個体差と決めつける情報  


なかなか古代史について記事にできない日が続いています

それにはいくつか理由があって・・・


一番大きな理由は長い時間書籍を読んだり、パソコンに向かう事が

出来なくなったからです

原因は「眼」の具合が良くなくて、それに覆い被さるように目の炎症が

書籍離れ、パソコン離れを助長しているからです


酷い日は帰宅後「眼帯」をつけるほどに思わしくありません

老眼も急激に進み、視力の低下も甚だしいと来ては・・・

読みたくても読めない、観たくても閲覧できない状態です

誤字脱字に神経を使うこともできず、とにかく書き上げて保存

翌日、眼の状態を観て「手直し」「投稿」という有様です

コメントの返信をした直後、「辛くなってシャットダウン」という日もあります


今は仕事に「穴をあける」事ができませんので、仕事・運転が最優先

書きたいことは沢山あるのに、記憶だけでは読まれる方に失礼ですし

拙い独りよがりのブログですが、きちんとした中身のブログにしたいという

長屋の爺の「こだわり」も邪魔をしています

従来のブログ作成とは手法を変えて、何日間かかけて一つの記事を

「書いていこうか」などと考えています



よく「一日に野菜350グラムを摂取する」ことが望ましいとか、必要だとか

そういう話を聞きますが・・・

私はこの説に違和感を感じてきました

何せ「偏屈爺」「変わり者」「根性が曲がっている」のですから、「そうですか」とは

ならないのです

私の友人に野菜嫌いで還暦を過ぎても好んで食べない友人がいます

牛肉・豚肉が嫌いで生まれてから口にしたことが無い友人がいます

彼等は60年以上「大病」を患ったことが有りません


時として専門家の「理想」は「妄想」になることが有ります

好ましい→理想だ→必要不可欠→それに代わるものを摂取

それが【青汁】だったり【サプリメント】だったりするわけです・・・

私は体が欲したなら、それは自分の血肉になるが、嫌々食べても

身にならないという考えで生きてきました

ですから私の勝手な思い込みの類ですから、正しいかどうかの話でも

無いですけど・・・


ちょっと前まで「ヒアルロン酸」「グルコサミン」が膝の痛みに効果がある

という「既成事実化」された情報が氾濫していました

私は試したことが無いので多くは語れませんが、効いたと言う方は

いわゆる【プラシーボ効果】(単なる思い込み)ではないかと言われています

両方とも体内(肝臓)で分解されて、グルコース(糖)として吸収されます

膝関節まで流れて行って「ヒアルロン酸」「グルコサミン」に再生することは無いそうです

しかしながらプラシーボ効果も立派な【効果】だという専門家(医師)もいますから

その人が「効いた」と思えば「効果がある」のであって、他人がどうこう言う

べきではないですけど・・


サプリメントは「気分的効能」のために飲むもので、それ以上を期待するなら

医薬品を選ぶべきかもしれません


どうして万人が同じ基準で計られているのか、私は疑問に感じます

体重も身長も骨格や身体能力、先天的要因が違う人間を同じ物差しで

同じ型に嵌め込もうとする現代社会が不思議でたまりません

私は若い頃、健康診断の度に「血圧測定」の再検診を強要されました

高い方が90台、低い方が70台という「低血圧」だったからです

それでも運動したり、生活することに何ら支障はありませんでした

健康だったかどうかは分かりませんが(笑)

特に何も治療などしなくても、現在は120・90くらいで通常値になっています


人間が知っていることなど「ほんの僅か」でしかないとも言います

人間の体は自分が相応に自己修復していくものであって、人間がその領域に

手を染めることは、神の領域を侵すことかもしれません


私の信条は 人間死んだ時が寿命 病気や事故では死なない

病気で死んだなら 「それが寿命」

事故で死んだら 「それが寿命」

数度の「九死」から生還した長屋の爺にはそう思うことしかできないのです。

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Posted on 2017/06/21 Wed. 23:30 [edit]

category: 私の思い

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タバコと受動喫煙  

ようやく左目の状態が元通りになり、右目の状態も若干改善されてきた

仕事、生活、運転にも支障の無い処までに・・・


疲れが蓄積されて「抵抗力」が落ちているときは、過信せず油断せずに

早めの「手当」が肝心だと大いに反省した長屋の爺です(笑)


梅雨に入ってから雨が全く降らず、朝晩の「涼しさ・爽やかさ」に複雑な

感想を持っている方も多いかと思いますが、「天変地異」は大きな災害だけでなく

身の回りの生活感にも影響が出るのかもしれません


私は一日3箱を消費する「ヘビースモーカー」でした

ひょんなことから吸わなくなって9年目になります

私は「たばこ喫煙反対」でも「受動喫煙反対」でもありませんし

禁煙を宣言したこともありません

ただ・・・8年以上煙草を吸っていないだけだと思っています


本人が吸って何かしらの「害」があるのなら【自己責任】であり

自分の金で購入した煙草を吸う・吸わないは個人の判断だと

私は思っています


そこで、今話題の受動喫煙・・・・

信じる方も信じない方も同じような迷路に立っている気がしています

受動喫煙が「健康被害」だと信じている方は、何を基準に信じていますか?

おそらくほとんどの方が「明確な返答」「根拠の提示」ができないはずです

新聞に書いてあるから・・・

テレビで話題になっているから・・・・

書籍で学者が書いているから・・・・

その辺りだと私は感じています


このブログの読者は、もうすでにお分かりだと思います

書いてあったから「間違いない」という【思考の迷路】の信者たち

別に批判する気でこの文章を書いているわけではありませんが・・・


世界でおそらく最初に論文として「受動喫煙の害」を発表したのは

日本人の方です

平山 雄 という方だと記憶しています

世に言う 平山論文 から受動喫煙の害毒に注目が集まりました

これは厚生省の委託研究として始められたものなのですが

91,540人の「非喫煙の日本人妻(女性)」を12~13年間追跡し

都合よく纏めた単なる統計です


私の父は私と同じように「ヘビースモーカー」でしたが、母は生まれつき

心臓が弱かったのですが、50年以上父と連れ添ってきて、肺癌にもならず

脳梗塞も起こしていません

(90歳を過ぎての大往生でした)

夫や子供たち(私の兄弟姉妹は全員煙草を吸っていました)が吸っている

環境で暮していても、受動喫煙の害は全くなかったと言っていいくらいです

酒を呑まなくても「肝硬変」になる人だっています

煙草を吸わなくとも「肺癌」になる人だっています

【確率】と言う幽霊に一喜一憂する現代人の特徴かもしれませんが・・


だからと言って影響が全くないなどと言うつもりはありません

私は神でもキリストでもありませんから、何らかの影響を受ける人が

世の中にはいるかもしれませんが、それを証明することも否定することも

誰にもできない問題だと思っています


これを読み進めてきた方の中には・・・・

「批判するくらいならだれでもできる」 そう感じているかもしれません

確かにそうです・・・・・


では、どうして受動喫煙や嫌煙運動が話題になっているのでしょうか?

其処には「吸う人(喫煙者)」と吸わない人(非喫煙者)」の意識の

相違から起こっているように、私は感じています


煙草を吸う人は「私の自由」と言う認識でしょうか

自分の稼いだお金で政府が認めている「商品(たばこ)」を購入し

楽しんで何が悪いと感じているかもしれません(笑)


煙草を吸わない人は、「有害」の根拠とは別な次元で嫌悪している

可能性もあります

私が喫煙習慣がある友人・知人と一日過ごし、家に帰って気が付くことが有ります

衣服に沁み込んだ「たばこの匂い」の凄い事・・・

自分が喫煙者だった頃に気が付かなかった「他者への影響」に初めて気づいたとき

私の煙草に関する考えが、一つ増えた気がしました

受動喫煙の「害」は健康被害ではなく、生活環境被害なのではないか?

これだけ衣服がタバコ臭に汚染されるのなら、体の中も「たばこの害」に

汚染されているのではと、考えても不思議ではありません

そんなモヤモヤした意識の人が、平山論文を提示されれば、「なるほど」と

思い込まされてしまいそうですよね・・・


ではどうすればよいのか ・・・ですが

例えば、「ヘビメタ」の会場に出入りする人は、彼らの出す音を「騒音」とは

感じていませんが、私たち老人はたんなる「騒音」と感じてしまいます

ですから、ヘビメタの演奏会場がそういう場所であることを認識していて、

若者たちは自己責任で出入りしています


うがった見方をすれば、其処が酒場(バー)や居酒屋、赤ちょうちんは酒を呑み、

喫煙する場所と知っていて「禁酒」、「嫌煙」を振りかざす人はナンセンスかもしれない

そういう見方もできるのではないでしょうか

私の知る限り、酒場で「酒の匂い」や「たばこの匂い」より強烈なものが

この世に存在します

若い兄ちゃんのつける「安物の香水」と、叔母様たちが身に纏う「舶来の香水」

の匂いのハーモニーがどんな匂いの交響曲を奏でているか・・・・

どんなに素敵な臭いでも、異種の匂いが混ざり合うと、とんでもない化学変化を

引き起こすことがあるのです

私の友人の寿司屋では強い香水の御夫人はカウンター席には案内しません

ほかの常連さんに「迷惑」だからだそうです・・・・


つまりは・・・不特定多数が「公共」と認識する場所では「禁煙」や「分煙」は仕方がない

話だと感じていますが、喫煙者を締め出すだけでは「片手落ち」でしかありません

「喫煙」を許さない場所があるなら、「喫煙」を自由に謳歌できる場所が有って

初めて「平等」な生活権ではないでしょうか

タバコが自由に吸えるレストランや食堂に、「喫煙者が飲食する店」という大きな

表示をして、「容認できない嫌煙者はご遠慮ください」などと掲示し、自己責任で

どうぞとすればよい気がします

店が喫煙者を受け入れるかどうかの判断をすればよいだけの事で

その店が「喫煙可」であることを「目くじら」立てて問題化する話でもない


禁煙の飲食店が嫌なら喫煙可の飲食店に行けばよいのですから

嫌煙者も禁煙の場所に出入りすれば何も問題ないはずです



ましてや、根拠の希薄な受動喫煙に対し、政府が法規制するなどと言う

間抜けな話には納得できないでいます



統計はあくまでも「統計」にすぎません

頭ではわかっているつもりでも、報道などで「誘導」される日本人が多いですから



電話でのアンケートや意識調査・・・

その時間帯に在宅する人はどんな人が多いですか、「偏って」いませんか?

出口調査は本当にその地域の平均・確率だと思いますか?

誰に聞いたか、どんな場所で聞いたか、どの時間帯で聞いたか

それによって出てくる数字は別物になりますが、タイトルはきまって

「調査結果」「アンケートの結果」となっています


統計や率というのは、条件によって大きく違ってくることをもう一度

肝に銘じたいと私は思っています


統計はあくまでも統計の範疇を出ないことであり

率はあくまでも数字の上でのデータでしかないことを、日本人は自分の頭で

考え咀嚼(そしゃく)する習慣に戻したいものですね・・・。





Posted on 2017/06/19 Mon. 13:28 [edit]

category: 私の思い

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先日、仕事中に両目に砂・泥・コンクリート塵が目に入り

処置をせず仕事を続行したために、目が炎症を・・・

運転はもちろん、家事にも影響がでています

昨日はパソコンにも触れず(というか目が開けていられず)早々に就寝

とにかく点眼剤で経過を観るしかなく、目を休めることが回復の基本だとか

素直にしばらくは早寝の習慣にしようと思います


コメントの返信など滞っておりますが、何卒ご理解ください・・

* 誤字脱字が有りましたら後日訂正いたします (長屋の爺)

Posted on 2017/06/16 Fri. 22:08 [edit]

category: 私の思い

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何と言われても  


私は車を運転しているとき・・・と言うより車の運転席に座った瞬間から

携帯電話には手を触れないことが永年の習慣になっている

結果として「電話をかけても出ないし、返信も無い」と苦言を頂戴する

自分や他人の命がかかる運転より、優先されるものなどこの世には存在しない


当然ながら、詐欺や勧誘対策として知らない電話番号への返信は一切しない


どんなに親しい友人でも、携帯で会話やメール操作をすると

怒りが爆発する

「自分は大丈夫」とか、「ちょっとだけだから」という返答で反省の兆しが

見えない友人の車には同乗しないことにしている

「運転中に携帯操作する人間の車には乗りたくない」

と、はっきり宣言することにしている

誰でも、自分の運転には「多少の自信」があるものだが

他人の命にかかわる重大な事を「平気」で行える人間は

信用できないし、そんな人間と運命を共にする意味がわからん


私は運転中、助手席の人間の話など、ほとんど真剣に聞いていない

若い頃に経験したラリーの【ナビゲーターの言葉】以外、運転操作には

不必要という考えで生きて来た

だから集中力の妨げになるので、運転中はラジオは聞かない事にしている

BGMとしてウオークマンの音楽をボリュームを落して流しているだけ・・・


さらに速度を出さないことが安全運転だとは思っていない長屋の爺は

速度が遅い事によって周りの車がストレスを感じ、通常ではない運転操作を

することが重大事故につながるという考えを持っている

遅い車を抜き去るために、黄色い線を越えて対向車線にはみ出し

事故を起こしたとするなら、流れに乗って走行したほうが周りに配慮する

事につながると思えるのである

だからと言って猛スピードで走行すると言うわけでは、もちろん無い・・・・


ウィンカー(方向指示器)を出さないのは岡山県が日本一だとか・・・

ウィンカーを出さない・出せない理由は、携帯・飲食・怠慢である

私は通行人の顔など観ていないが、対向車線の車の運転手の視線

だけは見るようにしている

スマホを観ている人間の視線は「横」若しくは「下」を向いている

「やばいな」と感じたら、回避行動の準備をする

「アクセルを踏んで離脱するか」

「ハンドル操作で回避するか」

ハンドルを握ったら、そこはすでに【戦場】であると思っている

私にとって毎日が真剣勝負なのです(笑)


とにかく最近のドライバーは【優先順位】を知らなすぎる気がします

その結果「サンキュー事故」が多発してしまう結果に・・・

つまりは、自分が優先なのに「相手に譲る」行為を平気でしてしまう

「私ってなんて寛容なのかしら・・・」 と思っているのか?

「あなたが動かなきゃ 私が曲がれない・・・」 という事なのか

譲られた相手は自分が優先ではないことを承知だが、せっかくの好意

を素直に受けて出てしまう・・・気が引けるため急ぐことになり、注意が散漫になって

事故を起こすことに・・・当然決まりを守っていないのだから、過失は重くなる

「車の走行で善い人を演じることがとても罪深いこと」を知ってほしい・・・・

毎日のように「あぶない!」と、叫んでいる長屋の爺ですから(笑)




私は前と後ろに「ドライブレコーダー」を取り付けています

前部は「出会い頭の事故記録」「信号状況の証拠」「衝突事故の状況」として

後部は「追突事故の状況」や「煽り行動の証拠」として

私が死んでも「データ」は残るように・・・・

「死人に口なし」で嘘は通させたくないから、友人たちが「真実」を

公表してくれると信じています(笑)


自分が法規を守っていても、事故は回避できません

「靖國のお守り」や「永平寺のお守り」があっても、馬鹿がぶつかってくる時代

お守りや憲法9条は「自分の命」は守ってくれないのが現実です

自分が【決まり】を守っているから安心ではないのですから

毎日が非常事態と言っても良いかもしれません


ただ・・・ある程度の「上手なドライバー」が居るおかげで、交通事故が少ないと

いう見方もできます

自分の車の車幅も長さも分からず、サイドミラーを見る習慣も無く、歩行者用の

信号を観る余裕もなく、優先順位も知らず、運転しながら助手席のバッグの中に

手を入れるドライバーが事故を起こさないのは、周りのドライバーのおかげ(影響)

だと言う事を知っていただきたいと思います

サイドミラーを観ることは後方の「危険を察知」することに繋がります

歩行者用の信号が点滅から赤になったなら、先の信号は赤になっている可能性が有り

停車する「心と体」の準備をしなければなりません

走る凶器を操作している自覚が有れば、他の事をすることなどできないのが道理

ましてや視線を外して助手席のバッグに手を入れる行為など「基地外沙汰」です



何事もないのが通常と思っているか・・・

何事も無かった事が奇跡と思うか・・・

人それぞれだとは思いますが

前者であれば・・・いつかは【交通事故加害者】になるかもしれないことは

頭の隅に留めておいたほうが良いかもしれません。

Posted on 2017/06/13 Tue. 21:22 [edit]

category: 私の思い

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どちらを選択するかの理由とは  


プロ野球は読売ジャイアンツが13連敗をしたと大盛り上がり

その陰で10連敗をして後を追うヤクルトスワローズの姿が

何とも寂しさを感じる(本日、交流戦初の勝利で連敗ストップ)

勝っても負けても話題になる巨人、勝てば珍事、負ければ当然の

弱小燕軍団との「扱い」の差はどういう事なのか・・・・


プロ野球選手が初めてホームランを打つと、そのボールは観客から

本人に戻されると言う(あくまでもボールを拾った観客の方の好意ですが)


私はふと考えてしまった

そのボールは確かに選手が打ってホームランになったボールなので

選手本人にとって掛け替えの無い貴重な品である

ホームランになる前の投球がファールになっていれば、たった一度投手が

投げて、打者が打ったボール・・・

たまたま審判のボール袋に入っていたボールが使われた・・・

運命のボールと言えばそれまでですがw


では・・バットはどうなのか?

ボールにばかり興味や関心が向いてしまうが、打ったのは打者であり

そのホームランを「生んだ」のは紛れもなく「その時のバット」なのです

なぜプロ初ホームランのバットに光が当たらないのか?

どんなバットでもホームランになったとでも言うのだろうか?

それまで折れずに選手が使い続けてきたバットなのに?

どうでも良い事かもしれませんが・・・気になりますね(笑)


そこで、本題です

天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は「八岐大蛇」の尻尾から出てきたとされています

別名・草薙の剣(くさなぎのつるぎ)のほうが知られていますが・・・

八岐大蛇を退治し蛇の尾を切り裂いたのは・・・十拳剣(とつかのつるぎ)である

別名「天羽々斬(あめのはばきり)」といいますが、草薙の剣に当たって刃が欠けた

とされ、この剣からアマテラスが三女神を生んだとされる

八岐大蛇を退治した剣より、出てきた方の剣を「神器」にしたというのだが・・・

バットとボールの関係に似ていませんか?


天羽々斬(十拳剣)は【石上神宮】に祭られていると言います

石上神宮は「物部氏」が祭祀を行っていたされ、ヤマトの武器庫と

して重要な役割を果たしていたという

石上神宮は出雲国造と同じ【神主の忌火成り神事】が行われたという

*神饌を煮炊きするため、火鑽(ひきり)によって神聖な火を得る神事のこと

天皇家と出雲国造(千家氏)、そして石上神宮(森氏)の関係は興味深い・・・


一方、草薙の剣は【熱田神宮】に祭られています

由緒では、素盞嗚尊は、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から

草薙剣を発見し、天照大神に献上した

天照大神は、その草薙剣を天孫降臨の際に迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けた

日本武尊は、草薙剣を持って蝦夷征伐を行い活躍したあと、妃の宮簀媛命のもとに預けた

宮簀媛命は、熱田の地を卜定して草薙剣を祀った



と、言われていますが・・・神器を蝦夷討伐に使ったり、大事な剣を預けたりと・・・

普通の剣のような扱い方をされているところが、なんとも解せません

何よりそんな大事な「神器」を祀る【尾張氏】について、記紀は無視しています

天皇家にとって「重要」だったから三種の神器の一つを祀っているのでは

と思うのはおかしいですか?

三種の神器が祀られているのに、熱田神宮にも明治までは天皇の参拝が

確認できません(伊勢神宮と同じ?)

*1868年(明治元年)9月27日:明治天皇
1878年(明治11年):明治天皇
1906年(明治39年):皇太子嘉仁親王(大正天皇)
1916年(大正5年):大正天皇
1946年(昭和21年):昭和天皇
1991年(平成3年):今上天皇・皇后
2005年(平成17年)7月12日:今上天皇・皇后(2005年日本国際博覧会行幸啓の折)


ちなみに、明治以前は【熱田神社】と呼ばれ、神宮とは呼ばれていなかった

三種の神器が祀られている社を「神社」と呼ばせていた天皇家って・・・

不思議な気持ちになりますね(笑)

三種の神器と神宮&神社については次の機会に・・・・。


Posted on 2017/06/11 Sun. 21:31 [edit]

category: 歴史

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伝承と推理  


公式文書だから信用できるのか?

現代の政治事件や政治スキャンダルを観ても、否定的な意見を

持たざる得ない・・

昨今、巷間で噂になっていることが事実と思われても、国家が正式な

文書として後世に残すことは無い

なぜなら権力側にとって、残すことに意味を持たないものは、残さないからである

「憲法違反の疑いを国民は危惧していた」

そんなことを公文書として残す道理が無い・・・・ですよね


愛知県三河地方にある言い伝えが遺されている

第36代 孝徳天皇の皇女・綾姫が、大化5年(649年)都から遠い地である

西三河の浜辺に【漂着】したという

孝徳天皇は女性天皇とされる皇極天皇の譲位によって即位した天皇で

中大兄皇子が即位しなかったので、皇極帝の弟である「軽皇子」が即位

することとなった曰く因縁のある天皇である

「大化の改新」の時代の天皇だが、謎の多い天皇でもある

実際の政治は中大兄皇子が仕切っていたとされ、改革に対し

周囲に不満や反感を覚えるものが多かったと言う

その代表が「蘇我入鹿」を後ろ盾とした【古人大兄皇子】だったが

反乱計画があると密告する者が現れ、中大兄皇子の手によって

皇子一族が滅ぼされてしまった

さらには蘇我入鹿暗殺に加担した「蘇我倉石川麻呂」が中大兄皇子の

暗殺を計画したとして追い詰められ、自殺に追いやられていて、その後

妻子も後を追ったとされる

その石川麻呂の事件が起こったのが 大化5年(649年)なのである

翌年には孝徳天皇は新しい宮(難波長柄豊崎宮)に遷っていることから

皇女が流されたり、追放になる理由が考えられない


私の妄想であるが・・・

もしかすると、石川麻呂の娘(姫)が孝徳天皇に仕えていて、父親に降りかかった

冤罪によって、自身の身の危険を感じて逃げ出した可能性もある

孝徳天皇は「置き去りにされた帝」であり、孤独死したと伝えられている

中大兄皇子が皇極上皇、大海人皇子、孝徳天皇の皇后を連れて

ヤマトに帰ってしまったと言うのだから・・・

孤独死だったのか、命を縮められたのか・・・

もしかすると、孝徳天皇の皇女だったかもしれないが、孝徳天皇の皇子・皇女

の記録が見当たらないので、断言できないが・・・

浜の里人によって秘密にされ大事にされて余生を過ごしたのかもしれない


大海人皇子(天武天皇)と三河地方は深いかかわりがある

天武天皇の皇子・草壁皇子が三河の地に住み、此処で亡くなったという

伝承があり、火葬した場所や墓まで存在するという

都で持統天皇の皇太子だった草壁皇子・・・病死した草壁皇子とは

いったい誰だったのだろうか?


不都合な真実は記録に残されない

最初から草壁皇子ではなく、持統天皇が天皇位を継ぐ意図が有りや無しや

なぜ女性天皇だったのか?

権力を一族のモノで占有したい陰謀が決意させるのかもしれない


歴史はパーツの大きく欠けた「ジグソー」である

どのパーツを何処に嵌めるのかで、見えるものが変化する

何を信じて、何を疑い、何をどのような角度から見るのかによっても

不思議な景色を見せてくれる

歴史に絶対も無ければ、100%も無いのである

誰もが歴史家になれて、誰もが旅人になれるのである。

Posted on 2017/06/09 Fri. 22:42 [edit]

category: 歴史

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大河ドラマ  


大河ドラマを観ている方もいらっしゃることと思う

私も嘗ては楽しみに観ていた時期がある

父親が見ていたことも影響して、一作目(花の生涯)から

11作目の国盗り物語まですべて分からないながらも観ていた


その後、社会の波にもまれて観る機会が無く、所帯を持ってから

25作目の独眼竜政宗~26作目の武田信玄、32作目の炎立つは

観ていたが、その後は観ることが無くなった


どうして観なくなったのかと言うと・・・

興味がない題材の作品が多かった事

さらに、学芸会と見まがうばかりの主役に落胆したこと

自分の中の歴史観と次第に「ずれ」が生じてきたことが

主な要因である


腐っても鯛 という言葉がある

NHK大河ドラマは最高のキャスティングと時代考証があって

成り立つものだと私は思っていた

若いタレントやお笑い芸人、歌手もどきが主となっては

私にとって観る価値が無いに等しいのである


NHK大河の功罪は幾つかあるが、もっとも貢献しているのが

「所縁の地」への地域貢献ではないだろうか

大河で出てくる「ご当地」へ足を運ぶ視聴者も多いと聞く

地域おこし、地域活性の一役を買っていると言える

それだけでも大河が制作されるメリットは十分なのかもしれないが


歴史という題材は本(脚本)を書く人にとって、好都合なことが多い

歴史の真実は「その時・その場所」に立ち会わなければわからない

という大原則がある

そういう点から考えても「正しい・正しくない」という判断基準は不明確だ

その?を上手に脚色して「ドラマ(フィクション)」は制作される

私のような「偏屈爺」からすると、【つっこみどころ】が満載ではあるが・・・

批判するために見るほど酔狂な爺でもなく、観る価値が有るか無いか

という個人的問題だろうけど・・・


今回の「おんな城主直虎」を作るなら、戸次道雪の娘・立花誾千代を

題材にしたほうがより史実に近いと思うのは私だけだろうが・・・・

立花誾千代(ぎんちよ)は正式な手続きを経て、豊後・立花城の城主と

なった女性である

父親は「鬼 道雪」と異名で呼ばれた戸次(べっき)鑑連、誾千代は7歳の時に

父から家督一切を譲られて正式な城主となった人物である

実在が疑われる「直虎」より真実味があると思うが、視聴者にとって

真実か虚実は意味など無いのだろうが、創作と脚色では「説得力」

というものが大きく変わってくると私は思う


わずか4~500年前のことが正確にわからないのが歴史である

男だったのか女だったのか、同一人物だったのか別人だったのか

それすらわからない日本の歴史・・・

1000年前の皇位継承争いの真相など、解らなくて当然である


まして2000年前の古代日本の真相など・・・・

卑弥呼が「名前」だと思っている人も居る

私は「呼称」だと考えているが・・・それすら「憶測」でしかない

邪馬台国を「やまたい」と呼んだのも後世の人間であり

実際には何と呼ばれていた国だったかも謎である

古代中国式に発音すれば「ヤマドゥ」だと言う・・・・


何かを基準にするから「判断」できるのであって、「判断基準」そのもの

がどうなのかという事だと考えます

ボタンの掛け違いは歴史に限らず、人生でも起こっていることですが

今の日本では、こんな話は意味が無いですなぁ・・・・

Posted on 2017/06/07 Wed. 00:26 [edit]

category: 歴史

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表と裏  


未だに連勤が続いております

命を削って勤しんでいる長屋の爺です


最近は帰宅後、家事を片付けてから「仮眠」をとります

エネルギー切れによる【充電】です

夜に起きて食事をし、パソコンをつけるのが9時~10時

そのころには酒も入り頭は就寝の準備に入りますので

長い記事を書くことに躊躇い(ためらい)が生じます・・・


はい、これは「いいわけ」ですけど(笑)


最近感じることが幾つかあり、センターラインを跨いで

蛇行運転をする車を頻繁に観ることが多く、明日は我が身

(被害者になる)の覚悟で、運転に集中しています


あとは、商業施設の駐車場で「入口」と書いてあるのに出て行く

命知らず(馬鹿)や「出口」から入ろうとして、出て行く対向車とぶつかる

豪傑(馬鹿)も観ました・・・

何も考えていないのか?

口は食べ物を「入れる」場所であり、食べ物を「吐く」場所ではありません

その「理屈」が理解できないのでしょうか?

とにかく「自分優先」であったり、「損得が基準」の人間ばかりが目につきます

車いすのマークが書かれた駐車スペースに、健康優良な「おばさま」が

当然の顔をして駐車しています

きっと・・・「頭が身障者」なのかもしれません

思考がどう考えても「自分本位」で、他人さまに迷惑がかかるとか

決まり事を守る意識が欠落しています

おそらく、その原因の多くは「くだらんテレビ番組」の影響だと

私は思っていますが、どうでしょう?


テレビの中の「クズ芸人たち」が、何をしても、何を言っても

製作者も視聴者も「嬉々として当然の如く受け入れている」

そういう現実があります

思考回路をマヒ状態にされて、社会生活にまで影響が出ている

私の思い過ごしかもしれませんが・・・・


対人関係で気に食わないことがあると、その問題点とは違う別問題で

難癖をつけたり、批判したりします

表の理由で批判しない代わりに、別の事柄で相手に「一撃」を

加えることって、意外と多いものです

言葉遣いが気に入らない部下に対して、「言葉に気を付けろ」とは

言い出しにくいと、服装の乱れや、髪形などを注意したり・・・


やたらとタレントや芸人の「言葉」を真似て喋る仲間がいます

私の心の中(裏)は【お前の程度はその程度か?】と言いたいですが

口から出る(表)のは、「なにそれ?」 「今流行りなのか?」の言葉で

済ませています


私の本音はテレビに出ている芸人・タレントは【現代の太鼓持ち】という

認識で、それ以上でもそれ以下でもありません

視聴者が「気分の良くなる」「楽しくなる」話やネタで糧を得る職業であり

そんな太鼓持ちが、政治ネタや報道番組の司会をすることに違和感を

感じています (芸人・加藤とか、J系歌手など・・・)


ブログだから書ける話題や本音って精神的には有意義だと思います

訪問者の眼を意識した時点で、自分も「太鼓持ち」に堕ちる

最近はそう考えるようになりました

訪問者(ブログを読んでくださる方)の気分の良くなる話題・記事だけを

書こうとすると、自分が自分で無くなる気がしています


書きたいことを、書きたいときに、一定の決まりを守って書くことが

私のブログのスタンスだと思うようにしています


逆に言えば、訪問者の多いブログって、こうやって書けばカウント数が

上がるなどと思って書いていない気がします

ブログ主が書きたいことと、訪問者が見たい・読みたい事が合致する

それが上位に位置するブログの正体ではないでしょうか・・・



座禅をしたことがある方はご存知でしょうけど

僧侶が棒で打ちますが、あの棒は【警策】といいます

曹洞宗では「きょうさく」、臨済宗では「けいさく」と呼びます

あれは「罰している」のではなく、「励ましている」といいます

修行者を文殊菩薩の手(警策)で打つ(励ます)ことだそうです

だから、打つことを「与える」といい、打たれる人は「いただく」

という事なんだそうです

曹洞宗は壁に向かって座禅を組むので警策は背後から【一打】

左肩は尊い【袈裟(けさ)】をかけるところなので、打つことはしません


臨済宗は壁を背にして座禅を組みますから、警策は前から【三打】受けます

ただし臨済宗は【右肩】に「三打」、【左肩】にも「三打」うつのが基本だそうです


これで座禅の映像を観る際に、どの禅宗の修業道場の映像なのか

みる眼が違ってきますね(笑)


禅と聞くと【問答(もんどう)】を思い浮かべるのですが、これは臨済宗などの

禅宗に見られることが通常です

曹洞宗は無心で座る 【黙照禅(もくしょうぜん)】 が基本ですが

臨済宗は座禅をしながら【公案(こうあん)】と呼ばれる教育課題を

手がかりとして悟りの境地を目指します

*「公案」とは昔の優れた禅僧の言葉などから悟りについて考える

クイズのようなものだと言います


一休さん でおなじみの「そもさん」「せっぱ」という言葉

実際にはこういう使い方はしないらしいですが、言葉の知識として・・

作麼生(そもさん) 説破(せっぱ)

さあ 答えられるかな?  答えてやるぞ! 

そんな意味の、中国・宋時代から使われている言葉なんだそうですが・・・


禅と一口に言っても、「違い」が判ると興味も深くなります

今日は禅の薀蓄でした(笑)

Posted on 2017/06/05 Mon. 00:09 [edit]

category: 私の思い

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6月2日という一日  


昨夜の突風&豪雨&雷に飛び起きてしまった

風の「唸る音」の正体を認識するまで時間がかかった

台風でもあのような唸り方はしないかもしれない・・・

ベランダにたたきつけるような雨が降り

地面を切り裂くような雷鳴がとどろいた

日付が変わろうという時間だったのは、単なる偶然だったのか


日本人は「6月2日」という日を忘れてはいけない

何を訳の分からない事を言い出した長屋の爺・・・

そう思ってくださって結構です(笑)


容認するしないという立場ではなく、日本人として

日本人を祖先として生きて来た日本人にとって

本日、天皇陛下の退位を実現する特例法案の衆院通過があり

「天皇の退位」「女性宮家」の創設が確実になったのです


日本国憲法は改正するまでもなく、憲法の体を成していないことが

周知の事実となった「記念すべき日」となったと私は思っています



【日本国憲法】 

第1章 第2条 

皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

第4条 

天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない


議会が国民の代表であるというならば、日本国憲法の前文を再確認すべきである

(前文抜粋)

国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、

その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する


皇室が自ら憲法を無視し、政府も主権者である国民の総意とは異なる「愚行」を選択し

さらには主権者の「利」とは異なる道を採択したのは動かしようの無い事実である


日本国の伝統、国民の精神的支え、日本人としての誇り

その総てを粉砕したに等しい暴挙である

自民党も公明党も民進党も【同じ穴の狢】でしかなかった




日本国憲法 第二十条 【信教の自由、国の宗教活動の禁止】

(1)信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

(2)何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

(3)国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

日本国憲法 第89条 

公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、

又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又は

その利用に供してはならない。



これは日本人の多くが知っている「信教の自由」「政教分離の原則」であるが

堅苦しい文言で書かれていて、意味がよく理解できないのも事実だが・・・


問題点は幾つかあるが、皇室祭祀が宗教活動に当たるかどうか?

判例では、宗教団体とは、布教や具体的な宗教行為の実践を本来の

目的とする団体に限られるとされる



神道が宗教であるか否か、皇室が団体であるかどうかは疑問であるが、

皇室祭祀は布教活動とは異なる形態だと私は理解している


政府や宮内庁が言う皇室祭祀が天皇家の「私事」であるとするなら

天皇家の存在は日本国民の福利に関わりない事になり、税金(公費)を注ぐ

必然性を失うことになる

(例えば、一人の日本人が国民すべての安寧を祈り続けているならば

天皇家より国民の福利に資する行為を行っているともいえるわけなのだ)


日本国天皇は【最古・最高の神官】【祭祀王】という位置づけであるから

敬いつつ、途方もない巨額の皇室費用を認めているわけである

天皇家の個人的な行事をするだけの一家に、湯水のごとく使う税金と

特権を認める理由が損なわれるのではないか?


わたしは不敬と言われようが、何と罵られようが「おかしい」と思うから

このようなことを書いているのであって

天皇廃止論や皇室廃止論とは異なる観点から考えてみただけである


天皇だろうと総理大臣だろうと、個人としての【信教の自由】を保障されている

だからカトリックの信者であっても良い事になるのだが・・・


だからと言って、皇室の一員がその権利を行使すれば、先に書いたように

第89条によって皇室歳費を受け取る理由・根拠を失うことになる

と言いつつも・・・天皇家・皇族は国民なのか?

そんな疑問すらわいてくるが

なぜ国民の一部が(多数と言えないつらさもある)今回の「譲位騒動」に

激しく抵抗しているかと言えば、税金で生活する天皇家に「国民の意思」

が反映されないことに大きな不満・不審が募ってきている事に尽きる

これが自分達のチカラで生活し、自立しているなら、あくまでも

他人事・他家の問題であり「ピーチク、パーチク騒いで」おしまいになる話である


お花畑日本人による お花畑日本人のための お花畑日本人の国

その国の記念すべき日が、6月2日という日になるかもしれない

現天皇家についてのブログ記事は今回で最後となる気がします


考えるのも口に出すのも「馬鹿々々しい」問題ということ・・・
 

政治家を選ぶにしても、このような政治に何を期待します?

憲法改正以前に、現行憲法すら守れない安倍自公党に

大きな失望と虚脱感を覚えただけかもしれない長屋の爺でした。

Posted on 2017/06/02 Fri. 23:02 [edit]

category: 私の思い

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