どちらを選択するかの理由とは  


プロ野球は読売ジャイアンツが13連敗をしたと大盛り上がり

その陰で10連敗をして後を追うヤクルトスワローズの姿が

何とも寂しさを感じる(本日、交流戦初の勝利で連敗ストップ)

勝っても負けても話題になる巨人、勝てば珍事、負ければ当然の

弱小燕軍団との「扱い」の差はどういう事なのか・・・・


プロ野球選手が初めてホームランを打つと、そのボールは観客から

本人に戻されると言う(あくまでもボールを拾った観客の方の好意ですが)


私はふと考えてしまった

そのボールは確かに選手が打ってホームランになったボールなので

選手本人にとって掛け替えの無い貴重な品である

ホームランになる前の投球がファールになっていれば、たった一度投手が

投げて、打者が打ったボール・・・

たまたま審判のボール袋に入っていたボールが使われた・・・

運命のボールと言えばそれまでですがw


では・・バットはどうなのか?

ボールにばかり興味や関心が向いてしまうが、打ったのは打者であり

そのホームランを「生んだ」のは紛れもなく「その時のバット」なのです

なぜプロ初ホームランのバットに光が当たらないのか?

どんなバットでもホームランになったとでも言うのだろうか?

それまで折れずに選手が使い続けてきたバットなのに?

どうでも良い事かもしれませんが・・・気になりますね(笑)


そこで、本題です

天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は「八岐大蛇」の尻尾から出てきたとされています

別名・草薙の剣(くさなぎのつるぎ)のほうが知られていますが・・・

八岐大蛇を退治し蛇の尾を切り裂いたのは・・・十拳剣(とつかのつるぎ)である

別名「天羽々斬(あめのはばきり)」といいますが、草薙の剣に当たって刃が欠けた

とされ、この剣からアマテラスが三女神を生んだとされる

八岐大蛇を退治した剣より、出てきた方の剣を「神器」にしたというのだが・・・

バットとボールの関係に似ていませんか?


天羽々斬(十拳剣)は【石上神宮】に祭られていると言います

石上神宮は「物部氏」が祭祀を行っていたされ、ヤマトの武器庫と

して重要な役割を果たしていたという

石上神宮は出雲国造と同じ【神主の忌火成り神事】が行われたという

*神饌を煮炊きするため、火鑽(ひきり)によって神聖な火を得る神事のこと

天皇家と出雲国造(千家氏)、そして石上神宮(森氏)の関係は興味深い・・・


一方、草薙の剣は【熱田神宮】に祭られています

由緒では、素盞嗚尊は、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から

草薙剣を発見し、天照大神に献上した

天照大神は、その草薙剣を天孫降臨の際に迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けた

日本武尊は、草薙剣を持って蝦夷征伐を行い活躍したあと、妃の宮簀媛命のもとに預けた

宮簀媛命は、熱田の地を卜定して草薙剣を祀った



と、言われていますが・・・神器を蝦夷討伐に使ったり、大事な剣を預けたりと・・・

普通の剣のような扱い方をされているところが、なんとも解せません

何よりそんな大事な「神器」を祀る【尾張氏】について、記紀は無視しています

天皇家にとって「重要」だったから三種の神器の一つを祀っているのでは

と思うのはおかしいですか?

三種の神器が祀られているのに、熱田神宮にも明治までは天皇の参拝が

確認できません(伊勢神宮と同じ?)

*1868年(明治元年)9月27日:明治天皇
1878年(明治11年):明治天皇
1906年(明治39年):皇太子嘉仁親王(大正天皇)
1916年(大正5年):大正天皇
1946年(昭和21年):昭和天皇
1991年(平成3年):今上天皇・皇后
2005年(平成17年)7月12日:今上天皇・皇后(2005年日本国際博覧会行幸啓の折)


ちなみに、明治以前は【熱田神社】と呼ばれ、神宮とは呼ばれていなかった

三種の神器が祀られている社を「神社」と呼ばせていた天皇家って・・・

不思議な気持ちになりますね(笑)

三種の神器と神宮&神社については次の機会に・・・・。


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Posted on 2017/06/11 Sun. 21:31 [edit]

category: 歴史

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伝承と推理  


公式文書だから信用できるのか?

現代の政治事件や政治スキャンダルを観ても、否定的な意見を

持たざる得ない・・

昨今、巷間で噂になっていることが事実と思われても、国家が正式な

文書として後世に残すことは無い

なぜなら権力側にとって、残すことに意味を持たないものは、残さないからである

「憲法違反の疑いを国民は危惧していた」

そんなことを公文書として残す道理が無い・・・・ですよね


愛知県三河地方にある言い伝えが遺されている

第36代 孝徳天皇の皇女・綾姫が、大化5年(649年)都から遠い地である

西三河の浜辺に【漂着】したという

孝徳天皇は女性天皇とされる皇極天皇の譲位によって即位した天皇で

中大兄皇子が即位しなかったので、皇極帝の弟である「軽皇子」が即位

することとなった曰く因縁のある天皇である

「大化の改新」の時代の天皇だが、謎の多い天皇でもある

実際の政治は中大兄皇子が仕切っていたとされ、改革に対し

周囲に不満や反感を覚えるものが多かったと言う

その代表が「蘇我入鹿」を後ろ盾とした【古人大兄皇子】だったが

反乱計画があると密告する者が現れ、中大兄皇子の手によって

皇子一族が滅ぼされてしまった

さらには蘇我入鹿暗殺に加担した「蘇我倉石川麻呂」が中大兄皇子の

暗殺を計画したとして追い詰められ、自殺に追いやられていて、その後

妻子も後を追ったとされる

その石川麻呂の事件が起こったのが 大化5年(649年)なのである

翌年には孝徳天皇は新しい宮(難波長柄豊崎宮)に遷っていることから

皇女が流されたり、追放になる理由が考えられない


私の妄想であるが・・・

もしかすると、石川麻呂の娘(姫)が孝徳天皇に仕えていて、父親に降りかかった

冤罪によって、自身の身の危険を感じて逃げ出した可能性もある

孝徳天皇は「置き去りにされた帝」であり、孤独死したと伝えられている

中大兄皇子が皇極上皇、大海人皇子、孝徳天皇の皇后を連れて

ヤマトに帰ってしまったと言うのだから・・・

孤独死だったのか、命を縮められたのか・・・

もしかすると、孝徳天皇の皇女だったかもしれないが、孝徳天皇の皇子・皇女

の記録が見当たらないので、断言できないが・・・

浜の里人によって秘密にされ大事にされて余生を過ごしたのかもしれない


大海人皇子(天武天皇)と三河地方は深いかかわりがある

天武天皇の皇子・草壁皇子が三河の地に住み、此処で亡くなったという

伝承があり、火葬した場所や墓まで存在するという

都で持統天皇の皇太子だった草壁皇子・・・病死した草壁皇子とは

いったい誰だったのだろうか?


不都合な真実は記録に残されない

最初から草壁皇子ではなく、持統天皇が天皇位を継ぐ意図が有りや無しや

なぜ女性天皇だったのか?

権力を一族のモノで占有したい陰謀が決意させるのかもしれない


歴史はパーツの大きく欠けた「ジグソー」である

どのパーツを何処に嵌めるのかで、見えるものが変化する

何を信じて、何を疑い、何をどのような角度から見るのかによっても

不思議な景色を見せてくれる

歴史に絶対も無ければ、100%も無いのである

誰もが歴史家になれて、誰もが旅人になれるのである。

Posted on 2017/06/09 Fri. 22:42 [edit]

category: 歴史

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大河ドラマ  


大河ドラマを観ている方もいらっしゃることと思う

私も嘗ては楽しみに観ていた時期がある

父親が見ていたことも影響して、一作目(花の生涯)から

11作目の国盗り物語まですべて分からないながらも観ていた


その後、社会の波にもまれて観る機会が無く、所帯を持ってから

25作目の独眼竜政宗~26作目の武田信玄、32作目の炎立つは

観ていたが、その後は観ることが無くなった


どうして観なくなったのかと言うと・・・

興味がない題材の作品が多かった事

さらに、学芸会と見まがうばかりの主役に落胆したこと

自分の中の歴史観と次第に「ずれ」が生じてきたことが

主な要因である


腐っても鯛 という言葉がある

NHK大河ドラマは最高のキャスティングと時代考証があって

成り立つものだと私は思っていた

若いタレントやお笑い芸人、歌手もどきが主となっては

私にとって観る価値が無いに等しいのである


NHK大河の功罪は幾つかあるが、もっとも貢献しているのが

「所縁の地」への地域貢献ではないだろうか

大河で出てくる「ご当地」へ足を運ぶ視聴者も多いと聞く

地域おこし、地域活性の一役を買っていると言える

それだけでも大河が制作されるメリットは十分なのかもしれないが


歴史という題材は本(脚本)を書く人にとって、好都合なことが多い

歴史の真実は「その時・その場所」に立ち会わなければわからない

という大原則がある

そういう点から考えても「正しい・正しくない」という判断基準は不明確だ

その?を上手に脚色して「ドラマ(フィクション)」は制作される

私のような「偏屈爺」からすると、【つっこみどころ】が満載ではあるが・・・

批判するために見るほど酔狂な爺でもなく、観る価値が有るか無いか

という個人的問題だろうけど・・・


今回の「おんな城主直虎」を作るなら、戸次道雪の娘・立花誾千代を

題材にしたほうがより史実に近いと思うのは私だけだろうが・・・・

立花誾千代(ぎんちよ)は正式な手続きを経て、豊後・立花城の城主と

なった女性である

父親は「鬼 道雪」と異名で呼ばれた戸次(べっき)鑑連、誾千代は7歳の時に

父から家督一切を譲られて正式な城主となった人物である

実在が疑われる「直虎」より真実味があると思うが、視聴者にとって

真実か虚実は意味など無いのだろうが、創作と脚色では「説得力」

というものが大きく変わってくると私は思う


わずか4~500年前のことが正確にわからないのが歴史である

男だったのか女だったのか、同一人物だったのか別人だったのか

それすらわからない日本の歴史・・・

1000年前の皇位継承争いの真相など、解らなくて当然である


まして2000年前の古代日本の真相など・・・・

卑弥呼が「名前」だと思っている人も居る

私は「呼称」だと考えているが・・・それすら「憶測」でしかない

邪馬台国を「やまたい」と呼んだのも後世の人間であり

実際には何と呼ばれていた国だったかも謎である

古代中国式に発音すれば「ヤマドゥ」だと言う・・・・


何かを基準にするから「判断」できるのであって、「判断基準」そのもの

がどうなのかという事だと考えます

ボタンの掛け違いは歴史に限らず、人生でも起こっていることですが

今の日本では、こんな話は意味が無いですなぁ・・・・

Posted on 2017/06/07 Wed. 00:26 [edit]

category: 歴史

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縄文の民と月  


私たちは 太陽=神 という概念に違和感を感じることはありません

何処の国の文明でも 太陽神 が信仰の中心にあったと思っているし、

特に不思議に思わないのが現実かもしれません


日本の神も太陽神・アマテラスが中心に存在するとされていて

私はこの説に言いようのない違和感を感じています

太陽が神であっても別段問題などないことは承知していますが

本当に日本の神の中心が「太陽」だったのでしょうか?


太陽は恵みを与えてくれる、これに異論はありません

農耕民族にとっては何にも代えがたい「チカラ」を発揮する太陽ですが

狩猟民族にとって、はたして太陽が絶対無二だったのでしょうか?


人の生死にかかわる事象は、むしろ【月】の影響が大きいと感じるのは

私の単なる思い込みかもしれませんが・・・



質問です・・・今まで日(太陽)と月、あなたはどちらを多く見ましたか?


太陽を肉眼で見たことはほとんど無い私ですが・・・

月と星は住む場所が異なっても、ことあるごとに観て過ごしてきました


漠然とですが、縄文の民も太陽ではなく、月や星を見て暮らしていたのでは

そんなことを考えています


科学と言う「アイテム」が無かった時代、潮の満ち引きと月の関係を

把握していたかもしれません


ちなみにアイヌ語では・・・

【太陽】は ペケレチュプ

【月】は チュプ と言います

【星】は ノチウ と言います


クンネ チュプ カムイ  

クンネ は、「黒い」とか「夜」という意味で、チュプ は「月」

カムイは「神」ですから、「月は夜の神様」という意味でしょうか?


月を表現する言葉は、「チュプ」「チュプカムイ」「クンネチュプカムイ」などあり、アイヌの民が

「月」を特別なものとして捉えていた気がします


アイヌの伝承をすべて知っているわけではありませんが、よく聞く神様には

【フクロウの神】、【オオカミの神】、【海の神】などがありますが、太陽の神の

話は知りません(私が知らないだけで、あるかもしれませんが)


狩猟民族にとって、太陽神が重要な位置を占めていたとは到底思えないのです

恵みの神は農耕民族にとっては最高の神かもしれませんが、狩猟民族には

雨の日も風の日も「すべて神のなせる事」として、受け止めていたのではないでしょうか・・・


狩猟民族にとって、「絶対無二の神」は成立しません

あらゆるものに【神】が宿り、神の力によって生かされているとする

自然崇拝を基本とする民にとって、ずべての頂点に君臨する神など

受け入れないだろうと私は思っています


縄文の民は、月を見て何を思ったのか・・・・

月と縄文の民は「強い絆」で結ばれているかもしれません。


Posted on 2017/05/23 Tue. 21:39 [edit]

category: 歴史

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差別の真相 その2  



さて差別語にはどんな言葉があるのでしょう?

若い世代ではすでに「死語」になっている言葉があります

【穢多(えた)】 【非人(ひにん)】

歴史の専門家は中世・江戸期に創られた身分制度というように

解説しています

さらに明治期になって「戸籍」に階級制度のように記載したことから

現代の部落差別の元になったというように教えています

士・農・工・商・非人・穢多 というように、区別していたと仰る専門家もいます

(士農工商は身分制度ではないことは以前に書きました、今でも身分制度が

あったと信じている専門家がいることに驚いています)


では「穢多(えた)」とはどういう意味でしょうか?

これは 【穢(けが)れ多し】 という意味です

生き物(ケモノ)を殺すことを生業(なりわい)にしている人々のことで

この世で一番穢れていると決めつけました

江戸期にこれほど明確な「ケガレ思想」で区別・差別したとは驚きですが・・・


私はこのような説に疑問を感じています

本当に江戸期に創られた身分制度だったのでしょうか?

私個人の考えでは、もっと、ず~っと以前からこのような区別・差別が

存在していた気がします

だって・・・ケガレ思想の起点は古代ヤマトからのはずですよね・・・

旧ブログでも書いた気がしますが、平安期の貴族は庶民は下賤なモノと

して、人に非ずと扱っていたと言います


安倍晴明の使役していた【式神(しきがみ)】は公家の眼には見えなかった

という説話がありますが、下賤なモノは穢れたものとして、観ると自身が穢れ

るという理由から、「見えないモノ」として通したのである

誰が考えても、人のいないのに門が勝手に空いたり閉まったりする訳が無い(笑)

貴族以外はヒトとして扱わなかった平安貴族・・・・

官位5位未満の人間は昇殿を許さなかったくらい、差別する人種だったのだから

「死」や「血」で穢れた人間を忌み嫌い差別したことは容易に想像できるのです

言葉での差別が何時の時代からなのかは明確ではありませんが、基本的な

穢多(えた)に対する差別は平安期からあっただろうと私は考えています


ちなみに、日本では首都(みやこ)が頻繁に変わったのも世界から観れば「異常」

なんですよね・・・

初代が造った都を、次の王がさらに建て増しして大きく豪華にしていき、さらに次の王が

新たな施設を築いて大きくしていくというのが、世界的な都の姿なのですが・・・

日本では王(天皇)が変わるたびに、都を遷都していました

なぜでしょう?

これこそが「ケガレ思想」というものなのです

先帝が死ねば、その帝の作った都は「死」によって穢れてしまったということ

で、新たな「穢れていない」都を作る必要があったのです

平安京が完成するまでは、そういう思想が基本だったという事でしょう

死=ケガレ の平安期に「穢多(えた)」の差別が無くて、江戸期に差別ができたという

通説には、私は納得できません

言葉はともかく差別そのものは千年以上前からあったと考えるべきだと・・・

私は考えています


それと、穢多や非人というのは身分制度ではないと考えています

いうなれば、ケガレ思想というものが根底にある「偏見・差別」だと思っています


アイヌ差別問題とは・・・

狩猟民族である「日本の先住民」を差別したい「農耕民族」の末裔の偏見以外の

何ものでもないと私は感じています

(現代の部落差別問題とは基本的に違う次元の話ですが・・・)


例えば、皇族が来ると交通規制や入場規制が行われますが、どうしてでしょう?

私たちを下賤なものとして差別している?

まぁ・・・差別か否かは別にしても、区別はしていると思いますが(笑)


ある知人の理論では、天皇制度こそ最大の差別であると言います

我々の税金で生活していながら、我々には無い特権と待遇を保持し

「不敬」だとか、「畏れ多い」とか一方的に言われるだけで、我々国民は

特筆すべき「恩恵」は何も受け取っていないのが現実だ!

というのですが、解釈の違いもあるでしょうが、一概に否定することもできない気がします


我々の祖先と皇族とどちらが自分にとって「大切なのか」

天皇とは何なのか? どうして敬わなければいけないのか?

という疑問も耳にします

(そういう疑問もこの先、考えてみたいと思っています)


時代という流れからすると、誰でも知っている区切り方(区別)が

あります

この日本でも、【石器時代】~【青銅器時代】~【鉄器時代】というものです

時代という表現がふさわしくなければ、文明とか文化でも構わないでしょう

私も含めて大きな勘違いをしているかもしれないことが有ります

石器を使用していた人がある日、青銅器を使用して生活を始めたと

思ってしまうのですが・・・

これは科学の進歩の流れの中にいる「現代人」の感覚なのです

石器文明の人々が青銅器を使用するまでには、多くの争いがあったと

思っています

より強い精度の高い武器を持った人々が「話し合い」で他人の土地に

住み着くでしょうか?

アメリカ人は高度な武器を持っていましたが「ネイティブ・アメリカン」と

平和的に話し合いましたか?

青銅器を以て日本に足を踏み入れた人々は、石器文化の人々の土地を浸食

略奪したかもしれません

その後に鉄器の技術をもった人々が日本に来たときは、青銅器文化の人々を侵略し

追放したことでしょう

明らかに石器人と青銅器人と鉄器人は別の民族です

今この国の頂点にいるのが「鉄器文明」を持ち込んだ人の末裔です

アイヌを東に追いやり、出雲族を遠方に追いやり、ヤマト人と称する

日本人は最後に日本に流れ着いた鉄器人だと私は考えています


こういう理屈からいうと、天皇家の人々は出雲族・アイヌを差別・侵略して

今の地位に君臨しているともいえるかもしれません

あくまでも可能性の話ですが・・・・


私は差別が特別悪い事だとは考えないようにしています

理想からいうと「差別など無い」事が望ましいですが、差別とは

違いでもあります

差別を【虐待】と混同している人も多くいます

差別という語を調べてみてください・・・

きっとこう書いてあるはずです

《 特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為

また、不利益を強制する行為 》


東宮一家がスキー旅行に行く際に、われわれ国民に不自由な思いや

不利益を与えることも皇族による歴とした【差別】にあたる可能性が

あるという考えもできます


部落問題に限らず、その存在に対しての特別視とは別のものとして

規範意識のない言動に対しては明確な【差別】があって然るべきであり

その人物・集団の存在に対し「差別」することがあってはならないという考えです


犯罪者を特別視し、安易に社会復帰させないことも「差別」だと言えますし

それが悪いと言い切れる人だけではないはずです

自分の家族を殺されて、相手が心神耗弱で無罪放免・・・・

そんな加害者を特別視(前科者差別)するのは当然ともいえます

私なら、どんな手段を講じても、安穏な社会復帰などさせません

命に代えても・・・・


私は若い頃、身障施設の職員をしていました

障害者差別という言葉がありますが、私はそのようなものはごくわずかで有って

障害者が自分自身を「特別な存在」として甘えている現実を知っております

差別しているのは健常者ではなく、生涯を持つ人自身が差別という壁を作って

いることが多々ありました

「やってもらって当たり前」

「健常者が何でもやってくれるのが常識」

「何かと言えば、障碍者を馬鹿にする」

事実は当事者しか知り得ませんが・・・現実は小説より奇なりです


まだまだ書くべきことは有ると感じていますが、今回の「差別について考える」は

区切りにしたいと思います


* この差別に関する文章はあくまでも長屋の爺の私感であり、異論がある方は

自身のブログに於いて反論若しくは自説をお書きくださいますように・・・


次回からは「縄文の世界の神様」について、おさらいしてみたいと思います。


Posted on 2017/04/26 Wed. 22:50 [edit]

category: 歴史

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