応援歌  







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Posted on 2018/01/16 Tue. 00:27 [edit]

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初詣に行ってきました  


3が日を過ぎ、初詣の旅に行ってまいりました

1泊2日の「のんびり旅」のつもりでしたが

予想外に修行と思えることが待ち構えておりました


私の場合は「ご利益」「願掛け」「お願い」はせず

2018年という年を迎えられた感謝を念じる参拝でした

おかげさまで御朱印も頂き、友人から頼まれた土産も

何とか購入して、ちょっとした渋滞の中、先ほど帰宅いたしました


私と友人Aの旅の「お約束」・・・

1日目は晴れ、2日目は雨という「てっぱん」の予想通り

今回も雨に降られました(笑)


疲れましたので、詳細は明日にでも・・・

お休みなさい 

Posted on 2018/01/05 Fri. 22:06 [edit]

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明けましておめでとうございます。  


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            新年あけましておめでとうございます


            本年も宜しくお願い致します


朝寝 朝酒 朝湯に箱根駅伝と、正月を満喫しております

新しい年に於いて、一つでも多くの「よろこび」がありますように・・




「よろこび」と聞いて、どんな文字を思い浮かべますか?

よろこぶ という漢字 にはある一定の条件があると言います

雑学ですが


❶ 喜び

最も一般的な「喜ぶ」という字の語源は、太鼓を打って、歌い踊ることで

神の機嫌を良くさせることだそうだ

他者から何らかの物や行為を与えられてよろこぶという外発的な感情を表している

要するに「喜ぶ」には、何かを「頂いた」という前提が必要なのである


❷ 歓び

「歓」は、古代中国の鳥占いが関係しており、願いが叶った時の感情を表している

つまり「歓」を使うときは、前提として願望がまず無いとならないという事になる

「歓び」とは、願いが叶ってうれしいと言う意味なのだ


❸ 慶び

「慶」は、お祝いの品を持って行くときの明朗な感情を表している

古代中国では鹿の角をお祝いの品にしたらしいが、それを届けようと

歩いている時の心が「慶び」なのだそうだ

つまり、この字を使うのはお祝いに限られる


❹ 悦び

「悦」の語源的な意味は、神がかりして恍惚とすることだそうだ

「悦に入る」という言葉があるが「悦」は心の中におけるよろこびの感情である

従って「悦び」は、何の前提も無く、自分の中から湧き上がるよろこびを表現する

ときに使う

子どもの時の理由なく楽しい感覚を思い出せば分かり易い



* 知っているからと言って何の役に立たない事もこの世の中には多くあります

それを雑学というようですが、知る事の楽しさを知った私は無駄な「知る」が好き

で、しかも世の中のすべてを知っている人間は存在しません

他人にとっては無駄な事でも自分にとっては大切な事

きっと誰にもあるのではないでしょうか・・・

今年も長屋の爺は「独りよがり」なブログの更新をしていこうと思っております

よろしくお願いいたします


Posted on 2018/01/02 Tue. 22:52 [edit]

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どうでもいい事  


相変わらず多忙な日々を送っています

チョットしためぐりあわせの悪戯か、例年になく仕事が切れません

還暦を過ぎた爺にはかなりハードです(笑)

今月いっぱい予定が入っていますので、更新は来月になってから

平常に戻したいと思っています



【自転車の赤切符】 

道交法に基づき、裁判手続きに入る「告知票」のことで、重大、悪質な交通違反をした

運転者に交付される。

略式起訴されると、酒酔い運転は車の場合と同様、「5年以下の懲役または100万円以下の罰金」、

信号無視や一時不停止は「3カ月以下の懲役または5万円以下の罰金」が科せられる。

2015年6月からは、重大な事故につながる恐れがある14項目の危険行為を指定し、3年間で

2回繰り返した場合に義務付けられる「安全講習制度」が始まっている。


意外と知られていないのが「自転車の交通違反」だ

単なる「足替わり」とおもって軽視していると痛い目に合う

自転車も立派な【軽車両】なのである

飲酒運転で捕まりたくないから、ちょっと近くの居酒屋に自転車で・・・


これは自動車のケースと同じ【重罪】なのを知らない人が多すぎます

「ケッタ」「チャリンコ」などと軽く見ては泣きを観ることになりますから

くれぐれもご用心、ご用心・・・・


最近は横断歩道や一時停止線のある場所での取り締まりが強化されています

自転車も例外ではありません


信号機の無いT字の交差点で右左折する場合

一時停止をしないと違反切符を切られます

聞くところによると女性ドライバーが圧倒的に多いそうです

徐行はするけど一時停止はしないと言いますから、日ごろの心がけ?

優先順位を合理的、損得で瞬時に判断する傾向にあるそうです(笑)


明日流す涙は 今日見ることはできませんから ご注意を・・・

Posted on 2017/10/25 Wed. 22:42 [edit]

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犬と名君の話  


生類憐みの令

徳川5代将軍 綱吉によって定められたのはご存じですよね

ところが意外とその中身を知らないのが普通かもしれません

現代語訳で書くと・・・こういう事なのです


一、捨て子があればすぐさま届け出ようとせず、その場所の者がいたわり、

みずから養うか、またはのぞむ者がいればその養子とせよ。

よいか、届け出なくてかまわない。

一、鳥類・畜類で、人が傷つけたと思われるものは今までのように届け出よ。

共食いやみずから傷つけたと思われるものは届け出なくてよい。

それらを養育し、持ち主があればかえすようにせよ。

一、飼い主がいない犬に日ごろ食べ物をあたえないようにしているという。

それは要するに食べ物をあたえれば、その人の飼い犬のようになって面倒な

ことがおこると考え、いたわらないでいるらしいが、けしからん。

これからはそのようなことがないように心得よ。

一、飼い犬が死ぬと、飼い主は上司へ届けでているという。

その死に異常がなければ、これからはそのような届け出は無用である。

一、犬ばかりにかぎらず、人々はすべて生類へ慈悲の心からでるあわれみを

ほどこすことが肝要なのである。

 以上


江戸には犬が非常に多かったと言われています

しかし、私たちが考えるような状況ではなかったかもしれません

なぜ江戸に犬がいたのか?

それは武士(大名・旗本)が頻繁に鷹狩を行っていたことに由来します

鷹狩(たかがり)の時、獲物を追い出す役目を犬が担っていました

漁師に犬が不可欠なのと同じ理屈ですね・・・

だから、江戸初期には江戸市民ではなく武士が犬を飼っていた

さらに江戸の街中に広大な屋敷(上屋敷・中屋敷・下屋敷)を構えた

大名家の番犬の役目を担っていただろうと思います


そのうちに鷹狩は将軍家や一部有力大名の「趣味」になり、一般の武士は

鷹狩などやらなく(できなく)なります

広大な屋敷の中で番犬として生活しているうちは幸せだった犬も

屋敷の外へ出て行くようになり、あちこちで子犬が増え野良犬化したり

屋敷で生まれた子犬を江戸市中に捨てたりし、その一部が

商家や農家で変われるようになったと考えられます


なぜ【生類憐みの令】が出されたのか?

犬を大事にするために法律(令)を出すわけがありません

綱吉が将軍に就いたころは、江戸市中では刃傷沙汰が絶えなかった

のだろうと思います

江戸草創期のほんの少し前はどんな時代だったか考えればわかります

関ケ原や大阪冬の陣、夏の陣など、武士が刀や槍で 【人を殺すこと】 が

名誉であったのです

そんな気風が幅を利かせていた時代、江戸は殺伐とした街だった気がします

些細なことから刀を抜いて殺し合う・・・それが江戸の町だった

江戸に仕事に来ている職人や人夫なども、些細なことで殴り合いの喧嘩や

殺生が日常茶飯事だったかもしれません

綱吉は言ってみれば 【戦争を知らない世代】 だったから、野蛮な風習を

無くしたかったのかもしれません

日本の治安の良さの原点はもしかすると・・・綱吉の生類憐みの令だったかも

とは言い過ぎでしょうが、人を殺すことが【悪】となったのは、間違いなく

徳川5代将軍 綱吉の時代から後の事だと私は考えています

誤解されてしまった「生類憐みの令」は歴史の常識からすると

当然の事かもしれません


綱吉の後の権力を握った人物が、先代の評判を落として

自分の政策や治世をよく見せるのは常套手段ですから・・・


私はそういう意味からも、田沼意次という政治家を評価しています

後世の人間が「意次」を悪人と評価すればするほど、有能な人物だったと

思えてくるのです

結果を見れば、松平定信の政治能力は田沼の足元にも及びません

私はこの時代は門外漢なので、この辺で止めておきますが(笑)



日本の古代の歴史でもこの法則は当てはまります

酷い事を書き残された治世者(天皇)は名君だった可能性が高く

ほめちぎられている天皇は「愚帝」だったかもしれません


政権が変わって前政権を褒め称えるのは少し異常であり

書きのこすにはそれ相応の「理由」があるはずなのです


先帝より「資質・人格」が劣る者ほど、先帝を貶める「記述」を

残したのかもしれません

Posted on 2017/05/18 Thu. 22:23 [edit]

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