被差別民を考えてみる  (六)   


差別と区別


差別とは何だろう?

差別とはいつの時代から始まったのか?

差別は区別から始まった?

差別は区別とは別物?


クローンのような人間ばかりだったなら、区別することは全く

意味を持たないと思えます

区別とは何かしらの条件を規定し、その物を振り分けることではないでしょうか

では、差別とはいったい何でしょう?

ずばり「優劣の差」だと私は考えています


差別は少なくとも「支配層」と呼ばれる集団が形成されてから起こったものだと

私は考えます

自分達とわけ隔てる手段として、自分達の優位性を誇示するため・・・

日本に「大王」とその一族と称する一部の特権階級が誕生したときから

差別は始まったと考えます

ただし、その差別なるものの基準は、時代によって変化していたのでは

ないでしょうか

星や月の動きから天文という知性によって、民衆を束ねていた時代は

特殊な能力を持つ者と持たない者の区別はあったでしょう

しかし、私には区別する姿は思い描けても、差別していた状況が

思い描けません

なぜ差別をするのか?

どうしても自分達が勝っているという自己顕示が主体だった気がします


チカラを持つ者と持たない者が生まれた時から、もっと言うなら「富」を持つ

者が現れてから、その富を維持するために「差別」することが起きたという

事も考えられます

その基準になったのが【穢れ思想】だった気がします

貧しいもの、自分達とは大きく違う生活をする者、教養の無い者など

自分より何かの部分で劣っている者を、彼等は「卑しい」として区別した

その結果、区別だったはずの「卑賎視」は、差別という貧富の差、生活水準の差

によって特別視するようになったと想像します


被差別民の多くは特別な「罪」を犯したわけではありません


嘗て まつろわぬ民 と言われる人々が居ました

権力に阿(おもね)ることを善しとせず、漂白する民の事をいいます

その漂白民の多くは【製鐵】【産鉄】に従事した被差別民でした

なぜ彼等は漂泊の道を選んだのか・・・・

日本の統治(争い)の始まりは、鉄利権の争奪から起きたと私は

考えています

鉄を制する者は【ヤマト】を制する

石器から銅器へ、そして鉄器の時代へと移行するとき、それまで

鉄の生産にかかわってきた多くの山の民が武力によって追放され

支配権力に抗(あらが)った者たちは、新たな産鉄地を求めて漂白した

まつろわぬ とは・・・「まつりにかからわぬ」ことから

まつらわぬ→まつろわぬ になったと想像しています

政(まつりごと)とは、祀る事であり奉ること、纏(まつ)ることでもあります

自由に生きた人々を縛り(管理し)、政治権力の手足となる事を強いられることに

我慢できなかったマイノリティーな人々は、後の世に「差別の対象」とされたと

私は考えます



歌舞音曲に従事する者を差別視していたことは知られていますが

もとは歌舞音曲が原因ではなく、それを演ずる者が対象だった気がします

古代では「舞う」というのは神に仕えるシャーマン(巫女)の役目で、その対象に

なる神というのが、自然神である【八百万の神】でした

しかしヤマトの国に「大王」という統治制度が根付き、自然神信仰から

人格神信仰へと変わり、八百万の神に奉仕する巫女を蔑視する風潮に

なったのではないでしょうか・・・

あの卑弥呼も古代シャーマンだったとされ、神と交信できる者こそ民衆を

統べる(統治できる)者として認知されていました

そんな特殊能力(巫術)ができるものを排除する狙いが、新たな統治者である

古代天皇家にはあったと推測できます


天皇が崩御すると古代では【殯(もがり)】と呼ぶ祭事を行いました

殯というのは棺(ひつぎ)を一定期間安置して、肉体から離れた霊魂を

呼び戻す目的で行う祭事を言います

その時に行ったものに巫術師が関わっていました

その巫術を統括する役所が【遊部(あそびべ)】といわれ

そこを統括していたのが【土師氏(はじし)】で、後に「穢れ」に関わっていると

思われるのを回避するため【菅原】という姓に改名しました

もちろん学問の神様と言われている【菅原道真】も土師氏末裔である

菅原道真が遣唐使を廃止したことによって、新しい天文学が日本に入ってこなくなり

その機に乗じて既存の天文学と道教・密教を加味して天皇や公卿に取り入り

陰陽寮を独占したことから、陰陽師賀茂氏・安倍氏が日の目を見たのも運命的な

ものを感じてしまう



天の岩戸の前で踊った「天のうずめ」もおそらくは巫術を行うシャーマン

だったと推測します

死んだ「陽」の再生を、踊り祈った形がご存知の天の岩戸のシーン

ではないでしょうか・・・

巫女はシャーマン(術者)であり歌い踊り祈る・・・ここから歌舞伎や能、浄瑠璃など

多くの古典芸能が開花したのだと思っています

その事を一番よく知っている階層に暮らす人々が揶揄して広めた言葉が

「河原もの」であり「河原乞食」だったのではないでしょう・・・

出雲阿国も元をたどれば、出雲の巫女だった気がします

白拍子と聞くと「遊女」という発想が起こるのも、巫女の衣装が白を基調

にしたものからの連想で、巫女を蔑視したい者の思惑が見えてきます


芸能と聞くと古いイメージですが、芸能は古代では神事としての巫術をさし

新たな信仰(人格神信仰)にとって、邪魔な存在だったという事かもしれません

もしかすると、天皇家より伝統芸能の家系の方が由緒正しいかもしれませんね(笑)


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Posted on 2017/08/31 Thu. 22:39 [edit]

category: 歴史

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72年前を知らずして、どこの日本人ぞ  


一特攻隊員の歌   -出撃の日を待ちつつー


既にして征ける友等は、沸(たぎ)りたつ雄心駆りて、

みんなみの洋上遥か、いさぎよく散りてゆきけり。

友等今吾を待つらむ、諸手あげ吾を呼ぶらむ。

しかれども嗚呼この吾は、今猶(なお)に生きて残れるー。

されど吾さらにあせらず、いたづらに死をばはやらず、

ひたすらに生きを励まむー。

時正に全員特攻、つはもの等こぞり散りゆく。

されば今吾等が道は、死に方に非ず生き方にあり。

おほらかに正しく強く、死する迄道に励みて、

一たびぞ出撃せんか 必ずや仇艦沈め、吾を待つともに續かむ。

かくてこそまこともののふ、わが大和男子(おのこ)にぞあれ。



*筑波航空隊フィリピン特別攻撃要員として米護衛空母「マニラ・ベイ」に突入、

米兵15名戦死、負傷51名の戦果をあげた (海軍中尉 丸山 隆 書)


武士道=死 と勘違いしている方には、理解されないかもしれませんが

武士道とは【いかに生きるか】を追い求める道だと私は考えています

彼等がどうやって死んだかではなく、どう生きようとしたか・・・

何のために死んだのか?

私は彼等(英霊と称する人々)を過剰な賛美などで穢して欲しくはないのです

日本という国の為、愛する家族の未来のために生き、そして死んでいった

普通の若者たちだったのですから・・・・


現代人、とくに高齢者の中には「戦争」「特攻」「散華」「靖國」という言葉に

過剰な嫌悪を感じる人も多くいます

私は特攻で命を散らした方々を神聖化して賛美してほしいとは思わない

さらには彼らの行動を否定などせずに、亡くなった方に対し「慰霊」と

ともに、ささやかな【感謝】をしてほしいと願っています

いつまでも忘れないこと、事あるたびに思い出すことが次代を引き継いだ

我々がなすべきことだと思っています



国の為  散って甲斐ある  丈夫(ますらお)と

  為りてぞ生ける  験(しるし)ありける
 



* 昭和19年12月 フィリピン・セブ基地より出撃 米船団に特攻 散華 

(鈴木 孝一中尉 享年22歳)




母優しい母、女神の如き母、何処の世界に此の有難き母があらんや

此の御恩海底に沈まんとも又敵艦と共に砕けんとも忘れ得ず。

*遺言より一部抜粋*

* 昭和20年2月25日 敵戦闘機と交戦 散華

(政森 幸雄 海軍上飛曹 享年20歳 )



泣くな嘆くな必ず還る

桐の木箱に錦着て

逢いに来てくれ

九段坂


* 神風特別攻撃隊 第一筑波隊員 

昭和20年4月6日 沖縄米国船団に特攻 散華

(金井 正夫 海軍少尉 享年23歳 )

Posted on 2017/08/29 Tue. 22:42 [edit]

category: 歴史

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お利口さんになった日本人  


連勤が続いて「体調」を崩してしまった

今年の夏も相当暑い・・・・

寒いのより暑いのが苦手な爺なので、この時期の連勤は堪える

暑い暑いと言ってるうちに、すぐに秋がきて冬になるのだが

幼年期と少年期、青年期と壮年期の時間の進み方は違っている

そして老年期の時間の速さといったら「光陰」のようである

歩む速度より時間の経過の方が早く、時間に追い越され「置いてけぼり」を食う

こればかりは如何ともし難いのが現実か・・・・・


現代の日本人は「お利口さん」がとても多い気がする

これも「金太郎飴現象」なのかもしれないが

とにかく「自制」することを基本に置いているようだ


「すきに言わせておけばいい」

「無視して、相手にしない方が賢明」

「そのうち・・・○○するだろう」

そうやって「賢明で理性的な大人」に見せようとする

そんなお利口さんばかりの日本がどうなったのか?


竹島を強奪され、売春婦には金を集られ

日の丸を燃やされ、旭日旗を批判され・・・・

靖國に参拝することまで批判(内政干渉)されている


自虐史観が骨身にしみている日本人だから、当然の結果であり

自分が良識のある大人だと自負するのは勝手だが

そんなお利口さんぶっていることが、現在の状況を作ったとは誰も思わない

のである

ダメなものをダメと言わない・・いや、言えない日本人たち

日本中が傍観者になっている現状に危機感すら感じている


この世の中、肯定する者と否定する者、そして多くの「傍観する者」で構成されている

イジメも政治も社会も、全ては無関心で無責任な「お利口さん」が作り出している


思い出したように何かを批判する人たちは、必ずと言っていいほど「後出しジャンケン」

で強烈な【ダメ出し】をする傾向にある・・・

群集心理とか集団心理とかいうものかもしれないが、自ら率先して声を上げようとはしない

くせに、誰かが声を上げるとそれに乗じて「小さな声」をあげている


このブログもgooブログもはっきり言えば「過疎ブログ」なのだが

この過疎ブログをもっと「超過疎ブログ」にする手段が一つだけある

私の本音を100%出して書けば、閲覧者は一桁になってしまう

私がブログに書く内容は自分の考えの2~3割で押さえて書いているのが

事実で、常々書いているが、私は過激で偏屈な爺なのである

* 好々爺を装っているが、中身は「危ない思想」の持ち主かもしれない(笑)


今回のgooブログの騒動・事件は沢山の事を学ばせてもらった

私にとって「カナダの親父様」と「ジュゴンさん」は面識が有り、井沢先生は

読者登録しているブログ主さんなので、他人事では無かった

しかし、私は騒動に巻き込まれていたわけでもなく、部外者だったため静観する

事を選択したが、あまりにひどいのでgoo事務局に一言二言モノ申しただけだった

私ができる事はその程度の事・・・


私の持論は好い時には「だれでも」集まるのは当然だが、「悪くなったとき」には

蜘蛛の子を散らすが如く誰も居なくなってしまう

辛い時、困難な時にどれだけ黙って寄り添えるか・・・


口は重宝なもので何とでも言える

私の人生でどれだけ他人に失望したか、またどれだけ他人の暖かさを感じたか

倒れた人間を踏みつける人間は想像以上に多い事を知っている

口先だけは同情を見せながら、心無い人間を信じられないほど見て来たので

好い時に知り合った知人は「一定の距離」を置くことにしている

二度と同じ経験をしたくないからというのが本音


小説のような人生だって実際にはある

波乱万丈な人生は何処にでも転がっている

自分は馬鹿で「つける薬も無い」と思って生きて来た

今、正直な思いは「馬鹿で良かった」

お利口さんになど、ならなくてよかった・・・・


最近「怒る事」が少なくなってきた

無関心とは違う失望のようなものが大きくなった気がする


声を上げられなくなったらブログを閉じる時

世の中に関心が無くなったらブログを閉じる時

お気に入りのブログを閲覧できなくなったらブログを閉じる時

一つでも学ぶ意欲が失せた時、人生を閉じる時だと思っています。

Posted on 2017/08/26 Sat. 22:45 [edit]

category: 私の思い

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2017年 夏 神奈川へ  


8月15日 終戦の日は神奈川県を訪問・・・

友人の希望で「川崎大師」へ向かいました


小雨が降り続く川崎・・・

駅から傘をさして商店街を通り、初めての参詣です

川崎大師 29・8・15



     川崎大師 御朱印1


川崎大師 中書院



     川崎大師 御朱印2


     川崎大師 2


さすがに「車中心」の生活をしている長屋の爺

駅から大師までの道のりは「遠かった」です

雨のせいかもしれませんが、途中で左足が攣ってしまい

えらい目に遭いました(笑)


そして本日のメインである鶴見にある曹洞宗・總持寺に参詣です

5月に永平寺に参詣した長屋の爺、両本山の總持寺に足を向けないのは

不味いだろう・・ということで、行ってまいりました


強い雨が降る中こちらも結構長い距離を歩きました

のんびり歩いて10分ほどでしょうか・・・

予想したより人影もまばらで、お盆の墓参に向かう人の数が多かった気がします

總持寺 5



總持寺 1



總持寺 3


總持寺 4



總持寺 6


この總持寺には特別な御朱印が有り、今回はそれも楽しみの

一つだったのですが・・・

午前中は御朱印がもらえたらしいのですが、午後の予定は未定とのこと

「2時から3時くらいになるかも」

という、売店の女性店員さんの言葉に、新幹線の時間や昼食もまだな事を

考えて今回は「ご縁が無かったという事に」して、諦めました


お盆の為、僧侶の皆さんが帰省しているので、尚且つ「お墓参り」など繁多で

御朱印まで手が回らないようでした  残念ですが・・・



本来なら、こういう御朱印 ↓ がもらえる予定でした(笑)


20150211231533.jpg



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     《 拝借画像 》



落胆と歩き疲れ、雨も止まず空腹で次第に無口になる二人

何か美味しいものでも食べないことには気が収まりません(笑)

友人は「お土産を買いたい」とか、わがまま言うので、そのまま

新横浜まで・・・・

買い物の前に腹ごしらえをすることに決め、新横浜駅にある

キュービックプラザ9階へ

横浜に来たんだからと私の一存で「横浜キムラ」に直行した

私は「クリームコロッケセット」に決定、ハンバーグにすべき

なのは承知しているが、鉄板の上でジュージューいってるのを聴いて

腰が引けて断念、周りをチラ見したときに視界に入った「クリームコロッケ」

がとてもおいしそうだったので・・・(笑)


「そもそも肉系が苦手な爺が、横浜キムラに入ることが疑問だわ」

という友人の言葉を聞こえないふりをしてスルーする

とってもクリーミーで「私好みで ございました」


今回は自分の目的が靖國参拝だったので、あとは「おまけ」みたいなもの

友人のツアコン役で終始しました


結果と反省として、友人曰く...

「注文など付けずに、全部任せればよかったな」

はい、新幹線、ホテル、目的地、飲食場所、経路など

友人の要望を最大限汲んだ結果、かなり残念なことも多々あったからです

次回からは「全部お任せ」だそうです(笑)


次回が有るのかどうか…

やっぱり一人旅が気楽でいいですね

これも経験であり、【縁】というものかもしれませんね(笑)


Posted on 2017/08/24 Thu. 21:02 [edit]

category: 旅の記録

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被差別民を考えてみる  (五)   


買わない宝くじは100%当たらない

振らないバットからはヒットは生まれない

口に出さない言葉は伝わらない・・・・

怪我や死を恐れていては、外にも出られない



歴史と宗教は因果関係が有る事に気付かないことが多い

宗教観なしに歴史は語れない


最近は檀家制度が崩れ、寺の運営が厳しいという

そもそも、「檀家制度」なるものは、民衆を管理するために考えられた

半ば強制された制度だったのである

檀家とは簡単に言うと、布施を梵語のダーナの音写で檀那(だんな)と呼び

布施を払う個々の家が寺院の経済的な支援者となって檀家とされた

檀家は寺院に人身支配されていたと呼べるほどの力関係が存在していて

寺院側は、常時の参詣や、年忌・命日法要の施行などを檀家の義務と説き、

他に寺院の改築費用や本山上納金などの名目で経済的負担を檀家に強いた

今現在のお彼岸の墓参り、お盆の法要などは、その名残なのである

*事実を書いているだけで、否定するつもりはありませんが、葬式仏教に

特化した寺制度の限界かもしれません




日本の神道は政治におけるどれくらいの部分を占めていたのか?

高野山という場所に天皇や貴族が詣でたのは知られた話ですが

天皇家の祖神を祀る伊勢神宮に参った天皇は皆無でした


常識の嘘とはこういう事をいうのかもしれませんね

国家神道の真実は歴史が全てを語っています

8世紀以降、この日本では天皇家は「最も信心深い仏教徒」だったのですから

神さまも「へそを曲げてしまう話」かもしれません

日本の歴代天皇が祭祀王だったというのも事実かどうかは知る術は有りません

「宮中祭祀を代々続けています」といわれても、我々が確かめることは不可能なのです




仏教が日本に根付いた当初は、一部の貴人だけのものでした

寺を建てたり莫大な資金を寄付したり、高価な仏像を寄進したり

一般庶民とは無縁の別世界のものでした

それを民衆にも理解できる宗教に変えたのが、念仏を唱えれば

「極楽往生」できると説いた新しい仏教でした

その先駆者となったのが【高野聖(こうやひじり)】と呼ばれる人たちで

平安のころには各地を回って「勧進(かんじん)」と呼ばれる募金活動

を行っていました

念仏を唱え、お布施を渡すだけで仏教徒になれる

きっと素晴らしい宗教に感じた事でしょう・・・・


その「聖(ひじり)」と呼ばれる人こそ、民間陰陽師の姿だった気がします

おそらく ひじり とは【日知り】 【火治り】のことで

天文を能くする人たちのこと、鉱物の鉱脈を探し当てる人【陽知り】であり

【秘知り】だったのかもしれません

修験者とか密教僧と呼ばれる人たちの多くは、鉄や金、朱(水銀)の鉱脈を

探して高山深く分け入ったのだと、わたしは推測しています

その聖は何処から来たのか・・・


此処からは陰陽師・狐説話に関係してきます

信太(しのだ)は和泉地方(現在の大阪南西部)に位置しています

815年 嵯峨天皇の御代に書かれた【新撰姓氏録】の中に

信太首(しのだおびと) 百済国人 百千後也(はくちあとなり)

と記載されています

百千(はくち)とは、百済記に残る【百久至】の事だとされ

信太氏とは百済系渡来人(帰化人)だったと言います

信太氏(信太の狐)の子供である安倍晴明は百済系帰化人だったと

いう事になってしまいます


安倍晴明説話にどうして「信太狐」が登場しているのか・・・

どうして晴明は信太の狐の子供(童子丸)だったと言われたのか

それは安倍晴明という人物が、有力豪族の安倍氏末裔ではなく

渡来系帰化人であることを、説話にこめて残したのではないか・・・・

私はそういう解釈をしているのである

飛ぶ鳥を落とす勢いの藤原道長とその一統の悋気に触れたくないがため

大きな声では言えない話は「説話」にこめて残したと思える

竹取物語で時の権力者を告発するかのような物語を残した歴史もある

書きのこすには「残す」だけの理由があった

だれでも知っていることをわざわざ書き残す必要はない・・・・

やんごとない人々の間では「公然の事実」であっても、下々の庶民には

知り得ない事実もあったはずで、虐げられた人々は小さな声で伝え続けた

と考えれば、納得できる話でもある


そして、猫好きの天皇だったとされる宇多天皇は、13歳の皇太子(醍醐天皇)

に書き残した【寛平御遺誡】のなかで

「怪異があっても軽々しく神祇寮や陰陽寮に占わせるな」

と認めています

神祇寮の神祇官は祭祀を司る役人の事で、陰陽寮は陰陽師が天皇や国家の

大事な事を占ない助言する役目である

その両役所に「占わせるな」と言わせたものとは・・・・

9世紀後半は神祇寮も陰陽寮も、天皇の信頼を大きく損なっていた

そう考えらざるえないと思っています

高潔な役目・役所であるなら、ここまで嫌う必要はなかったはずで

一部の公卿の私的役所という位置づけだったことを匂わせています

ちなみに平安後期には神祇寮も機能を失っていたと言いますから

宮中祭祀関係は全く機能していなかったと想像できます

それでも「万世一系」の祭祀王の家系という言葉に違和感を感じる

長屋の爺なのです。


Posted on 2017/08/23 Wed. 21:21 [edit]

category: 歴史

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右と左の違い?  


私は常々書いているが、占いとか姓名判断とか、スピリチュアルというものを

全く信用していない・・

競艇場の「予想屋」のおじさんよりも信頼できない・・・(笑)


人間とは思っている以上に「弱い生き物」である

何かに縋りたいと心の奥底では思っているかもしれないのだ

そんな「弱い心」に付け入るように「ヒトの人生」「生活」をかき乱す

それが「占い」と称するものの実態だと思っています


とにかく「当たるも当たらぬも責任を取らない」姿勢なのに、盲目的に

信じる人の「知性」を疑ってしまう・・・・


「盲信しているわけでは無いけど」

ついつい見てしまい、けっこう気にする貴方・・・・

その占い師たちに「自分の未来が予測できますか?」と問うてほしい

どんな答えが返ってくるのか?


「必ず 儲かります」

「絶対値上がりしますから」

「当選番号をあなただけに教えます」

わたしなら、そんな情報を【赤の他人】になど教えません

本当にそんなことが有るなら、詐欺を働いてでも(言葉のあや)

お金(資金)を掻き集め、それに投資します (大笑)

人の弱みに付け込むくせに、「あなたの為」という態度が信用ならない

偏屈な長屋の爺の戯言(ざれごと)でした・・・・



女王卑弥呼は鬼道を能くした・・・・

鬼道(きどう)とはすなわち神の二面性から導かれたものである


アニミズム(精霊信仰)では人間に恩恵を与える「神性」と

苦難を与える「鬼性」の両面を持っているとされ、例えば

雨は恵みを齎すこともあれば、濁流と化してヒトやモノを飲み込んでしまう

自然神とは穏やかな神と、荒ぶる神の二面性を常に見せていたという事ではないか


そんな災禍を「鬼」のチカラによって防ぎ退散させる「巫術」を、古代ヤマトでは

「鬼道」と称したのだと考えられる


さらに時代が変わり自然神崇拝から、人格神への崇拝に変化した

時代、長屋王が「左道に加担した」という罪で命を落とした

「左道(さとう)」と呼ばれるものは何だったのか?

*「さどう」と読むこともある


これは古代中国の【右尊左卑】の観念から、左が邪悪なものを

意味する言葉として認知されていた可能性がある

本来、左右という文字の起源からすると、右という文字は

祝禱(しゅくとう)の器を持つ形で、左という文字は呪器を持つ形から

造られたとされる

神に祈る際、右手に祝祷器、左手に呪器をもち祈ったことに由来します

だから「左」という文字には、本来【呪術】の意味が含まれていたとされ

そのことから、正しくない道・邪道のこと、不都合であること・不謹慎であること

を「左道」というようになったと推測できます


世界的には、右手を「清浄の手、聖なる手」、左手を「不浄の手」』とする観念が存在し

世界的に存在する『右を善、左を悪』とする観念と関係があるとされています

日本でも、神社の「手水舎」で清めを行うのも「右手」で柄杓を持ちますし

「聖なる手」という認識は確かにあるのかもしれません


さらに発展して、不都合があった者を中心から外すことを「左遷」と言ったり

右派・左派とか右傾・左傾というのも、正しくない、不都合なモノたちを「区別」する

用語として定着したと思われる


左巻きといわれる者たちは「不謹慎」な言動が多い事から「左」に位置付けられた

そういう見方もできますね・・・(笑)



Posted on 2017/08/22 Tue. 23:05 [edit]

category: 歴史

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被差別民を考えてみる  (四)   


サテお立ち会い 

手前ここに取りい出したるは筑波山名物ガマの油、ガマと申しても

ただのガマとガマが違う、これより北、北は筑波山のふもとは、おんばこと

云う露草を食ろうて育った四六のガマ、四六五六はどこで見分ける

前足の指が四本、後足の指が六本合わせて四六のガマ、山中深く分け入って

捕いましたるこのガマを四面鏡ばりの箱に入れると、ガマは

己が姿の鏡に映るを見て驚き、タラーリタラーリと油汗を流す、

これをすきとり柳の小枝にて三七二十一日間、トローリトローリと

煮つめましたるがこのガマの油・・・・


私と同じ年代の方なら一度は聴いたことが有ると思います

ご存知 「ガマのアブラ」売りの口上ですね

日本刀を手には袴姿に襷掛け、鉢巻きを締め、手に半紙を持ち

一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚・・・・

あれは先端の部分だけが「刃」が付いていて、胴体部分は斬れない

構造になっていました

あの大道芸をする人を【香具師(やし)】と呼んでいました

香具師を「やし」と読むことなど考えられません


私の推測ですが、大道芸をしながら啖呵売(たんかばい)するひとは

【野巫薬師】 やぶくすし と呼ばれている人たちでした・・・

その や・ぶ・く・す・しの野と師をとって「やし」と

呼んだと推測しています (あくまでも私の暴論ですから)

このような生業の人も【雑種賤民】と言われています


歌舞伎などの芸能に携わる人も「かわら乞食」と称され、雑種賤民系に

位置していました

(これについては次回にでも詳しく・・・)


「乞食」を何と読みますか?

こ・じ・き と一般には読むことになっていますが

これは「乞食人」(ほかいびと)という被差別民の事です

その日暮らしをして生きる人、乞食という文字は「悪意」を

もって充てられた文字だと思っています

その日の食を乞う人 という侮蔑的な発想で充てられた文字だと

私は感じていて

ほかいびと に「食べ物を乞う」意味など見つけられません・・・


民間陰陽師の中にはドサ回りの「人形浄瑠璃」「歌舞伎」に

進んだ人々も多くいたといいいますから、民間陰陽師は

穢多・非人でもなく、一般人でもない「賤民」だったのです


私たちが現在、歌舞伎や人形浄瑠璃を楽しめるのは、民間陰陽師

がその方面に進出し、大きく花開いたからに違いありません



私の子供のころに、役者・俳優を「かわら乞食だから」という

古老の言葉を聞いた記憶が有ります


浪花節(なにわぶし)というのも、もとを糺せば「説経祭文(せっきょうさいもん)」

から転化したもので、万歳(まんざい)から祝言的要素が抜き取られ

コミカルな「掛け合い」に転化したのが現在の「漫才」です

どちらも昔は卑賎視(ひせんし)されていた物なのです


私たちが伝統的とか、歴史あるものと思っていることが、じつは悲哀に

曝されていたものも少なくありません


なにが「貴」なのか、なにが「賤」なのかは時代によって変わるのかも

しれませんが、日本人として平安貴族のように「見ないふり」では

日本を知る事にはなりません

華やかなことばかりに目を向けて、日本を知っている気になる事は避けたい

そんな思いで記事を書いています


ったからと言って「何かが変わる」ことはありませんが

知ることによって「自分は変われる」と思っております




安倍晴明は貴族や帝の個人的アドバイザーとして語り継がれていて

国家規模の重大事にはあまり関わっていません

国家規模の陰陽師というなら、奈良朝に活躍した陰陽師

【大津連大浦(おおつのむらじおおうら)】こそ官人陰陽師の

第一人者だとされています


安倍晴明と言う名も本当に「安倍氏」だったかは疑問が残ります

なぜなら、本流であろうと傍流であろうと安倍氏に繋がる人物なら

40歳になるまで天文学を学ぶ学生になれなかったのは不可解であり

28歳にして大舎人という下級役人だったことも解せません

彼が巷間で語られるような人物だったなら、前半生が不明というのも

理解できないのです

書きのこされなかったのではなく、書きようが無かった・・・・

安倍晴明とは出自や系譜を残せない境遇だったとみるべきであり

藤原北家とその一族のために活動し、破格の出世をした謎多き人物だった

という、私の安倍晴明に対する見方はこれからも変わりません



官人(宮廷)陰陽師は南北朝以降は次第に表舞台から消えてしまいます

室町期に入ると武士の台頭で王権や貴族の権威も廃れ(形骸化し)て

民間陰陽師の活躍が目立ってきます


その時流に乗って「晴明」という陰陽師の解釈が、「清明」として別物の

【清明物語】として語られたのがほんとうの処だと思っています


民間陰陽師と呼ばれる職業が嘗てあり、その陰陽師と呼ばれる人は

どうなったのか・・・

被差別民、雑種選民としての民間陰陽師とその仲間たちについて

次回も考えていきたいと思っています



Posted on 2017/08/21 Mon. 21:20 [edit]

category: 歴史

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英霊の遺せし「言の葉」  


私はみなさんが、ご存知のように「歌心」のない野暮天です

私には他の方のように「絵画」「歌」「演奏」などの表現とは

無縁で生きてきました

幼少のころから「過激」で、負けず嫌いでしたが、学問・芸術では

闘わずに過ごしてきたのも事実です

争そわずに学ぶ

闘わずに触れる

人生も終わりに近づいてきて、ようやく気付いた爺です(笑)


私には「歌」の善し悪しも、意とする心も理解できません

ですが、その時の状況が解れば、多少なりとも気持ちだけでも

寄り添えるような気がしています


今日紹介するのは、72年前に祖国の未来を信じて、大切な人のために

命を賭した若者(先人)の辞世の生の歌を紹介したいと思います



国のため   父母にうけたる  精神(こころ)もて

     我れは散るなり   桜のごとく

    《 松尾 登代喜 19歳 》



皇国の  弥栄(いやさか)祈り  玉と散る

     心のうちぞ  たのしかりける

     《 若杉 潤二郎 24歳 》


今更に  我が受けて来し  数々の

     人の情を 思ひ思ふかな

     《 鷲尾 克己 22歳 》


人の世ハ  別れるものと  知りながら

     別れハなどて  かくも悲しき

     《 上原 良司 22歳 》


大命の  まにまに逝かむ  今日の日を

     吾が父母や  何とたゝへん

     《 渡辺 綱三 18歳 》


しきしまの  大和心を  一ひらに

     こめて散りゆく  若櫻花

     《 高田 豊志 19歳 》


櫻花(はな)と散り  九段に還るを  夢に見つ

     敵艦屠らん  我は征くなり

     《 浅川 又之 23歳 》


来る年も  咲きて匂へよ  櫻花

     われなきあとも  大和島根に

     《 長澤 徳治 24歳 》


   君がため 雄々しく散らん 櫻花

     《 上成 義徳 25歳 》

来る年も  また来る年も  とこしへに

     咲けと祈りて  我は咲くらむ

     《 桂 正 21歳 》


君が代を  寿(ことほ)ぎまつり  我れゆかん

     死での旅路は  米鬼もろとも

     《 國吉 秀俊 21歳 》


かへらじと  思ふこゝろの  ひとすじに

     玉と砕けて  御国まもらん

     《 菊池 誠 22歳 》


岩が根も  砕けざらめや  武士(もののふ)の

     国の為にと  思ひ切る太刀

     《 熊澤 弘之 22歳 》



      【 死出の旅 】 


古郷の  梅をながめて  さまよひぬ

     これも遂に  最後となりぬ


死出の旅と  知りても母は  笑顔にて

     送りてくれぬ  我くに去る日


広き広き  ホームに立ちて  見送るは

     母と妹と   共二人のみ 


奉げたる  生命にあれど  尚しかも

     惜しみて遂に  究め得ざりき


我が生命  捧ぐるは易し  然れども

     國救ひ得ざれば  嗚呼如何にせん

     《 小林 敏男 23歳 》   


終戦を数か月後に控えた昭和20年春・・・・

紛れもなく、愛する者を守るために散った命があったのです


靖國に眠る英霊に、感謝こそすれ愚かにも否定する

現代人たちを見て、私は言いようの無い淋しさと

恥ずかしさ、そして小さな怒りをを感じています


この問題は無理強いすべきものでもなく、日本人として

どう向き合うべきか自身が判断すればよい事でしょう


日本の元首である天皇、政(まつりごと)の長である総理大臣

多くの日本人が素直な心で参拝したときに、英霊は成仏できるのだと

私は思っています。
     

Posted on 2017/08/20 Sun. 17:33 [edit]

category: 書籍

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気になったこと  


眼の状態が思わしくなく、更新を控えようかと

朝までは思っていました・・・・

原因はもともと眼の状態が悪かったのですが、そこへ

先日購入した「特攻隊関連」の書籍を読んで、さらに状態が

悪くなったみたいです

つまりは、涙なくして読み進めることができないからですが

何のための読書なのか? と自戒してみたり (笑)


そんな状態の長屋の爺ですが、ちょっと不思議なことに

気づいたのです

gooブログを開設している方はご存知かもしれません

gooブログの編集画面には【リアルタイム解析】という機能が有ります

簡単に言うと、今現在何人の方が閲覧しているか

そして、一定時間の閲覧のブログ順位を、リアルタイムで表示します

おそらくリアルタイムと言っても、瞬間ではなく「一定時間」の閲覧数だと

私は理解しています

そのリアルタイム解析の下段(下のほう)に【総合ランキング】というものがあり

そこに順位が表示されるのですが、右側には【TOP100記事】というものが

ランダム表示され、人気ブログ記事が、約20秒間隔で変化します


当然のように著名ブログが表示されるわけですが、可笑しなことに気づきました

これは私の思い過ごしかと思って昨日・今日とタブレットで頻繁に確認したのですが

間違いなく「ある異常」に行き着きました

その中には、BBの覚醒記録、ふぶきの部屋、井沢満ブログ、伏見顕正の

「時を斬るブログ」の各記事がそのTOP100にランダム表示されています


ところが・・・ ♪銀蠅ブンブン♪日本の危機ニダ♪が一つも出てこないのです

全くです 全然です 一つもです 皆無です

こんなことが有るのでしょうか?


私は井沢先生のブログだけは以前から閲覧させてもらっていましたが

他の方のブログはほとんど見たことが有りませんでした

gooブログの総合ランキングの上位ブログがどうしてTOP100に

掲載されないのか・・・・・

可能性は二つ、トド子さんが何らかの理由で掲載表示を断っているのか

または、gooブログ管理者の意図的な不掲載なのか・・・・

何時まで経っても伏見のブログが健在なのと、何か因果関係が有るのか?

どうでもいい事かもしれませんけど・・・

なんか釈然としません(笑)


gooに対する不信感が募るばかり、私も「アドバンス」という有料ブログですが

特別な理由は無く、私のネット環境が「Wi-Fi(WiMAX2)」でメールアドレスが

gooを使用していました

当時は無料メールでしたが、数年前に有料のみに変更され、ブログと同時に

有料にすれば「割安」というので、有料ブログになった次第です

いまでは別にgooでなければ、不都合なことも全くありません

各登録機関へのメアドの変更手続きが面倒なくらいです(笑)

さてさて・・・どうしたものか

gooを止めることは「花はそっと咲き・・・・」のブログを止めることでもあります

ので、もう少し考えて結論を出したいと思っています。

Posted on 2017/08/18 Fri. 20:06 [edit]

category: 私の思い

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被差別民を考えてみる  (参) 安倍晴明  


恋しくば たづね来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉

ご存知 信太の狐 です

あらすじは以下の通り

倍保名(あべのやすな)は、ある日、和泉国信太(しのだ)の森で狩人に追はれた狐を

助けたことがある

恩を感じた狐は女の姿となり、「葛(くず)の葉」と名告り、保名の妻となって一児をまうけた

ある日、庭の菊の花に見とれて狐の本性を子どもに悟られてしまい、狐は歌を書き残して

去っていった

その子供が、後の安倍晴明だと語り継がれている・・・


どういう訳か日本には「狐神話」が多く残されています

どうして「きつね」だったのか?

私の中では「き・つ・ね」という音・言葉が重要だと思っています


おそらく「きつね」という言葉は、本来動物の「狐」ではなく

砂鉄を採取したり、製鐵に欠かせない炭を焼く民だったり

権力者から搾取される民、敵対視される民の蔑称ではなかったかと

考えています


日本の古代史、神話の真相は「鉄の利権の争奪」だと私は考えていて

八岐大蛇神話ももスサノオ神話もすべて「製鉄」に着目すれば、氷解する

ようなものばかりだと思っています


鞴(ふいご)の火力を夜通し監視する役目の人間を【寝ずみ】といい

その影響から、片目の視力を失うことになり「一つ目小僧」妖怪話に

残されてしまったり

鞴の板を踏む人間を「番子」といい、その動作を交代しながらすることを

【かわりばんこ】と言ったといいます


キ チ ネ

これは、私たちは帯を解く者である という意味に解釈できる言葉で

いわゆる「身を売る女性」の意味で、蔑称とも考えられます


葛の葉(くずのは)という名称も、奈良県吉野地方に住んだ人々で

くず、クズ,国栖、葛と称された人々が居たこと、さらに

「は」とは頭(かしら)のことで、権力に反抗する集団「くず」のトップが

「くずのは」という意味ではないだろうか・・・・


その「クズ」と何らかの関係が有って、アンダーグラウンドの世界に通じていた

安倍晴明がその力を使って、権力者の「汚れ仕事」を担ったがゆえに

立身出世をしたと思っています




前回、幼少のころ賀茂忠行のお供をしていて、夜道に鬼の姿を見て忠行に

知らせ、忠行は晴明が優れた才能を持つことを悟り、陰陽道のすべてを教え込んだ

そんなはずはないと書きましたが・・・

安倍晴明は忠行の弟子ではなく、忠行の子・保憲の弟子だという説が有ります

保憲の生年が917年といい、安倍晴明は921年の生まれとされている

この保憲は鋭敏な人物で35歳の時に父親の位階を抜き去り従五位下に昇進して

います

その時の安倍晴明の年齢は31歳であり、未だ大舎人に任官して3年ほどで

陰陽師の片鱗すらうかがい知れないのです

晴明が40歳で天文学を学ぶようになったとき、すでに師である保憲は44歳

で殿上人となっていたわけですから、40歳を過ぎた男をお供にするわけもなく

弟子にしたというのも解せないのです



安倍晴明に陰陽道を伝授した賀茂氏は、大和国葛上郡鴨を本拠としています

ここにも「葛」との結びつきが感じられます



なぜ狐「葛の葉」の子供(童子丸)が安倍晴明で、奇怪な術を使ったと伝わったのか

どうして40歳過ぎて天文学を学び始めた安倍晴明が、破格の出世をしたか・・・

そこに、藤原道長の政治権力の支えとなった可能性があるのではないだろうか


この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば


この過剰とも思える自信はダーティーな仕事を担う安倍晴明とその集団のチカラが

有ったからではないかと私は考えています


出自も定かではなく、20代後半に最下級役人だった男が、晩年異例の出世を

した背景に貴族たちの個人情報を集め、藤原道長のもとに集め、陰でその手足と

なって働いたからこそ、異例の出世ができたのだと考えています


半島帰化人の末裔で、出自も定かではない人間が40歳を過ぎたころから

異例の出世をし、歴史に名を残した・・・・


天皇や貴族たちが穢れを嫌い、夢想の世界で生きてこれたのも

差別され、虐げられた人間の「影のチカラ」を巧みに利用したからだと

私は感じています

個人情報を収集し闇から闇へ雑事を処理し、公卿や天皇の手足となって働いた

それが陰陽師・安倍晴明ではなかったかと思っています


最後に通説では安倍晴明がいろいろな呪術を駆使したように

語られていますが、その当時「呪」を行うことは死罪にも相当する

禁じられたことでした

平安の歴史を見れば、親王であっても、呪ったか否かに限らず

重罪になった歴史を見ればわかります

そんな時代に「呪」を行う事などナンセンスで、過去の人間が安倍晴明の

権威づけに創作したものだと思えます

泥どろとした世界の中で、現代のCIAやFBIのようなダーティー

な部分で活躍した人間、それが陰陽師・安倍晴明という人間

だったのではないでしょうか


安倍晴明が大好きな方々には申し訳ないですが、おそらく

そういう事だろうと私は考えています。

Posted on 2017/08/17 Thu. 23:10 [edit]

category: 歴史

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