斜め読みの歴史  


私は云わずと知れた、無類のへそ曲がりである

何でも裏側を探り、意地悪な解釈をするのが、子供のころからの

習い性になっている

偏屈、へそ曲がり、性格破綻者、意地悪、根性悪・・・

私の評価はどれも似たようなものw

わたしは「善い人」「立派な人」と言われるのが何よりも大嫌いなのだ


さて、聞くところによると秋篠宮殿下の呼称が【皇嗣殿下】になるらしい・・・

これを聞いて喜ぶ人の神経が知れない(笑)

皇位継承順位1位の人は、どう解釈しようと、どう呼ぼうと【皇嗣】なのである

当たり前のことをわざわざ明文化することの意味など有る訳が無い

皇太子を「天皇の子」「天皇の太子」という基準から、「新天皇の子」では

無いという理由から「皇太子」という呼称を避けたのだろうが・・・

皇太子擁立派や宮内庁とすれば、皇太弟(こうたいてい)でも、皇嗣殿下でも

皇太子という呼称でなければ「可」なのである

なぜなら、皇太子という呼び名は「愛子内親王」のために空けておきたいからなのだ

皇嗣殿下と言う呼び名を聞いて、嬉々として喜んでいる人たちには悪いが・・・

裏を読めば明白ではないだろうか・・・


さて、私にはどうしても理解できない皇室問題がある

先ずは質問・・・

貴方の「甥っ子」、「姪っ子」が知らない間に似ても似つかぬ容姿に変わっていたら

どういうリアクションをしますか?

皆さんが「国民のよりどころ」と考えている皇室全体が、異常な世界であること

私たちの常識は皇族にとって非常識な世界であるかもしれません

宮内庁の役人も、私的な職員も、各宮家の人々も、一様に何事もない

接し方で今日まで来ているのは事実なのである

「身の危険を感じて大っぴらな言動はできないのかも」

たしかに、そういう可能性は否定できません・・・


私は一例として愛子内親王の問題を話しています

このように、解釈の仕方で変わるでしょうが、開かれた皇室にあっても

こんな不可思議で理不尽な暴挙が何事もなく流れてていくのですから

閉鎖された空間だった古代の宮廷は如何ばかりであったろうか・・・


戦後、民間から「粉屋の娘」が嫁いで来た瞬間から、日本の皇室は破壊された

そういう人も居ますが、ほんとうにそうでしょうか?

それは古代から脈々と昭和20年まで皇室がつながってきた「万世一系」

の家系だという「大前提」での解釈にほかなりません

皇統は何度も変わっているという説もあります

実際のところは分からないのが現実ですから、これを頭から否定することも

正しくはありません

だからと言って、これが正しいということもできないのが古代史です


明治天皇は「すり替わっていた」という、大真面目な検証もされています

皇女・和宮は「替え玉」だったという説すらあり

孝明天皇・明治天皇は暗殺されていたという説もあります

愛子内親王が自閉症であることは、おそらく間違いないでしょう・・

過去の私の子供の「実態」から考えても、99%自閉症だと思っています

今、社会に流れている「愛子様」はハッキリ言って別人だと思います


それと同じようなことが、明治天皇にもあったとすれば・・・

明治天皇は気弱な貧弱な子供だったと言います

馬になど乗ることもできず、大きな声すら出せない子供だったそうです

それが薩長などと共に東へ進軍する馬上の姿はまるで【別人】のような

体格と言動だったと言います

信じるかどうかは・・・人それぞれですが


和を以て貴しとなす

一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。

ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。

しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、

すなわち事理おのずから通ず。

何事か成らざらん。



和 = 話し合い というのはかなり無理がありますけど・・・

日本には確かに「話し合い文化」「談合文化」というものは存在します

どうして「和を以て貴しとなす」だったのでしょう?

この第一条に書かれている内容が全てを語っています


忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ

 訳 【いさかいをおこさぬことを根本としなさい】

君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う

訳 【君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない】

上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは

訳 【上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら

何事か成らざらん

訳 【どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ】



これからは長屋の爺の妄想です・・・あくまでも・・・ですよ

この言葉は聖徳太子が定めた17か条の憲法に書かれているとされます

この中の【論議する】が、「話し合い」を大切に…の解釈の元になっていると思われます

なぜ、論議や協調、親睦と言ったものが大事だと書き留めたのでしょう


いや、ちょっと待ってください・・・

この十七か条の憲法なるモノが書かれているのは【日本書紀】なのです

書かれた時期は8世紀ですが、太子が定めたとされるのは604年といいます

私はこの条文は藤原不比等等によって、千年の計を以て「書き残された」

創作だと考えています

天皇を中心に「世襲」が当然であり、いろいろな「異議」「不満」「怒り」が

有っても、みんなで話し合って短気を起こさず仲良くしましょう

私はこの条文から、そう読み取れるのです


なぜ「和」が不可欠だったのか?

持統天皇になるまでの時代は、天皇や皇子を簡単に殺害し権力を

争奪する殺伐とした時代だったのではないでしょうか・・・

天皇を臣下の分際で「殺めたりせず」、天皇や父親の言う事を

素直に聞き入れ従いなさい・・・

そうすることによって古代豪族の「ヤマト(日本)」の大王即位の可能性は

無くなり、持統天皇の血筋による「世襲」が完成するはずだった


もう一つ、不比等は隠された暗号を残したかもしれない

和 とは「調和」という意味で解釈する説が殆どである

本当にそうだろうか?

和 とは日本の事であり「ヤマト」のこと、それまで日本(ヤマト)は

倭(わ・やまと)とされてきた、その倭の時代・政権とは違う新しい

【和】と言う国を大切にしましょう・・・

持統天皇と藤原氏が治める新しい国・和(やまと)を・・・

和だから大切に、和の統治者である「天皇」を大切に、親から

子にその権力を継承することに、異を唱えてはいけません

なぜなら、和と言う国が一番優先されるのですから・・・・


私の妄想でしかありませんが、自分の国を美化したい気持ちは

私にも理解できます

しかし・・・すべての事には理由があります

聖徳太子が実在したのなら、摂政や太子のままで居たはずがありません

それほど素晴らしい実績が語り継がれている人物なのですから


持統が定めた、不比等が制定した、そんなことは百まで承知・・・

しかし、藤原千年を振り返れば「藤原の世」を盤石にする【楔(くさび)】は

日本書紀編纂と同時に計画されていたのかもしれません。

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Posted on 2017/04/14 Fri. 23:39 [edit]

category: 歴史

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