犬と名君の話  


生類憐みの令

徳川5代将軍 綱吉によって定められたのはご存じですよね

ところが意外とその中身を知らないのが普通かもしれません

現代語訳で書くと・・・こういう事なのです


一、捨て子があればすぐさま届け出ようとせず、その場所の者がいたわり、

みずから養うか、またはのぞむ者がいればその養子とせよ。

よいか、届け出なくてかまわない。

一、鳥類・畜類で、人が傷つけたと思われるものは今までのように届け出よ。

共食いやみずから傷つけたと思われるものは届け出なくてよい。

それらを養育し、持ち主があればかえすようにせよ。

一、飼い主がいない犬に日ごろ食べ物をあたえないようにしているという。

それは要するに食べ物をあたえれば、その人の飼い犬のようになって面倒な

ことがおこると考え、いたわらないでいるらしいが、けしからん。

これからはそのようなことがないように心得よ。

一、飼い犬が死ぬと、飼い主は上司へ届けでているという。

その死に異常がなければ、これからはそのような届け出は無用である。

一、犬ばかりにかぎらず、人々はすべて生類へ慈悲の心からでるあわれみを

ほどこすことが肝要なのである。

 以上


江戸には犬が非常に多かったと言われています

しかし、私たちが考えるような状況ではなかったかもしれません

なぜ江戸に犬がいたのか?

それは武士(大名・旗本)が頻繁に鷹狩を行っていたことに由来します

鷹狩(たかがり)の時、獲物を追い出す役目を犬が担っていました

漁師に犬が不可欠なのと同じ理屈ですね・・・

だから、江戸初期には江戸市民ではなく武士が犬を飼っていた

さらに江戸の街中に広大な屋敷(上屋敷・中屋敷・下屋敷)を構えた

大名家の番犬の役目を担っていただろうと思います


そのうちに鷹狩は将軍家や一部有力大名の「趣味」になり、一般の武士は

鷹狩などやらなく(できなく)なります

広大な屋敷の中で番犬として生活しているうちは幸せだった犬も

屋敷の外へ出て行くようになり、あちこちで子犬が増え野良犬化したり

屋敷で生まれた子犬を江戸市中に捨てたりし、その一部が

商家や農家で変われるようになったと考えられます


なぜ【生類憐みの令】が出されたのか?

犬を大事にするために法律(令)を出すわけがありません

綱吉が将軍に就いたころは、江戸市中では刃傷沙汰が絶えなかった

のだろうと思います

江戸草創期のほんの少し前はどんな時代だったか考えればわかります

関ケ原や大阪冬の陣、夏の陣など、武士が刀や槍で 【人を殺すこと】 が

名誉であったのです

そんな気風が幅を利かせていた時代、江戸は殺伐とした街だった気がします

些細なことから刀を抜いて殺し合う・・・それが江戸の町だった

江戸に仕事に来ている職人や人夫なども、些細なことで殴り合いの喧嘩や

殺生が日常茶飯事だったかもしれません

綱吉は言ってみれば 【戦争を知らない世代】 だったから、野蛮な風習を

無くしたかったのかもしれません

日本の治安の良さの原点はもしかすると・・・綱吉の生類憐みの令だったかも

とは言い過ぎでしょうが、人を殺すことが【悪】となったのは、間違いなく

徳川5代将軍 綱吉の時代から後の事だと私は考えています

誤解されてしまった「生類憐みの令」は歴史の常識からすると

当然の事かもしれません


綱吉の後の権力を握った人物が、先代の評判を落として

自分の政策や治世をよく見せるのは常套手段ですから・・・


私はそういう意味からも、田沼意次という政治家を評価しています

後世の人間が「意次」を悪人と評価すればするほど、有能な人物だったと

思えてくるのです

結果を見れば、松平定信の政治能力は田沼の足元にも及びません

私はこの時代は門外漢なので、この辺で止めておきますが(笑)



日本の古代の歴史でもこの法則は当てはまります

酷い事を書き残された治世者(天皇)は名君だった可能性が高く

ほめちぎられている天皇は「愚帝」だったかもしれません


政権が変わって前政権を褒め称えるのは少し異常であり

書きのこすにはそれ相応の「理由」があるはずなのです


先帝より「資質・人格」が劣る者ほど、先帝を貶める「記述」を

残したのかもしれません

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Posted on 2017/05/18 Thu. 22:23 [edit]

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縄文の神様  


連休に突入したら、気のゆるみからか「風邪」を引いてしまった

連休初日と2日目は風邪でダウンという大失態でした

週末は旅行に行くことになっているので、風邪完治のために

兎に角「寝る」ことに専念したいと思っています(笑)


  祭りを見れば 神さまの歴史が解る

古くから伝わっているとされる「祭り」の中身を見れば、その神社に祭られている祭神の

歴史が解ると私は考えています

私たちの身近にある神社の「祭り」では、どんな供物が供えられているのか・・・

意外と気にしてない事なのですが、一般的には「穀物」「野菜」「果実」「魚」「貝」

だと言います

そうなんです・・・

日本人の食卓に普通にある「肉」が含まれていません

供えられていないのには理由があるはずです


素朴な疑問ですが、農耕民族の神様を祀る神社に「魚介類」が

供えられるのはどうしてなのか?

同じ生き物でも、ケモノの肉はNGで魚や貝はOKなのはどうしてか?


例えば、諏訪大社では元旦の朝に執り行われる「蛙狩神事」や

春に行われる「御頭祭」などで、カエル、ウサギや鹿、イノシシなどが

神前に供えられる

明らかに「狩猟民族」が崇拝していた「神」への貢物だろうことは想像できる

のですが、魚は良くて動物の肉はダメな理由とは・・・


私の個人的な考えでは、こういう事なのです・・・

古代先住民(狩猟民族)は木の実や魚介類だけで無く、動物の肉を供えていた

のではないか

全てのモノに神が宿るのだから、神がくれた動物をいただくことへの「感謝」を

表していたと思っている


その先住民を追い出して日本に勢力を広げたのが海を渡ってきた「海人」たち

ではなかったか・・・

もしかするとその人々は青銅器と言う文明も持っていたかもしれないが

彼等の供え物は魚介類と海藻、塩が中心だったのではないだろうか


一番後に日本に渡ってきた人々も、おそらくは海人であり、鉄器と稲作を

携えて日本にたどり着いた民族で、先に定着した海人たちの崇拝する神に

自分達も溶け込んでいったのではないだろうか・・・

それゆえ、「穀物」と「魚介類」がともに神の前に供えられる今の形になった

というのが私の想像です

もう少し書きたいのですが、まだ完全に熱が下がっていないので今日はここまでに



Posted on 2017/05/02 Tue. 00:01 [edit]

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ブログタイトルの変更について  


私はブログタイトルは単純な思い付きで決めて来た

今回の「月明かりの下で」は転居後のベランダから観た「月」に

照らされた公園を眺めて決めた・・・

「不必要な善意」の読者の方からの指摘で、本日「月明かりの下で」

で検索したところ、多くの同名タイトルがFC2ブログに存在することを知り

驚きと共に自身の軽率さを実感しました


検索して訪問される方の事も考え、タイトルを変更したいと思います

【 月明かりの下で神よ眠れ 】

急なことで、考える時間も無くこれも思い付きではありますが

検索してみたところ同名のブログが存在せず、当面はこの

ブログタイトルで続けようと思います


勝手なことでご不自由・ご迷惑をおかけいたします事

お許しくださいますよう・・・

           (長屋の爺)

Posted on 2017/04/25 Tue. 21:07 [edit]

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今年の桜  


例年になく雨が多く、体調不良もあって今年は桜を諦めていた

しかし、慣れない近所を散歩していたら「サクラ」を発見

雨の合間で少し暗かったので、写りはイマイチですが・・・


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 世のうさも 身のおろかさも 思われず

    花にむかへる 春の心は
  (第111代 後西天皇)



 のどかなる わが九重の 櫻花

    さかり久しく 見るぞうれしき
   (第116代 桃園天皇)

Posted on 2017/04/13 Thu. 22:20 [edit]

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