の爺 #-
2017/12/18 21:26 | edit

かちゅうのくり

ははこいし
いつかきたみちとおりゃんせ
あはは
母は何処にも行きやせぬん

はははいつも言っていた
『御身我が身』と
ははは
八四歳まで生きた
そして静かに死んだ
これはおいらの誇りのひとつかも

長屋の爺殿に申しあげます
結えあって『縁』
果たしてわたくしたちは
同じ村人となりえたのでしょうか
ならば
嬉しい・・・あはは。

URL | 蓑虫・ウナ #-
2017/12/18 18:17 | edit

Nちゃんへ

こんばんは

日本人は「死」について考えることをタブーとしています

言霊(ことだま)の国であり、死=穢れというDNAが存在しますから


坊主も「あの世」とやらばかリを説きますが、あの世に行ったことも無い

くせに・・・とは言い過ぎw


働くという事は社会が必要としてくれている証明であり

自分は競輪選手と同じで、足を停めたら倒れてしまう

我が人生 明日のために 足を振る

前のめりで倒れずに、静かに横に倒れたい 願望ですw

URL | 長屋の爺 #-
2017/12/15 22:33 | edit

おはようございます。

「さばかりの事に死ぬるや」
「さばかりの事に生くるや」
止せ止せ問答

悩める人間にとっては最大のテーマですよね

私も、自分の食い扶持が
自分で賄えなくなったら終わりだと思って
根性と意地と見栄でやってきました。

家族、人様の世話にはならないと強がってても
人の繋がりや情にホロホロと涙がでて
有り難いなぁと
なんや手合わせたい気分です

自分の家族も持てなかったし
あぁ、一人で終わっていくのだなぁ
と言い聞かせてると後悔も、欲も
だんだん納得してきてる今日この頃です(笑)

さぁ! 
もうお腹いっぱい、おおきにさんでした
って終われるよう食べるぞ!  (笑)

食欲だけは抑えられない
Nちゃんでした




URL | ワ・タ・シ熟女N #-
2017/12/15 10:18 | edit

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