縄文の民と月  


私たちは 太陽=神 という概念に違和感を感じることはありません

何処の国の文明でも 太陽神 が信仰の中心にあったと思っているし、

特に不思議に思わないのが現実かもしれません


日本の神も太陽神・アマテラスが中心に存在するとされていて

私はこの説に言いようのない違和感を感じています

太陽が神であっても別段問題などないことは承知していますが

本当に日本の神の中心が「太陽」だったのでしょうか?


太陽は恵みを与えてくれる、これに異論はありません

農耕民族にとっては何にも代えがたい「チカラ」を発揮する太陽ですが

狩猟民族にとって、はたして太陽が絶対無二だったのでしょうか?


人の生死にかかわる事象は、むしろ【月】の影響が大きいと感じるのは

私の単なる思い込みかもしれませんが・・・



質問です・・・今まで日(太陽)と月、あなたはどちらを多く見ましたか?


太陽を肉眼で見たことはほとんど無い私ですが・・・

月と星は住む場所が異なっても、ことあるごとに観て過ごしてきました


漠然とですが、縄文の民も太陽ではなく、月や星を見て暮らしていたのでは

そんなことを考えています


科学と言う「アイテム」が無かった時代、潮の満ち引きと月の関係を

把握していたかもしれません


ちなみにアイヌ語では・・・

【太陽】は ペケレチュプ

【月】は チュプ と言います

【星】は ノチウ と言います


クンネ チュプ カムイ  

クンネ は、「黒い」とか「夜」という意味で、チュプ は「月」

カムイは「神」ですから、「月は夜の神様」という意味でしょうか?


月を表現する言葉は、「チュプ」「チュプカムイ」「クンネチュプカムイ」などあり、アイヌの民が

「月」を特別なものとして捉えていた気がします


アイヌの伝承をすべて知っているわけではありませんが、よく聞く神様には

【フクロウの神】、【オオカミの神】、【海の神】などがありますが、太陽の神の

話は知りません(私が知らないだけで、あるかもしれませんが)


狩猟民族にとって、太陽神が重要な位置を占めていたとは到底思えないのです

恵みの神は農耕民族にとっては最高の神かもしれませんが、狩猟民族には

雨の日も風の日も「すべて神のなせる事」として、受け止めていたのではないでしょうか・・・


狩猟民族にとって、「絶対無二の神」は成立しません

あらゆるものに【神】が宿り、神の力によって生かされているとする

自然崇拝を基本とする民にとって、ずべての頂点に君臨する神など

受け入れないだろうと私は思っています


縄文の民は、月を見て何を思ったのか・・・・

月と縄文の民は「強い絆」で結ばれているかもしれません。


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Posted on 2017/05/23 Tue. 21:39 [edit]

category: 歴史

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ポンコツ  


仕事中に首と背中を痛めてしまい、ダウン寸前の長屋の爺です

毎年のことながら4月から3ヶ月くらいは多忙ですが、歳を重ねるたびに

身体の不具合が顕著になってきています

仲間内では「ポンコツ」として認知されていますから(笑)


「歳なんだから、そこそこにしとけば」

そういう言葉が大嫌いで、歳が半分の若者と張り合って仕事をし

若者の仕事まで「奪って」体をイジメる、大ばか者でもあります

「できない」 「無理」 という言葉が死ぬほど嫌い・・・・

金にならぬ仕事が三度の飯より好き(笑)


ゴールデンウィークに旅行に出かけたから、痛い・痒いとは言えず

顔で笑って、内心では泣いています

夏に神宮球場に出かけることを励みに、歯を食いしばって働こうと・・・



【意】 い 

 と  が合わさった文字

音によってその心を、「おしはかる」ことから、元の意味は【おしはかる】

ここで言う「音」とは、神の「音ない(音を立てること)」

「おしはかる」とは、神の意思をおしはかることです


私は「おとない」と聞くと、【訪い】という言葉を連想します

【訪】 ほう

訪とは、各地の神様に謀(はか)ることを言います

神に謀り「神意」を問うという意味です

そこから各地を「たずねる・おとずれる」の意味となり

神の真意を聞きに訪れること、音なう=訪うになったと思われます


私たちの周りの「漢字」は神さまに由来するものが多くあります

それは神さまが非常に大事なものだったから、必要だったからだと

私は考えています


神さまに向き合う「形」「意識」を広い範囲の人々に伝えるために

文字が創られたのだと思っています


*ただし、この神とは「ヒトの形」をした「現代の神」ではなく

全ての事物に存在する神、アニミズムの神を指します

後に【八百万の神(やおよろずのかみ)】と称した神でしょうか


八百万の神に対する信仰が、現代の日本人の「精神性」に

大きく関わっているのではないかと私は感じています。



Posted on 2017/05/20 Sat. 22:55 [edit]

category: 文字・漢字

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犬と名君の話  


生類憐みの令

徳川5代将軍 綱吉によって定められたのはご存じですよね

ところが意外とその中身を知らないのが普通かもしれません

現代語訳で書くと・・・こういう事なのです


一、捨て子があればすぐさま届け出ようとせず、その場所の者がいたわり、

みずから養うか、またはのぞむ者がいればその養子とせよ。

よいか、届け出なくてかまわない。

一、鳥類・畜類で、人が傷つけたと思われるものは今までのように届け出よ。

共食いやみずから傷つけたと思われるものは届け出なくてよい。

それらを養育し、持ち主があればかえすようにせよ。

一、飼い主がいない犬に日ごろ食べ物をあたえないようにしているという。

それは要するに食べ物をあたえれば、その人の飼い犬のようになって面倒な

ことがおこると考え、いたわらないでいるらしいが、けしからん。

これからはそのようなことがないように心得よ。

一、飼い犬が死ぬと、飼い主は上司へ届けでているという。

その死に異常がなければ、これからはそのような届け出は無用である。

一、犬ばかりにかぎらず、人々はすべて生類へ慈悲の心からでるあわれみを

ほどこすことが肝要なのである。

 以上


江戸には犬が非常に多かったと言われています

しかし、私たちが考えるような状況ではなかったかもしれません

なぜ江戸に犬がいたのか?

それは武士(大名・旗本)が頻繁に鷹狩を行っていたことに由来します

鷹狩(たかがり)の時、獲物を追い出す役目を犬が担っていました

漁師に犬が不可欠なのと同じ理屈ですね・・・

だから、江戸初期には江戸市民ではなく武士が犬を飼っていた

さらに江戸の街中に広大な屋敷(上屋敷・中屋敷・下屋敷)を構えた

大名家の番犬の役目を担っていただろうと思います


そのうちに鷹狩は将軍家や一部有力大名の「趣味」になり、一般の武士は

鷹狩などやらなく(できなく)なります

広大な屋敷の中で番犬として生活しているうちは幸せだった犬も

屋敷の外へ出て行くようになり、あちこちで子犬が増え野良犬化したり

屋敷で生まれた子犬を江戸市中に捨てたりし、その一部が

商家や農家で変われるようになったと考えられます


なぜ【生類憐みの令】が出されたのか?

犬を大事にするために法律(令)を出すわけがありません

綱吉が将軍に就いたころは、江戸市中では刃傷沙汰が絶えなかった

のだろうと思います

江戸草創期のほんの少し前はどんな時代だったか考えればわかります

関ケ原や大阪冬の陣、夏の陣など、武士が刀や槍で 【人を殺すこと】 が

名誉であったのです

そんな気風が幅を利かせていた時代、江戸は殺伐とした街だった気がします

些細なことから刀を抜いて殺し合う・・・それが江戸の町だった

江戸に仕事に来ている職人や人夫なども、些細なことで殴り合いの喧嘩や

殺生が日常茶飯事だったかもしれません

綱吉は言ってみれば 【戦争を知らない世代】 だったから、野蛮な風習を

無くしたかったのかもしれません

日本の治安の良さの原点はもしかすると・・・綱吉の生類憐みの令だったかも

とは言い過ぎでしょうが、人を殺すことが【悪】となったのは、間違いなく

徳川5代将軍 綱吉の時代から後の事だと私は考えています

誤解されてしまった「生類憐みの令」は歴史の常識からすると

当然の事かもしれません


綱吉の後の権力を握った人物が、先代の評判を落として

自分の政策や治世をよく見せるのは常套手段ですから・・・


私はそういう意味からも、田沼意次という政治家を評価しています

後世の人間が「意次」を悪人と評価すればするほど、有能な人物だったと

思えてくるのです

結果を見れば、松平定信の政治能力は田沼の足元にも及びません

私はこの時代は門外漢なので、この辺で止めておきますが(笑)



日本の古代の歴史でもこの法則は当てはまります

酷い事を書き残された治世者(天皇)は名君だった可能性が高く

ほめちぎられている天皇は「愚帝」だったかもしれません


政権が変わって前政権を褒め称えるのは少し異常であり

書きのこすにはそれ相応の「理由」があるはずなのです


先帝より「資質・人格」が劣る者ほど、先帝を貶める「記述」を

残したのかもしれません

Posted on 2017/05/18 Thu. 22:23 [edit]

category: 未分類

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ゴマ豆腐、雨の九頭竜湖  


帰路では高速に乗らずに、一路「九頭竜湖」へ向かう・・・

あいにくの雨だったが、これもまた「旅」の思い出になる


途中、「永平寺ごま豆腐」を買い求めに寄り道・・

ごまをする



混ぜる



混ぜる2



まぜる3



型に流す




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切り分ける



完成


大本山永平寺御用達  操業明治弐拾壱年

【 團助 だんすけ 】 さんの店頭展示より







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雨の「九頭竜湖」、どう見えますか?

大きさをお伝えできないのが残念ですが、雨の影響ではないでしょうが

ちょっぴり神秘的な風情でした




子供が小さい頃は「若狭の海」へ海水浴に行ったり

「小松」「片山津」までゴルフに行ったりと、何度もこの地方には

足を運んでいても、永平寺には「縁」が無く先祖も呆れていた事

だと思います

今回初めて大本山永平寺を訪れて、果たすべき「ひとつ」を成した

気持ちでいます

「曹洞宗の信徒」というには憚られる長屋の爺ですが、先祖供養の

足しになればという思いで、今回の永平寺にお参りを無事終了できました


私の座右の銘は、「玉磨かざれば器を成さず 人学ばざれば道を知らず」

でした・・・

この言葉の「もと」が曹洞宗開祖・道元禅師の言葉だったことを

今回再確認いたしました


玉は琢磨によりて器となる。

人は練磨によりて仁となる。

(中略)

必ずみがくべし

すべからく練るべし。




「究極の晴れオトコ」と自負していた長屋の爺でしたが

今年に入って20年ぶりに「雨のゴルフ」に直面し

今回の旅行も「雨」という結果に、「晴れオトコ」返上しようかと・・・

雨は嫌いじゃないけど、大事な一眼レフカメラが濡れるのは嫌!

雨用にカメラ購入など無駄な話で、何とも悩ましい旅の総括でした(笑)




Posted on 2017/05/15 Mon. 22:32 [edit]

category: 旅の記録

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曹洞宗 大本山 永平寺  


舞鶴を後にしたころから、あいにくの雨・・・

予報では小雨のはずが、土砂降りと言う現実に

ケセラセラの状態でドライブ開始(笑)

普段の行いの悪さが如実に表れる結果となったのは

世間で言うところの「因果応報」と反省する長屋の爺でした


土砂降りの雨なら観光客もさぞかし少なかろうと・・・

思っていたのは自分だけだった…

信仰心と、連休の前には、雨など何のチカラも無い事を知る


幸いにも永平寺の隣の土産物店の駐車場が空いていて

土砂降りでも濡れずに済んだのも、仏神の御加護か・・・

「そんなわけあるかい」

と突っ込まれて、意気消沈する長屋の爺でしたw


* 土砂降りのため、濡らすのが嫌でカメラを持たずに

参拝しました 今回の画像はスマホの画像です






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 【仏殿】 ご本尊 釈迦牟尼仏が祀られている






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 【法堂(はっとう)】 説法や各種法要が行われる






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永平寺は山の斜面に建てられているため、雨に煙る景観も趣がある






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 【承陽門 (じょうようもん)】 







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 【報恩塔(納経塔)】  写経を納める塔








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 【傘松閣 (さんしょうかく)】 絵天井の大広間



著名な画家144名により描かれた230枚の花鳥の色彩画

見上げていると首が痛くなりました(笑)






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かつてこの日本でも宗教僧(僧兵)が刀や薙刀、鉄砲を手に争いを起こした

過去もある

釈迦もキリストも「人を殺せ」と言い残した訳が無い

後世の人間が捻じ曲げた「人殺し宗教」はもはや宗教とは呼ばないと

私は思っています




Posted on 2017/05/12 Fri. 22:05 [edit]

category: 旅の記録

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