ゴマ豆腐、雨の九頭竜湖  


帰路では高速に乗らずに、一路「九頭竜湖」へ向かう・・・

あいにくの雨だったが、これもまた「旅」の思い出になる


途中、「永平寺ごま豆腐」を買い求めに寄り道・・

ごまをする



混ぜる



混ぜる2



まぜる3



型に流す




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切り分ける



完成


大本山永平寺御用達  操業明治弐拾壱年

【 團助 だんすけ 】 さんの店頭展示より







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雨の「九頭竜湖」、どう見えますか?

大きさをお伝えできないのが残念ですが、雨の影響ではないでしょうが

ちょっぴり神秘的な風情でした




子供が小さい頃は「若狭の海」へ海水浴に行ったり

「小松」「片山津」までゴルフに行ったりと、何度もこの地方には

足を運んでいても、永平寺には「縁」が無く先祖も呆れていた事

だと思います

今回初めて大本山永平寺を訪れて、果たすべき「ひとつ」を成した

気持ちでいます

「曹洞宗の信徒」というには憚られる長屋の爺ですが、先祖供養の

足しになればという思いで、今回の永平寺にお参りを無事終了できました


私の座右の銘は、「玉磨かざれば器を成さず 人学ばざれば道を知らず」

でした・・・

この言葉の「もと」が曹洞宗開祖・道元禅師の言葉だったことを

今回再確認いたしました


玉は琢磨によりて器となる。

人は練磨によりて仁となる。

(中略)

必ずみがくべし

すべからく練るべし。




「究極の晴れオトコ」と自負していた長屋の爺でしたが

今年に入って20年ぶりに「雨のゴルフ」に直面し

今回の旅行も「雨」という結果に、「晴れオトコ」返上しようかと・・・

雨は嫌いじゃないけど、大事な一眼レフカメラが濡れるのは嫌!

雨用にカメラ購入など無駄な話で、何とも悩ましい旅の総括でした(笑)




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Posted on 2017/05/15 Mon. 22:32 [edit]

category: 旅の記録

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曹洞宗 大本山 永平寺  


舞鶴を後にしたころから、あいにくの雨・・・

予報では小雨のはずが、土砂降りと言う現実に

ケセラセラの状態でドライブ開始(笑)

普段の行いの悪さが如実に表れる結果となったのは

世間で言うところの「因果応報」と反省する長屋の爺でした


土砂降りの雨なら観光客もさぞかし少なかろうと・・・

思っていたのは自分だけだった…

信仰心と、連休の前には、雨など何のチカラも無い事を知る


幸いにも永平寺の隣の土産物店の駐車場が空いていて

土砂降りでも濡れずに済んだのも、仏神の御加護か・・・

「そんなわけあるかい」

と突っ込まれて、意気消沈する長屋の爺でしたw


* 土砂降りのため、濡らすのが嫌でカメラを持たずに

参拝しました 今回の画像はスマホの画像です






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 【仏殿】 ご本尊 釈迦牟尼仏が祀られている






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 【法堂(はっとう)】 説法や各種法要が行われる






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永平寺は山の斜面に建てられているため、雨に煙る景観も趣がある






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 【承陽門 (じょうようもん)】 







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 【報恩塔(納経塔)】  写経を納める塔








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 【傘松閣 (さんしょうかく)】 絵天井の大広間



著名な画家144名により描かれた230枚の花鳥の色彩画

見上げていると首が痛くなりました(笑)






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かつてこの日本でも宗教僧(僧兵)が刀や薙刀、鉄砲を手に争いを起こした

過去もある

釈迦もキリストも「人を殺せ」と言い残した訳が無い

後世の人間が捻じ曲げた「人殺し宗教」はもはや宗教とは呼ばないと

私は思っています




Posted on 2017/05/12 Fri. 22:05 [edit]

category: 旅の記録

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舞鶴港  


半袖でも汗が出るような好天に恵まれた今回の旅

永平寺にお参りして、混雑や渋滞、天気模様を考えて

舞鶴に行こうか? くらいの計画だったが・・・

天気は5日は晴天、6日は雨という予報だったので

舞鶴の雨は御免蒙りたいということで、舞鶴~永平寺の

行程に変更、雨の永平寺なら観光客も少ないのではないか

そんな淡い期待を抱きながらの旅になった(笑)




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151 護衛艦 【あさぎり】



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177 イージス護衛艦 【あたご】


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181 護衛艦 【ひゅうが】


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130 護衛艦 【まつゆき】
232 護衛艦 【せんだい】


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175 イージス護衛艦 【みょうこう】



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118 護衛艦 【ふゆづき】
   ( 隣に見えるのが 175 みょうこう )



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425 補給艦 【ましゅう】






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828 ミサイル艇 【うみたか】



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824 ミサイル艇 【はやぶさ】


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今回は北朝鮮問題できな臭い状況での舞鶴訪問だったが

どう考えるかは個人の問題ではあるが、このような多くの自衛艦が

停泊しているという事に、「天気晴朗なれど波高し」を実感した

有事であれば一隻たりとも拝むことはできなかっただろうし

考えようによっては、「何事も無くて良かった」と思うべきなのだろう


自衛隊を認めようと認めまいと・・・・自衛隊を否定する者も、容認する者も

区別なく国民を守ることを自衛官たちは義務付けられているのである

Posted on 2017/05/10 Wed. 19:44 [edit]

category: 旅の記録

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舞鶴城  



初めて訪れた舞鶴は観光客は多かったが、穏やかで

魚と酒の肴がとても美味しい街でした


人生で初めて口にした酒の肴


フグの白子


【ふぐの白子】




食べ過ぎると「痛風」になりますよ、と言われたが

お代わりをして食べてしまいました

「お造り」や「焼きもの」、「「煮つけ」「揚げ物」など多彩で

はずれの無い魚介類が歓待してくれました

夏になると「岩ガキ」が食べられるそうな…

この店で出される「トリ貝」は肉厚で手のひらサイズとか・・・

また行きたい店で、もっと近くにあれば通いたいと思いました


マグロ以外は地元の港で上がったものばかりで

何を食べても新鮮な魚ばかり、店主のこだわりが感じられ

思いっきり食べて呑んで・・・一万円弱とはgoodな価格

いや~~~堪能しました

(店名や場所は、内緒で教えますので・・・どうぞ)



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【 田辺城(たなべじょう) 】

別名 舞鶴城(ぶかくじょう)


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【 黒鉄門 】



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この城は細川藤孝(細川幽斎)によって築城されたという

幽斎の子・忠興の妻が明智光秀の娘・玉(ガラシャ)

細川氏は三河・細川(愛知県岡崎市細川町)の出身とされる


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Posted on 2017/05/09 Tue. 23:32 [edit]

category: 旅の記録

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岸壁の母と舞鶴引揚記念館   


この世で一番貴いのは間違いなく 母 という存在でしょうね

我々男が逆立ちしても勝負にはなりません

自分の子どもだなどと思ったり考えていても、男には「実感」と「痛み」が

伴わない「幻想に近い感情」で子供という存在を意識している気がします


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昭和29年に発表された「岸壁の母」は史実をもとに

創作されたという

私たち年代なら歌詞を観なくても口ずさめる名曲ですね

その歌碑と並んで建てられているのが、この歌碑です


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シベリア抑留者であった故吉田正氏が作曲した曲に

同じく抑留者だった「増田幸治氏」が歌詞をつけた曲で

原曲題名は「昨日も今日も」・・・・・


* 引揚記念館の中は写真を撮ることができず写真はありませんが

靖國の遊就館とは違った貴重な展示がありました近くへ行ったなら

訪ねてみてください


幸いにも私の父はシベリアに抑留されずに21年に復員した

戦後まもなくゲリラの機銃掃射に遭い、自分の足で歩くことができず、

部下に背負われて「骨と皮の状態」での復員だったという

父は戦死した部下への思いから、生涯を閉じるまで【軍事恩給】は

一度も受け取っていなかった

シナの最前線の過酷さは一人の人間を無口にし、多くの仲間と

沢山の若き部下たちの命を奪ったのである

私は父の戦後をこの目で観て、南京大虐殺など絵空事だと確信している

そんな非情なことができるならもっと日本は戦えたはずであり

日本人の優しさ、お人好しが多くの命を失う原因だったとも

感じています

農村の子供がいる村で食料の調達(物々交換)をしていて

村民に紛れたゲリラに背後から撃たれ、それでも子供に銃を

向けなかったために、命を落とした兵隊も居たそうです・・・

南京大虐殺ができるくらいなら、多くの父親が生きて故郷に

戻ることができたはずである

南方戦線での敵艦特攻が表の英霊とするなら、満州の地で敵と

思っていなかったソ連に裏切られ、極寒のシベリアで命を落とした

多くの御霊は気づかれない陰の英霊たちだと思っています


たしかに戦争などと言う愚かなことは、しないに越したことは無いが

争いを放棄した日本人がどういう結末を迎えたのか・・・


殺すくらいなら殺されたほうがまし・・・・という若者に問いたい

本当に争わないで平和な生活が来ると思いますか?

無抵抗な人間がどんな目に遭ったか知っていますか?

争そわないと決めるのは自分ですが、相手が同じ気持ちだという

保証はありません


北朝鮮の金正雲に日本人は戦いませんと言って、拉致された日本人を返し

攻撃を止めてくれますか?


日本国憲法9条とは、日本人が勝手に「平和国家」の宣言をしているだけで

戦争回避に何の効果も力も無い事を、日本人は気づくべきです


9条があるから平和だったという人は、家の玄関に【詐欺お断り】とか

【強盗お断り】、【我が家は争い事はいたしません】と書いてはどうか?

それで詐欺の電話がかかってこないなら、自宅に強盗が入ってこないなら

近所の異常者が刃物を手に襲ってこないなら・・・私もそうしますけどね





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Posted on 2017/05/08 Mon. 11:14 [edit]

category: 旅の記録

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