個体差と決めつける情報  


なかなか古代史について記事にできない日が続いています

それにはいくつか理由があって・・・


一番大きな理由は長い時間書籍を読んだり、パソコンに向かう事が

出来なくなったからです

原因は「眼」の具合が良くなくて、それに覆い被さるように目の炎症が

書籍離れ、パソコン離れを助長しているからです


酷い日は帰宅後「眼帯」をつけるほどに思わしくありません

老眼も急激に進み、視力の低下も甚だしいと来ては・・・

読みたくても読めない、観たくても閲覧できない状態です

誤字脱字に神経を使うこともできず、とにかく書き上げて保存

翌日、眼の状態を観て「手直し」「投稿」という有様です

コメントの返信をした直後、「辛くなってシャットダウン」という日もあります


今は仕事に「穴をあける」事ができませんので、仕事・運転が最優先

書きたいことは沢山あるのに、記憶だけでは読まれる方に失礼ですし

拙い独りよがりのブログですが、きちんとした中身のブログにしたいという

長屋の爺の「こだわり」も邪魔をしています

従来のブログ作成とは手法を変えて、何日間かかけて一つの記事を

「書いていこうか」などと考えています



よく「一日に野菜350グラムを摂取する」ことが望ましいとか、必要だとか

そういう話を聞きますが・・・

私はこの説に違和感を感じてきました

何せ「偏屈爺」「変わり者」「根性が曲がっている」のですから、「そうですか」とは

ならないのです

私の友人に野菜嫌いで還暦を過ぎても好んで食べない友人がいます

牛肉・豚肉が嫌いで生まれてから口にしたことが無い友人がいます

彼等は60年以上「大病」を患ったことが有りません


時として専門家の「理想」は「妄想」になることが有ります

好ましい→理想だ→必要不可欠→それに代わるものを摂取

それが【青汁】だったり【サプリメント】だったりするわけです・・・

私は体が欲したなら、それは自分の血肉になるが、嫌々食べても

身にならないという考えで生きてきました

ですから私の勝手な思い込みの類ですから、正しいかどうかの話でも

無いですけど・・・


ちょっと前まで「ヒアルロン酸」「グルコサミン」が膝の痛みに効果がある

という「既成事実化」された情報が氾濫していました

私は試したことが無いので多くは語れませんが、効いたと言う方は

いわゆる【プラシーボ効果】(単なる思い込み)ではないかと言われています

両方とも体内(肝臓)で分解されて、グルコース(糖)として吸収されます

膝関節まで流れて行って「ヒアルロン酸」「グルコサミン」に再生することは無いそうです

しかしながらプラシーボ効果も立派な【効果】だという専門家(医師)もいますから

その人が「効いた」と思えば「効果がある」のであって、他人がどうこう言う

べきではないですけど・・


サプリメントは「気分的効能」のために飲むもので、それ以上を期待するなら

医薬品を選ぶべきかもしれません


どうして万人が同じ基準で計られているのか、私は疑問に感じます

体重も身長も骨格や身体能力、先天的要因が違う人間を同じ物差しで

同じ型に嵌め込もうとする現代社会が不思議でたまりません

私は若い頃、健康診断の度に「血圧測定」の再検診を強要されました

高い方が90台、低い方が70台という「低血圧」だったからです

それでも運動したり、生活することに何ら支障はありませんでした

健康だったかどうかは分かりませんが(笑)

特に何も治療などしなくても、現在は120・90くらいで通常値になっています


人間が知っていることなど「ほんの僅か」でしかないとも言います

人間の体は自分が相応に自己修復していくものであって、人間がその領域に

手を染めることは、神の領域を侵すことかもしれません


私の信条は 人間死んだ時が寿命 病気や事故では死なない

病気で死んだなら 「それが寿命」

事故で死んだら 「それが寿命」

数度の「九死」から生還した長屋の爺にはそう思うことしかできないのです。

スポンサーサイト

Posted on 2017/06/21 Wed. 23:30 [edit]

category: 私の思い

tb: 0   cm: 0

タバコと受動喫煙  

ようやく左目の状態が元通りになり、右目の状態も若干改善されてきた

仕事、生活、運転にも支障の無い処までに・・・


疲れが蓄積されて「抵抗力」が落ちているときは、過信せず油断せずに

早めの「手当」が肝心だと大いに反省した長屋の爺です(笑)


梅雨に入ってから雨が全く降らず、朝晩の「涼しさ・爽やかさ」に複雑な

感想を持っている方も多いかと思いますが、「天変地異」は大きな災害だけでなく

身の回りの生活感にも影響が出るのかもしれません


私は一日3箱を消費する「ヘビースモーカー」でした

ひょんなことから吸わなくなって9年目になります

私は「たばこ喫煙反対」でも「受動喫煙反対」でもありませんし

禁煙を宣言したこともありません

ただ・・・8年以上煙草を吸っていないだけだと思っています


本人が吸って何かしらの「害」があるのなら【自己責任】であり

自分の金で購入した煙草を吸う・吸わないは個人の判断だと

私は思っています


そこで、今話題の受動喫煙・・・・

信じる方も信じない方も同じような迷路に立っている気がしています

受動喫煙が「健康被害」だと信じている方は、何を基準に信じていますか?

おそらくほとんどの方が「明確な返答」「根拠の提示」ができないはずです

新聞に書いてあるから・・・

テレビで話題になっているから・・・・

書籍で学者が書いているから・・・・

その辺りだと私は感じています


このブログの読者は、もうすでにお分かりだと思います

書いてあったから「間違いない」という【思考の迷路】の信者たち

別に批判する気でこの文章を書いているわけではありませんが・・・


世界でおそらく最初に論文として「受動喫煙の害」を発表したのは

日本人の方です

平山 雄 という方だと記憶しています

世に言う 平山論文 から受動喫煙の害毒に注目が集まりました

これは厚生省の委託研究として始められたものなのですが

91,540人の「非喫煙の日本人妻(女性)」を12~13年間追跡し

都合よく纏めた単なる統計です


私の父は私と同じように「ヘビースモーカー」でしたが、母は生まれつき

心臓が弱かったのですが、50年以上父と連れ添ってきて、肺癌にもならず

脳梗塞も起こしていません

(90歳を過ぎての大往生でした)

夫や子供たち(私の兄弟姉妹は全員煙草を吸っていました)が吸っている

環境で暮していても、受動喫煙の害は全くなかったと言っていいくらいです

酒を呑まなくても「肝硬変」になる人だっています

煙草を吸わなくとも「肺癌」になる人だっています

【確率】と言う幽霊に一喜一憂する現代人の特徴かもしれませんが・・


だからと言って影響が全くないなどと言うつもりはありません

私は神でもキリストでもありませんから、何らかの影響を受ける人が

世の中にはいるかもしれませんが、それを証明することも否定することも

誰にもできない問題だと思っています


これを読み進めてきた方の中には・・・・

「批判するくらいならだれでもできる」 そう感じているかもしれません

確かにそうです・・・・・


では、どうして受動喫煙や嫌煙運動が話題になっているのでしょうか?

其処には「吸う人(喫煙者)」と吸わない人(非喫煙者)」の意識の

相違から起こっているように、私は感じています


煙草を吸う人は「私の自由」と言う認識でしょうか

自分の稼いだお金で政府が認めている「商品(たばこ)」を購入し

楽しんで何が悪いと感じているかもしれません(笑)


煙草を吸わない人は、「有害」の根拠とは別な次元で嫌悪している

可能性もあります

私が喫煙習慣がある友人・知人と一日過ごし、家に帰って気が付くことが有ります

衣服に沁み込んだ「たばこの匂い」の凄い事・・・

自分が喫煙者だった頃に気が付かなかった「他者への影響」に初めて気づいたとき

私の煙草に関する考えが、一つ増えた気がしました

受動喫煙の「害」は健康被害ではなく、生活環境被害なのではないか?

これだけ衣服がタバコ臭に汚染されるのなら、体の中も「たばこの害」に

汚染されているのではと、考えても不思議ではありません

そんなモヤモヤした意識の人が、平山論文を提示されれば、「なるほど」と

思い込まされてしまいそうですよね・・・


ではどうすればよいのか ・・・ですが

例えば、「ヘビメタ」の会場に出入りする人は、彼らの出す音を「騒音」とは

感じていませんが、私たち老人はたんなる「騒音」と感じてしまいます

ですから、ヘビメタの演奏会場がそういう場所であることを認識していて、

若者たちは自己責任で出入りしています


うがった見方をすれば、其処が酒場(バー)や居酒屋、赤ちょうちんは酒を呑み、

喫煙する場所と知っていて「禁酒」、「嫌煙」を振りかざす人はナンセンスかもしれない

そういう見方もできるのではないでしょうか

私の知る限り、酒場で「酒の匂い」や「たばこの匂い」より強烈なものが

この世に存在します

若い兄ちゃんのつける「安物の香水」と、叔母様たちが身に纏う「舶来の香水」

の匂いのハーモニーがどんな匂いの交響曲を奏でているか・・・・

どんなに素敵な臭いでも、異種の匂いが混ざり合うと、とんでもない化学変化を

引き起こすことがあるのです

私の友人の寿司屋では強い香水の御夫人はカウンター席には案内しません

ほかの常連さんに「迷惑」だからだそうです・・・・


つまりは・・・不特定多数が「公共」と認識する場所では「禁煙」や「分煙」は仕方がない

話だと感じていますが、喫煙者を締め出すだけでは「片手落ち」でしかありません

「喫煙」を許さない場所があるなら、「喫煙」を自由に謳歌できる場所が有って

初めて「平等」な生活権ではないでしょうか

タバコが自由に吸えるレストランや食堂に、「喫煙者が飲食する店」という大きな

表示をして、「容認できない嫌煙者はご遠慮ください」などと掲示し、自己責任で

どうぞとすればよい気がします

店が喫煙者を受け入れるかどうかの判断をすればよいだけの事で

その店が「喫煙可」であることを「目くじら」立てて問題化する話でもない


禁煙の飲食店が嫌なら喫煙可の飲食店に行けばよいのですから

嫌煙者も禁煙の場所に出入りすれば何も問題ないはずです



ましてや、根拠の希薄な受動喫煙に対し、政府が法規制するなどと言う

間抜けな話には納得できないでいます



統計はあくまでも「統計」にすぎません

頭ではわかっているつもりでも、報道などで「誘導」される日本人が多いですから



電話でのアンケートや意識調査・・・

その時間帯に在宅する人はどんな人が多いですか、「偏って」いませんか?

出口調査は本当にその地域の平均・確率だと思いますか?

誰に聞いたか、どんな場所で聞いたか、どの時間帯で聞いたか

それによって出てくる数字は別物になりますが、タイトルはきまって

「調査結果」「アンケートの結果」となっています


統計や率というのは、条件によって大きく違ってくることをもう一度

肝に銘じたいと私は思っています


統計はあくまでも統計の範疇を出ないことであり

率はあくまでも数字の上でのデータでしかないことを、日本人は自分の頭で

考え咀嚼(そしゃく)する習慣に戻したいものですね・・・。





Posted on 2017/06/19 Mon. 13:28 [edit]

category: 私の思い

tb: 0   cm: 1

  


先日、仕事中に両目に砂・泥・コンクリート塵が目に入り

処置をせず仕事を続行したために、目が炎症を・・・

運転はもちろん、家事にも影響がでています

昨日はパソコンにも触れず(というか目が開けていられず)早々に就寝

とにかく点眼剤で経過を観るしかなく、目を休めることが回復の基本だとか

素直にしばらくは早寝の習慣にしようと思います


コメントの返信など滞っておりますが、何卒ご理解ください・・

* 誤字脱字が有りましたら後日訂正いたします (長屋の爺)

Posted on 2017/06/16 Fri. 22:08 [edit]

category: 私の思い

tb: 0   cm: 0

何と言われても  


私は車を運転しているとき・・・と言うより車の運転席に座った瞬間から

携帯電話には手を触れないことが永年の習慣になっている

結果として「電話をかけても出ないし、返信も無い」と苦言を頂戴する

自分や他人の命がかかる運転より、優先されるものなどこの世には存在しない


当然ながら、詐欺や勧誘対策として知らない電話番号への返信は一切しない


どんなに親しい友人でも、携帯で会話やメール操作をすると

怒りが爆発する

「自分は大丈夫」とか、「ちょっとだけだから」という返答で反省の兆しが

見えない友人の車には同乗しないことにしている

「運転中に携帯操作する人間の車には乗りたくない」

と、はっきり宣言することにしている

誰でも、自分の運転には「多少の自信」があるものだが

他人の命にかかわる重大な事を「平気」で行える人間は

信用できないし、そんな人間と運命を共にする意味がわからん


私は運転中、助手席の人間の話など、ほとんど真剣に聞いていない

若い頃に経験したラリーの【ナビゲーターの言葉】以外、運転操作には

不必要という考えで生きて来た

だから集中力の妨げになるので、運転中はラジオは聞かない事にしている

BGMとしてウオークマンの音楽をボリュームを落して流しているだけ・・・


さらに速度を出さないことが安全運転だとは思っていない長屋の爺は

速度が遅い事によって周りの車がストレスを感じ、通常ではない運転操作を

することが重大事故につながるという考えを持っている

遅い車を抜き去るために、黄色い線を越えて対向車線にはみ出し

事故を起こしたとするなら、流れに乗って走行したほうが周りに配慮する

事につながると思えるのである

だからと言って猛スピードで走行すると言うわけでは、もちろん無い・・・・


ウィンカー(方向指示器)を出さないのは岡山県が日本一だとか・・・

ウィンカーを出さない・出せない理由は、携帯・飲食・怠慢である

私は通行人の顔など観ていないが、対向車線の車の運転手の視線

だけは見るようにしている

スマホを観ている人間の視線は「横」若しくは「下」を向いている

「やばいな」と感じたら、回避行動の準備をする

「アクセルを踏んで離脱するか」

「ハンドル操作で回避するか」

ハンドルを握ったら、そこはすでに【戦場】であると思っている

私にとって毎日が真剣勝負なのです(笑)


とにかく最近のドライバーは【優先順位】を知らなすぎる気がします

その結果「サンキュー事故」が多発してしまう結果に・・・

つまりは、自分が優先なのに「相手に譲る」行為を平気でしてしまう

「私ってなんて寛容なのかしら・・・」 と思っているのか?

「あなたが動かなきゃ 私が曲がれない・・・」 という事なのか

譲られた相手は自分が優先ではないことを承知だが、せっかくの好意

を素直に受けて出てしまう・・・気が引けるため急ぐことになり、注意が散漫になって

事故を起こすことに・・・当然決まりを守っていないのだから、過失は重くなる

「車の走行で善い人を演じることがとても罪深いこと」を知ってほしい・・・・

毎日のように「あぶない!」と、叫んでいる長屋の爺ですから(笑)




私は前と後ろに「ドライブレコーダー」を取り付けています

前部は「出会い頭の事故記録」「信号状況の証拠」「衝突事故の状況」として

後部は「追突事故の状況」や「煽り行動の証拠」として

私が死んでも「データ」は残るように・・・・

「死人に口なし」で嘘は通させたくないから、友人たちが「真実」を

公表してくれると信じています(笑)


自分が法規を守っていても、事故は回避できません

「靖國のお守り」や「永平寺のお守り」があっても、馬鹿がぶつかってくる時代

お守りや憲法9条は「自分の命」は守ってくれないのが現実です

自分が【決まり】を守っているから安心ではないのですから

毎日が非常事態と言っても良いかもしれません


ただ・・・ある程度の「上手なドライバー」が居るおかげで、交通事故が少ないと

いう見方もできます

自分の車の車幅も長さも分からず、サイドミラーを見る習慣も無く、歩行者用の

信号を観る余裕もなく、優先順位も知らず、運転しながら助手席のバッグの中に

手を入れるドライバーが事故を起こさないのは、周りのドライバーのおかげ(影響)

だと言う事を知っていただきたいと思います

サイドミラーを観ることは後方の「危険を察知」することに繋がります

歩行者用の信号が点滅から赤になったなら、先の信号は赤になっている可能性が有り

停車する「心と体」の準備をしなければなりません

走る凶器を操作している自覚が有れば、他の事をすることなどできないのが道理

ましてや視線を外して助手席のバッグに手を入れる行為など「基地外沙汰」です



何事もないのが通常と思っているか・・・

何事も無かった事が奇跡と思うか・・・

人それぞれだとは思いますが

前者であれば・・・いつかは【交通事故加害者】になるかもしれないことは

頭の隅に留めておいたほうが良いかもしれません。

Posted on 2017/06/13 Tue. 21:22 [edit]

category: 私の思い

tb: 0   cm: 2

表と裏  


未だに連勤が続いております

命を削って勤しんでいる長屋の爺です


最近は帰宅後、家事を片付けてから「仮眠」をとります

エネルギー切れによる【充電】です

夜に起きて食事をし、パソコンをつけるのが9時~10時

そのころには酒も入り頭は就寝の準備に入りますので

長い記事を書くことに躊躇い(ためらい)が生じます・・・


はい、これは「いいわけ」ですけど(笑)


最近感じることが幾つかあり、センターラインを跨いで

蛇行運転をする車を頻繁に観ることが多く、明日は我が身

(被害者になる)の覚悟で、運転に集中しています


あとは、商業施設の駐車場で「入口」と書いてあるのに出て行く

命知らず(馬鹿)や「出口」から入ろうとして、出て行く対向車とぶつかる

豪傑(馬鹿)も観ました・・・

何も考えていないのか?

口は食べ物を「入れる」場所であり、食べ物を「吐く」場所ではありません

その「理屈」が理解できないのでしょうか?

とにかく「自分優先」であったり、「損得が基準」の人間ばかりが目につきます

車いすのマークが書かれた駐車スペースに、健康優良な「おばさま」が

当然の顔をして駐車しています

きっと・・・「頭が身障者」なのかもしれません

思考がどう考えても「自分本位」で、他人さまに迷惑がかかるとか

決まり事を守る意識が欠落しています

おそらく、その原因の多くは「くだらんテレビ番組」の影響だと

私は思っていますが、どうでしょう?


テレビの中の「クズ芸人たち」が、何をしても、何を言っても

製作者も視聴者も「嬉々として当然の如く受け入れている」

そういう現実があります

思考回路をマヒ状態にされて、社会生活にまで影響が出ている

私の思い過ごしかもしれませんが・・・・


対人関係で気に食わないことがあると、その問題点とは違う別問題で

難癖をつけたり、批判したりします

表の理由で批判しない代わりに、別の事柄で相手に「一撃」を

加えることって、意外と多いものです

言葉遣いが気に入らない部下に対して、「言葉に気を付けろ」とは

言い出しにくいと、服装の乱れや、髪形などを注意したり・・・


やたらとタレントや芸人の「言葉」を真似て喋る仲間がいます

私の心の中(裏)は【お前の程度はその程度か?】と言いたいですが

口から出る(表)のは、「なにそれ?」 「今流行りなのか?」の言葉で

済ませています


私の本音はテレビに出ている芸人・タレントは【現代の太鼓持ち】という

認識で、それ以上でもそれ以下でもありません

視聴者が「気分の良くなる」「楽しくなる」話やネタで糧を得る職業であり

そんな太鼓持ちが、政治ネタや報道番組の司会をすることに違和感を

感じています (芸人・加藤とか、J系歌手など・・・)


ブログだから書ける話題や本音って精神的には有意義だと思います

訪問者の眼を意識した時点で、自分も「太鼓持ち」に堕ちる

最近はそう考えるようになりました

訪問者(ブログを読んでくださる方)の気分の良くなる話題・記事だけを

書こうとすると、自分が自分で無くなる気がしています


書きたいことを、書きたいときに、一定の決まりを守って書くことが

私のブログのスタンスだと思うようにしています


逆に言えば、訪問者の多いブログって、こうやって書けばカウント数が

上がるなどと思って書いていない気がします

ブログ主が書きたいことと、訪問者が見たい・読みたい事が合致する

それが上位に位置するブログの正体ではないでしょうか・・・



座禅をしたことがある方はご存知でしょうけど

僧侶が棒で打ちますが、あの棒は【警策】といいます

曹洞宗では「きょうさく」、臨済宗では「けいさく」と呼びます

あれは「罰している」のではなく、「励ましている」といいます

修行者を文殊菩薩の手(警策)で打つ(励ます)ことだそうです

だから、打つことを「与える」といい、打たれる人は「いただく」

という事なんだそうです

曹洞宗は壁に向かって座禅を組むので警策は背後から【一打】

左肩は尊い【袈裟(けさ)】をかけるところなので、打つことはしません


臨済宗は壁を背にして座禅を組みますから、警策は前から【三打】受けます

ただし臨済宗は【右肩】に「三打」、【左肩】にも「三打」うつのが基本だそうです


これで座禅の映像を観る際に、どの禅宗の修業道場の映像なのか

みる眼が違ってきますね(笑)


禅と聞くと【問答(もんどう)】を思い浮かべるのですが、これは臨済宗などの

禅宗に見られることが通常です

曹洞宗は無心で座る 【黙照禅(もくしょうぜん)】 が基本ですが

臨済宗は座禅をしながら【公案(こうあん)】と呼ばれる教育課題を

手がかりとして悟りの境地を目指します

*「公案」とは昔の優れた禅僧の言葉などから悟りについて考える

クイズのようなものだと言います


一休さん でおなじみの「そもさん」「せっぱ」という言葉

実際にはこういう使い方はしないらしいですが、言葉の知識として・・

作麼生(そもさん) 説破(せっぱ)

さあ 答えられるかな?  答えてやるぞ! 

そんな意味の、中国・宋時代から使われている言葉なんだそうですが・・・


禅と一口に言っても、「違い」が判ると興味も深くなります

今日は禅の薀蓄でした(笑)

Posted on 2017/06/05 Mon. 00:09 [edit]

category: 私の思い

tb: 0   cm: 0

プロフィール

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

訪問者

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード


▲Page top