妄想ですが  


日本人は古来から別れの時に【さようなら】と口にする

この由来の通説は、「左様なれば」の変とされる

私もこの通説にさしたる疑問も感じず、今に至っている


しかし・・冷静に考えてみればみるほど、後からこじつけた

理屈に感じてきてしまった(笑)


左様は然様とも書き、意味としては【そのよう】として使われている

「そのよう」とはそういう状態(様子)の事だろうと思う

であるならば、さようーなら とは・・・・

平城(奈良)のようだ・・・という意味だったのではないか?


平城京から新都・平安京に遷るとき、寺院や主だった建造物が消えて

住み暮らした地を去る人々が、寂びれた都を振り返り、「然様・奈良」と

口にしたと私は思っています


あくまでも根拠のない爺の妄想ですが・・・

奈良の都を後にする人々の心情からできた言葉だったのではないか


* 他所でこのような事を口にすると常識を疑われますので気を付けて

下さい(笑)


通説・定説と呼ばれる「既定の説」を大上段に振りかざし

「そんなことは特に決まっていたわけでは無い」

「本来そういう物なのである」

「何百年にもわたって知られた常識である」

観てきたような**を言う有識者が非常に多いのも事実でして

歴史に限らず、その世界の権威とか著名な学者の言う説に

異論を唱えることはタブーとされている


物差しを何処に置くかで判断も想像も変化するのであって

不都合には耳目を開かないのがその道の専門家だと

私はひそかに思っております(笑)



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Posted on 2018/01/21 Sun. 19:49 [edit]

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冬休み突入しました  



本日より半月の冬休みに入りました

大掃除疲れの長屋の爺です

たまには漢字の薀蓄でも・・・


ヒト のことをどうして【人間(にんげん)】というのだろう?

ヒト と 人間 はどう違うのか?

酔うと、どうでも良い事が気になりだす・・・・


【間】 カン ケン あいだ ま すきま しずか

旧字体は 閒  と書く

門の中に 肉月 が入る

祖先を祀る 祖廟の門 に肉を供えて祈る儀礼と思われる

金文では門の中に 外 という文字が入っていたとされ

内外を隔てるという意味がある


人は結びつきが強く 群れたり集団で行動することが多いが

人間となると、他者との間に垣根を造り、人を遠ざけたり

違いを明確にしたがるのかもしれない・・・・


【酌】  しゃく

勺 シャク は柄杓(ひしゃく)の形であり

酉 ユウ は酒樽の形である

酒樽から杓(しゃく)で酒を「くむ」ことを 酌 という

酒を盛(い)れて 觴(さかづき)を行(めぐ)らすなり

盃を交わして酒盛りをすることである

酒を酌むときに分量を量りながら行うことから、先方の事情を考え

とりはかることを 斟酌 といい

事情をよく考えて処置することを 酌量 という



思い・気持ちを表すしぐさに 胸に手を置いたり指さすことがある

しかし思考や考えは頭の中(脳)の役割である

なのに、想い・思い・意思などをアピールする際にどうして

胸に手を持ってくるのだろう?

それは、はるか昔の思想が関係しているようだ・・・


【心】 シン こころ

心臓の形を表す文字

心臓は生命の根源であると同時に、思考する場所と考えられていた

そんなことから、強い意思や思いを表現するときに、無意識に胸に手を持ってくる

そういう意識がDNAに刻まれたと思われる

ちなみに 国語の「こころ」の意味は、「凝り固まるところ」である 


【朕】 チン ヨウ われ

旧字体は 眹(チン)

殷の時代の王子の身分称号だったという

その後、秦王朝の初代皇帝・始皇帝が天子の自称として

使ったのが初めとされる

しかし朕の読みは ヨウ であり、チンという文字との誤用から

ヨウ ではなく チン と読まれることになった

朕で無くなったなら・・用がない ヨウ無し ということか?

どこの朕の話かはご想像に任せますがw


Posted on 2017/12/25 Mon. 23:16 [edit]

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日本語は難しい  


暑さ寒さも彼岸まで

いよいよ寒い季節が到来です

秋という季節は自分のまわりだけを見れば「刹那(せつな)」にも似て

あっという間に通り過ぎてゆきます


太陽の下で輝いていた物がどんどん色あせてゆきます

だから「秋」という季節は感傷的になるのかもしれません




源頼朝 を読めない日本人は居ないことでしょう

ですが、外国人にこの文字を読めというのは酷な話で・・・

この文字は みなもと の よりとも と学校では習います

ではこの文字はというと 紀貫之 き の つらゆき

と読むことは知られています

さて、源 は みなもと と読むのですが「みなもとの」とは読みません

紀 は き と読みますが きの とは読まないのですが

不思議に思った人は少ないかもしれません

学校で習ったから、みんながそう呼んでいるから、テレビでそう読んでいたから

つまりは、そういうことではないでしょうか・・・

* 頼朝の「朝」を辞書で引くと、【チョウ あさ あした】 と出てきます

朝を「とも」と読むのは名前だけで、一般的には使われません

いつ、だれが、どうして「とも」と読むことに決めたのか不明です

外国人には理解不能な日本式ルールと言えますね


日本人が「自虐史観」を抵抗なく受け入れている要因が此処に在ります


詳しく知ろうとしないで、抵抗なく受け入れてしまう体質

どうして「**なのか」を教えない大人たち・・・・

これは日本と言う国が始まり続いてきた「素地」のようなものかもしれません


なぜ? どうして? という意識が希薄な国民・民族という気もします

どうして**が尊いのかを教えずに、ただ「敬え」という体質によって

日本人という特殊な人種を作ってきたのかもしれませんね



氏姓と名前の間に「の」が入るのは規則があります

この「の」が付くのは名字にではなく「氏姓」に付き、しかも天皇から下賜された「氏姓」

が殆どです

源、平、藤原、橘、菅原、清原、在原、高階(高)など・・


例外としては古代豪族の氏姓にも「の」が入ります

蘇我 物部 大伴 阿倍 東漢 秦 吉備 出雲 など・・・

どうしてなのかは不詳ですが・・・ (無知ですみません)


現代人には「姓」と「名字」の区別がつかないですが

明治になるまでは日本人の一部階級には「氏姓」とは別に「名字」が存在

していたのです

徳川家康も正式には 源 朝臣 徳川 次郎三郎 家康 といいます

源が「氏(うじ)」、朝臣(あそん)が「かばね」階級でも良いです

徳川が「名字」、次郎三郎が「字名(あざな)」通称名です

家康が「本名」ということになりますから

みなもとの あそん とくがわ じろうさぶろう いえやす と読みます


蘇我入鹿 は 「そがのいるか」と読みます

大伴家持 は 「おおとものやかもち」と読みます


しかし、明治になって西洋式に戸籍に登録するようになってから

氏・姓は名字という形で統一されてしまいました


漢字で考える常識に染まった現代人

あくまでも古来からあった「音」に外来の「漢字」をあてはめたことを

常に意識すると、意外なことが見えて来たりします


良 という文字も、嘗ては「那羅」「乃羅」「平城」などと記述されたことから

音として「なら」という地名は古代から定着していたと考えられます

古い地名・字名などは古代の遺跡・遺産かもしれませんが

ドンドン現代風の名称に変わってきています

自ら伝統や歴史を壊している愚かな日本人たち・・・・

自分達の周りの呼び名一つにも歴史は存在することに気づいてほしい

と長屋の爺は思っています

ひらがなで考えると今までとは違った歴史が見えてくるかもしれませんね。



神霊の国 日本 禁断の日本史

   井沢 元彦著  (ワニ文庫)

日本人は、ご飯を食べるときに「農家の方に感謝しなさい」

とはいうが、肉を食べるときに「殺してくれた人に感謝しなさい」

とはまずいわない。 (p11)


私のこの文章を読んで、「冗談じゃない、コトダマなんかにまどわされるかい」

と思った、あなた、たとえば明日海外へ出かけようとしている自分の両親や

会社の社長に、「明日の飛行機、きっと落ちますよ」

こういうジョークがいえますか? いえないだろう。

もちろん飛行機の航行に責任があるのは、航空会社であって、あなたではない。

しかし、仮に、ほんとうにジョークが実現して飛行機が落ちたとしたら、どうか。

あなたは「申しわけないことをいった」とあやまることになるだろう。

本来はあやまる必要はないし、非難されるいわれもない。航空機運航と

まったく関係の無い人間が、どんな言葉を口にしようと、その言葉の影響で

何かが起こるということは、論理的にみてありえないからだ。 (p35)


その論理的には必要のない謝罪をどうしてしなければならないかといえば、

そういった自分にも周囲の人間にも、「不吉なことを口にするな。そういうことを

いうとほんとうに不吉なことが起こる」といった考え方があるからだ。 (p36)

Posted on 2017/09/24 Sun. 19:13 [edit]

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夏真っ盛り  


ただでさえ暑いのに、暑苦しい話題が多いのには辟易するが

気分を変えて我が道を行くことにした


もうすぐ高校野球が始まる

私は故郷を幾つも持っているため(謎)

何処の高校を応援したらよいか、毎年のように悩む

心情的には 北北海道代表 市立滝川西高校 を応援したい

私が住んでいたころは 滝川商業高校 だった

勝手ながら、準地元ということで健闘を祈りたい(笑)



【夏】  カ ゲ  なつ

舞楽用の冠をつけ、両袖を振り、足を前にあげて舞う人の姿

夏といえば「夏祭り」、夏祭りと言えば「踊り」

夏は太古の昔から 舞い踊る ことが日常だったのか?

夏と聞けば浴衣に袖を通し、団扇を片手にひと踊り・・・・

盆踊りにも理由(わけ)があったのかと納得する長屋の爺です


【充】  ジュウ  あてる みちる

肥満した人の形

肥えている人は体力・気力が充溢(じゅういつ)しているとされ

満ち足りることの意味に用いる

枯れ木のような細い体に 生命力が感じられないのは、そういう理由だろう

今にも折れそうな華奢(きゃしゃ)な体を見て、内側からのエネルギーを

感じないのも頷ける、昔の美人とは肉付きの良い「肥えた女性」だとされる

遺跡の壁画の美人画も・・・そういえば、ふくよか だった気がします



【騒】 ソウ  さわぐ

もとの文字は 【騷】 音は 蚤 (そう) ノミのことである

ノミに噛まれて馬が騒ぐので 騷 という

ちなみに、ノミに噛まれて、手でかくことを 【掻】 と書き、「掻く」と使う

しかし、常用漢字では 蚤 ではないので騒ぐの意味はないとされる

ノミ程度の人間に噛まれただけとは言いながら、騒ぐのは仕方がない?



【禅】 ゼン  ゆずる

もとの文字は   セン・ゼン ゆずる

音は  タン・ゼン ひとえ

「天を祭るなり」といわれ

土を盛って  とし 地を割って  とすという

天子が祭壇である 墠 を設けて天地を祭ること(封禅の礼)

天子がその位を自分の子供などに世襲させず、徳のある者に譲る

禅譲(ぜんじょう)のときに行うのが封禅の礼である


ちなみに禅宗の「禅」は、禅那 の略 

静坐黙念 の意味から、禅那と名づけられたと思われる



Posted on 2017/08/02 Wed. 22:50 [edit]

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万葉  


万葉・・・・

この言葉は誰もが知る【万葉集】でご存知だと思うが

私はなぜ「万葉集」だったのか長い間不思議に思っていた

当たり前と思えば「当たり前の事」であるが、どうして?と考えた人は

実際に居るのだろうか,、という疑問を感じる長屋の爺です



【万】 マン、バン よろず

元の文字は 【萬】 虫の形である

おそらくは「蠆(さそり)」の類だという

なぜ 蠆 が万になったのかは不明だが、甲骨文字では数字の

「万」として用いた例があるという

よって、数字の万、よろず、あまたとして使われる


【葉】 ヨウ ショウ は よ

元の文字は 【枼】 ヨウ である

枼 は木に新しい枝が三本伸びている形

その枝の上のものを「葉」といい、「木のは」の意味となり

木の端(は)にあるから「木の葉」ではないかと私は考える



では「万葉」とはどういう意味なのだろう?

ベタな解釈をすれば、「多くの言の葉」を集めたものだろうが

私は別の考え方をしている


万葉集については諸説あり、編者や成立時期なども定まっていない

持統天皇の時代から元明天皇を経て、元正天皇の時代に完成したと

言う説もあり、1~15巻で編まれ、さらに16~20巻が増補されたとされる

私はこの万葉集の姿こそ、日本書紀の姿を物語っているものは無いと

常々考えている

なぜなら、この万葉集も公になったのが平安中期であり、存在が公に

ならなかった日本書紀と似すぎていると感じている


共に持統天皇の時代から元正天皇の時代にかけ編纂されたと言う事実

それまでの「文献」「古文書」が存在しないという不思議・・・

「日本紀」でもなければ「日本記」でもない【日本書紀】

「万葉歌集」でもなく、「やまと歌集」でもない【万葉集】


ヤマトの最上位に位置する「天皇の歌」から、最底辺に生きる

名も無き低い身分の人々の声・・・

ヤマトの上端から下端までの声(歌)を集めたもの・・・

数多(あまた)の階層に生きる人々の歌を集めた歌集である


しかし・・・私は当初の万葉集は万葉と言う言葉とは無縁の歌集

ではなかったかと思っている

天皇を称賛、誇示するための「歌集」として編纂が開始されたが

編者が次々と変わり、権力者である天皇も変わり、編者の意向が

反映され始めて、次第に現在の歌集の姿に書き換えられた

私は暴論であるがそう思っている


だからこそ日の目を見ずに平安中期まで埋もれていたのではないだろうか


* アイヌ語で「ムン」は 草 「ハム」は 葉のことです

ムン(マン) ハム(ハ) とは 草葉のこと、この歌集の裏側に

名も無き人々(草葉)の生の声が刻まれているのかもしれません。


毎日朝早くから鳴く《セミ》ですが・・・

この「蝉(せみ)」という言葉も「音」が先にあったと思っています

セミ と言う呼び名が有って、木にしがみついて鳴く姿から 背・見 

そして・・・蝉 と言う文字になったのだと考えてます

万葉かなで「音」を文字に当てはめるときに、見た目から付けることは

容易に想像できます

逆に難読文字の多くは「音」を無視して、強引に文字を「あてがった」からだと

最近思うようになりました


万葉時代と言うのは学者が唱えているだけの曖昧な区分です

万葉集を基準にそう呼んでいるのでしょうが・・・


なぜか 【万葉】と聞くと心が穏やかになるのは不思議です

日本に現存する古代史料が少ない平安以前の時代の足跡

それゆえ「万葉集」の存在が日本人の心のよりどころになって

いるのかもしれません


謎や疑問が多く残る万葉集ですが、消された民族の足跡であることは

間違いないと長屋の爺は思っております。

Posted on 2017/07/21 Fri. 21:35 [edit]

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