様子見です  


ブログの世界

「毎日の楽しみ」にされている方もいるでしょう

「発見や学び」のために閲覧する方もいるでしょう

その内容は大雑把な規制だけで「野放し状態」なのが現実



私はこのサイトのブログだけでなく、ほかに二つのブログを書いている

ただし、一つは休眠状態で秋には再開しようかと思っている・・・


常連閲覧者の方はご存知のように、私はgooでもブログを書いている

「花はそっと咲き 静かに散れ」というタイトルなのだが

社会・政治を中心に思ったことを、傲岸不遜な「言い方」で書いている(笑)


そのgooブログで「あり得ない犯罪行為」が起きているにもかかわらず

サイト管理者が適正な対処をしていない事実がある

心ある方々がメールによる抗議をしているらしいが、ブログ主「F」は

未だに強制退会には到っていない・・・


私は数日前にメールではなく、会員専用のチャット会話で担当者に

厳重なる抗議をした(現在、結果待ちの状態だ)


まだ数日しか経過していないので静観している状態だが

断固たる処置(記事の削除及び退会処分)を実行しないようなら、

再度抗議しようと思っている

それでも、goo ブログ管理者がきちんと調査し、適正な処置が

なされないなら、別の方法で抗議しようとも考えている


そのようないい加減なサイト管理者に会費など払いたくない

正直な話、私はそう感じている


無料サイトのブログでも「厳格に対処」しているところはあるのに・・



何を書いても自由と言いながら、制限された範囲の中だけに許されるもの

それが「自由」の本質であると考えている


制限(規則)を逸脱すれば、それは無法であり違反なのであり

その違反報告を軽視し違反行為や当該記事を野放しにすることは、

他のブログ主の自由で安全なブログライフを奪う結果になる




ところが善意とは言え、被害に遭われている方に対し無責任な助言や

ともすれば批判の類のコメントをする人が意外と多い事に驚かされた

ブログのコメント欄の使い方を、はき違えている方の多いこと

掲示板とコメント欄は主旨が違うと思っていて

挨拶、HN 、当該記事に対する簡略なコメントするのが望ましい


と、私は考えています


ところが、記事の内容から逸脱した、コメントとは到底思えない

文字をだらだらと書いているコメントも散見します

さらには他者のコメントに対し、コメントを反す人まで居る始末

・・・・誰のブログのコメント欄なんだ?


コメントも不特定多数の訪問者が見るもの

私の場合そういう認識ですから、他者が見て不快な気分になる

ようなコメント、自分とコメント投稿者以外に関係の薄いコメント

は未承認のままにしてあります


お互いがブログを開設していれば、交互に鍵コメントでやり取り

できますが、そうでない場合はコメント欄だけが接点になります

そういう意味からしてもコメント欄の使い方に配慮すべきだと

私は思っていて、コメントを否定するつもりはありません



私がとやかく言っても、コメントを承認するか否かはブログ主の

判断ですから・・・

ただ、こういう機会だからこそ、「我が振り直せ」と自戒をこめて

書いております



コメントも色々な使い方が有る

それは間違いないと思います


この国には「褒め殺し」という手法も有ります

* 街宣左翼(右翼ではない)が常套手段にする手法です


同調するようなコメントをしながら、攻撃材料を物色する人も

居るとか・・・




F見・DY・D草と名乗る方々のような、誹謗中傷を手段にする

似非日本人は我々には理解できないことが多々あり

先に大きな声で罵倒したものが優位に立つという、信じられない

セオリーが存在するのも半島人の特徴です


どうしてなのか? それはハッキリしています・・・

正体が知れぬ相手が恐いのです

小心者で群れなくては何もできない民族性で

嘗て巷を騒がした「しばき隊」とかいう輩も、「ヘイト反対」と言いながら、

自分達の方が大きな声で相手を罵倒している現実がある

それも徒党を組んでなのだから、始末に負えない・・・

弱い犬ほど よく吼える



また、その元締めが有田ヨシフなどの政治屋だからなおさら手に負えない

息をするように嘘をつく輩だから、99,9%眉唾と思ったほうが良い

そういう人間を称してわが国ではこう表現する

「千 三つ」

千に三つの真(まこと)も無いという意味だ・・・


私の正直な感想は、昭和の日本で見かけた情景のよう

悪童たちが川の向こう岸で悪態をついている姿

そういう光景にしか見えないが、言っている内容は

子ども等のそれ以下の内容だ

「お前の母ちゃん 出べそ」

このほうがまだ可愛いげがある(笑)


彼らには自信があるのか?

通常なら違反行為で【強制退会】や【記事の強制削除】が行われるが

そういう心配があるから、表現にも気を使うし抑えめの記事を発信する

ところが彼らはよほど地頭が悪いのか、答えが有って自信を持っているのか

過激な表現を緩めないし、虚言を拡散している・・・・


まるでgoo管理者が承認しているかのように・・・

* そういう訳でただ今静観中です。
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Posted on 2017/07/31 Mon. 22:40 [edit]

category: 私の思い

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東京へ行って来た 2  



神宮観戦の興奮を残したまま翌日

前日は土砂降りの中の参拝だった靖國へ・・・



朝というのに参拝者がチラホラ、出張族と思われる方が参拝

した後に帰郷するか、あるいは出張先に赴くのかもしれない



   靖國参拝 7・27 22




当初の予定ではこの後、豪徳寺にお参りすることにしていたが

前日の雨に打たれたからか、どうやら「風邪気味」のよう・・・

身体もだるく少々「しんどい」状態で、急きょ予定を変更し

押上(スカイツリー)まで行くことに決めた

(早い話、九段下から半蔵門線でそのまま乗り換えなしだったからだが)


しかし、現実は甘くなかった(笑)

長屋の爺は今現在、学校が夏休みという事に気付いていなかった

中国人観光客のほかに、子供連れの親子が大挙して押し寄せ

中高生のグループも混じって、人、人、人の世界・・・・

兎に角長屋の爺は雑踏が苦手で、人込みに入ると頭痛がしてくるのだ

   スカイツリー 22



   
   スカイツリー 2 22



何とか人込みを避けながら入口までたどり着いたが・・・

爺の頑張りも此処まで(笑)



立ち入り禁止場所に勝手に入り込んで記念写真を撮るシナ人親子や

通路で立ち止まり何やらもめているシナ人観光客グループ・・・・

そこかしこから飛び込んでくる「中国語」に頭痛はピークに(笑)

写真だけ撮ってソラマチのショップを覗きながら地下へ向かった


取り敢えずは東京・品川方面へ

乗った電車が京急線で、品川の手前が泉岳寺であることに気づく

それならば「義士」に線香でもと思い立ち、途中下車することに

泉岳寺は曹洞宗の江戸三か寺であり、赤穂浪士(四十七士)と

浅野内匠頭長矩公、浅野家ゆかりの墓所としても知られている

一度訪れたいとは思っていたが、何が幸いするのか・・・・


     高輪 泉岳寺 22



              《 参道から山門を見る 》



 高輪 泉岳寺 2 22




                     《 本堂 》


   浅野内匠頭長矩公墓所 22



              《 浅野長矩公(内匠頭) 墓所 》


   大石内蔵助 墓所 22



               《 大石良雄(内蔵助) 墓所 》


   浅野長矩公夫人 墓所 22



               《 浅野長矩公夫人(瑶泉院)墓所 》



   四十七士 墓所 2 22




   四十七士 墓所 3 22



   四十七士 墓所 4 22



   四十七士 墓所 5 22




   四十七士 墓所 6 22




   四十七士 墓所 7 22




          《 四十七士の墓が整然と並ぶ墓所 》


線香は墓所の手前で100円を支払うと係りの方が用意してくれる

全ての方に1~2本づつあげるもよし、お気に入りの義士の前に

全部供えるのも良しとか・・・・

* ちなみに私は前者のように供えました


私は赤穂浪士討ち入りは、長矩公の短慮が原因と言われていますが

別の考えを持っています


この世に「たら・れば」は通用しないですが・・・・

あの時代に「朝鮮通信使」という制度が無ければ、長矩公も赤穂義士も

命を落とすことは無かったのかもしれません

かの国にかかわる事が日本人にとっていかにくだらない事なのか

吉良公も長矩公も朝鮮通信使のために命を失ったと思えるのです


争いはご免とか、9条が有れば平和になるとか、自衛隊廃止を

真剣に唱える人には一生かかっても理解できないかもしれません

日本人は「何かを守るため」に、自らの命を犠牲にできる民族です


自衛隊員が二次災害を恐れずに、救援活動をする趣旨がそこに在ります

日本人を守るため、大事な人の命を守るためなら、自らの命を厭いません


武士道とは 命を捨てることが【本義】ではありません

人の命を活かすため、生きるという事のために命を賭けることなのです

生きる(生かす)という事は死ぬことに通じます


死を恐れる人は形だけ「生きている」だけで、本当の意味で生きてはいない

大切な人を生かすことが大事、私は常にそう思っております

青臭い言い方ですが、命がけで生きることの先にこそ【尊い死】はあると思っています




   御朱印 泉岳寺



            《 泉岳寺 御朱印 》



  もうじき今年も「お盆」がやってきます・・・・

先人・故人に感謝する日がまた参ります

異常気象や暑い日が続きます

皆さんもお体に留意し夏を乗り切ってください (合掌)  


       


* 帰りの新幹線から観た富士山の姿・・・

富士山7・27

あいにくと「頭を雲の中」に隠していました。

Posted on 2017/07/28 Fri. 18:50 [edit]

category: 旅の記録

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東京へ行って来た 1  


昨年に続き今年も東京へ行ってきた

とは言っても、神宮球場の野球観戦がメインだが・・・

夏とは思えないほど涼しかった東京

家を出たときは蒸し暑さ全開だったが、浜名湖を過ぎたあたりから

雨模様で、神奈川に入ったら土砂降り状態

夜の試合は大丈夫なのか?


試合中止ならば、ホテルをキャンセルしてその日のうちに帰宅しようと

新幹線を降りてそのまま靖國へ・・・・

激しい雨の中、傘をさして参拝した



靖国神社2 22



あいにくの雨模様、参拝する人が少なかったのは寂しい・・・

すれ違う参拝客の半数以上が「シナ人」だったのは、私としては複雑な

思いが湧いてくる

ただの「観光地」としてなのか、英霊に対する真摯な気持ちなのか?

そんな事を考えても詮無い事だが・・・


靖國参拝29・7・26 22




靖国神社7・26 22












     御朱印 靖国参拝




取り敢えず地下鉄を乗り継ぎ神宮球場へ

外苑駅に到着したころには雨も止んでいたため予定通りに

試合観戦をすることに・・・


          神宮球場 2 22





球場では夏の高校野球の予選が・・・

八王子学園vs明大中野八王子の試合中だった

雨の中で試合をしたのだろう ご苦労さんと言いたい・・・

*結果は帰途に就く応援者(父兄)の話からすると

八王子学園が7回に逆転勝利したようだった

神宮観戦6・26 22




      神宮観戦 6 22


スワローズの人気選手である 山田哲人選手 の傍では若い女性が

熱い視線を投げかけていた 期待度が高く「プレッシャー」もすごいだろう

年棒が高くなれば、それ相応の成績を残す義務が生じる

「らしくプレイすればよい 頑張るな哲人!」




          神宮球場 看板 22



ヤクルトの試合はというと・・・・5回までに10点を失いワンサイドゲーム

7回終了時点で応援席は暗い雰囲気に・・・

ただ嬉しかったのは、私の見る限り誰一人帰ろうとはしなかったことである

「試合は終わって無いぞ~」

「一点ずつ返していこう~」

そんな大きな声援があちこちから飛んだ・・・


選手が出塁すると 「ココにつなげろ~」、「哲人につなげ~」 と

ボルテージはどんどん高まって行き、8点差で迎えた8回裏

ドラマが待っていた(笑)

ココ(バレンティン選手)のホームランで6点差に・・

「もう一点」 「もう一本」 コールも聞こえて来た

その後もヒットや四球で塁を埋め、あれよあれよという間に

10点差があったのに追いついてしまった(笑)


8回終了 同点に



その時の様子といったら・・・

見知らぬ者同士が手を握り合って「やった~」お祭り状態

未だ同点というのに、勝ったような喜びで充満していた

「サヨナラするぞ~」

残り続けるファンは「サヨナラ勝ち」するのが決まっているような

そんな応援風景だった

結果は見事延長10回裏、代打・大松選手のサヨナラ本塁打で勝利

セリーグでは66年ぶり2回目

両リーグでは20年ぶりの10点差を逆転した記録だそうだ・・・

そんな記録的な試合を直に観戦できたことは良い思い出になった


10点差を逆転7・26

             《 サヨナラの瞬間 拝借画像 》




Posted on 2017/07/28 Fri. 10:41 [edit]

category: 旅の記録

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日本男児の矜持  


静観しようかとも思ったがあまりの卑劣さに

一言書いておきたくなった(笑)


日本人は二種類の人間が存在する

日本国籍を有するもの・・・(公的に日本人として認められている)

日本国籍を有し、尚且つ日本人の矜持を持つ日本男児・大和撫子


日本男児の矜持とは何か?

日本男児たるもの婦女子に乱暴狼藉を働かない事が原則である

妻や家族、友人知人の婦女子に手をあげる行為をする者は

日本男児などではないと断言する

もしそのような行為をする者がいれば、間違いなく半島人か大陸人である


言葉の暴力と言われるが、まさに彼の言い分は【暴力】そのものである


この世の中は「肯定するもの」「否定するもの」に大別できる

自分の気に染まぬからと言って「誹謗中傷」するなど

似非日本人としか思えない・・・


今回の【勝手に騒ぐ愚か者】は本当に日本人なのか?

まるで駄々をこねて悪態をつく小学生か、半島人の

火病の発作のごとき醜態である


学校では優秀だったかもしれないが、他人を見下した論調や

罵詈雑言の数々は観ていて悪寒を感じてしまう


寛容さの欠片もなく、半島人のように矢継ぎ早に相手を罵倒し

その論理に全く整合性も無く、勝手な思い込みというか半島人の虚言

を感じさせる文字が並んでいるだけである

その醜くおぞましい文字の羅列に共感する人も多いようだが・・・

信者とも言うべき方々は、お花畑日本人なのか、半島の同胞なのか(笑)


私は今回の騒動を観て、ある事と共通しているのでは?と思っている

無差別殺傷事件の犯人にダブッて見えるのは私だけだろう・・・

彼等は決まって「誰でも良かった」という台詞を吐く

しかし・・・言葉とは裏腹にきまって「弱い婦女子や老人子供」をターゲットにする

つまりは体育会系の「猛者」や「裏社会の人間」には向かっていかない小心者・・・

一般的に言うところの「ヘタレ」だからだ


人はなぜ他人を貶したり罵倒するのか?

それは自分が優位に立ちたいという意思の現れなのだ

そういう人間は間違いなく器が小さく、度量の無いカスのような

人間なのだ


日本のブログで今回のターゲットになった方々以上に、過激な

記事を書き続ける人は沢山いそうなのに、どうして今回の方々が餌食に

なったのかは疑問であるが、反撃されなさそうで人気ブログの主に

白羽の矢を立てたのかもしれない


私の私感だが、F氏のブログの閲覧数が一日どれくらいかは不明だが

カナダの主のブログは一日数千から万越えもある人気ブログである

自分が一番の自尊心の強い人にとって、看過できないブログなのかもしれない

まして・・・人気ブログ主同士が現実にあったと聞けば、火病を起こしても

不思議ではない(笑)


ストーカーのような雰囲気も有り、火病のような様子も見られ

とても理念を持った「モノノフ」とは感じられない

F氏とD氏は論理の組み立て方、文章の表現の特徴から同一人物の

可能性もある

D氏は実在なのかと考えてみたら、ロム専とは思えないし、F氏を通さずに

自分でブログを開設して記事にしたほうが・・・・

大きなお世話と言われそうだが(笑)


最後にこれだけは書いておきたい・・・・・

カナダの親父さま、そしてジュゴンさんは誹謗中傷されているような方々ではない

実際にお会いした私は八百万の神に誓って、そう断言します!
 



* 私のような過疎ブログには噛みついてこないでしょうけど・・・

失うものが無い老い先短い爺には、恫喝も嫌がらせも効き目が無いです

私は伏見氏と違って先祖代々「武士(もののふ)」の家系であり

おまけの人生、失うものも悔いも恐怖も一切無いです 念のため。

Posted on 2017/07/23 Sun. 22:05 [edit]

category: 私の思い

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万葉  


万葉・・・・

この言葉は誰もが知る【万葉集】でご存知だと思うが

私はなぜ「万葉集」だったのか長い間不思議に思っていた

当たり前と思えば「当たり前の事」であるが、どうして?と考えた人は

実際に居るのだろうか,、という疑問を感じる長屋の爺です



【万】 マン、バン よろず

元の文字は 【萬】 虫の形である

おそらくは「蠆(さそり)」の類だという

なぜ 蠆 が万になったのかは不明だが、甲骨文字では数字の

「万」として用いた例があるという

よって、数字の万、よろず、あまたとして使われる


【葉】 ヨウ ショウ は よ

元の文字は 【枼】 ヨウ である

枼 は木に新しい枝が三本伸びている形

その枝の上のものを「葉」といい、「木のは」の意味となり

木の端(は)にあるから「木の葉」ではないかと私は考える



では「万葉」とはどういう意味なのだろう?

ベタな解釈をすれば、「多くの言の葉」を集めたものだろうが

私は別の考え方をしている


万葉集については諸説あり、編者や成立時期なども定まっていない

持統天皇の時代から元明天皇を経て、元正天皇の時代に完成したと

言う説もあり、1~15巻で編まれ、さらに16~20巻が増補されたとされる

私はこの万葉集の姿こそ、日本書紀の姿を物語っているものは無いと

常々考えている

なぜなら、この万葉集も公になったのが平安中期であり、存在が公に

ならなかった日本書紀と似すぎていると感じている


共に持統天皇の時代から元正天皇の時代にかけ編纂されたと言う事実

それまでの「文献」「古文書」が存在しないという不思議・・・

「日本紀」でもなければ「日本記」でもない【日本書紀】

「万葉歌集」でもなく、「やまと歌集」でもない【万葉集】


ヤマトの最上位に位置する「天皇の歌」から、最底辺に生きる

名も無き低い身分の人々の声・・・

ヤマトの上端から下端までの声(歌)を集めたもの・・・

数多(あまた)の階層に生きる人々の歌を集めた歌集である


しかし・・・私は当初の万葉集は万葉と言う言葉とは無縁の歌集

ではなかったかと思っている

天皇を称賛、誇示するための「歌集」として編纂が開始されたが

編者が次々と変わり、権力者である天皇も変わり、編者の意向が

反映され始めて、次第に現在の歌集の姿に書き換えられた

私は暴論であるがそう思っている


だからこそ日の目を見ずに平安中期まで埋もれていたのではないだろうか


* アイヌ語で「ムン」は 草 「ハム」は 葉のことです

ムン(マン) ハム(ハ) とは 草葉のこと、この歌集の裏側に

名も無き人々(草葉)の生の声が刻まれているのかもしれません。


毎日朝早くから鳴く《セミ》ですが・・・

この「蝉(せみ)」という言葉も「音」が先にあったと思っています

セミ と言う呼び名が有って、木にしがみついて鳴く姿から 背・見 

そして・・・蝉 と言う文字になったのだと考えてます

万葉かなで「音」を文字に当てはめるときに、見た目から付けることは

容易に想像できます

逆に難読文字の多くは「音」を無視して、強引に文字を「あてがった」からだと

最近思うようになりました


万葉時代と言うのは学者が唱えているだけの曖昧な区分です

万葉集を基準にそう呼んでいるのでしょうが・・・


なぜか 【万葉】と聞くと心が穏やかになるのは不思議です

日本に現存する古代史料が少ない平安以前の時代の足跡

それゆえ「万葉集」の存在が日本人の心のよりどころになって

いるのかもしれません


謎や疑問が多く残る万葉集ですが、消された民族の足跡であることは

間違いないと長屋の爺は思っております。

Posted on 2017/07/21 Fri. 21:35 [edit]

category: 文字・漢字

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コメント欄の功罪  

この記事はタブレットで書いております

誤字脱字、意味不明の記述がありましたら御容赦ください

(何せ老眼の爺の書くブログですから)


私のブログがどうしてお祭り騒ぎに成らないのか?

答えは簡単です

閲覧者が眼にして不快に思ったり、強烈な思考のコメンテーターの書く

コメントが、承認するに相応しいかどうか、そんな判断をしなければならない

ようなコメントは承認しないからです


(そういったコメントは長屋の爺の基準で

判断しているため、他の閲覧者が関われないように心掛けています)


承認するべきか否かはブログ主の判断です

実際の長屋の爺をご存知のかたは分かってくださいますが...

生来の 小心者 ですから、危機管理には長けています(笑)


時に承認の判断を違えるとコメント欄が独り歩きしてしまいます

包み隠さず出すのも閲覧者のため、見せない配慮も閲覧者のため

どう選択するかはブログ主の判断です


そもそも、他人のブログ記事に対し批判コメントすることが

どうなのだろう?

私には理解できないことですけどね

私には大きなお世話、他人の家の会話に土足で介入することに

通ずる話だと思います

一人の慮外者に場を貸せば、狢たちの修羅場になるのは眼に見えている

私はそういう類いのコメントは承認しません

却下を続ければ、不快コメントが来なくなります

長々と持論を書き連ねるコメントなど私のブログに必要無いことですし

同意するにしても長文は秘密コメントにするとか、批判するなら堂々と

自分のブログ記事に書けば良いのです


この世のなかは肯定する者、否定する者、無関心な者で構成されています

同調する者が居て、批判する者が居て当然ですよね

しかし、閲覧者で不快な気分になるために訪問する人は稀有でしょう

自由な発言には見えない不快感が伴うことが多くあります

特に凝り固まった「持論」を持つ方の中には、相手を攻撃することで

持論を押し付ける行動に向かうこともあって、注意する必要があります


特定の組織や個人に傾倒したり、妄信的な傾向の方は異論に対し

極めて攻撃的な言動をすることもあり、その判断が難しいですが


私は毎日30件ほどのブログを閲覧します

人気ブログは少なく、同意することが多いブログ、心の暖まるような

ブログ、教えられることが多くあるブログなど多彩ですが、コメントは

熟慮してから公開か非公開かを決めて投稿しています

中にはブログ記事やコメント投稿者に、誤字脱字だけを指摘する閲覧者も

おりますから、コメントするにも二の足を踏んでしまいますけどね

ブログを閲覧する人は十人十色です

閲覧者全員に満足してもらう記事など有り得ないと思っています


私の願いは、言いたいことがあるなら、自分のブログで書いて欲しい

小判鮫のように特定のブロガーにへばりついて、マンセーコメントする

そんな現実を冷静に考えていただきたいと、密かに思っています

歯の浮くような と言いますけど、そういうコメントばかりの

ブログは敬遠したい、そう思う事もあり複雑ですけど、所詮は

気のあった仲間が集う空間ですから、それでいいとは思っています


私はブログは閲覧してもコメント欄は見ない事が多く、何かあるのかな

と思った時に覗くだけです


天に唾する

特定のブロガーを誹謗中傷するブロガーは、所詮その程度と

割り切って相手にしないように心掛けましょう

信じる事によって何でも許されるわけではないのです

どんなに素晴らしい言葉を操っていても、粗暴な言葉で誹謗する姿

を見せれば、お里が知れると私は思っています

そのような行為が天に恥じない行為かどうか判断出来ないのか?

その事こそが大切なのだと私は考えています。







Posted on 2017/07/20 Thu. 11:04 [edit]

category: 私の思い

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つける薬も無い  

《 祭だ ワッショイ・・・炎上 上等! 》


私がこのブログを始める前・・・

と言っても、前ブログを止めて、どうするか思案しているとき

いっその事「親しい人」だけが閲覧できるスタイルにでもしようかと

本気で考えていた時期がある


私の実態は「けっこうな過激爺」であり、本音を書けば騒がしくなる

ひよった読者の相手も鬱陶しいので、数人の親しい読者だけのブログも

良いかな・・・なんて考えていた


どうしてそう思ったか?

最近のブログのコメント欄を見れば、誰もがそう感じてしまう事だが

第一に 【挨拶ができない人間ばかり】

第二に 【他人様のブログのコメント欄に、長文の持論を展開する】

第三に 【まともなブログネームすら書かない】

第四に 【冷静に、且つ論理的に物事を考えられないで批判する】

最近は私のブログは「平穏無事」 (40人くらいの閲覧ですから 笑 )

なので、その心配も無駄なのですけどね・・・


他人様の家なり、職場を訪れていきなり用件を話し出す人間など

この世に居るのでしょうか?

先ずは 【挨拶】 【名乗り】 そして【用件】ではないでしょうか・・・

そんなことも理解できない人間が、偉そうに講釈垂れると腹が立つ


他人のブログ批判するほど「ヒマ」なのでしょうけど

何かを信じるのは結構な話だとは思いますが、それを他人に強要

するのは、いただけない話だと思っています

わたしは「痘痕も靨(あばたもえくぼ)」が大嫌いで、盲信することも

嫌いなので、シンパサイザーになることもありません

政治家であろうと、役者であろうと、歌手であろうと・・・・


過激な批判をする人は、周りが見えなくなっている事に気付いているのでしょうか?

私はブログで不適切なコメントを書く人の多くは、自身はブログを書いていない人が

大多数のような気がします

言い換えれば、フィールドに降りないで、観客席から罵声&ブーイングする・・・

姑息な輩とでも言いますか・・・

非論理的なことも恥ずかしくもなく口にする・・・どこかの国の国民のように


私は常々こう書いてきました

反論があるなら 自信のブログに書いて「招待状」をください

(観るか観ないかは私の自由ですけど・・・・)


そんなわけで、ブログを書かないけど批判コメントを頻繁にする人は

ブログに書くとダメ出しされたり、批判されるのが嫌で「書かない」

のだと、私は思っていますが・・・

結局、他人様のブログに「ダメ出し&過激な批判」を平気でする人は

評論家やコメンテーターにでもなった気なのかな?

なんて思っていますけどね(笑)


現代は「100かゼロか」、「白か黒か」、「右か左か」、「敵か味方か」

そういう短絡的な思考で動いているようです

忖度とか斟酌とは別の【慮る(おもんばかる)】ことが忘れられています


熟慮せず短絡的に物事を判断する風潮は日本人には似合いません


私のような人間は世の中のマイノリティーだろうし、不必要な人間ですが

持って生まれた性分ですので、今更変えることもできません

さらには、私のような馬鹿につける薬もありません・・・

そして・・・現代人の「病」に効く薬も、無いような気がします。

Posted on 2017/07/18 Tue. 23:32 [edit]

category: 私の思い

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天皇家の姓  


仕事が忙しかったり、体調が悪かったりして、この数か月

ゴルフに行っていない・・・

私が下手くそなゴルフをする理由は楽しむためだけではない

仕事や私生活の「垢(あか)」を落すためである

この世の中、「理不尽なことばかり」 とは言い過ぎだろうけど

澱(おり)のようなものが心身に溜まってきてしまう

それをリセットするために、全てを忘れて「楽しく」ラウンドする

スコアなど気にしちゃいない・・・

その日一打でも「会心のショット」がでれば、それで満足なのである

私のスポーツに対する基本姿勢はただ一つ

楽しくなければスポーツじゃない

お金を払ってまで「嫌な気分」になるのって、どこかおかしくないですか?

気分よく過ごすために「プレイ代金」を払うと思っています

だから、スコアに拘ったり、気分悪そうにラウンドする相手とは一緒に

回ることは有りません

私のゴルフ仲間は「和気あいあい」が最低限の条件になっています



天皇家に「姓(名字)」が無い事になっています

どうして無いのかを誰も語ってくれません・・・・

神代の昔のことまで書き残してあるとされる「日本書紀」にも

その答えが遺されていないのです


ですが、私は天皇家には嘗て「姓(名字)」が存在していたと思っています

隋書倭国伝にも 【倭王あり 姓は阿毎(あめ)・・・】 と残されている


例えば神話に出てくる神の名前にも、天之御中主神・天照大神・天火明神

天御柱神・天火槍神・天若日子神・天忍穂耳神・天香久山神・天手力男神

天児屋根神・天之御影神・天太玉神、等々・・・


私たちはいつの間にか、「天」が天上の神の事のように刷り込まれてきたが

はたして そうだろうか?

【天】が日本の統治者一族の「姓(名字)」であったから、祖神の名前に付けられている

とは考えられないだろうか・・・・


なぜ漢風諡号に「天」が付いているのが【天武天皇】だけなのか・・・

(その事も引っかかっていることの一つです)


どうして中国を手本としてきた「ヤマト国」の統治者一族が姓を

持たなかったのか・・

姓(名字)を持たない王室は世界的にも稀有であり、無い事は自慢にならない

無いほうが都合がよいから「無い」のであって、その都合の良い理由を考えれば

無い理由も見えてくるかもしれない


中国大陸では例外はあるものの「姓」が有る事が基本であり、誇りでもあった

無いならば、創始すればよいだけであり、平安に至っても「姓無し」を解消

しようとした痕跡も無い

それよりはるか昔、遣隋使も役人から尋ねられ「姓は アメ」と答えたのだから

有ったと考える方が正しいと私は思う・・・


何と言っても 「公称 皇統2600年」の万世一系なのだから、途中で失くした

なら、その事実は伝わっているはずである

万世一系であるためには、男系で繋がっている事が大前提である

とすれば、姓は男系であれば同一のもので繋がっていなければならない

姓を捨てる理由は「不都合」なものだからという事も考えられる

何に不都合だったのか・・・

それこそが「万世一系」を誇示したい者たちの思惑ではないだろうか・・・

易姓革命は事実あったかもしれない

それが何時の時代なのかを知る術はないが、8世紀以前であることは

間違いないような気がしている

天皇家には姓(名字)が無い方が都合がよいとすれば、どんな理由があるのか?

諸説あるが代表的なものを書けば・・・

* 神の血筋で必要ないから

* 苗字がないのは血筋が尊い証拠

* 古代の倭人には姓(苗字)がなかったから

* 皇室は現在の日本国につながる国家が始まって以来

  ずっと続いているから

* 姓(名字)が無いと【易姓革命】が起こりにくいから


笑ってはいけませんが、理由にすらなっていないと私は考えます


なぜ名前と言うものが生まれたのか・・・

それは個人を区別するためであり、家系を区別するためだと

私は考えています

神の子孫を自称し皇統を誇示するならば、姓(名字)があった方が

好都合ではないでしょうか・・・

姓(名字)があったとしたら・・・キムさんが天皇家を継ぐことは不可能ですし

藤原さんが継ぐこともできないのです

皇統でない人間が天皇位に就くには、姓(名字)など無い方が都合が

良かったのではないでしょうか・・・

古代日本では【小国の長】が選ばれて【大王】になったと言います

その頃は色々な姓(名字)を持った大王が歴任した可能性が有り

天一族や呉一族、胡一族だったかもしれません

そういうことが有ったとするならば、万世一系には不都合な問題だった

私には万世一系を誇示するために不都合だったから、消し去ったと

思っています


旧ブログでも書きましたが、私の先祖をさかのぼると

私の父母は2人、祖父母が4人、曽祖父母が8人、高祖父母

が16人・・・・

つまりは【逆家系図】を作れば、私の10代前の先祖は1024人に

なってしまいます

万世一系という言葉の裏を読めば、限りなく薄い血脈の継承

と言えるかもしれません

なぜなら・・30代ほど遡って私たちの誰かが、天皇家と繋がっている

可能性もあるのですから

*計算上は30代遡ると、先祖の数は10億人を越えますから

○○さんの血が受け継がれていても不思議ではないのです


ただ間違えてはいけないのは、現在私たちが「姓」と言ってるものと

本来の「姓」は別物である

私たちが「姓(せい)」と言ってるのは正確には「名字」であり、本来の

「姓」とは【かばね】の事を指します

だから天皇家の姓ではなく、天皇家の名字と言うべきかもしれない

しかし、現代では 名字+名前=姓名 となっていて

姓=名字=家 の事となっています

佐藤さんも田中さんも桜井さんも・・・**家の人だから**さんなのです

Posted on 2017/07/17 Mon. 22:57 [edit]

category: 歴史

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親の言葉 冷酒  


梅雨らしからぬ「空梅雨」の地方も有れば、豪雨で未曾有の

災害が発生している地方もある

宮城(きゅうじょう)に地方の窮状が伝わらないのが悲しい・・・


全ての事には必ず「理由(わけ)」があるという

親の説教と冷や酒は、あとから効いてくる


親の言葉を聞かなかったらどうなるのか?

船越・松居の醜聞を見れば一目瞭然である

「火病」は他人の気分まで損なうもの

船越英二は現在の騒動を予見していた?


私はこの齢になっても、親の言葉をきちんと守っている

他人様の前で 唄ってはならない

他人様の前で 絵を描いてはならない

他人様に 書いた文字を見せてはならない

私の才能の無さを父親は、はるか昔に見抜いておりました(笑)

私にとって「越えられない高い壁」が父親であります

運動も、絵画も、歌唱も、筆字も、勉学も何一つ父親の域に

達したものはありません・・・・

いや、達しないどころか足元にも及ばなかったと言うのが

本音でしょうか・・・


蛙の子は蛙

これは良い意味でも悪い意味でも、親の血を受け継いだ証明です


トンビが鷹を産む

これはあり得ない事、有ってはならない事のたとえ話です


鷹がトンビを産む

これはなさそうで、時には現実に起こる話です


最大の親孝行は、子供が父親にとっての誇りになる事です

しかし、最悪なのは、父親が子供の誇りになる事かもしれません


もし、全ての子供たちが父親を越えてしまったら、世の中がめちゃくちゃに

なってしまう気がします

ウサイン・ボルトの息子が将来、父親を越えたら100Mを何秒で走るのか?


有るかもしれない、無いかもしれない・・父と息子、母と娘

現実は時には楽しく、時には残酷に訪れてくる気がします


「二世」と言われる人の多くが、父親という壁に向き合い

「三世」ともなれば、壁が山のように聳えてしまうようです

努力は越えられないと自覚したときから、その中身は薄くなり

負け犬の多くが「壁」の責任にして、逃げる人生を選択します


私もその一人だったことは間違いありません

離婚を機に「学ぶ」事を始めたことが私の人生にとって「どうなの」か

その答えは・・・・未だに出ていませんが

私がこのブログで書いているのは、私の考えの一部分でしかありません

本音を書きだしたら、過去のように「炎上」する可能性が有り、面倒なことが

嫌で、かなり薄めて書いております

なぜ?

どうして?

それを「タブー無し」「常識を無視」「全方位から観てみる」ことをすれば

意外なことも見えて来たりします


人間というのは時として無意識のうちに「例外的思考」を生み出します

犯罪者を批判する人が、犯罪者の生い立ちに共感すると罪に対する冷静な

判断ができなくなります

罪を犯したことと生い立ち・環境は「酌量」すべきではないはずであり

劣悪な環境で育って「まともな人間」になった人が多い事に着目しません

氏・素性と犯罪には因果関係など無いも同然なのに・・・・


心神耗弱とか精神鑑定とか・・・

人を殺す人間が「正常な神経」を保持しているわけがないのは当然であり

盗撮・痴漢・窃盗・婦女暴行をする人間が「まともな神経」を有しているわけが有りません


後悔とは・・・後からするものであり、後悔を先取りすることは不可能です

ですが、最悪の事態を想定することは可能です

一流企業の管理職や省庁の職員、警察官や自衛官、政治屋などの

犯罪報道を目にする時、理解できないし理解したくもありません

その盗撮・痴漢行為は人生を棒に振るほどの価値が有ったのか?

万引きした商品に生活を破壊するだけの価値が有ったのか?


殆どの人は自分の立っている場所を冷静に見ることができません

その場を去ってからようやく、その場所の存在価値に気づきます

離婚した人間にしかわからないことがある一方、生涯添い遂げた

人にしかわからないこともある気がします


人生において失ってから気づくことは数えきれないだけあります



躓いて転んだ後に振り返り、「何に躓いたのか」に気づくものです

そうならないように・・・親は子のために「説教」をします

これが親の教えですが、今の親の多くは「教え説く」ことができません

なぜ「いけない」のかを教え説かず、「オジサンに叱られるから」という

説明にならない理由で導きます



今の子供たちが「冷や酒」の有難味を生涯知ることは無いでしょう

冷や酒も「温めの燗(かん)」にしてしまうと「過保護・軟弱」と

いう「不細工な大人」を作ってしまいます


ちなみに、温めの燗は齢をたくさん重ねてからが美味いのであって

若い頃は「冷や酒」を煽ってから走るのがベストだと思っています。

Posted on 2017/07/15 Sat. 21:57 [edit]

category: 私の思い

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期待と希望  


九州の豪雨に心を痛めている方も多いと思います

お亡くなりになられた方々の冥福を祈らずにはいられません


私は最初の速報を見た瞬間、思わず「天人相関か?」と

呟いてしまいました・・・

不適切な思考かもしれませんが、私の意識の中では

赤子の不幸は「統治者」の徳の無さが原因だと決めつけています

科学的根拠も無ければ、論理的な説明もできないことなのですが

ずいぶん昔から「日本には天人相関」が息づいている

そんな確信にも似た思いを抱いていました

だれの【徳】が欠けているのかは個々の判断でしょうけど・・・・


私は 【期待】 というものをしない主義です

希望は持っても、期待はしない

期待をすると言う事は、そうなる事が内心では【必須】になります

もし、そうならなかったなら大きな喪失感が生じます

あるいはとてつもない失望感と言っても良いかもしれません


期待度が高ければ高いほど、失望感は増幅されていくのだろうと・・・

ファン心理というものにも、その傾向が多くみられると感じていますが

自分自身で結果を想定して、そうなる事が当然のこととして意識を固定します

ところが現実はそうならないことの方が多く、失望感も頂点に達してしまい

その失望感の着地点が見つけられず、「だれか」「何か」の責任へと向かい

論理的に「不可解な言動」へと突き進んでいきます


これは私たちの周りのあらゆることに共通しています

思い当たる人も多いとは思いますが・・・


例えば、私が50年間応援している「東京ヤクルトスワローズ」の問題でも

ここ数日のファンの反応と言うのが、まさに↑のような状態なのです

クラブハウス前に集まったファンは「選手は悪くない、責任とれ」

「入場料 返せ!」 と罵声を浴びせたと言う・・・・


まず・・・選手は悪くないという発想がおかしい(笑)

監督やコーチ、球団幹部がボールを投げたりバットを振っているのではない

あくまでもプロスポーツは選手が基本である

選手の起用法、サインの出し方(戦術)はベンチの責任であるが

大量点をとられたから、監督が悪いと言うのもどうなのか・・・

おまけに、自分の意思で入場料を払っておきながら、負けたから

返せ は意味不明な話(笑)

勝つ試合が見たかったから「入場料」を支払ったけど、負けたなら返せ

という発想こそ、「期待して観戦した」ということに他ならない

当たらなかったから宝くじ代金を返せと言っているようなものだ(大笑)


私はプロ野球ファンの一部に、こういう「訳の分からない似非ファン」が多い事が

以前から気にはなっていた・・・

私がこの球団を応援し始めた時、国鉄スワローズからサンケイスワローズに

変わったばかりのころで、とにかく弱かった(笑)

44勝91敗5分 借金47 という惨たんたる成績だった

その翌年、球団マスコットが「鉄腕アトム」に変わって、アトムズになった

しかし、相変わらず弱かった、だからその当時のファンは「勝てば儲けもの」

勝利という希望は持っても、勝つことに期待などしなかった(できなかった)

それでも選手のプレイに対し「罵声」を浴びせる愚かななファンは居なかった

と思っている


私が近年「違う」と感じたのは野村監督の時代に、球場の心無いファンが

「辞めろ」とかペットボトルを投げ込んだ時からだろう・・・

優勝すると「強いチーム」に引き寄せられるように「似非ファン」が増える

そういう馬鹿が「辞めろ」だの、「責任とれ」だの叫ぶのである

冷静に選手や球団を応援できない「似非ファン」が、わかったようなコメント

を呟き、勝手に過剰な期待をして、その失望感・喪失感から誰か、何かに

憤懣をぶつけて留飲を下げているだけ・・・・


球団や監督が「応援を強要させたのではない」

球団や監督が「強制的に入場料をもぎ取ったのではない」

自分の意思で応援して、入場料を払った人間が何を言うのか・・・


選手や監督・コーチに罵声を浴びせる人間に言いたい

貴方なら、どれだけできるのか?

グラウンドに降りて行って、ホームランを打てるのですか?

相手バッターを三振させることができますか?

自分ができもしないことを、非難したり批判することはおかしい!

私にはそう思えて仕方がないのである。




Posted on 2017/07/10 Mon. 22:01 [edit]

category: 私の思い

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