ポンコツ  


仕事中に首と背中を痛めてしまい、ダウン寸前の長屋の爺です

毎年のことながら4月から3ヶ月くらいは多忙ですが、歳を重ねるたびに

身体の不具合が顕著になってきています

仲間内では「ポンコツ」として認知されていますから(笑)


「歳なんだから、そこそこにしとけば」

そういう言葉が大嫌いで、歳が半分の若者と張り合って仕事をし

若者の仕事まで「奪って」体をイジメる、大ばか者でもあります

「できない」 「無理」 という言葉が死ぬほど嫌い・・・・

金にならぬ仕事が三度の飯より好き(笑)


ゴールデンウィークに旅行に出かけたから、痛い・痒いとは言えず

顔で笑って、内心では泣いています

夏に神宮球場に出かけることを励みに、歯を食いしばって働こうと・・・



【意】 い 

 と  が合わさった文字

音によってその心を、「おしはかる」ことから、元の意味は【おしはかる】

ここで言う「音」とは、神の「音ない(音を立てること)」

「おしはかる」とは、神の意思をおしはかることです


私は「おとない」と聞くと、【訪い】という言葉を連想します

【訪】 ほう

訪とは、各地の神様に謀(はか)ることを言います

神に謀り「神意」を問うという意味です

そこから各地を「たずねる・おとずれる」の意味となり

神の真意を聞きに訪れること、音なう=訪うになったと思われます


私たちの周りの「漢字」は神さまに由来するものが多くあります

それは神さまが非常に大事なものだったから、必要だったからだと

私は考えています


神さまに向き合う「形」「意識」を広い範囲の人々に伝えるために

文字が創られたのだと思っています


*ただし、この神とは「ヒトの形」をした「現代の神」ではなく

全ての事物に存在する神、アニミズムの神を指します

後に【八百万の神(やおよろずのかみ)】と称した神でしょうか


八百万の神に対する信仰が、現代の日本人の「精神性」に

大きく関わっているのではないかと私は感じています。



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Posted on 2017/05/20 Sat. 22:55 [edit]

category: 文字・漢字

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鶏が先か卵が先か  


 カミ という文字を見れば誰でも「神さま」を連想する

しかし日本では「神」という文字が伝わる前から「カミ」は居たのである

「カミ」という読み方も日本式であり、日本に入って来た時は「シン・ジン」

というのが正式な音なのである

なぜ「シン(神)」という文字が【カミ】という読み方になったのか?

おそらくは先住民の「カミ」のことを、【カムイ】と呼んでいたことによる

ものだろうと私は考えている

カムイ (kaーmuーi)という音はu-iと子音が連続するので(u)を省略して

KAMIになったのが定着し、その後大陸から意味の同じ「シン(神)」という

文字が伝わりその読みに「カミ」を当てたのだと思っている
 



元の文字は【申シン】

申という一文字で「カミ」を表す

自然の事物や自然のチカラを「カミ」として崇拝したことに由来する

その後、申すなどの意味にも用いられるようになったので、祭卓(さいたく)

を表す【示】を加えて【神】のことになったという


基本的にわが国には音が先に存在していた

その後大陸から「文字(漢字)」が伝わり、本来あった言葉に近い意味の

漢字をあてはめて使用するようになったのだろうと思う

日本に「難読文字」が多く存在するのは、このことが原因だろうと私は

考えている

「かな」で考える習慣にすると、別の世界が見えてくるかもしれない


人は日常的に「間違い」を犯す

その間違いを「間違い」として正さないことが奇妙な結果を招くことがある

新しい だれでも「あたらしい」と読むこの漢字・・・

じつは【あらたしい】と読むのが正しい読み方なのであるが、この言葉を

間違って「あたらしい」と読んだモノが定着し、正(ただ)さなかった故に

いつの間にか「あたらしい」と読むのが正しくなってしまった

例えば、「新(あら)たに購入」は、あ・ら・た・にと読むことでもわかります

あたらしい が正しければ、「あたらに購入」と読まなければ整合性が無い事になる

日本人はいつの時代も、「まあいいか」というグレーな処理をしてきたという見本かも

しれません

間違いは「間違い」であり、それ以上でもそれ以下でもありません

生活保護法に「日本国民に対し・・・」という条文があって、在日外国人に

支給するという間違いを犯しても、それを正さずに「まあいいじゃないか・・」

とうやむやにするところなど、日本人らしいという事かもしれません・・・


今では認知され正しい言葉とされているものに【一生懸命】という言葉がある

そもそもこの言葉は間違いから生まれて、自立してしまった言葉である


本来は【一所懸命(いっしょ・けんめい)】であり

親から受け継いだ「所領(しょりょう)」を命がけで守ると言う意味の言葉だった


ところが「所(しょ)」を「生(しょう)」と間違えて書くようになり、読みも

しょ→しょう に変わり、別の言葉として認知されてしまった代表例でもある


よく「本当はどちらが正しいのですか?」などという質問に対し

どちらも正しい言葉であり、正否を云々することはできない・・・

そんな答えを観ることができますが、私にすればビートたけしの

「赤信号 みんなで渡れば 恐くない」そのものの気がしています

みんなが当たり前のように使用しているから、もう間違いとは言えない

そんな馬鹿な話が日本では当然のようにゴロゴロしているのです


言葉は文化であると同時に民族の歴史であり遺産でもあると私は

常に感じています

文化だから変わるのは当たり前という学者先生には失望してしまいますが

日本語が理解できない日本人だらけになる日も、そんなに遠くない気がしています

変わることで開ける未来があり、失うものも多い

変わらないことで足踏みすることもあり、大事なものを見つけることも多い


幼稚園児から小中学生、高校生にいたるまで、英語教育にばかり

重点を置いていると・・・・

数十年後に、外国の日本語科の学生から、日本人に対し

「その日本語は正しくありません」

「あなたの日本語は間違っています」

そんな時代が来るような気がしています(笑)

Posted on 2017/05/03 Wed. 22:25 [edit]

category: 文字・漢字

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