差別の真相 その2  



さて差別語にはどんな言葉があるのでしょう?

若い世代ではすでに「死語」になっている言葉があります

【穢多(えた)】 【非人(ひにん)】

歴史の専門家は中世・江戸期に創られた身分制度というように

解説しています

さらに明治期になって「戸籍」に階級制度のように記載したことから

現代の部落差別の元になったというように教えています

士・農・工・商・非人・穢多 というように、区別していたと仰る専門家もいます

(士農工商は身分制度ではないことは以前に書きました、今でも身分制度が

あったと信じている専門家がいることに驚いています)


では「穢多(えた)」とはどういう意味でしょうか?

これは 【穢(けが)れ多し】 という意味です

生き物(ケモノ)を殺すことを生業(なりわい)にしている人々のことで

この世で一番穢れていると決めつけました

江戸期にこれほど明確な「ケガレ思想」で区別・差別したとは驚きですが・・・


私はこのような説に疑問を感じています

本当に江戸期に創られた身分制度だったのでしょうか?

私個人の考えでは、もっと、ず~っと以前からこのような区別・差別が

存在していた気がします

だって・・・ケガレ思想の起点は古代ヤマトからのはずですよね・・・

旧ブログでも書いた気がしますが、平安期の貴族は庶民は下賤なモノと

して、人に非ずと扱っていたと言います


安倍晴明の使役していた【式神(しきがみ)】は公家の眼には見えなかった

という説話がありますが、下賤なモノは穢れたものとして、観ると自身が穢れ

るという理由から、「見えないモノ」として通したのである

誰が考えても、人のいないのに門が勝手に空いたり閉まったりする訳が無い(笑)

貴族以外はヒトとして扱わなかった平安貴族・・・・

官位5位未満の人間は昇殿を許さなかったくらい、差別する人種だったのだから

「死」や「血」で穢れた人間を忌み嫌い差別したことは容易に想像できるのです

言葉での差別が何時の時代からなのかは明確ではありませんが、基本的な

穢多(えた)に対する差別は平安期からあっただろうと私は考えています


ちなみに、日本では首都(みやこ)が頻繁に変わったのも世界から観れば「異常」

なんですよね・・・

初代が造った都を、次の王がさらに建て増しして大きく豪華にしていき、さらに次の王が

新たな施設を築いて大きくしていくというのが、世界的な都の姿なのですが・・・

日本では王(天皇)が変わるたびに、都を遷都していました

なぜでしょう?

これこそが「ケガレ思想」というものなのです

先帝が死ねば、その帝の作った都は「死」によって穢れてしまったということ

で、新たな「穢れていない」都を作る必要があったのです

平安京が完成するまでは、そういう思想が基本だったという事でしょう

死=ケガレ の平安期に「穢多(えた)」の差別が無くて、江戸期に差別ができたという

通説には、私は納得できません

言葉はともかく差別そのものは千年以上前からあったと考えるべきだと・・・

私は考えています


それと、穢多や非人というのは身分制度ではないと考えています

いうなれば、ケガレ思想というものが根底にある「偏見・差別」だと思っています


アイヌ差別問題とは・・・

狩猟民族である「日本の先住民」を差別したい「農耕民族」の末裔の偏見以外の

何ものでもないと私は感じています

(現代の部落差別問題とは基本的に違う次元の話ですが・・・)


例えば、皇族が来ると交通規制や入場規制が行われますが、どうしてでしょう?

私たちを下賤なものとして差別している?

まぁ・・・差別か否かは別にしても、区別はしていると思いますが(笑)


ある知人の理論では、天皇制度こそ最大の差別であると言います

我々の税金で生活していながら、我々には無い特権と待遇を保持し

「不敬」だとか、「畏れ多い」とか一方的に言われるだけで、我々国民は

特筆すべき「恩恵」は何も受け取っていないのが現実だ!

というのですが、解釈の違いもあるでしょうが、一概に否定することもできない気がします


我々の祖先と皇族とどちらが自分にとって「大切なのか」

天皇とは何なのか? どうして敬わなければいけないのか?

という疑問も耳にします

(そういう疑問もこの先、考えてみたいと思っています)


時代という流れからすると、誰でも知っている区切り方(区別)が

あります

この日本でも、【石器時代】~【青銅器時代】~【鉄器時代】というものです

時代という表現がふさわしくなければ、文明とか文化でも構わないでしょう

私も含めて大きな勘違いをしているかもしれないことが有ります

石器を使用していた人がある日、青銅器を使用して生活を始めたと

思ってしまうのですが・・・

これは科学の進歩の流れの中にいる「現代人」の感覚なのです

石器文明の人々が青銅器を使用するまでには、多くの争いがあったと

思っています

より強い精度の高い武器を持った人々が「話し合い」で他人の土地に

住み着くでしょうか?

アメリカ人は高度な武器を持っていましたが「ネイティブ・アメリカン」と

平和的に話し合いましたか?

青銅器を以て日本に足を踏み入れた人々は、石器文化の人々の土地を浸食

略奪したかもしれません

その後に鉄器の技術をもった人々が日本に来たときは、青銅器文化の人々を侵略し

追放したことでしょう

明らかに石器人と青銅器人と鉄器人は別の民族です

今この国の頂点にいるのが「鉄器文明」を持ち込んだ人の末裔です

アイヌを東に追いやり、出雲族を遠方に追いやり、ヤマト人と称する

日本人は最後に日本に流れ着いた鉄器人だと私は考えています


こういう理屈からいうと、天皇家の人々は出雲族・アイヌを差別・侵略して

今の地位に君臨しているともいえるかもしれません

あくまでも可能性の話ですが・・・・


私は差別が特別悪い事だとは考えないようにしています

理想からいうと「差別など無い」事が望ましいですが、差別とは

違いでもあります

差別を【虐待】と混同している人も多くいます

差別という語を調べてみてください・・・

きっとこう書いてあるはずです

《 特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為

また、不利益を強制する行為 》


東宮一家がスキー旅行に行く際に、われわれ国民に不自由な思いや

不利益を与えることも皇族による歴とした【差別】にあたる可能性が

あるという考えもできます


部落問題に限らず、その存在に対しての特別視とは別のものとして

規範意識のない言動に対しては明確な【差別】があって然るべきであり

その人物・集団の存在に対し「差別」することがあってはならないという考えです


犯罪者を特別視し、安易に社会復帰させないことも「差別」だと言えますし

それが悪いと言い切れる人だけではないはずです

自分の家族を殺されて、相手が心神耗弱で無罪放免・・・・

そんな加害者を特別視(前科者差別)するのは当然ともいえます

私なら、どんな手段を講じても、安穏な社会復帰などさせません

命に代えても・・・・


私は若い頃、身障施設の職員をしていました

障害者差別という言葉がありますが、私はそのようなものはごくわずかで有って

障害者が自分自身を「特別な存在」として甘えている現実を知っております

差別しているのは健常者ではなく、生涯を持つ人自身が差別という壁を作って

いることが多々ありました

「やってもらって当たり前」

「健常者が何でもやってくれるのが常識」

「何かと言えば、障碍者を馬鹿にする」

事実は当事者しか知り得ませんが・・・現実は小説より奇なりです


まだまだ書くべきことは有ると感じていますが、今回の「差別について考える」は

区切りにしたいと思います


* この差別に関する文章はあくまでも長屋の爺の私感であり、異論がある方は

自身のブログに於いて反論若しくは自説をお書きくださいますように・・・


次回からは「縄文の世界の神様」について、おさらいしてみたいと思います。


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Posted on 2017/04/26 Wed. 22:50 [edit]

category: 歴史

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ブログタイトルの変更について  


私はブログタイトルは単純な思い付きで決めて来た

今回の「月明かりの下で」は転居後のベランダから観た「月」に

照らされた公園を眺めて決めた・・・

「不必要な善意」の読者の方からの指摘で、本日「月明かりの下で」

で検索したところ、多くの同名タイトルがFC2ブログに存在することを知り

驚きと共に自身の軽率さを実感しました


検索して訪問される方の事も考え、タイトルを変更したいと思います

【 月明かりの下で神よ眠れ 】

急なことで、考える時間も無くこれも思い付きではありますが

検索してみたところ同名のブログが存在せず、当面はこの

ブログタイトルで続けようと思います


勝手なことでご不自由・ご迷惑をおかけいたします事

お許しくださいますよう・・・

           (長屋の爺)

Posted on 2017/04/25 Tue. 21:07 [edit]

category: 未分類

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差別の真相 その1  


最近社会で話題の「ヘイト」

なにがヘイトで何がヘイトでないのか、私には理解できません

この言葉を多用している人たちはこの境界や違いを正しく熟知して

いるのでしょうか?


ヘイトとは、憎悪とか反感を抱くこととされていますが

肌合いの合わない人や、かつてひどい仕打ちを受けた相手にも

憎悪の感情や反感を覚えることは多々あります

それを言葉に表すと「ヘイト」ということになるのでしょうか・・・

難しいですね・・・言葉と言うものは


さて日本に限らず世界のいたる所で観られる【差別】

この差別を観ても日本はかなり特殊な民族なのをご存知ですか?

そんな話を2回に分けて書いてみたいと思います


差別とは・・・

世界を見渡せば、肌の色が違うと言うだけで「差別」をする【人種差別】

信仰する宗教が違うと言う事で起こる【宗教差別】

前者は一見するだけでわかる、見た目から来る差別であり

後者は知ることによって起こる思想的な差別です


さて、日本における差別の基本は何でしょう?

宗旨宗派が違っていても差別したり、いがみ合ったりすることは

現代では殆どありませんので宗教的差別は少ないでしょう・・・

人種と言っても日本に済む日本人のほとんどは「黄色人種」であり

見た目だけでは差別の対象にはなりません

日本の差別の根底には人種や宗教ではない、もっと深い理由があるのです


日本には「ケガレ思想」というものがあります

「私には、そんなものはないわ」

もし・・・そう思っているなら、何も言うことは有りませんが(笑)

フリーマーケットで物を買った方は多いと思います

その「モノ」の過去・歴史を知ることが無いから平気で買ってしまいますよね

もし・・・そのモノの持ち主が毎日愛用し、未練を残して死んでいたとしたら・・

喜んで使いますか?

私は父親が生前愛用していた「湯飲み茶わん」を持っています

時折出してはお茶を飲んでいますが、汚いとか嫌だとは思ったことが有りませんが・・・

これが見知らぬ人の使っていた茶碗や器だったら・・・捨ててしまっているでしょう

目に見えない「思い・念」が付着していそうで、私には使えそうにありません



古代日本人が最も「忌み嫌った」ものは【ケガレ】という存在でした

穢れ(けがれ)は、汚れと書いても「けがれ」と読みます

「よごれ」は洗えば落ちますが、ケガレは洗っても落ちないものなのです

死んだ人が息を引き取った時に着用していた着物・衣類を「あなた」なら

平気で着用できますか?

いくらクリーニングに出したからと言えど、死んだ人が最後に纏っていた

衣類を着用するにはかなりの抵抗がありますよね

だけど・・綺麗にクリーニングしているのだから、汚れてはいません

それでも「ダメ」「嫌」というのはなぜでしょう・・・

それが「ケガレ思想」というものです


ケガレにもいろいろあって、なかでも一番のケガレは【死穢(しえ)】というもの

「死」「血」というものが一番穢れているというのが古代日本の考えです


いや・・農耕民族にとって、と言う方が正確でしょうか

日本の先住民は狩猟民族ですから、生き物を殺してその肉を食い

その毛皮を衣服として使用していました

だから死や血をケガレとは思うはずがなく、人間の死すら当然のことと

受け止めていたでしょう

動物の肉(命)は神様からの贈り物、生き物とは神さまから与えられた

聖なる命の糧だったのです

植物を育て、果実を集める農耕民族にとって、生き物の死とはどうしても

受け入れがたい対象だったのかもしれません


なぜ死んだ高貴な人を大きな土の山(古墳)に埋葬したのでしょう?


古代の農耕民族では身分の差が歴然としてありました

古墳に埋葬された人とそうでない人の違いは何でしょうか?


私の個人論ですが、一般人の多くは狩猟民族から農耕民族に

変わった人々の末裔であり、高貴な人に分類されるのは、半島や大陸を

経て日本に流れ着いた「農耕民族」の末裔ではないかと思っています

ですから、一般平民には、死=ケガレ という概念が薄かったのではないか

ではどうして、高貴な人は手厚く埋葬されたのか・・・

それが 死穢(しえ)】 という存在だったと思っています

高貴な人ほど死ぬと「穢れ」が強く表れる


小さな鯵(あじ)が腐敗しても、ひどい腐臭は感じませんが

大きなクジラが死ねば、その腐臭はとっても酷いものに感じるはずです

高貴であればあるほどケガレが強いと思える例えですが・・・


例えば8世紀~11世紀(平安期)にも顕著に現れている出来事があります

地方に配置した「兵士」を廃止したのも「穢れ」を忌み嫌ったからに違いありません

兵士は戦をして敵を殺し血に染まります

そういう人間が居るから、世の中が平穏にならないと考えた桓武天皇が

廃止しました

穢れが世の中に災いを成すという思想は脈々と日本人のDNAに刷り込まれて

いきます

違いますね・・・一部の特権階級、例えば公家や皇族、支配階級だった貴人たちの

DNAに刷り込まれて今に続いているのです

その思想が何時の時からか、日本人の多くに浸透してしまった

その「何時か」とは、明治維新ころではないかと思っています

だって、武士は日本刀を腰に差し人を斬ることが当然でした

ケガレ思想に染まっていたとは思えません

庶民もそれほどケガレの意識は強くなかったと思っています


さて本題に戻ります

日本の差別は穢れが原因ですから、「死」に関わる人「「血」に触れる人

などが、差別の対象に成りました

山に住み狩猟を営む人々「マタギ」なども差別されてきたのでしょう

定住することなく各地を放浪する「サンカ」と呼ばれる人たちもそうでしょう

その差別の考え方が、家畜を屠殺する「解体業」「精肉業」や葬儀を執り行う

「葬祭業」などに向けられたのは想像できます

しかし・・・葬祭業が死にかかわる差別対象なのに、寺の坊主が差別対象に

ならないのは不思議ですね・・・

そうなんです、この差別は日本人がと言うより、一部のやんごとなき部類の人々の

個人的な感情と言えるかもしれません

何しろ、この日本で一番最初に仏教を信仰したのは貴族や皇族たちなのですから

仏教の僧侶を「差別」するわけがありません

千年前なら「ドクター」と呼ばれる人は、差別の筆頭だったかもしれませんが(笑)

(つづく)


Posted on 2017/04/23 Sun. 19:09 [edit]

category: 歴史

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長屋の爺のブログのスタイルと理念  


私は「不必要な善意」からこのブログに於いて、変わらぬスタンス

があります

一つは過去の歴史は「その時、その場に立ち会わなければ真相は見えない」

見聞きした事柄については、「諸説あって」、「・・と言う説もあり」「「・・・と言います」

そういう表現で【紹介】してきました


私が信じる事柄については明確に断言してきましたし、これからも正否が不明でも

私が信じるところの話は 「・・・だと私は考えています」「わたしは断言します」

「確信しています」という表現で態度を明確にしていくつもりです


私は一つの歴史事象において、多くの関連文章・書籍を観て、良かれと思い

その文章を自分の言葉に言い換えて紹介してきました

論理的に齟齬が無いか考え、私が執るに足らぬと思えば、話題にはしません


私のブログは歴史レポートでもなければ、研究論文でもありません

こういう話や説があります・・・皆さんはどう思いますか?どう考えますか?

信じる信じないは個人の自由で・・・という手法でしかありません

考える「参考」「題材」になれば、その程度のブログです

気楽に読み流してくれても結構です、無視しようと軽蔑しようと問題は生じません


多くの歴史研究家や有識者が基準にしているのは「日本書紀」の記述なのは

動かしようの無い事実であり、「書いてあるから事実」ならば、朝日新聞に

書いてあることは間違いなく事実であることになりますし

名無しの犯罪者も「名無し」が事実であることになるのです・・・・


可能性を否定したり「荒唐無稽な説」という方の根拠は・・・

決まって 「**に書き残されているのだから」なのです

私の記事の反論コメントや中傷コメントの多くは、日本書紀や古文書を

引き合い(論拠)にするものばかりで、その歴史書・古文書が「正しい」という

出発点から思考が開始しています

私は「書いてあるから事実」という言葉が大嫌いで、国家が遺した文章・書類

だから「信用できる」というのも納得できません


人間というものは、自分が大事であり、自己というものが最優先され、

自分にとっての不都合は隠したがるものであり、当然であるべき「日常」

などは【遺す】価値は無く、事実だけでなく「悪意のある文字」を残すこともある


告発本とか「手記」「エッセイ」と言われるものが全て事実ばかり書かれているとは

限らないと私は考えています

だれでも「字が読めて」安易に「モノ」が手に入る現代ですらそうなのです

古代では「漢文」や「万葉かな」を読める人がどれほどいたのか?

そのような国家文章をどのくらいの人が目にできたのか?

何が書かれていたのか知らないヤマト人が、事実・虚偽の判断すらできなかった

のではないだろうか・・・



良い事ばかりを書き残すのは、不都合を隠す意図であり、悪口雑言で非難糾弾する

のは、その反対の事実を隠す意図であることが多いと思います


疑ってみると、「新しい何か」に気づくこともあるかもしれません・・

私は「性悪説」が人間の本来の姿だと確信しております!

私自身の性格が悪いからだけではありませんが・・・(笑)


さて、日本で一番偉い人は誰でしょうか?

私が子供のころならば、きっと「天皇陛下だよ!」 と言うに違いありません

現代では「安倍総理かな」、とかいう子供がいるかもしれませんw


どうして日本は天皇がトップに君臨する国なのか その根拠は?

意外と知られていない話なのですが、これも「日本書紀」の記述から

そう信じられてきたというか、刷り込まれてきたという事なのです


日本書紀 巻第二 神代 下》

葦原の千五百秋の瑞穂の国は、わが子孫が王たるべき国である。

皇孫のあなたが行って治めなさい。

さあ、行きなさい。

宝祚(あまひつぎ)の栄えることは、天地と共に窮まりないであろう。


  我が日本は、我々の子孫が治める王であるべき土地である。

だから、その子孫が治めなさい。

その皇統がずっと続いていくことは、この天地が窮まりないのと同じである。


要約すると、この日本はアマテラスの子孫が王となって治める国である

その王(天皇)の血筋はずっと続く・・・


これが日本と言う国を、天皇が統治する論理的根拠なのです(笑)

統治能力、人間性、神秘性が優れていたかどうかは私は知りませんが・・・

日本書紀に書いてあるから「間違いない」ので、国民は信じなさいという事です


私は天皇崇拝者でもありませんし、天皇廃止論者でもありません

何処にでもいるような、少々くたびれた爺ですが

最近の天皇家を観ていると、「もういいかな?」と思ったりしています

私が天皇家を敬っていたのは、赤子(国民)のために【滅私の祈り】を

続けてくれる存在だという「微かな糸」のような繋がりでした


今の天皇家にわずかな神秘性も滅私の姿も垣間見ることはできません

見えないから「貴い」こともあります

聞こえないから「気高い」こともあります

万世一系も、神代からの家系も、何事も無ければ問題にすることも無い

手品に種があるように、皇室の存在も理由があって当然なのですが・・・

許容できることとできない事がこの世の中には存在します


もう一つ、この世の中には時として「必要悪」「無駄な善」というものが存在します

私の思考の中の天皇家・皇族というものは「無駄な善」という印象なのです

良くても悪くても、国民が一つになるための「精神的な束ね」だという事です

その天皇家に常に監視の目を向けているのが「宮家・皇族たち」なのです

その両者が機能しなくなっているとすれば、単なる無駄に思えてしまう・・・

東宮バッシングも結構、秋篠宮家マンセーも結構・・・

最終的に冷静な目で日本と言う国、天皇家の存在を俯瞰できれば、良いと私は思っています。


Posted on 2017/04/20 Thu. 22:09 [edit]

category: 私の思い

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斜め読みの歴史  


私は云わずと知れた、無類のへそ曲がりである

何でも裏側を探り、意地悪な解釈をするのが、子供のころからの

習い性になっている

偏屈、へそ曲がり、性格破綻者、意地悪、根性悪・・・

私の評価はどれも似たようなものw

わたしは「善い人」「立派な人」と言われるのが何よりも大嫌いなのだ


さて、聞くところによると秋篠宮殿下の呼称が【皇嗣殿下】になるらしい・・・

これを聞いて喜ぶ人の神経が知れない(笑)

皇位継承順位1位の人は、どう解釈しようと、どう呼ぼうと【皇嗣】なのである

当たり前のことをわざわざ明文化することの意味など有る訳が無い

皇太子を「天皇の子」「天皇の太子」という基準から、「新天皇の子」では

無いという理由から「皇太子」という呼称を避けたのだろうが・・・

皇太子擁立派や宮内庁とすれば、皇太弟(こうたいてい)でも、皇嗣殿下でも

皇太子という呼称でなければ「可」なのである

なぜなら、皇太子という呼び名は「愛子内親王」のために空けておきたいからなのだ

皇嗣殿下と言う呼び名を聞いて、嬉々として喜んでいる人たちには悪いが・・・

裏を読めば明白ではないだろうか・・・


さて、私にはどうしても理解できない皇室問題がある

先ずは質問・・・

貴方の「甥っ子」、「姪っ子」が知らない間に似ても似つかぬ容姿に変わっていたら

どういうリアクションをしますか?

皆さんが「国民のよりどころ」と考えている皇室全体が、異常な世界であること

私たちの常識は皇族にとって非常識な世界であるかもしれません

宮内庁の役人も、私的な職員も、各宮家の人々も、一様に何事もない

接し方で今日まで来ているのは事実なのである

「身の危険を感じて大っぴらな言動はできないのかも」

たしかに、そういう可能性は否定できません・・・


私は一例として愛子内親王の問題を話しています

このように、解釈の仕方で変わるでしょうが、開かれた皇室にあっても

こんな不可思議で理不尽な暴挙が何事もなく流れてていくのですから

閉鎖された空間だった古代の宮廷は如何ばかりであったろうか・・・


戦後、民間から「粉屋の娘」が嫁いで来た瞬間から、日本の皇室は破壊された

そういう人も居ますが、ほんとうにそうでしょうか?

それは古代から脈々と昭和20年まで皇室がつながってきた「万世一系」

の家系だという「大前提」での解釈にほかなりません

皇統は何度も変わっているという説もあります

実際のところは分からないのが現実ですから、これを頭から否定することも

正しくはありません

だからと言って、これが正しいということもできないのが古代史です


明治天皇は「すり替わっていた」という、大真面目な検証もされています

皇女・和宮は「替え玉」だったという説すらあり

孝明天皇・明治天皇は暗殺されていたという説もあります

愛子内親王が自閉症であることは、おそらく間違いないでしょう・・

過去の私の子供の「実態」から考えても、99%自閉症だと思っています

今、社会に流れている「愛子様」はハッキリ言って別人だと思います


それと同じようなことが、明治天皇にもあったとすれば・・・

明治天皇は気弱な貧弱な子供だったと言います

馬になど乗ることもできず、大きな声すら出せない子供だったそうです

それが薩長などと共に東へ進軍する馬上の姿はまるで【別人】のような

体格と言動だったと言います

信じるかどうかは・・・人それぞれですが


和を以て貴しとなす

一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。

ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。

しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、

すなわち事理おのずから通ず。

何事か成らざらん。



和 = 話し合い というのはかなり無理がありますけど・・・

日本には確かに「話し合い文化」「談合文化」というものは存在します

どうして「和を以て貴しとなす」だったのでしょう?

この第一条に書かれている内容が全てを語っています


忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ

 訳 【いさかいをおこさぬことを根本としなさい】

君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う

訳 【君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない】

上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは

訳 【上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら

何事か成らざらん

訳 【どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ】



これからは長屋の爺の妄想です・・・あくまでも・・・ですよ

この言葉は聖徳太子が定めた17か条の憲法に書かれているとされます

この中の【論議する】が、「話し合い」を大切に…の解釈の元になっていると思われます

なぜ、論議や協調、親睦と言ったものが大事だと書き留めたのでしょう


いや、ちょっと待ってください・・・

この十七か条の憲法なるモノが書かれているのは【日本書紀】なのです

書かれた時期は8世紀ですが、太子が定めたとされるのは604年といいます

私はこの条文は藤原不比等等によって、千年の計を以て「書き残された」

創作だと考えています

天皇を中心に「世襲」が当然であり、いろいろな「異議」「不満」「怒り」が

有っても、みんなで話し合って短気を起こさず仲良くしましょう

私はこの条文から、そう読み取れるのです


なぜ「和」が不可欠だったのか?

持統天皇になるまでの時代は、天皇や皇子を簡単に殺害し権力を

争奪する殺伐とした時代だったのではないでしょうか・・・

天皇を臣下の分際で「殺めたりせず」、天皇や父親の言う事を

素直に聞き入れ従いなさい・・・

そうすることによって古代豪族の「ヤマト(日本)」の大王即位の可能性は

無くなり、持統天皇の血筋による「世襲」が完成するはずだった


もう一つ、不比等は隠された暗号を残したかもしれない

和 とは「調和」という意味で解釈する説が殆どである

本当にそうだろうか?

和 とは日本の事であり「ヤマト」のこと、それまで日本(ヤマト)は

倭(わ・やまと)とされてきた、その倭の時代・政権とは違う新しい

【和】と言う国を大切にしましょう・・・

持統天皇と藤原氏が治める新しい国・和(やまと)を・・・

和だから大切に、和の統治者である「天皇」を大切に、親から

子にその権力を継承することに、異を唱えてはいけません

なぜなら、和と言う国が一番優先されるのですから・・・・


私の妄想でしかありませんが、自分の国を美化したい気持ちは

私にも理解できます

しかし・・・すべての事には理由があります

聖徳太子が実在したのなら、摂政や太子のままで居たはずがありません

それほど素晴らしい実績が語り継がれている人物なのですから


持統が定めた、不比等が制定した、そんなことは百まで承知・・・

しかし、藤原千年を振り返れば「藤原の世」を盤石にする【楔(くさび)】は

日本書紀編纂と同時に計画されていたのかもしれません。

Posted on 2017/04/14 Fri. 23:39 [edit]

category: 歴史

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