学ぶことの本質  


なんだかんだ言ってるうちに、5月も終わろうとしている

時間の流れについていけてない長屋の爺です(笑)


6月は地元にブログで知り合った方々が集まることに

まだ先・・などと言っていると、すぐに「その日」が来てしまいそうだ


7月下旬は「靖国参拝」と「神宮観戦」の予定を立てた

「みたままつり」と「奉納あさがお展」の間なので、静かに参拝できそうだ

神宮球場が雨天中止になれば、総武線にでも乗って千葉に行こうか・・・

40年以上足を向けていない第二の故郷でもある


「学ぶ」と聞くと私たちは「教わる」事だと考えてしまう

たしかに「他者」から教わることも多い気がするが

本当に大切なことは、他者からは教えてもらえないのでは

そんな気がしている

他者から教わったことは「化粧」や「メッキ」のようなもの

自分の「血肉」にはならないのではないか・・・

そんなことを考えている


本当に大切なことは「自ら 気づくこと」 ではないだろうか?


私の信条は「今日を生きなければ、明日は来ない」

明日より今日を大切に生きる

私が言うと、なんか胡散臭い言葉に聞こえてしまうが

今日という日を「無意味」に過ごせば、明日という日は

「意味」の無い一日になる

今日を精いっぱい生きるからこそ、明日が来る


私にとって今日という日も、明日という日も「おまけの人生」だ

おまけで生きているのだから、毎日「得」をしているようなもの

そう考えると、自然と肩の力が抜けてくる気がする


私の人生は見かけより「波乱万丈」であり、生かされているとしか

思えない日々を過ごしてきた

他人に自慢できることも無く、他人を羨むことも無く

自分のいたらなさばかりが思い出される人生である


そんな私は人生の大事な場面で「ありがとう」が言えなかった

そんな経験から結局、私は「生きることが下手」な人間という事に・・・

生き方がへたくそでも、生きてこれたのだから人生も捨てたものではない

もう少しだけ、「おまけの人生」を生きてみようと思っている


沢山の「書籍」を読んだからとか、「身になる番組」をたくさん見たから

学んだことにはならないと私は感じている

最難関の大学入試に合格したから「学んだ」わけでもないだろうし

「覚える」ことと「知る」ことは別なのである


【学】

がく・まなぶ

元の字は 學  

爻(こう) + 臼(きょく) + 冖(べき) + 子 の組み合わせ

字の元の形は、メ + 介 で屋根に「千木」のある学舎の形

後に加えられた 臼(きょく) は左右の手で教え導くの意

さらに年少の「子」を加え  の字となり

「まなぶ」の意味となった

古代では一定の年齢に達した若者は、年長者などから

氏族の伝統や生活の規範を学んだという


今の日本人は「計算」は学ぶが、ヤマトの伝統や誇り、日本人としての

規範や道徳などは学ばない・・・というか、学ぶ環境が無いのが現実である。





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Posted on 2017/05/31 Wed. 23:27 [edit]

category: 私の思い

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嘘ついたら・・・  


人間だれしも人生において何度も嘘をつく

それを宗教家は「嘘をつくと地獄に堕ちる」と説く


ハッキリ言いますが、釈迦はそんなことは一言も言い残していません

当然ながら、「極楽」というものにも言及していません


これは後世の学者先生が捻じ曲げて解釈した「作品」です


仏心とは「他人に教えてもらって悟るのではない」といいます

宗教心(仏心)に目覚めるとは、釈迦の言葉によってではなく

自分自身が自ら「気づく」事だと言います


仏に逢うては 仏を殺し

祖に逢うては 祖を殺す
  《無門関》


実際に殺せと言っているわけではありません

人間は弱いものです、仏さまに会えば縋りたくなり、祖師に会えば

何かを教えてほしくなります

仏の道(仏教)に生きると言う事は自分の中に潜在する

「もの」に目覚めることだと言います


とにかく人間は弱い生き物でして、やたらと他人や周りを意識しながら

ビクビクして生きています

「死んだら おわり」

「死んで花実が咲くものか」

生きているって何と素晴らしい事か・・・

誰しも、そんな経験は少ないのが現実ですけどね


人間の体を作った人(神?)が居たなら、恐ろしいまでの能力者です

人間は頭や手足などの五体が当たり前のように感じていますが

一つ一つ、部分部分が巧妙に出来上がっています

眼の上に口があれば、「飲み物をこぼせば目に入る」ことになり

眼の上に鼻が付いていれば、風邪をひいたら眼も開けられません

親指が無ければ鍵を開けて家に入ることも大変になります

膝が前にしか曲がらないのは前にまっすぐ歩くためであり

鼻が縦についているのは目の前の食べ物の匂いを嗅ぐため

眼が横長なのは周り(左右)を見渡すため・・・

この究極の体を作ってくれたのは母でしょうか?

それとも神さまでしょうか?

あるいはお釈迦様でしょうか?


「わからないもの」に感謝することはできますか?

私たちは仏さまや神さまに向き合うと、必ずと言っていいほど

【願い】を言いますが、私たちが本当にすべきなのは・・

見えないモノに対し【感謝】することではないでしょうか



私はどんなに若い職人でも、仕事を一緒にしたら「有り難う」を言います

自分の「チカラ」など、たかが知れたものです

他人の手を借りたなら、その事に感謝する

そこに、相手がどう思うとか、子や孫のような若者にそこまでする?という

周りの目などの意識はありません

私自身も「ありがとう」と言われて、嫌な気持ちにはなりませんから

言われないよりは言われたほうが良い言葉として

 ありがとう





私のブログでは傲岸不遜な言葉や、上から目線の言葉が多いので

信じてもらえないかもしれませんけど・・・


手動のドアを出るとき、他人が入ってきそうなときはドアを開けたまま

その人が入りやすいように押さえて待っています

だからと言って、「有り難う」とか「どうも」などの言葉を期待してはいません

私は自分で「やりたい」から「やっている」のであって、見返りなど望んでいません


自分が「ぎすぎす」すればその気持ちは他人にも伝わります

自分だけの時間・空間でも良いのです

信じてもらえないかもしれませんが、私は「人付き合い」が苦手です

それと・・・損得勘定が超苦手でして

他人に何かをして、その見返りを受けることが「嫌い」です

自分の「気持ち」を品物や金額に換算されているようで不愉快になります


だから「中元」や「歳暮」の慣習は遠い昔に止めました

最近は「年賀状」も書かなくなりました

書こうかなとは思うのですが、お互い気持ちのこもらない「慣習」に

なる事が嫌だからなのです


自分で作り上げるバーチャルな世界・・・

それが私たちが日ごろ使う「世間」というものの正体ですが

自分を大事にしないで他人の目を意識しすぎるあまり

仮想空間として「世間の目」を作り上げます


こんなこと言うとお叱りをうけそうですが、自分が思うほど

赤の他人は自分(あなた)なんか見ていませんから・・・


自分の体と命に感謝・・・これが生きること、生ききるコツだと

私は思うようになりました

美味しいものを食べた時、不愉快になる人や落ち込む人は居ません

その食べ物「自然の恵み」を与えてくれたのは目に見えない「チカラ」

それが「宇宙」「世界」「自然界」などの言葉で表されるものだと思います

だから、食べ物を食べる前に「いただきます」であり、「ごちそうさま」という

感謝の言葉を口にするのだと思います。


クジラはダメで野菜なら良いと言う人は、その感謝の相手を知らないだけ

かもしれません(笑)

Posted on 2017/05/29 Mon. 22:53 [edit]

category: 私の思い

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もしかして性格破綻者?  


私は少し前までは「ちょっと変わった人間」だと自覚していたが

どうやら相当「おかしな爺」であることに気づいてしまった


私は「無条件でのめり込む」ことができない癖(へき)がある

「思い込んだら命がけ」が理解でき無いのも一つなのだが

「痘痕(あばた)も靨(えくぼ)」が」大嫌いでもある

「盲目の愛」など端から否定しているし、そんな人間自体理解できない

歌も「その歌い手が唄う歌なら何でもよい」というのが解らないし

熱狂的になったことが一度もない・・・・


歌は歌わないが音楽は基本的に好きである

最近の念仏を唱えているような音楽はダメだが、浪曲から

民謡、演歌、唱歌、ジャズ、ポップス、ボサノバ、ロック何でも聴く

好みの曲は聴くけれど、特定の歌手に肩入れすることは無い


当然「ファン心理」が理解できない人間で、芸能人・歌手・役者に

熱を上げることも理解できないのである


では人間が嫌いなのかと言うと、そういう訳ではない

人とかかわることがあまり得意ではないが、「ひと」は基本的に好きである




皇室問題でも、いつもどこか冷めていて、天皇一家を拝む気持ち

にはなれないし、皇室・皇族に対し常に「なぜ?」「どうして?」という

目を向けている

「開かれた皇室」を自分の頭で意識してから、是々非々のまなざしで見つめて来た

当然ながら「秋篠宮家 万歳」、になることは無かったし、これからも無いだろう

何かを変える時、変わるときには必ず「理由(わけ)」があると思っている

伝統を変える時、伝統を変えることを許したとき、伝統を忘れた時・・・

かならず「見えないチカラ」と、「見せない思惑」が動いているときである


手品に例えるなら、演者の手先ばかり気にしていると、いとも簡単に

思惑に引きこまれてしまう



どうしてこのタイミングなのか?

どうしてこの機関・人物の手によって表面化されたのか?

スクープ記事が「おもて」に出るには必ず理由があると思っている

結果の先を観ても答えは隠れていない・・・


人間というのはアンバランスな生き物だと思っている

一流企業や官庁の管理職まで昇りながら、些細な事件(万引き・盗撮・痴漢)で

将来手にすべきすべて(年収・地位・家族)を失う人間がいたり

几帳面な人間が「適した道具」を使わずに、力で蓋をこじ開けようとしたり

一円安い商品を求め、「ガソリン代」をかけて隣町のスーパーに出かけたり

食費を削って「スマホの維持費」を捻出したり・・・・


その行動の前にどうして未来の図面が描けなかったのか・・・

エリートの未来予想図とはそれほど杜撰なものなのだろうか?


適した道具を用意するには「時間」をロスしてしまう

几帳面だが時間の損失は我慢できなかったのか?


商品の一円は「眼に見える」が、ガソリン代の一円は「眼に見えない」

眼のまえに写る物にだけ心を動かし生きているのだろう


人間は霞を食べて生きているのではない

安易に「食費」を削って生きるのも、優先順位に鈍感になっている?

自分が後悔しない人生を、他人がとやかく言っても「せんない」話であるが・・・


考えて正しい道を歩んでいる気持ちでも、見えないチカラに誘導されていることもある

正しいと思う道が「正解」だと言いきれないのも人生である

正論を言い続け「職を失う」ことだって当たり前のようにあるのも人生だ


人は生きることで、生きているだけで「他人を傷つけ」るものだという

自分が合格したその裏で、不合格になった人間がいる

自分が結婚した喜びの裏で、ひそかに悔し涙を流す人がいるかもしれない

自分が昇進した裏で、やけ酒を呑む同僚がいるかもしれない

そのようなことを意識することが、いかに意味が無い事なのか・・・

自分もまた・・・意識せずに知らないうちに傷ついている

それが現実である。


Posted on 2017/05/26 Fri. 23:04 [edit]

category: 私の思い

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正しさ、常識、普通とは何?  


久しぶりの休日

しかし、外は雨

今日は自堕落な一日を過ごそうと、5時に眼ざめ

6時半に起き、トイレに行ってまた床の中に・・・・

二度寝ならぬ三度寝を満喫

可燃ごみの日だった事すら気づかずに、爆睡した

人は無性に何かを求める時、「体の本能が欲している」

それが持論であり、実践していることなのだが・・・


私には治らない習性(癖)が幾つかある


くすんで曇った「ガラスコップ」が嫌いで

茶渋の付いた茶碗で、お茶が呑めない

(これは幼少期の記憶が原因だが・・・)


食べたくない食材も一緒に出される、「定食」「懐石料理」が嫌い

好きなものを、好きな時に、好きなだけ食べるのが信条

(とは言っても、生来小食で好き嫌いはそれほど多くないし

贅沢な食生活とは無縁なのだが)


他人に注がれる「酒」が大嫌いで、酒に酔って暴言を吐いたり

普段口にしないことを「ほざく」人間が大嫌いだ

いわゆる「質の悪い酔っぱらいを見ると 張り倒したくなる」

酒を呑んで「記憶がない」とほざく人間を認めない・・・

そういう理由から、新年会、忘年会、親睦会は参加しない

相手がどういう立場、どういう世界の人間でも我慢できない

事を起こしたくないから・・・・酒席には顔を出さない人生を送っている


いまでは私の周りで、私が酒を呑むことを知っている人間は

殆んど居ない・・・

世間では、私は酒が呑めない・酒を呑まない爺として認知されている

ゴルフに行って、昼にビールを呑む連中が多くても、私は一切呑まないし

友人たちと昼食や夕食を共にしても、酒は呑まないことにしている

酒を呑まない爺と思われることに不都合も支障もないのが現実だし

私の家にビール、ワイン、日本酒、焼酎があることを誰も知らない


では現実の「長屋の爺」はどうなのか?

週に3~4日、寝る前に焼酎のお湯割りを1~2杯

年に2~3度、日本酒を昼間から呑むことが有り

夏の休日に夕方から缶ビールを呑むのが恒例になっている


自分のペースで呑むのは、「何が有っても」自分を見失わない状態で

いなければ、人生を誤るから・・・

また、それが日本男児のあるべき姿だというのが、私の信条だから・・・


わたしは周りの人間が思うほど強くもないし、賢くもないし、品行方正でもない

若い頃の「恥」なら、それこそ枚挙に暇がないくらいであり

タバコは15歳から

ギャンブルは16歳から

酒も19歳から経験してきた

20代前半は給料のほとんどを「呑み代」で消費した馬鹿であり

上野の街を「血染めのYシャツ」で、やくざと鬼ごっこした馬鹿であり

20代半ばは「賭けマージャン」で生活していたクズであり

息子の「出産費」を競艇で使い穴をあけ、最終レースで取り返して

ギャンブルの怖さを知り、足を洗った馬鹿でもある


偉そうなことをいえる資格などないのが「実像」なのだが・・・

人生をやり直すことは不可能だが、軌道を修正することは可能であり

気づいた者だけが実感できることもある

間違う事は罪ではない・・・

間違いに気づくことが大事なのだと思う

気づいても「どうにもならない事」は確かにある

だからと言いって、修正しない人生ほど無意味なものはない

悪いとわかっていて「修正・更生」しない事が一番の罪かもしれない


十分な睡眠の後だからだろうか・・・・

昔のことが妙に思い出される夜みたいです(笑)


Posted on 2017/05/25 Thu. 23:20 [edit]

category: 私の思い

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縄文の民と月  


私たちは 太陽=神 という概念に違和感を感じることはありません

何処の国の文明でも 太陽神 が信仰の中心にあったと思っているし、

特に不思議に思わないのが現実かもしれません


日本の神も太陽神・アマテラスが中心に存在するとされていて

私はこの説に言いようのない違和感を感じています

太陽が神であっても別段問題などないことは承知していますが

本当に日本の神の中心が「太陽」だったのでしょうか?


太陽は恵みを与えてくれる、これに異論はありません

農耕民族にとっては何にも代えがたい「チカラ」を発揮する太陽ですが

狩猟民族にとって、はたして太陽が絶対無二だったのでしょうか?


人の生死にかかわる事象は、むしろ【月】の影響が大きいと感じるのは

私の単なる思い込みかもしれませんが・・・



質問です・・・今まで日(太陽)と月、あなたはどちらを多く見ましたか?


太陽を肉眼で見たことはほとんど無い私ですが・・・

月と星は住む場所が異なっても、ことあるごとに観て過ごしてきました


漠然とですが、縄文の民も太陽ではなく、月や星を見て暮らしていたのでは

そんなことを考えています


科学と言う「アイテム」が無かった時代、潮の満ち引きと月の関係を

把握していたかもしれません


ちなみにアイヌ語では・・・

【太陽】は ペケレチュプ

【月】は チュプ と言います

【星】は ノチウ と言います


クンネ チュプ カムイ  

クンネ は、「黒い」とか「夜」という意味で、チュプ は「月」

カムイは「神」ですから、「月は夜の神様」という意味でしょうか?


月を表現する言葉は、「チュプ」「チュプカムイ」「クンネチュプカムイ」などあり、アイヌの民が

「月」を特別なものとして捉えていた気がします


アイヌの伝承をすべて知っているわけではありませんが、よく聞く神様には

【フクロウの神】、【オオカミの神】、【海の神】などがありますが、太陽の神の

話は知りません(私が知らないだけで、あるかもしれませんが)


狩猟民族にとって、太陽神が重要な位置を占めていたとは到底思えないのです

恵みの神は農耕民族にとっては最高の神かもしれませんが、狩猟民族には

雨の日も風の日も「すべて神のなせる事」として、受け止めていたのではないでしょうか・・・


狩猟民族にとって、「絶対無二の神」は成立しません

あらゆるものに【神】が宿り、神の力によって生かされているとする

自然崇拝を基本とする民にとって、ずべての頂点に君臨する神など

受け入れないだろうと私は思っています


縄文の民は、月を見て何を思ったのか・・・・

月と縄文の民は「強い絆」で結ばれているかもしれません。


Posted on 2017/05/23 Tue. 21:39 [edit]

category: 歴史

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ポンコツ  


仕事中に首と背中を痛めてしまい、ダウン寸前の長屋の爺です

毎年のことながら4月から3ヶ月くらいは多忙ですが、歳を重ねるたびに

身体の不具合が顕著になってきています

仲間内では「ポンコツ」として認知されていますから(笑)


「歳なんだから、そこそこにしとけば」

そういう言葉が大嫌いで、歳が半分の若者と張り合って仕事をし

若者の仕事まで「奪って」体をイジメる、大ばか者でもあります

「できない」 「無理」 という言葉が死ぬほど嫌い・・・・

金にならぬ仕事が三度の飯より好き(笑)


ゴールデンウィークに旅行に出かけたから、痛い・痒いとは言えず

顔で笑って、内心では泣いています

夏に神宮球場に出かけることを励みに、歯を食いしばって働こうと・・・



【意】 い 

 と  が合わさった文字

音によってその心を、「おしはかる」ことから、元の意味は【おしはかる】

ここで言う「音」とは、神の「音ない(音を立てること)」

「おしはかる」とは、神の意思をおしはかることです


私は「おとない」と聞くと、【訪い】という言葉を連想します

【訪】 ほう

訪とは、各地の神様に謀(はか)ることを言います

神に謀り「神意」を問うという意味です

そこから各地を「たずねる・おとずれる」の意味となり

神の真意を聞きに訪れること、音なう=訪うになったと思われます


私たちの周りの「漢字」は神さまに由来するものが多くあります

それは神さまが非常に大事なものだったから、必要だったからだと

私は考えています


神さまに向き合う「形」「意識」を広い範囲の人々に伝えるために

文字が創られたのだと思っています


*ただし、この神とは「ヒトの形」をした「現代の神」ではなく

全ての事物に存在する神、アニミズムの神を指します

後に【八百万の神(やおよろずのかみ)】と称した神でしょうか


八百万の神に対する信仰が、現代の日本人の「精神性」に

大きく関わっているのではないかと私は感じています。



Posted on 2017/05/20 Sat. 22:55 [edit]

category: 文字・漢字

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犬と名君の話  


生類憐みの令

徳川5代将軍 綱吉によって定められたのはご存じですよね

ところが意外とその中身を知らないのが普通かもしれません

現代語訳で書くと・・・こういう事なのです


一、捨て子があればすぐさま届け出ようとせず、その場所の者がいたわり、

みずから養うか、またはのぞむ者がいればその養子とせよ。

よいか、届け出なくてかまわない。

一、鳥類・畜類で、人が傷つけたと思われるものは今までのように届け出よ。

共食いやみずから傷つけたと思われるものは届け出なくてよい。

それらを養育し、持ち主があればかえすようにせよ。

一、飼い主がいない犬に日ごろ食べ物をあたえないようにしているという。

それは要するに食べ物をあたえれば、その人の飼い犬のようになって面倒な

ことがおこると考え、いたわらないでいるらしいが、けしからん。

これからはそのようなことがないように心得よ。

一、飼い犬が死ぬと、飼い主は上司へ届けでているという。

その死に異常がなければ、これからはそのような届け出は無用である。

一、犬ばかりにかぎらず、人々はすべて生類へ慈悲の心からでるあわれみを

ほどこすことが肝要なのである。

 以上


江戸には犬が非常に多かったと言われています

しかし、私たちが考えるような状況ではなかったかもしれません

なぜ江戸に犬がいたのか?

それは武士(大名・旗本)が頻繁に鷹狩を行っていたことに由来します

鷹狩(たかがり)の時、獲物を追い出す役目を犬が担っていました

漁師に犬が不可欠なのと同じ理屈ですね・・・

だから、江戸初期には江戸市民ではなく武士が犬を飼っていた

さらに江戸の街中に広大な屋敷(上屋敷・中屋敷・下屋敷)を構えた

大名家の番犬の役目を担っていただろうと思います


そのうちに鷹狩は将軍家や一部有力大名の「趣味」になり、一般の武士は

鷹狩などやらなく(できなく)なります

広大な屋敷の中で番犬として生活しているうちは幸せだった犬も

屋敷の外へ出て行くようになり、あちこちで子犬が増え野良犬化したり

屋敷で生まれた子犬を江戸市中に捨てたりし、その一部が

商家や農家で変われるようになったと考えられます


なぜ【生類憐みの令】が出されたのか?

犬を大事にするために法律(令)を出すわけがありません

綱吉が将軍に就いたころは、江戸市中では刃傷沙汰が絶えなかった

のだろうと思います

江戸草創期のほんの少し前はどんな時代だったか考えればわかります

関ケ原や大阪冬の陣、夏の陣など、武士が刀や槍で 【人を殺すこと】 が

名誉であったのです

そんな気風が幅を利かせていた時代、江戸は殺伐とした街だった気がします

些細なことから刀を抜いて殺し合う・・・それが江戸の町だった

江戸に仕事に来ている職人や人夫なども、些細なことで殴り合いの喧嘩や

殺生が日常茶飯事だったかもしれません

綱吉は言ってみれば 【戦争を知らない世代】 だったから、野蛮な風習を

無くしたかったのかもしれません

日本の治安の良さの原点はもしかすると・・・綱吉の生類憐みの令だったかも

とは言い過ぎでしょうが、人を殺すことが【悪】となったのは、間違いなく

徳川5代将軍 綱吉の時代から後の事だと私は考えています

誤解されてしまった「生類憐みの令」は歴史の常識からすると

当然の事かもしれません


綱吉の後の権力を握った人物が、先代の評判を落として

自分の政策や治世をよく見せるのは常套手段ですから・・・


私はそういう意味からも、田沼意次という政治家を評価しています

後世の人間が「意次」を悪人と評価すればするほど、有能な人物だったと

思えてくるのです

結果を見れば、松平定信の政治能力は田沼の足元にも及びません

私はこの時代は門外漢なので、この辺で止めておきますが(笑)



日本の古代の歴史でもこの法則は当てはまります

酷い事を書き残された治世者(天皇)は名君だった可能性が高く

ほめちぎられている天皇は「愚帝」だったかもしれません


政権が変わって前政権を褒め称えるのは少し異常であり

書きのこすにはそれ相応の「理由」があるはずなのです


先帝より「資質・人格」が劣る者ほど、先帝を貶める「記述」を

残したのかもしれません

Posted on 2017/05/18 Thu. 22:23 [edit]

category: 未分類

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ゴマ豆腐、雨の九頭竜湖  


帰路では高速に乗らずに、一路「九頭竜湖」へ向かう・・・

あいにくの雨だったが、これもまた「旅」の思い出になる


途中、「永平寺ごま豆腐」を買い求めに寄り道・・

ごまをする



混ぜる



混ぜる2



まぜる3



型に流す




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切り分ける



完成


大本山永平寺御用達  操業明治弐拾壱年

【 團助 だんすけ 】 さんの店頭展示より







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雨の「九頭竜湖」、どう見えますか?

大きさをお伝えできないのが残念ですが、雨の影響ではないでしょうが

ちょっぴり神秘的な風情でした




子供が小さい頃は「若狭の海」へ海水浴に行ったり

「小松」「片山津」までゴルフに行ったりと、何度もこの地方には

足を運んでいても、永平寺には「縁」が無く先祖も呆れていた事

だと思います

今回初めて大本山永平寺を訪れて、果たすべき「ひとつ」を成した

気持ちでいます

「曹洞宗の信徒」というには憚られる長屋の爺ですが、先祖供養の

足しになればという思いで、今回の永平寺にお参りを無事終了できました


私の座右の銘は、「玉磨かざれば器を成さず 人学ばざれば道を知らず」

でした・・・

この言葉の「もと」が曹洞宗開祖・道元禅師の言葉だったことを

今回再確認いたしました


玉は琢磨によりて器となる。

人は練磨によりて仁となる。

(中略)

必ずみがくべし

すべからく練るべし。




「究極の晴れオトコ」と自負していた長屋の爺でしたが

今年に入って20年ぶりに「雨のゴルフ」に直面し

今回の旅行も「雨」という結果に、「晴れオトコ」返上しようかと・・・

雨は嫌いじゃないけど、大事な一眼レフカメラが濡れるのは嫌!

雨用にカメラ購入など無駄な話で、何とも悩ましい旅の総括でした(笑)




Posted on 2017/05/15 Mon. 22:32 [edit]

category: 旅の記録

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曹洞宗 大本山 永平寺  


舞鶴を後にしたころから、あいにくの雨・・・

予報では小雨のはずが、土砂降りと言う現実に

ケセラセラの状態でドライブ開始(笑)

普段の行いの悪さが如実に表れる結果となったのは

世間で言うところの「因果応報」と反省する長屋の爺でした


土砂降りの雨なら観光客もさぞかし少なかろうと・・・

思っていたのは自分だけだった…

信仰心と、連休の前には、雨など何のチカラも無い事を知る


幸いにも永平寺の隣の土産物店の駐車場が空いていて

土砂降りでも濡れずに済んだのも、仏神の御加護か・・・

「そんなわけあるかい」

と突っ込まれて、意気消沈する長屋の爺でしたw


* 土砂降りのため、濡らすのが嫌でカメラを持たずに

参拝しました 今回の画像はスマホの画像です






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 【仏殿】 ご本尊 釈迦牟尼仏が祀られている






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 【法堂(はっとう)】 説法や各種法要が行われる






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永平寺は山の斜面に建てられているため、雨に煙る景観も趣がある






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 【承陽門 (じょうようもん)】 







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 【報恩塔(納経塔)】  写経を納める塔








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 【傘松閣 (さんしょうかく)】 絵天井の大広間



著名な画家144名により描かれた230枚の花鳥の色彩画

見上げていると首が痛くなりました(笑)






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かつてこの日本でも宗教僧(僧兵)が刀や薙刀、鉄砲を手に争いを起こした

過去もある

釈迦もキリストも「人を殺せ」と言い残した訳が無い

後世の人間が捻じ曲げた「人殺し宗教」はもはや宗教とは呼ばないと

私は思っています




Posted on 2017/05/12 Fri. 22:05 [edit]

category: 旅の記録

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舞鶴港  


半袖でも汗が出るような好天に恵まれた今回の旅

永平寺にお参りして、混雑や渋滞、天気模様を考えて

舞鶴に行こうか? くらいの計画だったが・・・

天気は5日は晴天、6日は雨という予報だったので

舞鶴の雨は御免蒙りたいということで、舞鶴~永平寺の

行程に変更、雨の永平寺なら観光客も少ないのではないか

そんな淡い期待を抱きながらの旅になった(笑)




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151 護衛艦 【あさぎり】



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177 イージス護衛艦 【あたご】


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181 護衛艦 【ひゅうが】


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130 護衛艦 【まつゆき】
232 護衛艦 【せんだい】


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175 イージス護衛艦 【みょうこう】



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118 護衛艦 【ふゆづき】
   ( 隣に見えるのが 175 みょうこう )



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425 補給艦 【ましゅう】






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828 ミサイル艇 【うみたか】



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824 ミサイル艇 【はやぶさ】


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今回は北朝鮮問題できな臭い状況での舞鶴訪問だったが

どう考えるかは個人の問題ではあるが、このような多くの自衛艦が

停泊しているという事に、「天気晴朗なれど波高し」を実感した

有事であれば一隻たりとも拝むことはできなかっただろうし

考えようによっては、「何事も無くて良かった」と思うべきなのだろう


自衛隊を認めようと認めまいと・・・・自衛隊を否定する者も、容認する者も

区別なく国民を守ることを自衛官たちは義務付けられているのである

Posted on 2017/05/10 Wed. 19:44 [edit]

category: 旅の記録

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