飲酒運転事故と受動喫煙  


私は生来「性格がねじ曲がっている」と自覚している

一般の方が考えるスタンスとは違った「位置」から観ることが多い

ひねくれ者と呼ばれようが、性格異常者と褒められようが・・・

常に自分の頭の中では他人とは別の感想を持ち続けている


人間とは面白い事に、つじつまの合わない論理で武装する傾向にある

例えば飲酒運転でもそうだ・・・

飲酒運転による事故で「人命」が失われても、「飲酒運転禁止」とは言うが

「飲酒禁止」とは誰も言わないのである

たしかに酒が人を殺したわけでは無いのだから、酒に罪など無いともいえるが

酒が有るから飲酒運転事故が起きるのも事実なのである

たまたまその場所を歩いていただけで「貰い事故」で命を失くした人が

どれほど多いか・・・

これも言ってみれば「受動」であるのは否定できない

なのに・・・貰い事故の原因である「酒」の禁止は話題にならない


さらに、自動車が人を「撥ね」「轢き」人命を奪うのに、「自動車廃止」とは

だれも口にすることは無い・・・・

自動車が無ければ「交通事故死者」は出ないのも、ある意味事実なのである

飲酒禁止や自動車廃止を言わない方は、受動喫煙だけを問題にすることに

疑問は起きないのだろうか?


酒を呑んで「諍(いさか)い」を起こして殺人事件が起きても、酒が悪いとは誰も言わない

酒を呑んでいなければ、不幸な事件が起きなかったかもしれないのに・・・


私が受動喫煙に対し、大きな不満を持つのはその理由からなのである

禁止薬物を使用して交通事故を起こしたら、「薬物使用禁止」を大声で叫ぶ

これは当然だとして・・・

では・・なぜ「飲酒運転事故」が起きても、「飲酒運転禁止」と叫んでも

「飲酒禁止」とは」叫ばないのか?


不思議に思いませんか・・・・

酒が身体に良いのか有益なものかどうか、私になんぞわかるわけが有りません

酒に依存する「アルコール中毒」と言う方もおります

身体を壊すのは酒もたばこも薬物も、ある意味同じようなものだと思います

飲酒事故は次の瞬間に「人命」を奪い去りますが

たばこの受動喫煙で「即死」などしないはずですけど、たばこは「悪」で酒は

「善」なのはどうしてでしょう?


酒の業界に従事している人の数が、たばこ業界で生きる人より多いからでしょうか?

タバコはほぼ独占状態であり、酒業界は「造る人」、「販売する人」、「呑ませる人」の

数が膨大だから、影響の小さい「たばこ」「薬物」がスケープゴートにされているのか?


私はたばこ擁護でもないですし、たばこ反対論者でもありません

ただ・・論理的に考えて「おかしい」と感じたから、受動喫煙反対に疑問を投げただけです

おそらくこの疑問を解決できる持論を持っている方は居ない気がします


「統計」や「確率」で言うなら、酒の方に分が悪いのも現実です

飲酒事故の死亡率は相当高そうですから(笑)


酒をたしなむ長屋の爺が「酒」を悪者にしたくないのは本音ですけど

自分の嗜好が酒であろうと煙草であろうと、おかしい事はおかしいと・・・

素直に感じただけなのですが、やはり普通ではないのだろうなと

この頃感じていたので、記事にしてみたけど・・・

やはり、ねじ曲がっているのでしょうね(笑)


今回でこの話題はお終いにします・・・・。
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Posted on 2017/06/27 Tue. 22:33 [edit]

category: 私の思い

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如何なる組織も大きくなれば腐ってしまう  



神社本庁で不可解な不動産取引、刑事告訴も飛び出す大騒動勃発

          (ダイヤモンド オンライン 6・21掲載)



どんなに立派であっても、長い年月を経ると、大きくなりすぎて

内側から腐っていく・・・

組織が大きければ大きいほど、人間の【欲】が腐敗菌を出して

周りをどんどん腐らせてしまう

これはこの世にあるすべての集団・組織に共通している事なのでしょう



旧ブログでも書きましたが、宇佐八幡の宮司後継問題で

神社本庁の「闇の部分」を垣間見た気がしていましたが

神を蔑ろにして利権に走り、私腹を肥やすと神仏の怒りに触れることが

本当にあるのでは? という気持ちになります


それが比叡山であろうと高野山であろうと、神社本庁であっても・・・である



私は日本の大王家(天皇家)は少なくと三度「入れ替わっている」と思っています

一度目は「神武東征」のとき

二度目は「壬申の乱」のとき

三度目は「桓武天皇」が即位したとき

最初に日本に君臨した「大王家」はニギハヤヒ王が統治していたヤマト

太陽神を崇め代々【ニギハヤヒ】と称する王が治めていたと考えます

その太陽神は【アマテル神】と呼ばれる「男神」であったと思う


そこに九州から(神武天皇とされる)【イワレヒコ】が攻めてきて

倭の統治者となった

この九州から来た王は【月神】を信仰する一族であったと考えられる

その一族は「月を読む」ことで様々な予測を立てていた

季節や暦の基本を「月の寿命(満ち欠け)」で判断していたと思われる

とうぜんながら「太陽信仰」は敬遠され、月信仰が主体だった

その神こそ【月読神(ツクヨミ)】と呼ばれる神だったと思われる


そして天武天皇と呼ばれる「大海人皇子」が前政権を滅ぼし

月信仰を排し、新たな太陽信仰を創作した・・・

それが女神・アマテラス神だったと想像する

ニギハヤヒの時代の太陽神・天照大神を女神に置き換え

読みを「アマテル」から「アマテラス」に・・・


いかにも永き時代を通して統治してきたかという事と、その正当性を

表すために創作したのが「日本書紀」であったと思われる

不明な点が多すぎるのも皇統が別であったため、正直な記述ができなかったり

口伝しか残されていなかったりしたため、不正確なものを脚色して辻褄を合わせ

何度も書き足したり書き換えたものが「日本書紀」と呼ばれるものだと

私は考えている


なぜ「ツクヨミ」はヤマトの歴史から抹殺されたのか?

それは前政権が信仰していた「神」だったからであり、前政権を否定するうえで

信仰する神も当然の如く廃され、歴史から「永久に抹殺」されたと思っている

三度目の皇統は天智天皇の系譜と言われている

しかし私は「桓武系」の王朝は倭人とは別の「半島系」の系譜だと

思っている

建て前的には「新しい政治」を行うために、平城京から長岡京に

遷都しようとしたとされるが、平城京から新都に逃げ出したのでは

ないかと私は考えている

桓武天皇は実際には皇位継承とは程遠い境遇にいた人物で

井上(いのえ)内親王・皇太子・他戸(おさべ)親王を冤罪によって

廃し皇統を奪ったのだと思われる


天皇直系である井上内親王、その母から生まれた皇太子がどうして

父である光仁天皇を呪詛する必要があったと言うのか・・・・


さらには長岡京の建設中に藤原種継が死亡し、同母弟である

早良親王に罪を着せて死に至らしめた

完成間近の長岡京も母・高野新笠、皇后・藤原乙牟漏が死亡

皇太子・安殿(あて)親王が病気になり、巷では疫病が流行した

早良親王の【祟り】と言われている一連の出来事である

その祟りから「逃れるため」に長岡京を捨てて築いたのが【平安京】

である

平安京 という名前から、日本人は「平安な都」という眼で見てしまうが

平安でない時代だったからこそ、「平安」を熱望した故の名づけでは

と私は感じている

平安になりますように・・・・

平安な治世であれば、わざわざ平安と名付ける理由にならない

それまでの「京(みやこ)」は地名が都の名前になっているのだから

京都に遷都しても、その地の土地名で名付ければよかったはず

それほど「身に覚えのある」行いをしてきたというのが私の感想である


もう一つ、不可解な皇統史が存在する

伊勢の地に鎮座する「天照大御神」とはアマテル神のことであり

改竄したことが負い目となり「神の祟り」を恐れて、歴代天皇家は

伊勢には参拝しない

いや・・・できなかったのだろうと私は思っています


そういう視点から見ると、なぜ突然「伊勢参拝」が実行されたのか

それは日本版「易姓革命」があったからでは?

そう思えることが多々あることも事実なのです


なぜ京都という「京(みやこ)」を捨てて、江戸に遷都したのか?

平安京には住めない理由があったからではないのか?

京都に住まない理由、住めない理由が江戸の方が「利便」が

良かったでは私は納得できない・・・・

父祖の地を捨てるには、それ相応の「理由(わけ)」が無くてはならない

京・大阪が政治・経済を考えるうえで、不都合だとは誰しも思わないだろうし

この不思議は尋常な発想で起きた事だとは思えない・・・



機会が有れば、この不思議にも触れてみたいと思っています。

Posted on 2017/06/24 Sat. 22:20 [edit]

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個体差と決めつける情報  


なかなか古代史について記事にできない日が続いています

それにはいくつか理由があって・・・


一番大きな理由は長い時間書籍を読んだり、パソコンに向かう事が

出来なくなったからです

原因は「眼」の具合が良くなくて、それに覆い被さるように目の炎症が

書籍離れ、パソコン離れを助長しているからです


酷い日は帰宅後「眼帯」をつけるほどに思わしくありません

老眼も急激に進み、視力の低下も甚だしいと来ては・・・

読みたくても読めない、観たくても閲覧できない状態です

誤字脱字に神経を使うこともできず、とにかく書き上げて保存

翌日、眼の状態を観て「手直し」「投稿」という有様です

コメントの返信をした直後、「辛くなってシャットダウン」という日もあります


今は仕事に「穴をあける」事ができませんので、仕事・運転が最優先

書きたいことは沢山あるのに、記憶だけでは読まれる方に失礼ですし

拙い独りよがりのブログですが、きちんとした中身のブログにしたいという

長屋の爺の「こだわり」も邪魔をしています

従来のブログ作成とは手法を変えて、何日間かかけて一つの記事を

「書いていこうか」などと考えています



よく「一日に野菜350グラムを摂取する」ことが望ましいとか、必要だとか

そういう話を聞きますが・・・

私はこの説に違和感を感じてきました

何せ「偏屈爺」「変わり者」「根性が曲がっている」のですから、「そうですか」とは

ならないのです

私の友人に野菜嫌いで還暦を過ぎても好んで食べない友人がいます

牛肉・豚肉が嫌いで生まれてから口にしたことが無い友人がいます

彼等は60年以上「大病」を患ったことが有りません


時として専門家の「理想」は「妄想」になることが有ります

好ましい→理想だ→必要不可欠→それに代わるものを摂取

それが【青汁】だったり【サプリメント】だったりするわけです・・・

私は体が欲したなら、それは自分の血肉になるが、嫌々食べても

身にならないという考えで生きてきました

ですから私の勝手な思い込みの類ですから、正しいかどうかの話でも

無いですけど・・・


ちょっと前まで「ヒアルロン酸」「グルコサミン」が膝の痛みに効果がある

という「既成事実化」された情報が氾濫していました

私は試したことが無いので多くは語れませんが、効いたと言う方は

いわゆる【プラシーボ効果】(単なる思い込み)ではないかと言われています

両方とも体内(肝臓)で分解されて、グルコース(糖)として吸収されます

膝関節まで流れて行って「ヒアルロン酸」「グルコサミン」に再生することは無いそうです

しかしながらプラシーボ効果も立派な【効果】だという専門家(医師)もいますから

その人が「効いた」と思えば「効果がある」のであって、他人がどうこう言う

べきではないですけど・・


サプリメントは「気分的効能」のために飲むもので、それ以上を期待するなら

医薬品を選ぶべきかもしれません


どうして万人が同じ基準で計られているのか、私は疑問に感じます

体重も身長も骨格や身体能力、先天的要因が違う人間を同じ物差しで

同じ型に嵌め込もうとする現代社会が不思議でたまりません

私は若い頃、健康診断の度に「血圧測定」の再検診を強要されました

高い方が90台、低い方が70台という「低血圧」だったからです

それでも運動したり、生活することに何ら支障はありませんでした

健康だったかどうかは分かりませんが(笑)

特に何も治療などしなくても、現在は120・90くらいで通常値になっています


人間が知っていることなど「ほんの僅か」でしかないとも言います

人間の体は自分が相応に自己修復していくものであって、人間がその領域に

手を染めることは、神の領域を侵すことかもしれません


私の信条は 人間死んだ時が寿命 病気や事故では死なない

病気で死んだなら 「それが寿命」

事故で死んだら 「それが寿命」

数度の「九死」から生還した長屋の爺にはそう思うことしかできないのです。

Posted on 2017/06/21 Wed. 23:30 [edit]

category: 私の思い

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タバコと受動喫煙  

ようやく左目の状態が元通りになり、右目の状態も若干改善されてきた

仕事、生活、運転にも支障の無い処までに・・・


疲れが蓄積されて「抵抗力」が落ちているときは、過信せず油断せずに

早めの「手当」が肝心だと大いに反省した長屋の爺です(笑)


梅雨に入ってから雨が全く降らず、朝晩の「涼しさ・爽やかさ」に複雑な

感想を持っている方も多いかと思いますが、「天変地異」は大きな災害だけでなく

身の回りの生活感にも影響が出るのかもしれません


私は一日3箱を消費する「ヘビースモーカー」でした

ひょんなことから吸わなくなって9年目になります

私は「たばこ喫煙反対」でも「受動喫煙反対」でもありませんし

禁煙を宣言したこともありません

ただ・・・8年以上煙草を吸っていないだけだと思っています


本人が吸って何かしらの「害」があるのなら【自己責任】であり

自分の金で購入した煙草を吸う・吸わないは個人の判断だと

私は思っています


そこで、今話題の受動喫煙・・・・

信じる方も信じない方も同じような迷路に立っている気がしています

受動喫煙が「健康被害」だと信じている方は、何を基準に信じていますか?

おそらくほとんどの方が「明確な返答」「根拠の提示」ができないはずです

新聞に書いてあるから・・・

テレビで話題になっているから・・・・

書籍で学者が書いているから・・・・

その辺りだと私は感じています


このブログの読者は、もうすでにお分かりだと思います

書いてあったから「間違いない」という【思考の迷路】の信者たち

別に批判する気でこの文章を書いているわけではありませんが・・・


世界でおそらく最初に論文として「受動喫煙の害」を発表したのは

日本人の方です

平山 雄 という方だと記憶しています

世に言う 平山論文 から受動喫煙の害毒に注目が集まりました

これは厚生省の委託研究として始められたものなのですが

91,540人の「非喫煙の日本人妻(女性)」を12~13年間追跡し

都合よく纏めた単なる統計です


私の父は私と同じように「ヘビースモーカー」でしたが、母は生まれつき

心臓が弱かったのですが、50年以上父と連れ添ってきて、肺癌にもならず

脳梗塞も起こしていません

(90歳を過ぎての大往生でした)

夫や子供たち(私の兄弟姉妹は全員煙草を吸っていました)が吸っている

環境で暮していても、受動喫煙の害は全くなかったと言っていいくらいです

酒を呑まなくても「肝硬変」になる人だっています

煙草を吸わなくとも「肺癌」になる人だっています

【確率】と言う幽霊に一喜一憂する現代人の特徴かもしれませんが・・


だからと言って影響が全くないなどと言うつもりはありません

私は神でもキリストでもありませんから、何らかの影響を受ける人が

世の中にはいるかもしれませんが、それを証明することも否定することも

誰にもできない問題だと思っています


これを読み進めてきた方の中には・・・・

「批判するくらいならだれでもできる」 そう感じているかもしれません

確かにそうです・・・・・


では、どうして受動喫煙や嫌煙運動が話題になっているのでしょうか?

其処には「吸う人(喫煙者)」と吸わない人(非喫煙者)」の意識の

相違から起こっているように、私は感じています


煙草を吸う人は「私の自由」と言う認識でしょうか

自分の稼いだお金で政府が認めている「商品(たばこ)」を購入し

楽しんで何が悪いと感じているかもしれません(笑)


煙草を吸わない人は、「有害」の根拠とは別な次元で嫌悪している

可能性もあります

私が喫煙習慣がある友人・知人と一日過ごし、家に帰って気が付くことが有ります

衣服に沁み込んだ「たばこの匂い」の凄い事・・・

自分が喫煙者だった頃に気が付かなかった「他者への影響」に初めて気づいたとき

私の煙草に関する考えが、一つ増えた気がしました

受動喫煙の「害」は健康被害ではなく、生活環境被害なのではないか?

これだけ衣服がタバコ臭に汚染されるのなら、体の中も「たばこの害」に

汚染されているのではと、考えても不思議ではありません

そんなモヤモヤした意識の人が、平山論文を提示されれば、「なるほど」と

思い込まされてしまいそうですよね・・・


ではどうすればよいのか ・・・ですが

例えば、「ヘビメタ」の会場に出入りする人は、彼らの出す音を「騒音」とは

感じていませんが、私たち老人はたんなる「騒音」と感じてしまいます

ですから、ヘビメタの演奏会場がそういう場所であることを認識していて、

若者たちは自己責任で出入りしています


うがった見方をすれば、其処が酒場(バー)や居酒屋、赤ちょうちんは酒を呑み、

喫煙する場所と知っていて「禁酒」、「嫌煙」を振りかざす人はナンセンスかもしれない

そういう見方もできるのではないでしょうか

私の知る限り、酒場で「酒の匂い」や「たばこの匂い」より強烈なものが

この世に存在します

若い兄ちゃんのつける「安物の香水」と、叔母様たちが身に纏う「舶来の香水」

の匂いのハーモニーがどんな匂いの交響曲を奏でているか・・・・

どんなに素敵な臭いでも、異種の匂いが混ざり合うと、とんでもない化学変化を

引き起こすことがあるのです

私の友人の寿司屋では強い香水の御夫人はカウンター席には案内しません

ほかの常連さんに「迷惑」だからだそうです・・・・


つまりは・・・不特定多数が「公共」と認識する場所では「禁煙」や「分煙」は仕方がない

話だと感じていますが、喫煙者を締め出すだけでは「片手落ち」でしかありません

「喫煙」を許さない場所があるなら、「喫煙」を自由に謳歌できる場所が有って

初めて「平等」な生活権ではないでしょうか

タバコが自由に吸えるレストランや食堂に、「喫煙者が飲食する店」という大きな

表示をして、「容認できない嫌煙者はご遠慮ください」などと掲示し、自己責任で

どうぞとすればよい気がします

店が喫煙者を受け入れるかどうかの判断をすればよいだけの事で

その店が「喫煙可」であることを「目くじら」立てて問題化する話でもない


禁煙の飲食店が嫌なら喫煙可の飲食店に行けばよいのですから

嫌煙者も禁煙の場所に出入りすれば何も問題ないはずです



ましてや、根拠の希薄な受動喫煙に対し、政府が法規制するなどと言う

間抜けな話には納得できないでいます



統計はあくまでも「統計」にすぎません

頭ではわかっているつもりでも、報道などで「誘導」される日本人が多いですから



電話でのアンケートや意識調査・・・

その時間帯に在宅する人はどんな人が多いですか、「偏って」いませんか?

出口調査は本当にその地域の平均・確率だと思いますか?

誰に聞いたか、どんな場所で聞いたか、どの時間帯で聞いたか

それによって出てくる数字は別物になりますが、タイトルはきまって

「調査結果」「アンケートの結果」となっています


統計や率というのは、条件によって大きく違ってくることをもう一度

肝に銘じたいと私は思っています


統計はあくまでも統計の範疇を出ないことであり

率はあくまでも数字の上でのデータでしかないことを、日本人は自分の頭で

考え咀嚼(そしゃく)する習慣に戻したいものですね・・・。





Posted on 2017/06/19 Mon. 13:28 [edit]

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先日、仕事中に両目に砂・泥・コンクリート塵が目に入り

処置をせず仕事を続行したために、目が炎症を・・・

運転はもちろん、家事にも影響がでています

昨日はパソコンにも触れず(というか目が開けていられず)早々に就寝

とにかく点眼剤で経過を観るしかなく、目を休めることが回復の基本だとか

素直にしばらくは早寝の習慣にしようと思います


コメントの返信など滞っておりますが、何卒ご理解ください・・

* 誤字脱字が有りましたら後日訂正いたします (長屋の爺)

Posted on 2017/06/16 Fri. 22:08 [edit]

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何と言われても  


私は車を運転しているとき・・・と言うより車の運転席に座った瞬間から

携帯電話には手を触れないことが永年の習慣になっている

結果として「電話をかけても出ないし、返信も無い」と苦言を頂戴する

自分や他人の命がかかる運転より、優先されるものなどこの世には存在しない


当然ながら、詐欺や勧誘対策として知らない電話番号への返信は一切しない


どんなに親しい友人でも、携帯で会話やメール操作をすると

怒りが爆発する

「自分は大丈夫」とか、「ちょっとだけだから」という返答で反省の兆しが

見えない友人の車には同乗しないことにしている

「運転中に携帯操作する人間の車には乗りたくない」

と、はっきり宣言することにしている

誰でも、自分の運転には「多少の自信」があるものだが

他人の命にかかわる重大な事を「平気」で行える人間は

信用できないし、そんな人間と運命を共にする意味がわからん


私は運転中、助手席の人間の話など、ほとんど真剣に聞いていない

若い頃に経験したラリーの【ナビゲーターの言葉】以外、運転操作には

不必要という考えで生きて来た

だから集中力の妨げになるので、運転中はラジオは聞かない事にしている

BGMとしてウオークマンの音楽をボリュームを落して流しているだけ・・・


さらに速度を出さないことが安全運転だとは思っていない長屋の爺は

速度が遅い事によって周りの車がストレスを感じ、通常ではない運転操作を

することが重大事故につながるという考えを持っている

遅い車を抜き去るために、黄色い線を越えて対向車線にはみ出し

事故を起こしたとするなら、流れに乗って走行したほうが周りに配慮する

事につながると思えるのである

だからと言って猛スピードで走行すると言うわけでは、もちろん無い・・・・


ウィンカー(方向指示器)を出さないのは岡山県が日本一だとか・・・

ウィンカーを出さない・出せない理由は、携帯・飲食・怠慢である

私は通行人の顔など観ていないが、対向車線の車の運転手の視線

だけは見るようにしている

スマホを観ている人間の視線は「横」若しくは「下」を向いている

「やばいな」と感じたら、回避行動の準備をする

「アクセルを踏んで離脱するか」

「ハンドル操作で回避するか」

ハンドルを握ったら、そこはすでに【戦場】であると思っている

私にとって毎日が真剣勝負なのです(笑)


とにかく最近のドライバーは【優先順位】を知らなすぎる気がします

その結果「サンキュー事故」が多発してしまう結果に・・・

つまりは、自分が優先なのに「相手に譲る」行為を平気でしてしまう

「私ってなんて寛容なのかしら・・・」 と思っているのか?

「あなたが動かなきゃ 私が曲がれない・・・」 という事なのか

譲られた相手は自分が優先ではないことを承知だが、せっかくの好意

を素直に受けて出てしまう・・・気が引けるため急ぐことになり、注意が散漫になって

事故を起こすことに・・・当然決まりを守っていないのだから、過失は重くなる

「車の走行で善い人を演じることがとても罪深いこと」を知ってほしい・・・・

毎日のように「あぶない!」と、叫んでいる長屋の爺ですから(笑)




私は前と後ろに「ドライブレコーダー」を取り付けています

前部は「出会い頭の事故記録」「信号状況の証拠」「衝突事故の状況」として

後部は「追突事故の状況」や「煽り行動の証拠」として

私が死んでも「データ」は残るように・・・・

「死人に口なし」で嘘は通させたくないから、友人たちが「真実」を

公表してくれると信じています(笑)


自分が法規を守っていても、事故は回避できません

「靖國のお守り」や「永平寺のお守り」があっても、馬鹿がぶつかってくる時代

お守りや憲法9条は「自分の命」は守ってくれないのが現実です

自分が【決まり】を守っているから安心ではないのですから

毎日が非常事態と言っても良いかもしれません


ただ・・・ある程度の「上手なドライバー」が居るおかげで、交通事故が少ないと

いう見方もできます

自分の車の車幅も長さも分からず、サイドミラーを見る習慣も無く、歩行者用の

信号を観る余裕もなく、優先順位も知らず、運転しながら助手席のバッグの中に

手を入れるドライバーが事故を起こさないのは、周りのドライバーのおかげ(影響)

だと言う事を知っていただきたいと思います

サイドミラーを観ることは後方の「危険を察知」することに繋がります

歩行者用の信号が点滅から赤になったなら、先の信号は赤になっている可能性が有り

停車する「心と体」の準備をしなければなりません

走る凶器を操作している自覚が有れば、他の事をすることなどできないのが道理

ましてや視線を外して助手席のバッグに手を入れる行為など「基地外沙汰」です



何事もないのが通常と思っているか・・・

何事も無かった事が奇跡と思うか・・・

人それぞれだとは思いますが

前者であれば・・・いつかは【交通事故加害者】になるかもしれないことは

頭の隅に留めておいたほうが良いかもしれません。

Posted on 2017/06/13 Tue. 21:22 [edit]

category: 私の思い

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どちらを選択するかの理由とは  


プロ野球は読売ジャイアンツが13連敗をしたと大盛り上がり

その陰で10連敗をして後を追うヤクルトスワローズの姿が

何とも寂しさを感じる(本日、交流戦初の勝利で連敗ストップ)

勝っても負けても話題になる巨人、勝てば珍事、負ければ当然の

弱小燕軍団との「扱い」の差はどういう事なのか・・・・


プロ野球選手が初めてホームランを打つと、そのボールは観客から

本人に戻されると言う(あくまでもボールを拾った観客の方の好意ですが)


私はふと考えてしまった

そのボールは確かに選手が打ってホームランになったボールなので

選手本人にとって掛け替えの無い貴重な品である

ホームランになる前の投球がファールになっていれば、たった一度投手が

投げて、打者が打ったボール・・・

たまたま審判のボール袋に入っていたボールが使われた・・・

運命のボールと言えばそれまでですがw


では・・バットはどうなのか?

ボールにばかり興味や関心が向いてしまうが、打ったのは打者であり

そのホームランを「生んだ」のは紛れもなく「その時のバット」なのです

なぜプロ初ホームランのバットに光が当たらないのか?

どんなバットでもホームランになったとでも言うのだろうか?

それまで折れずに選手が使い続けてきたバットなのに?

どうでも良い事かもしれませんが・・・気になりますね(笑)


そこで、本題です

天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は「八岐大蛇」の尻尾から出てきたとされています

別名・草薙の剣(くさなぎのつるぎ)のほうが知られていますが・・・

八岐大蛇を退治し蛇の尾を切り裂いたのは・・・十拳剣(とつかのつるぎ)である

別名「天羽々斬(あめのはばきり)」といいますが、草薙の剣に当たって刃が欠けた

とされ、この剣からアマテラスが三女神を生んだとされる

八岐大蛇を退治した剣より、出てきた方の剣を「神器」にしたというのだが・・・

バットとボールの関係に似ていませんか?


天羽々斬(十拳剣)は【石上神宮】に祭られていると言います

石上神宮は「物部氏」が祭祀を行っていたされ、ヤマトの武器庫と

して重要な役割を果たしていたという

石上神宮は出雲国造と同じ【神主の忌火成り神事】が行われたという

*神饌を煮炊きするため、火鑽(ひきり)によって神聖な火を得る神事のこと

天皇家と出雲国造(千家氏)、そして石上神宮(森氏)の関係は興味深い・・・


一方、草薙の剣は【熱田神宮】に祭られています

由緒では、素盞嗚尊は、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から

草薙剣を発見し、天照大神に献上した

天照大神は、その草薙剣を天孫降臨の際に迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けた

日本武尊は、草薙剣を持って蝦夷征伐を行い活躍したあと、妃の宮簀媛命のもとに預けた

宮簀媛命は、熱田の地を卜定して草薙剣を祀った



と、言われていますが・・・神器を蝦夷討伐に使ったり、大事な剣を預けたりと・・・

普通の剣のような扱い方をされているところが、なんとも解せません

何よりそんな大事な「神器」を祀る【尾張氏】について、記紀は無視しています

天皇家にとって「重要」だったから三種の神器の一つを祀っているのでは

と思うのはおかしいですか?

三種の神器が祀られているのに、熱田神宮にも明治までは天皇の参拝が

確認できません(伊勢神宮と同じ?)

*1868年(明治元年)9月27日:明治天皇
1878年(明治11年):明治天皇
1906年(明治39年):皇太子嘉仁親王(大正天皇)
1916年(大正5年):大正天皇
1946年(昭和21年):昭和天皇
1991年(平成3年):今上天皇・皇后
2005年(平成17年)7月12日:今上天皇・皇后(2005年日本国際博覧会行幸啓の折)


ちなみに、明治以前は【熱田神社】と呼ばれ、神宮とは呼ばれていなかった

三種の神器が祀られている社を「神社」と呼ばせていた天皇家って・・・

不思議な気持ちになりますね(笑)

三種の神器と神宮&神社については次の機会に・・・・。


Posted on 2017/06/11 Sun. 21:31 [edit]

category: 歴史

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伝承と推理  


公式文書だから信用できるのか?

現代の政治事件や政治スキャンダルを観ても、否定的な意見を

持たざる得ない・・

昨今、巷間で噂になっていることが事実と思われても、国家が正式な

文書として後世に残すことは無い

なぜなら権力側にとって、残すことに意味を持たないものは、残さないからである

「憲法違反の疑いを国民は危惧していた」

そんなことを公文書として残す道理が無い・・・・ですよね


愛知県三河地方にある言い伝えが遺されている

第36代 孝徳天皇の皇女・綾姫が、大化5年(649年)都から遠い地である

西三河の浜辺に【漂着】したという

孝徳天皇は女性天皇とされる皇極天皇の譲位によって即位した天皇で

中大兄皇子が即位しなかったので、皇極帝の弟である「軽皇子」が即位

することとなった曰く因縁のある天皇である

「大化の改新」の時代の天皇だが、謎の多い天皇でもある

実際の政治は中大兄皇子が仕切っていたとされ、改革に対し

周囲に不満や反感を覚えるものが多かったと言う

その代表が「蘇我入鹿」を後ろ盾とした【古人大兄皇子】だったが

反乱計画があると密告する者が現れ、中大兄皇子の手によって

皇子一族が滅ぼされてしまった

さらには蘇我入鹿暗殺に加担した「蘇我倉石川麻呂」が中大兄皇子の

暗殺を計画したとして追い詰められ、自殺に追いやられていて、その後

妻子も後を追ったとされる

その石川麻呂の事件が起こったのが 大化5年(649年)なのである

翌年には孝徳天皇は新しい宮(難波長柄豊崎宮)に遷っていることから

皇女が流されたり、追放になる理由が考えられない


私の妄想であるが・・・

もしかすると、石川麻呂の娘(姫)が孝徳天皇に仕えていて、父親に降りかかった

冤罪によって、自身の身の危険を感じて逃げ出した可能性もある

孝徳天皇は「置き去りにされた帝」であり、孤独死したと伝えられている

中大兄皇子が皇極上皇、大海人皇子、孝徳天皇の皇后を連れて

ヤマトに帰ってしまったと言うのだから・・・

孤独死だったのか、命を縮められたのか・・・

もしかすると、孝徳天皇の皇女だったかもしれないが、孝徳天皇の皇子・皇女

の記録が見当たらないので、断言できないが・・・

浜の里人によって秘密にされ大事にされて余生を過ごしたのかもしれない


大海人皇子(天武天皇)と三河地方は深いかかわりがある

天武天皇の皇子・草壁皇子が三河の地に住み、此処で亡くなったという

伝承があり、火葬した場所や墓まで存在するという

都で持統天皇の皇太子だった草壁皇子・・・病死した草壁皇子とは

いったい誰だったのだろうか?


不都合な真実は記録に残されない

最初から草壁皇子ではなく、持統天皇が天皇位を継ぐ意図が有りや無しや

なぜ女性天皇だったのか?

権力を一族のモノで占有したい陰謀が決意させるのかもしれない


歴史はパーツの大きく欠けた「ジグソー」である

どのパーツを何処に嵌めるのかで、見えるものが変化する

何を信じて、何を疑い、何をどのような角度から見るのかによっても

不思議な景色を見せてくれる

歴史に絶対も無ければ、100%も無いのである

誰もが歴史家になれて、誰もが旅人になれるのである。

Posted on 2017/06/09 Fri. 22:42 [edit]

category: 歴史

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大河ドラマ  


大河ドラマを観ている方もいらっしゃることと思う

私も嘗ては楽しみに観ていた時期がある

父親が見ていたことも影響して、一作目(花の生涯)から

11作目の国盗り物語まですべて分からないながらも観ていた


その後、社会の波にもまれて観る機会が無く、所帯を持ってから

25作目の独眼竜政宗~26作目の武田信玄、32作目の炎立つは

観ていたが、その後は観ることが無くなった


どうして観なくなったのかと言うと・・・

興味がない題材の作品が多かった事

さらに、学芸会と見まがうばかりの主役に落胆したこと

自分の中の歴史観と次第に「ずれ」が生じてきたことが

主な要因である


腐っても鯛 という言葉がある

NHK大河ドラマは最高のキャスティングと時代考証があって

成り立つものだと私は思っていた

若いタレントやお笑い芸人、歌手もどきが主となっては

私にとって観る価値が無いに等しいのである


NHK大河の功罪は幾つかあるが、もっとも貢献しているのが

「所縁の地」への地域貢献ではないだろうか

大河で出てくる「ご当地」へ足を運ぶ視聴者も多いと聞く

地域おこし、地域活性の一役を買っていると言える

それだけでも大河が制作されるメリットは十分なのかもしれないが


歴史という題材は本(脚本)を書く人にとって、好都合なことが多い

歴史の真実は「その時・その場所」に立ち会わなければわからない

という大原則がある

そういう点から考えても「正しい・正しくない」という判断基準は不明確だ

その?を上手に脚色して「ドラマ(フィクション)」は制作される

私のような「偏屈爺」からすると、【つっこみどころ】が満載ではあるが・・・

批判するために見るほど酔狂な爺でもなく、観る価値が有るか無いか

という個人的問題だろうけど・・・


今回の「おんな城主直虎」を作るなら、戸次道雪の娘・立花誾千代を

題材にしたほうがより史実に近いと思うのは私だけだろうが・・・・

立花誾千代(ぎんちよ)は正式な手続きを経て、豊後・立花城の城主と

なった女性である

父親は「鬼 道雪」と異名で呼ばれた戸次(べっき)鑑連、誾千代は7歳の時に

父から家督一切を譲られて正式な城主となった人物である

実在が疑われる「直虎」より真実味があると思うが、視聴者にとって

真実か虚実は意味など無いのだろうが、創作と脚色では「説得力」

というものが大きく変わってくると私は思う


わずか4~500年前のことが正確にわからないのが歴史である

男だったのか女だったのか、同一人物だったのか別人だったのか

それすらわからない日本の歴史・・・

1000年前の皇位継承争いの真相など、解らなくて当然である


まして2000年前の古代日本の真相など・・・・

卑弥呼が「名前」だと思っている人も居る

私は「呼称」だと考えているが・・・それすら「憶測」でしかない

邪馬台国を「やまたい」と呼んだのも後世の人間であり

実際には何と呼ばれていた国だったかも謎である

古代中国式に発音すれば「ヤマドゥ」だと言う・・・・


何かを基準にするから「判断」できるのであって、「判断基準」そのもの

がどうなのかという事だと考えます

ボタンの掛け違いは歴史に限らず、人生でも起こっていることですが

今の日本では、こんな話は意味が無いですなぁ・・・・

Posted on 2017/06/07 Wed. 00:26 [edit]

category: 歴史

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表と裏  


未だに連勤が続いております

命を削って勤しんでいる長屋の爺です


最近は帰宅後、家事を片付けてから「仮眠」をとります

エネルギー切れによる【充電】です

夜に起きて食事をし、パソコンをつけるのが9時~10時

そのころには酒も入り頭は就寝の準備に入りますので

長い記事を書くことに躊躇い(ためらい)が生じます・・・


はい、これは「いいわけ」ですけど(笑)


最近感じることが幾つかあり、センターラインを跨いで

蛇行運転をする車を頻繁に観ることが多く、明日は我が身

(被害者になる)の覚悟で、運転に集中しています


あとは、商業施設の駐車場で「入口」と書いてあるのに出て行く

命知らず(馬鹿)や「出口」から入ろうとして、出て行く対向車とぶつかる

豪傑(馬鹿)も観ました・・・

何も考えていないのか?

口は食べ物を「入れる」場所であり、食べ物を「吐く」場所ではありません

その「理屈」が理解できないのでしょうか?

とにかく「自分優先」であったり、「損得が基準」の人間ばかりが目につきます

車いすのマークが書かれた駐車スペースに、健康優良な「おばさま」が

当然の顔をして駐車しています

きっと・・・「頭が身障者」なのかもしれません

思考がどう考えても「自分本位」で、他人さまに迷惑がかかるとか

決まり事を守る意識が欠落しています

おそらく、その原因の多くは「くだらんテレビ番組」の影響だと

私は思っていますが、どうでしょう?


テレビの中の「クズ芸人たち」が、何をしても、何を言っても

製作者も視聴者も「嬉々として当然の如く受け入れている」

そういう現実があります

思考回路をマヒ状態にされて、社会生活にまで影響が出ている

私の思い過ごしかもしれませんが・・・・


対人関係で気に食わないことがあると、その問題点とは違う別問題で

難癖をつけたり、批判したりします

表の理由で批判しない代わりに、別の事柄で相手に「一撃」を

加えることって、意外と多いものです

言葉遣いが気に入らない部下に対して、「言葉に気を付けろ」とは

言い出しにくいと、服装の乱れや、髪形などを注意したり・・・


やたらとタレントや芸人の「言葉」を真似て喋る仲間がいます

私の心の中(裏)は【お前の程度はその程度か?】と言いたいですが

口から出る(表)のは、「なにそれ?」 「今流行りなのか?」の言葉で

済ませています


私の本音はテレビに出ている芸人・タレントは【現代の太鼓持ち】という

認識で、それ以上でもそれ以下でもありません

視聴者が「気分の良くなる」「楽しくなる」話やネタで糧を得る職業であり

そんな太鼓持ちが、政治ネタや報道番組の司会をすることに違和感を

感じています (芸人・加藤とか、J系歌手など・・・)


ブログだから書ける話題や本音って精神的には有意義だと思います

訪問者の眼を意識した時点で、自分も「太鼓持ち」に堕ちる

最近はそう考えるようになりました

訪問者(ブログを読んでくださる方)の気分の良くなる話題・記事だけを

書こうとすると、自分が自分で無くなる気がしています


書きたいことを、書きたいときに、一定の決まりを守って書くことが

私のブログのスタンスだと思うようにしています


逆に言えば、訪問者の多いブログって、こうやって書けばカウント数が

上がるなどと思って書いていない気がします

ブログ主が書きたいことと、訪問者が見たい・読みたい事が合致する

それが上位に位置するブログの正体ではないでしょうか・・・



座禅をしたことがある方はご存知でしょうけど

僧侶が棒で打ちますが、あの棒は【警策】といいます

曹洞宗では「きょうさく」、臨済宗では「けいさく」と呼びます

あれは「罰している」のではなく、「励ましている」といいます

修行者を文殊菩薩の手(警策)で打つ(励ます)ことだそうです

だから、打つことを「与える」といい、打たれる人は「いただく」

という事なんだそうです

曹洞宗は壁に向かって座禅を組むので警策は背後から【一打】

左肩は尊い【袈裟(けさ)】をかけるところなので、打つことはしません


臨済宗は壁を背にして座禅を組みますから、警策は前から【三打】受けます

ただし臨済宗は【右肩】に「三打」、【左肩】にも「三打」うつのが基本だそうです


これで座禅の映像を観る際に、どの禅宗の修業道場の映像なのか

みる眼が違ってきますね(笑)


禅と聞くと【問答(もんどう)】を思い浮かべるのですが、これは臨済宗などの

禅宗に見られることが通常です

曹洞宗は無心で座る 【黙照禅(もくしょうぜん)】 が基本ですが

臨済宗は座禅をしながら【公案(こうあん)】と呼ばれる教育課題を

手がかりとして悟りの境地を目指します

*「公案」とは昔の優れた禅僧の言葉などから悟りについて考える

クイズのようなものだと言います


一休さん でおなじみの「そもさん」「せっぱ」という言葉

実際にはこういう使い方はしないらしいですが、言葉の知識として・・

作麼生(そもさん) 説破(せっぱ)

さあ 答えられるかな?  答えてやるぞ! 

そんな意味の、中国・宋時代から使われている言葉なんだそうですが・・・


禅と一口に言っても、「違い」が判ると興味も深くなります

今日は禅の薀蓄でした(笑)

Posted on 2017/06/05 Mon. 00:09 [edit]

category: 私の思い

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