祭祀王の虚像  


困った事に冬休みに入って酒量が増えてしまっている

正月の準備の合間に読書に現を抜かし、惰眠をむさぼり

酒を呑む日々を過ごしている

お気楽な長屋の爺です(笑)


私は最近皇室問題にも興味がなく、相撲にも愛想を尽かし

低俗な芸能ニュースにも辟易し、ニュース自体を観なくなった


しかし、考えてみれば私を含めて人間というのは摩訶不思議な

生き物である

皇室問題で尿漏れ春宮やおさぼり雅子を批判したと思ったら

今度は天皇皇后を味噌屎に蹴無し、皇室批判なのかと思えば

秋篠家に夢を託していたり・・・

背乗りだの出自がどうだと言いながら、在日や半島人を批判する一方で、

宝塚だジャニーズだ吉本だと、お気楽さ全開である

詳しい事は書かないですが、不思議なところで分け隔てしている

私にはそう思えますが・・・


さて、日本の天皇を祭祀王だと、未だに思っている人は多い

どう思うかは個人の自由ですから、多くは語りませんけど

私が天皇が祭祀王ではないと思う理由だけを書いておきます


祭祀王と言いながらいったいどんな神を祀っているのでしょう

日本の神様の大元は天皇家の祖・アマテラスであることは誰でも承知です

ところが天皇家がアマテラスを祀っていたという事実が見当たりません

本来は神宮(伊勢神宮)が皇祖を祀っているのなら、即位の儀や大嘗祭など

神宮で執り行うのが常識ではないでしょうか?

大嘗祭とは天皇が即位した後、実った稲を皇祖神に備え、天皇みずからも食す

一世一代の祭儀である

そんな大事な祭儀を皇祖神が眠る伊勢で執り行わない事こそ異常なのではないか?


明治2年3月12日に明治天皇が親拝するまで、誰一人も伊勢の地を踏んでいません

熊野や高野山に足を運べても、伊勢には足を向けられない理由があったのでしょうか


日本書紀をバイブルとしている学者・研究者の多くは、日本書紀に

天皇家が天照大御神を祀ったという記述が無い事をどう考えているのか

通説通り 垂仁天皇の頃に伊勢神宮が建っていたとするなら、二千数百年ぶりに

伊勢に足を踏み入れたのは、どういう理由からなのか?

どうして古事記や日本書紀などに伊勢を祀った記述が無いのか?

道鏡事件の時、どうして伊勢神宮ではなく宇佐八幡に託したのか?


是の神風の伊勢国は、常世の浪の重浪帰する国なり

傍国の可怜し国なり この国に居らむと欲ふ


このかむかぜのいせくには、とこよのなみのしきなみよするくになり

かたくにのうましくになり このくににおらむとおもふ


日本書紀によれば、百姓が流離(りゅうり)・背叛(はいはん)したので

宮殿内に祭っていたアマテラスとオオクニヌシを遷座したと記している

常世 とは「あの世」のことであり、此岸(しがん)が現世であり常世は

彼岸(ひがん)なのである

ヤマトから遠く離れたヤマト朝廷の勢力圏の端でありあの世との境が

伊勢の地だった

皇祖神を辺境の地に追いやって、どこが祖神を祀るなのか・・

祖先が眠る地に足を向けない者が祭祀王であるはずがない


そもそも伊勢神宮とか神宮と呼んだのは天武・持統天皇の時代からだ

その事実は不都合なモノとして、一般庶民には知らせていないが

天皇家には虚偽の事実が当然のように常識化している


天皇の祭祀は「都市伝説」のように巷に漏れ伝わるだけで

ヒトデナシには窺い知ることはできないのである

本当に祭祀を執り行っているのであれば、鑑賞だと外出など負担になる

祭祀・公務が負担と言いながら、外出は負担でない矛盾

祭祀をきちんと務めていない証ではないだろうか

国民から尊崇されぬ存在となった天皇には、それなりの理由があり

その事実を容認しているのが日本の政治という現実なのである


2017年という年が、日本の国民の一部分ではあるが、天皇という存在に

何かしらの疑問と落胆と怒りを感じた年であったと思う

私は皇室廃止論者でもないし、皇室擁護論者でも無い

ただ・・おかしい事はおかしいと、素直に感じるだけである


グラス片手の記事ですので、誤字脱字、表現の間違いはご容赦願います。




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Posted on 2017/12/29 Fri. 23:09 [edit]

category: 歴史

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穢れとは・・・・  


ケガレ思想とは、いつ、だれが、どうして言い出したのだろう?

穢れは死への恐れであり、死を素直に受け入れられない気持ちから

死を拒絶したいものにすり替えたのかもしれない



縄文の昔、狩猟で生活していた人々にとって、殺生は当然の事で

「死」「血」は忌み嫌う物ではありませんでした

動物は神さまが姿を変えて、自分達のために「糧(かて)」を届けてくる

ものだから「きちんと食べて」「魂は丁寧に神さまの世界に送り出す」

これが神祭りの起源だと思っています


そこに殺生・血肉にたいする「穢れ意識」は存在しませんでした



そうです・・・ケガレという意識には「殺生」は【悪】という発想が根底にあるのです

これはおそらく大陸から仏教が伝わり、仏教的解釈から起こったものだと・・


仏教では肉を食べることを戒めています

当然ながら「殺生」は禁じられています

本来は殺生こそが「穢れ」だったと私は考えています

ところが穢れは死だけではなく、「汚れ(よごれ)」をも穢れの中に

取り込んでいったと想像します

容認できないこと、我慢できないこと、その立場に身を置きたくないなど

どんどん穢れの定義を拡げていったのでしょう

認めたくないという意識こそ「けがれ思想」の原因だと思っています


穢れ思想もおそらく7世紀から8世紀にかけて定着したモノでしょう


日本の国が神祭りの信仰から、神仏信仰に変わった時が起源だと

私は解釈しています


日本人は日本開闢以来、連綿と神道の国だと思っているようですが

神道の国であったのは仏教が定着し【神仏混合】の時代になるまでと

明治政府による【神仏分離】が実行されてからのごく短い期間でしかありません


当然その間の日本の統治者であった天皇は「祭祀王」ではありませんでした

好意的に解釈して「神官の長」というところです

なぜなら歴代天皇は今の私たちと何ら変わる事の無い「仏教徒」でありながら

「神官」であったのですから、いまの各神社の宮司さんより神道世界に対し

希薄な立ち位置だったともいえます

仏の僕である仏教徒が神であるはずもなく、祭祀王である訳が無い

仏閣に御幸ばかりしていて、伊勢にも行かなかったことが如実に表しています


祭祀をしない天皇は今上天皇に限ったことではありません

歴代天皇は御所からほとんど出ないのが通例であり、上皇になって初めて

遠出(御幸)をしたようです

その行き先の中に高野山などがあり、白河上皇は9回、鳥羽上皇は21回、

後鳥羽上皇は28回、後白河上皇など34回も高野山金剛峰寺に御幸しています

ただ一人として伊勢神宮に参拝した天皇・上皇は居ません

これが日本人が信じて疑わない【祭祀王】の正体です

ちなみに富士山を最初に観た天皇は明治天皇だそうです

それくらい天皇は外に出ないものだったのですから、常に祭祀をしていると

思い続けて来た日本人が多かったのでしょう


本題に戻って

穢れは言霊思想と複雑に絡み、殺生だけに限らず、自分達が忌み嫌うもの

を対象にどんどん拡大されて行きました

自分達にとってという「自分達」の定義は、やんごとなき人々であり

一般の人々(ヒトデナシ)ではありません

ヒトデナシは鬼であり、生きるためには何の躊躇いもなく獣の肉を

食していたはずで、汚れることを忌避していなかったと考えています

穢れの意識は額に汗せず、搾取する立場の人間の傲慢な意識から

誕生したと私は考えています

Posted on 2017/12/11 Mon. 23:10 [edit]

category: 歴史

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和を以て・・・  


和を以て貴しとなす

日本人らしさを言い表す言葉として認知されていますが

どうして「和を以て」なのでしょうか・・・

仲の良い人たちに向かって「仲良くするのよ」とは言いませんよね

仲が悪いからこそ「仲良くするように」と言葉を発するのではないでしょうか


嘗て雅な時代と言われた「平安朝」では、従五位以上が「人」であり

それ未満の人は「人扱い」されませんでした

言い換えれば、ごく少数の「ヒト」と、大多数の「ヒト以下」が暮らす国でした

その人々を指して「鬼」とか「蜘蛛」など様々な蔑称で呼び、虐げていたのです

為政者はそういう人たちから搾取し、遊んで暮らしていたので、額に汗する

人々を侮蔑していました

そのため遊んでいることが尊い事とされたのです

*「朝臣(あそん)」というのも、遊んで(あそんで)暮らす人々と言えます





そんな人々(人ではない鬼たち)に向かって「仲良く」しなさいと言えば

どういう結果になるか・・・・

そういう人々が手を組み、為政者に向かってきたら大変なことになります

遊んで暮していけるのは大多数の鬼から搾取するからで、その鬼たちが

仲良くなって反抗して来たら貴族たちの生活が成り立たなくなります

そこで考え出されたのが【差別】という手法でした

宮廷人たちは「手に汗」「額に汗」して働く人を蔑視し、そんな同じ境遇の人を

使って迫害し差別したのです

鬼は鬼を以て封じる



現代のように科学などほとんどない時代では、現代人が考えるよりはるかに多くの

非論理的なことが「常識」でした


日本書紀に書かれている 和を以て貴しとなす というのは、藤原一族が

多くの人間を不幸にした「政争」から導かれた「騙り(かたり)」です

「恨みに思わず仲良くしましょう」

そんな思惑が見えてきますが、この言葉こそ「怨念」を封じる「呪」だと

私は考えます

「和」が大切なのだから、藤原氏に対し「反抗したり」「呪ったりしない」で過ごしましょう



しかし、この言葉を誰が言ったかは問題ではなく、このような言葉が書かれている

日本書紀を何人の人間が閲覧できたのか?

私はその事のほうが極めて重要だと思います


これも「呪」であることは間違いありません

現実に後世の日本人が「そうだ その通りだ」、「なんて良い言葉だろう」

そう語り継いできたのですから、多くの日本人は「呪」にかかったまま

21世紀を生きているのです


一見同じことに見える事でも、明らかに異なるものは実在します

しかし、普遍なものも数多くあるのも事実です

祀る という行為の根底には「恐れ」であったり、「謝罪」であったり

罪を意識した「人間の感情」が起因しているのです

祭りや古くからの因習、儀式には必ずといって良いほど我々の意識とは

正反対の「隠された事情」があります


今話題の「相撲」にも.....

相撲を神事と仰る方が多いですが、なぜ相撲が神事なのでしょう

おそらく、奉納土俵入り等の印象でしょうけど

相撲が国技というのも「意図的に創られた」ものだと私は考えています

野見宿禰と当麻蹴速との勝負が「相撲の始まり」といわれて、これが

理由で相撲の【始祖】という事になっていますが・・・・・

どうして彼等は戦ったのでしょう?

通説によれば、垂仁天皇の勅命によって呼び出され仕方なく戦ったと

いう事になっています

彼等が人として扱われていたならば、死ぬまで戦うことは無いでしょうし

無益な争いなど本意ではなかったでしょう

為政者がある意図をもって両者を戦わせたというのが本当だと思います

宮廷にも名が知れた「剛の者」であり、そんな者たちが数多くいることは

為政者にとって「脅威」だったかもしれません

彼等は「仲間」ではなかったわけですから、いつ朝敵の勢力として向かってくるか

わからないのです

自分の政権の間に、敵に回ると厄介な者たちを「合法的に粛清」したというのが

ほんとうの処ではないでしょうか・・・・

知られていないだけで、もっと多くのヤマト内外に住む「つわもの」が

呼び出され、戦わさせられ命を落としたという説もあり、集めておいて

問答無用で射殺したともいう説があります

ですから、野見宿禰と当麻蹴速との勝負も・・・あったのかどうか?

書いてあるから事実ではありませんし・・・

どちらにしても、野見宿禰と当麻蹴速は朝廷側ではなく、ヒト以下の

鬼だったことは間違いないでしょう

鬼と鬼の戦いが「神事」という背景を考えれば、やんごとなき者たちの

怖れであり謝罪の産物かもしれません

この日本における神事の多くは【鎮魂】がバックボーンになっていますから

相撲は神事というのも強ち間違いではないでしょう・・・


それにしても、節分に相撲取りが「豆まき」をする光景は皮肉ですよね

相撲の始祖は「鬼」だったのですから、鬼を鬼の後継者が豆で追い払う

 鬼は鬼の手で・・・・

古代の為政者の思惑通りの事を、我々は疑問にも思わず受け入れていることに

なるのではないでしょうか(笑)


次回はケガレの正体でも考えてみます

Posted on 2017/12/05 Tue. 23:34 [edit]

category: 歴史

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鬼の誕生(起源)  


この世で一番恐ろしいのは・・・

幽霊でも妖怪でもなく、生きた人間だ!

父が生前、酒を呑んだ時にボソリと漏らした言葉である



この日本に「鬼」を創ったのは古代の為政者(天皇家の祖先)である

日本人は大きな勘違いをするが、日本人の大多数は「鬼の末裔」だ

出自は武士と言っても、そのほとんどが「鬼」を先祖としている

確率からいえば純粋の鬼はそれほど多くは無いだろうが

それでも鬼の子孫は「鬼」なのである


隣の国の国民は誰もが「両班(ヤンバン)」の子孫だと公言する

しかし日韓併合時点で両班は1割にも満たなかったともいう

差別意識の強い民族が、下級階層と混じる事を選んだとは思えない

それが百年余りで9割以上が両班の血統になるのはマジックだ(笑)


どうして日本が「鬼」ばかりになったのか?

それは、到る処に奪われるもの(価値あるもの)を持った人々が多かったから・・・

その「価値あるもの」を奪って迫害し、追い払ったのが為政者たちで

その虐げられた者こそ「鬼」といわれるのだ

どれだけ搾取したのか、通常の想像を超える気がする


搾取する側は日本の人口の1割どころじゃなく、「やんごとなき者たち」は

千人にも満たなかったのではないだろうか

家族を含めてもやはり「一握り」の特権階級であり、遊んで暮らす

人々だったと推測する


鬼のほかにも差別された人々の呼称は多い

河童・キツネ・蛙(かわず)・蜘蛛(雲)・天狗・熊などなど・・・


河童は砂鉄採取などを生業にしていた人々だろうし、砂鉄を

取り上げ、迫害して木瓜でも食べていろと・・・


キツネは「遊び女」であり「来つ寝」と呼ばれ「身を売る」女性の

事だったと思われる


かわずは「河津」であり、川や海で魚貝を採取する人々だろう

働かずに美食をするために権力を以て搾取したのではないか


蜘蛛は文字通り「朱を知る虫」であるから、丹(水銀)の鉱脈を

持っていたり、精製していた人だっただろう


権力者は鉄(真砂)と丹(朱砂)のために多くの命を奪ったと考えられ

その結果犠牲者を「祀る事」が発展したともいえる



天狗は為政者に屈服して「狗(いぬ)」のように阿り、都合よく

使われた人々だろう


古代では鬼だらけであり、一握りの特権階級が遊んで暮らし

その者たちが反抗しないように、お互いを敵対させたり、反目させたり

差別したり、虐げたりして分断していたのではないか

それが時を経て近世の「部落差別」に繋がってきているかもしれない


出雲の国譲りも蝦夷討伐も、真相は鉄と丹、金銀銅の利権(搾取)が

原因だと私は思っている


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       《 蔵書 日本語・漢字ほか 》

日本の大和言葉を美しく話す
神さまがくれた漢字たち
成り立ちで知る漢字のおもしろ世界(武器・ことば・祭祀編)
成り立ちで知る漢字のおもしろ世界((自然物編)
古代人の伝言
日本のこころの教育
人をつくる教育国をつくる教育
北海道「古語」伝承
人生に悩んだら「日本史」に聞こう
常識を疑うことから始めよう
大人の漢字
日本人の心、伝えます
ニッポンのココロの教科書
漢詩百首
漢字百話
漢字の世界観
漢字
漢和辞典に訊け!
失礼な敬語
ん 日本語最後の謎に挑む
日本語の奇跡
にほんご歳時記
日本人が忘れてはいけない美しい日本の言葉
日本人が大切にしてきた季節の言葉
白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい
ひらがなでよめばわかる日本語
これを大和言葉で言えますか
懐かしい日本の言葉
訓読みのはなし
漢詩への招待


Posted on 2017/12/04 Mon. 23:19 [edit]

category: 歴史

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気がつけば師走  


何という事だろう・・・

本を読みふけり、焼酎を呑み続けていたら

あっという間に「師走」になってしまった(笑)


師走という事は・・・もうすぐ正月である

この齢になると正月がおめでたいのかどうかも

定かではなくなってきたのですが・・・


縁起の良いものの代表に 松竹梅があります・・・・

これもめでたい事とは真逆のものかもしれません


正月と言えば「門松」ですが、この門松も「めでたい」ものではないという

そんな説もあります

松の文字は本来  (ショウ) と書き

八白の木 ということです

八白は方角で言うと 北と東の間(30度)、丑寅の方角になり

丑寅は【鬼門】にあたります

ゆえに松は「鬼の木」と言われることがあり、その門松は

「鬼の木」を縄でぐるぐる巻きにして、身動きできないようにして

家の外に立てます

注連縄(しめなわ) は 標縄 とも書きます

標は「禁」と同じ意味ですから、家に入れるなという意味になります

鬼の末裔たちが、鬼を荒縄で縛り外へ追い出し家に入れないようにする

これが「縁起の良い日」に、我が家の門戸に飾る門松の正体です

なみに皇室ではこの風習は存在しません

鬼を封じるのは鬼(の子孫)の手で・・・・これは普遍ですから

門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし


 和名は 「多計」

小さい竹は 篠(しの)、和名は 「之乃(しの)」「佐々(ささ)」

竹や瓜などの中空の植物は異界への道に通じるとされ忌まれていました

小野篁(たかむら)の 「篁」とは竹が集まったものの事

だからなのか、エンマ大王の【第三の冥官(みょうかん)】といわれ

昼は朝廷で働き、夜になれば地獄へ行って閻魔大王のもとで

働いていたと「群書類従」に残されています


近年では竹藪の跡地に家を建てたら、家の床下に竹が出てきて

畳の間から出てきたなどと言う冗談みたいな実話もあります

どちらにしても、縁起が良いとは負えない植物だと思います


梅に鶯(うぐいす) なんて絵にかいたような情景ですが・・・

本来は竹に鶯でした

梅というのは中国から輸入された樹木で日本古来のモノではありません

和名は 宇女 (うめ)

詩経では梅は 楠樹(なんじゅ) といわれ、墓門の意味になります

どう解釈するかは個人で・・・・



和歌はどうして「五七五七七」なのでしょうか?

六や八ではいけなかったのでしょうか・・・・

なぜ五七五・・・なのかは、理由があるともいいます


ヤマトの国は「言霊の国」であり、言葉にはすべて理由があり

和歌とて例外ではありません

歌を詠む人はごく限られた知識人であり、その多くは権力という

「大きな渦」の周りに生きた人々でした

その人たちにとって最新の科学が「言霊」であり、歌という最新技術

だったと思われます

嬉しいから歌を詠むようなそんな優雅な話ではありません

言葉(詩)で綴るということは「言挙げ」することになり、観るもの聞く者に

対し【呪(しゅ)】を書けることになるからです

本来は相手に【呪(しゅ)】をかけたり、災いを封じたりするアイテムで

特別な力を持ったものが「和歌」だったのではないかと思います

本来「五」「七」という奇数は良数とされており、特に「七」は

良い事に使われる「聖数」として、怨霊を封じる呪術にも

使われるようになったといいます

いわば「暗号」とか「符丁」のように、使われていたのかもしれません

万葉集の歌にも意味が解明されていないものもあると言います


平安貴族が「和歌の素養」があると立身出世したのは有名な話で

上手に歌を作れるから出世したわけでは無く、「言挙げ」ができる

特殊能力が重要だったと考えます

かの【小野小町】は竜神の化身と言われ、天皇の要請で「雨乞い」の

歌を詠み、見事雨を降らせたと言いますから、間違いではない気がします


近代の日本で「八」は末広がりとか言いますが、逆に忌まれて

いた数字であったと言いますから面白いですね

奇数は「良数」 偶数は「悪数」という概念だったようです

五は陰陽道で言う 木 火 土 金 水 の五行とされ、怨霊を封じる役目をします

七も同じように「初七日」「七×七 四十九日」「七五三の祝い」等々・・・・

悪霊や災いを祓い退散させると言われています

古代の和歌と現代の和歌にはそういう「違い」があったかもしれません

それと・・日本の古語で詠まれた歌を今の解釈で良いのか、素養の無い私には

判断できない事ですが・・・



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        《 蔵書 大東亜戦争 ほか 》

いつまでもいつまでもお元気で
日本人少女ヨーコの戦争体験記 竹林はるか遠く
なぜ私は左翼と戦うのか
人生に迷ったら知覧に行け
GHQの洗脳に縛られた日本人
日本人だけがなぜ日本の凄さに気づかないのか
日本人の恩を忘れた中国人・韓国人の「心の闇」
電通の正体
日本人を狂わせた洗脳工作
通州事件 目撃者の証言
部落ってどこ? 部落民ってだれ?
21世紀の脱亜論
韓国人による北韓論
韓国人による嘘韓論
韓国人による震韓論
韓国人による沈韓論
韓国人による恥韓論
パール判事の日本無罪論
おじいちゃん戦争のことを教えて
きけ わだつみのこえ
ホタル帰る
知覧からの手紙
台湾人と日本精神
日韓併合
大東亜戦争の正体
人種差別から読み解く大東亜戦争
親日派のための弁明2
閉ざされた言語空間
なぜ中国人・韓国人は反日を叫ぶのか

 

Posted on 2017/12/02 Sat. 14:14 [edit]

category: 歴史

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