縄文の民と月  


私たちは 太陽=神 という概念に違和感を感じることはありません

何処の国の文明でも 太陽神 が信仰の中心にあったと思っているし、

特に不思議に思わないのが現実かもしれません


日本の神も太陽神・アマテラスが中心に存在するとされていて

私はこの説に言いようのない違和感を感じています

太陽が神であっても別段問題などないことは承知していますが

本当に日本の神の中心が「太陽」だったのでしょうか?


太陽は恵みを与えてくれる、これに異論はありません

農耕民族にとっては何にも代えがたい「チカラ」を発揮する太陽ですが

狩猟民族にとって、はたして太陽が絶対無二だったのでしょうか?


人の生死にかかわる事象は、むしろ【月】の影響が大きいと感じるのは

私の単なる思い込みかもしれませんが・・・



質問です・・・今まで日(太陽)と月、あなたはどちらを多く見ましたか?


太陽を肉眼で見たことはほとんど無い私ですが・・・

月と星は住む場所が異なっても、ことあるごとに観て過ごしてきました


漠然とですが、縄文の民も太陽ではなく、月や星を見て暮らしていたのでは

そんなことを考えています


科学と言う「アイテム」が無かった時代、潮の満ち引きと月の関係を

把握していたかもしれません


ちなみにアイヌ語では・・・

【太陽】は ペケレチュプ

【月】は チュプ と言います

【星】は ノチウ と言います


クンネ チュプ カムイ  

クンネ は、「黒い」とか「夜」という意味で、チュプ は「月」

カムイは「神」ですから、「月は夜の神様」という意味でしょうか?


月を表現する言葉は、「チュプ」「チュプカムイ」「クンネチュプカムイ」などあり、アイヌの民が

「月」を特別なものとして捉えていた気がします


アイヌの伝承をすべて知っているわけではありませんが、よく聞く神様には

【フクロウの神】、【オオカミの神】、【海の神】などがありますが、太陽の神の

話は知りません(私が知らないだけで、あるかもしれませんが)


狩猟民族にとって、太陽神が重要な位置を占めていたとは到底思えないのです

恵みの神は農耕民族にとっては最高の神かもしれませんが、狩猟民族には

雨の日も風の日も「すべて神のなせる事」として、受け止めていたのではないでしょうか・・・


狩猟民族にとって、「絶対無二の神」は成立しません

あらゆるものに【神】が宿り、神の力によって生かされているとする

自然崇拝を基本とする民にとって、ずべての頂点に君臨する神など

受け入れないだろうと私は思っています


縄文の民は、月を見て何を思ったのか・・・・

月と縄文の民は「強い絆」で結ばれているかもしれません。


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Posted on 2017/05/23 Tue. 21:39 [edit]

category: 歴史

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差別の真相 その2  



さて差別語にはどんな言葉があるのでしょう?

若い世代ではすでに「死語」になっている言葉があります

【穢多(えた)】 【非人(ひにん)】

歴史の専門家は中世・江戸期に創られた身分制度というように

解説しています

さらに明治期になって「戸籍」に階級制度のように記載したことから

現代の部落差別の元になったというように教えています

士・農・工・商・非人・穢多 というように、区別していたと仰る専門家もいます

(士農工商は身分制度ではないことは以前に書きました、今でも身分制度が

あったと信じている専門家がいることに驚いています)


では「穢多(えた)」とはどういう意味でしょうか?

これは 【穢(けが)れ多し】 という意味です

生き物(ケモノ)を殺すことを生業(なりわい)にしている人々のことで

この世で一番穢れていると決めつけました

江戸期にこれほど明確な「ケガレ思想」で区別・差別したとは驚きですが・・・


私はこのような説に疑問を感じています

本当に江戸期に創られた身分制度だったのでしょうか?

私個人の考えでは、もっと、ず~っと以前からこのような区別・差別が

存在していた気がします

だって・・・ケガレ思想の起点は古代ヤマトからのはずですよね・・・

旧ブログでも書いた気がしますが、平安期の貴族は庶民は下賤なモノと

して、人に非ずと扱っていたと言います


安倍晴明の使役していた【式神(しきがみ)】は公家の眼には見えなかった

という説話がありますが、下賤なモノは穢れたものとして、観ると自身が穢れ

るという理由から、「見えないモノ」として通したのである

誰が考えても、人のいないのに門が勝手に空いたり閉まったりする訳が無い(笑)

貴族以外はヒトとして扱わなかった平安貴族・・・・

官位5位未満の人間は昇殿を許さなかったくらい、差別する人種だったのだから

「死」や「血」で穢れた人間を忌み嫌い差別したことは容易に想像できるのです

言葉での差別が何時の時代からなのかは明確ではありませんが、基本的な

穢多(えた)に対する差別は平安期からあっただろうと私は考えています


ちなみに、日本では首都(みやこ)が頻繁に変わったのも世界から観れば「異常」

なんですよね・・・

初代が造った都を、次の王がさらに建て増しして大きく豪華にしていき、さらに次の王が

新たな施設を築いて大きくしていくというのが、世界的な都の姿なのですが・・・

日本では王(天皇)が変わるたびに、都を遷都していました

なぜでしょう?

これこそが「ケガレ思想」というものなのです

先帝が死ねば、その帝の作った都は「死」によって穢れてしまったということ

で、新たな「穢れていない」都を作る必要があったのです

平安京が完成するまでは、そういう思想が基本だったという事でしょう

死=ケガレ の平安期に「穢多(えた)」の差別が無くて、江戸期に差別ができたという

通説には、私は納得できません

言葉はともかく差別そのものは千年以上前からあったと考えるべきだと・・・

私は考えています


それと、穢多や非人というのは身分制度ではないと考えています

いうなれば、ケガレ思想というものが根底にある「偏見・差別」だと思っています


アイヌ差別問題とは・・・

狩猟民族である「日本の先住民」を差別したい「農耕民族」の末裔の偏見以外の

何ものでもないと私は感じています

(現代の部落差別問題とは基本的に違う次元の話ですが・・・)


例えば、皇族が来ると交通規制や入場規制が行われますが、どうしてでしょう?

私たちを下賤なものとして差別している?

まぁ・・・差別か否かは別にしても、区別はしていると思いますが(笑)


ある知人の理論では、天皇制度こそ最大の差別であると言います

我々の税金で生活していながら、我々には無い特権と待遇を保持し

「不敬」だとか、「畏れ多い」とか一方的に言われるだけで、我々国民は

特筆すべき「恩恵」は何も受け取っていないのが現実だ!

というのですが、解釈の違いもあるでしょうが、一概に否定することもできない気がします


我々の祖先と皇族とどちらが自分にとって「大切なのか」

天皇とは何なのか? どうして敬わなければいけないのか?

という疑問も耳にします

(そういう疑問もこの先、考えてみたいと思っています)


時代という流れからすると、誰でも知っている区切り方(区別)が

あります

この日本でも、【石器時代】~【青銅器時代】~【鉄器時代】というものです

時代という表現がふさわしくなければ、文明とか文化でも構わないでしょう

私も含めて大きな勘違いをしているかもしれないことが有ります

石器を使用していた人がある日、青銅器を使用して生活を始めたと

思ってしまうのですが・・・

これは科学の進歩の流れの中にいる「現代人」の感覚なのです

石器文明の人々が青銅器を使用するまでには、多くの争いがあったと

思っています

より強い精度の高い武器を持った人々が「話し合い」で他人の土地に

住み着くでしょうか?

アメリカ人は高度な武器を持っていましたが「ネイティブ・アメリカン」と

平和的に話し合いましたか?

青銅器を以て日本に足を踏み入れた人々は、石器文化の人々の土地を浸食

略奪したかもしれません

その後に鉄器の技術をもった人々が日本に来たときは、青銅器文化の人々を侵略し

追放したことでしょう

明らかに石器人と青銅器人と鉄器人は別の民族です

今この国の頂点にいるのが「鉄器文明」を持ち込んだ人の末裔です

アイヌを東に追いやり、出雲族を遠方に追いやり、ヤマト人と称する

日本人は最後に日本に流れ着いた鉄器人だと私は考えています


こういう理屈からいうと、天皇家の人々は出雲族・アイヌを差別・侵略して

今の地位に君臨しているともいえるかもしれません

あくまでも可能性の話ですが・・・・


私は差別が特別悪い事だとは考えないようにしています

理想からいうと「差別など無い」事が望ましいですが、差別とは

違いでもあります

差別を【虐待】と混同している人も多くいます

差別という語を調べてみてください・・・

きっとこう書いてあるはずです

《 特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為

また、不利益を強制する行為 》


東宮一家がスキー旅行に行く際に、われわれ国民に不自由な思いや

不利益を与えることも皇族による歴とした【差別】にあたる可能性が

あるという考えもできます


部落問題に限らず、その存在に対しての特別視とは別のものとして

規範意識のない言動に対しては明確な【差別】があって然るべきであり

その人物・集団の存在に対し「差別」することがあってはならないという考えです


犯罪者を特別視し、安易に社会復帰させないことも「差別」だと言えますし

それが悪いと言い切れる人だけではないはずです

自分の家族を殺されて、相手が心神耗弱で無罪放免・・・・

そんな加害者を特別視(前科者差別)するのは当然ともいえます

私なら、どんな手段を講じても、安穏な社会復帰などさせません

命に代えても・・・・


私は若い頃、身障施設の職員をしていました

障害者差別という言葉がありますが、私はそのようなものはごくわずかで有って

障害者が自分自身を「特別な存在」として甘えている現実を知っております

差別しているのは健常者ではなく、生涯を持つ人自身が差別という壁を作って

いることが多々ありました

「やってもらって当たり前」

「健常者が何でもやってくれるのが常識」

「何かと言えば、障碍者を馬鹿にする」

事実は当事者しか知り得ませんが・・・現実は小説より奇なりです


まだまだ書くべきことは有ると感じていますが、今回の「差別について考える」は

区切りにしたいと思います


* この差別に関する文章はあくまでも長屋の爺の私感であり、異論がある方は

自身のブログに於いて反論若しくは自説をお書きくださいますように・・・


次回からは「縄文の世界の神様」について、おさらいしてみたいと思います。


Posted on 2017/04/26 Wed. 22:50 [edit]

category: 歴史

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差別の真相 その1  


最近社会で話題の「ヘイト」

なにがヘイトで何がヘイトでないのか、私には理解できません

この言葉を多用している人たちはこの境界や違いを正しく熟知して

いるのでしょうか?


ヘイトとは、憎悪とか反感を抱くこととされていますが

肌合いの合わない人や、かつてひどい仕打ちを受けた相手にも

憎悪の感情や反感を覚えることは多々あります

それを言葉に表すと「ヘイト」ということになるのでしょうか・・・

難しいですね・・・言葉と言うものは


さて日本に限らず世界のいたる所で観られる【差別】

この差別を観ても日本はかなり特殊な民族なのをご存知ですか?

そんな話を2回に分けて書いてみたいと思います


差別とは・・・

世界を見渡せば、肌の色が違うと言うだけで「差別」をする【人種差別】

信仰する宗教が違うと言う事で起こる【宗教差別】

前者は一見するだけでわかる、見た目から来る差別であり

後者は知ることによって起こる思想的な差別です


さて、日本における差別の基本は何でしょう?

宗旨宗派が違っていても差別したり、いがみ合ったりすることは

現代では殆どありませんので宗教的差別は少ないでしょう・・・

人種と言っても日本に済む日本人のほとんどは「黄色人種」であり

見た目だけでは差別の対象にはなりません

日本の差別の根底には人種や宗教ではない、もっと深い理由があるのです


日本には「ケガレ思想」というものがあります

「私には、そんなものはないわ」

もし・・・そう思っているなら、何も言うことは有りませんが(笑)

フリーマーケットで物を買った方は多いと思います

その「モノ」の過去・歴史を知ることが無いから平気で買ってしまいますよね

もし・・・そのモノの持ち主が毎日愛用し、未練を残して死んでいたとしたら・・

喜んで使いますか?

私は父親が生前愛用していた「湯飲み茶わん」を持っています

時折出してはお茶を飲んでいますが、汚いとか嫌だとは思ったことが有りませんが・・・

これが見知らぬ人の使っていた茶碗や器だったら・・・捨ててしまっているでしょう

目に見えない「思い・念」が付着していそうで、私には使えそうにありません



古代日本人が最も「忌み嫌った」ものは【ケガレ】という存在でした

穢れ(けがれ)は、汚れと書いても「けがれ」と読みます

「よごれ」は洗えば落ちますが、ケガレは洗っても落ちないものなのです

死んだ人が息を引き取った時に着用していた着物・衣類を「あなた」なら

平気で着用できますか?

いくらクリーニングに出したからと言えど、死んだ人が最後に纏っていた

衣類を着用するにはかなりの抵抗がありますよね

だけど・・綺麗にクリーニングしているのだから、汚れてはいません

それでも「ダメ」「嫌」というのはなぜでしょう・・・

それが「ケガレ思想」というものです


ケガレにもいろいろあって、なかでも一番のケガレは【死穢(しえ)】というもの

「死」「血」というものが一番穢れているというのが古代日本の考えです


いや・・農耕民族にとって、と言う方が正確でしょうか

日本の先住民は狩猟民族ですから、生き物を殺してその肉を食い

その毛皮を衣服として使用していました

だから死や血をケガレとは思うはずがなく、人間の死すら当然のことと

受け止めていたでしょう

動物の肉(命)は神様からの贈り物、生き物とは神さまから与えられた

聖なる命の糧だったのです

植物を育て、果実を集める農耕民族にとって、生き物の死とはどうしても

受け入れがたい対象だったのかもしれません


なぜ死んだ高貴な人を大きな土の山(古墳)に埋葬したのでしょう?


古代の農耕民族では身分の差が歴然としてありました

古墳に埋葬された人とそうでない人の違いは何でしょうか?


私の個人論ですが、一般人の多くは狩猟民族から農耕民族に

変わった人々の末裔であり、高貴な人に分類されるのは、半島や大陸を

経て日本に流れ着いた「農耕民族」の末裔ではないかと思っています

ですから、一般平民には、死=ケガレ という概念が薄かったのではないか

ではどうして、高貴な人は手厚く埋葬されたのか・・・

それが 死穢(しえ)】 という存在だったと思っています

高貴な人ほど死ぬと「穢れ」が強く表れる


小さな鯵(あじ)が腐敗しても、ひどい腐臭は感じませんが

大きなクジラが死ねば、その腐臭はとっても酷いものに感じるはずです

高貴であればあるほどケガレが強いと思える例えですが・・・


例えば8世紀~11世紀(平安期)にも顕著に現れている出来事があります

地方に配置した「兵士」を廃止したのも「穢れ」を忌み嫌ったからに違いありません

兵士は戦をして敵を殺し血に染まります

そういう人間が居るから、世の中が平穏にならないと考えた桓武天皇が

廃止しました

穢れが世の中に災いを成すという思想は脈々と日本人のDNAに刷り込まれて

いきます

違いますね・・・一部の特権階級、例えば公家や皇族、支配階級だった貴人たちの

DNAに刷り込まれて今に続いているのです

その思想が何時の時からか、日本人の多くに浸透してしまった

その「何時か」とは、明治維新ころではないかと思っています

だって、武士は日本刀を腰に差し人を斬ることが当然でした

ケガレ思想に染まっていたとは思えません

庶民もそれほどケガレの意識は強くなかったと思っています


さて本題に戻ります

日本の差別は穢れが原因ですから、「死」に関わる人「「血」に触れる人

などが、差別の対象に成りました

山に住み狩猟を営む人々「マタギ」なども差別されてきたのでしょう

定住することなく各地を放浪する「サンカ」と呼ばれる人たちもそうでしょう

その差別の考え方が、家畜を屠殺する「解体業」「精肉業」や葬儀を執り行う

「葬祭業」などに向けられたのは想像できます

しかし・・・葬祭業が死にかかわる差別対象なのに、寺の坊主が差別対象に

ならないのは不思議ですね・・・

そうなんです、この差別は日本人がと言うより、一部のやんごとなき部類の人々の

個人的な感情と言えるかもしれません

何しろ、この日本で一番最初に仏教を信仰したのは貴族や皇族たちなのですから

仏教の僧侶を「差別」するわけがありません

千年前なら「ドクター」と呼ばれる人は、差別の筆頭だったかもしれませんが(笑)

(つづく)


Posted on 2017/04/23 Sun. 19:09 [edit]

category: 歴史

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斜め読みの歴史  


私は云わずと知れた、無類のへそ曲がりである

何でも裏側を探り、意地悪な解釈をするのが、子供のころからの

習い性になっている

偏屈、へそ曲がり、性格破綻者、意地悪、根性悪・・・

私の評価はどれも似たようなものw

わたしは「善い人」「立派な人」と言われるのが何よりも大嫌いなのだ


さて、聞くところによると秋篠宮殿下の呼称が【皇嗣殿下】になるらしい・・・

これを聞いて喜ぶ人の神経が知れない(笑)

皇位継承順位1位の人は、どう解釈しようと、どう呼ぼうと【皇嗣】なのである

当たり前のことをわざわざ明文化することの意味など有る訳が無い

皇太子を「天皇の子」「天皇の太子」という基準から、「新天皇の子」では

無いという理由から「皇太子」という呼称を避けたのだろうが・・・

皇太子擁立派や宮内庁とすれば、皇太弟(こうたいてい)でも、皇嗣殿下でも

皇太子という呼称でなければ「可」なのである

なぜなら、皇太子という呼び名は「愛子内親王」のために空けておきたいからなのだ

皇嗣殿下と言う呼び名を聞いて、嬉々として喜んでいる人たちには悪いが・・・

裏を読めば明白ではないだろうか・・・


さて、私にはどうしても理解できない皇室問題がある

先ずは質問・・・

貴方の「甥っ子」、「姪っ子」が知らない間に似ても似つかぬ容姿に変わっていたら

どういうリアクションをしますか?

皆さんが「国民のよりどころ」と考えている皇室全体が、異常な世界であること

私たちの常識は皇族にとって非常識な世界であるかもしれません

宮内庁の役人も、私的な職員も、各宮家の人々も、一様に何事もない

接し方で今日まで来ているのは事実なのである

「身の危険を感じて大っぴらな言動はできないのかも」

たしかに、そういう可能性は否定できません・・・


私は一例として愛子内親王の問題を話しています

このように、解釈の仕方で変わるでしょうが、開かれた皇室にあっても

こんな不可思議で理不尽な暴挙が何事もなく流れてていくのですから

閉鎖された空間だった古代の宮廷は如何ばかりであったろうか・・・


戦後、民間から「粉屋の娘」が嫁いで来た瞬間から、日本の皇室は破壊された

そういう人も居ますが、ほんとうにそうでしょうか?

それは古代から脈々と昭和20年まで皇室がつながってきた「万世一系」

の家系だという「大前提」での解釈にほかなりません

皇統は何度も変わっているという説もあります

実際のところは分からないのが現実ですから、これを頭から否定することも

正しくはありません

だからと言って、これが正しいということもできないのが古代史です


明治天皇は「すり替わっていた」という、大真面目な検証もされています

皇女・和宮は「替え玉」だったという説すらあり

孝明天皇・明治天皇は暗殺されていたという説もあります

愛子内親王が自閉症であることは、おそらく間違いないでしょう・・

過去の私の子供の「実態」から考えても、99%自閉症だと思っています

今、社会に流れている「愛子様」はハッキリ言って別人だと思います


それと同じようなことが、明治天皇にもあったとすれば・・・

明治天皇は気弱な貧弱な子供だったと言います

馬になど乗ることもできず、大きな声すら出せない子供だったそうです

それが薩長などと共に東へ進軍する馬上の姿はまるで【別人】のような

体格と言動だったと言います

信じるかどうかは・・・人それぞれですが


和を以て貴しとなす

一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。

ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。

しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、

すなわち事理おのずから通ず。

何事か成らざらん。



和 = 話し合い というのはかなり無理がありますけど・・・

日本には確かに「話し合い文化」「談合文化」というものは存在します

どうして「和を以て貴しとなす」だったのでしょう?

この第一条に書かれている内容が全てを語っています


忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ

 訳 【いさかいをおこさぬことを根本としなさい】

君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う

訳 【君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない】

上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは

訳 【上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら

何事か成らざらん

訳 【どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ】



これからは長屋の爺の妄想です・・・あくまでも・・・ですよ

この言葉は聖徳太子が定めた17か条の憲法に書かれているとされます

この中の【論議する】が、「話し合い」を大切に…の解釈の元になっていると思われます

なぜ、論議や協調、親睦と言ったものが大事だと書き留めたのでしょう


いや、ちょっと待ってください・・・

この十七か条の憲法なるモノが書かれているのは【日本書紀】なのです

書かれた時期は8世紀ですが、太子が定めたとされるのは604年といいます

私はこの条文は藤原不比等等によって、千年の計を以て「書き残された」

創作だと考えています

天皇を中心に「世襲」が当然であり、いろいろな「異議」「不満」「怒り」が

有っても、みんなで話し合って短気を起こさず仲良くしましょう

私はこの条文から、そう読み取れるのです


なぜ「和」が不可欠だったのか?

持統天皇になるまでの時代は、天皇や皇子を簡単に殺害し権力を

争奪する殺伐とした時代だったのではないでしょうか・・・

天皇を臣下の分際で「殺めたりせず」、天皇や父親の言う事を

素直に聞き入れ従いなさい・・・

そうすることによって古代豪族の「ヤマト(日本)」の大王即位の可能性は

無くなり、持統天皇の血筋による「世襲」が完成するはずだった


もう一つ、不比等は隠された暗号を残したかもしれない

和 とは「調和」という意味で解釈する説が殆どである

本当にそうだろうか?

和 とは日本の事であり「ヤマト」のこと、それまで日本(ヤマト)は

倭(わ・やまと)とされてきた、その倭の時代・政権とは違う新しい

【和】と言う国を大切にしましょう・・・

持統天皇と藤原氏が治める新しい国・和(やまと)を・・・

和だから大切に、和の統治者である「天皇」を大切に、親から

子にその権力を継承することに、異を唱えてはいけません

なぜなら、和と言う国が一番優先されるのですから・・・・


私の妄想でしかありませんが、自分の国を美化したい気持ちは

私にも理解できます

しかし・・・すべての事には理由があります

聖徳太子が実在したのなら、摂政や太子のままで居たはずがありません

それほど素晴らしい実績が語り継がれている人物なのですから


持統が定めた、不比等が制定した、そんなことは百まで承知・・・

しかし、藤原千年を振り返れば「藤原の世」を盤石にする【楔(くさび)】は

日本書紀編纂と同時に計画されていたのかもしれません。

Posted on 2017/04/14 Fri. 23:39 [edit]

category: 歴史

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私の思い過ごしだろうけど・・・  



譲位がなぜ望ましくないのかという問題はマスコミなどで

いろいろ話題になっているので承知でしょう

女性天皇が容認できない理由も、大きく取り上げられているので理解できると思います


しかし・・・我々日本人は明確な判断より、玉虫色や灰色の解釈で自己を納得させる

日本人特有のDNAを持っています

譲位が高齢を理由にするだけでなく、利権者の思惑で創られた「病」や

利権者にとって「好まざる」人物であれば、陰湿な手段で譲位を敢行してしまう

そういう懸念さえあり、それに対し陰では口にしながら、際立った行動のとれない

日本人体質が、暴挙を最終的に認めてしまう恐れがあります

今この時も日本の精神的柱が「黒い頭のネズミ」や「赤い白アリ」に蝕まれています

天皇とは何者なのか?

象徴天皇とはいかに生きるべきなのか?

天皇と国民のつながりとは現実にはどういうものなのか?

それぞれが足を止めて、真剣に考える時期なのだと私は考えます

2017年4月  長屋の爺


 天皇陛下が退位の意向をにじませたお気持ち表明後、初の会見に臨んだ皇太子さま。

全体的に慎重さが目立ったが、思いがにじむ興味深い発言もあった。


「図らずも、2日続けて、天皇陛下のお気持ちに触れることができたことに深い感慨を覚えます」。皇太子さまは会見で、昨年8月8日の陛下のお気持ち表明の前日に愛知県西尾市の岩瀬文庫で105代天皇・後奈良天皇(在位1526~57年)が写経した般若心経を目にしたエピソードを、こんな感慨を込めて紹介した。戦国時代を生きた後奈良天皇は、飢饉(ききん)や疫病が流行するなか、国家の平安を祈念し、書写した般若心経を各地の神社や寺に奉納したことで知られる。
 「疫病で多くの人々が死亡したのは、徳が十分でなかったためで心が痛む。般若心経を金字で写し、供養させることが疫病の妙薬となることを願う」。後奈良天皇はそんな思いを写経の奥書に記したという説明に、皇太子さまは興味深そうに聴き入ったという。
 実は天皇陛下も、象徴天皇のあるべき姿として後奈良天皇の名前を繰り返し挙げてきた。即位前に皇室のあり方を問われた際、嵯峨天皇以来の歴代天皇の「写経の精神」とともに、皇太子さまが言及した後奈良天皇による写経の奥書を紹介。これとは別に「国民の幸せを大切に考えるという精神が後奈良天皇にみられ、皇室の伝統として現在につながる」と宮内記者会に文書で回答したこともあった。「国民に寄り添い、喜びも悲しみも共にしたい。あえて奥書に言及したのは、陛下の姿勢を受け継ぐという意思表明ではないか」と皇太子さまと長く交流のある関係者は語った。


↑の文章は、2017年2月23日 朝日新聞DIGITALで報じられた記事の抜粋である

後奈良天皇を鑑(かがみ)としようと言うのだろうか?

その裏に潜む重大事に私は大きな不安を感じているのだが・・・


105代 後奈良天皇は朝議の再興を率先した人物である

朝議とは朝廷(皇室)において開かれる評議のことである

私の思い過ごしかもしれないが・・・皇族会議の復興を視野にいれて

朝議の復興を推進した後奈良天皇を手本としたいと願っているように感じた



後奈良天皇は通説によれば、伊勢神宮に対して・・・

「今この国では王道が行われず、聖賢有徳の人もなく、利欲にとらわれた

下剋上の心ばかりが盛んです。このうえは神の加護を頼むしかなく、

上下和睦して民の豊穣を願うばかりです」




神の加護を求めその結果、仏教である【般若心経】の写経を各地の「一宮」に

奉納した天皇なのです

自分には徳が無いことを詫びながら、行いは仏教徒らしさ全開では・・・

八百万の神も写経をもらってどう感じたものか

どう擁護しようとも「祭祀王」の言動ではないと感じるのは私だけかもしれない

写経が悪いとは言わない

その当時では当然の行動かもしれない

しかし・・・現在日本人が考えているような、天皇=祭祀王というのは

この時代よりはるか以前に消え失せているのではないだろうか


事あるごとに「国民に寄り添い」「日本国憲法を順守し」と仰る天皇陛下だが

譲位を公に口走り、法改正までさせることに大きな齟齬をきたすのではないか

皇室解体論の極左野党も、今回はだんまりを決め込む辺りに胡散臭い臭いがする


私は以前から美智子皇后に持統天皇の影を感じていると言ってきた

では今上天皇はどうか?

私は今上天皇に聖武天皇の影を感じている

第45代 聖武天皇は仏教に帰依し、神の子孫であることを放棄した天皇であり

皇族以外から皇后(光明子)を迎えた初めての天皇である

私は光明皇后(光明子)は通説にあるような慈悲深い皇后ではなかった

そのように考えている

いろいろな文献を観ても素晴らしい業績に反し、人間味が感じられない

現実に生きている光明子の息遣いが感じられないとでも言おうか・・


とは言っても、誰が何を考えようと、何を望もうとも道は決まっている

世襲のデメリットは能力や資質によって後継者を選択できないという事であり

それを補填し補佐するのは傍に仕える「人臣」であり、現代の「宮内庁」で

あるべきなのだが、その宮内庁が【救いようの無い官賊】だらけでは・・・


政治も三流なら、省庁役人も三流、メディアも当然三流以下では救われない話だ

国の元首が女房の暴走を看過し、政治のトップが女房の暴走を止められない

女性が強くなる事とは別次元の忌々しき事態なのは明白である

五十歩・・いや百歩譲っても、今回の譲位騒動の発端は今上天皇の

憲法違反なのは間違いない・・・


国家元首であるから「象徴」たりうるのであり、天皇を退けば日本国の象徴たりえない

私の中の【天皇は日本&国民の象徴】とは、国家元首=天皇=国民統合の象徴で

不変なのである

天皇を退けば日本の象徴ではなくなるという事なのである。

Posted on 2017/04/02 Sun. 21:54 [edit]

category: 歴史

thread: 思うこと - janre: 学問・文化・芸術

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