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神の本質

神頼み、神社巡り、パワースポット巡り・・・


日本の神社に祀られている神とは何なのか?


古代権力者と革命を画策した者たちによって、歪められ

隠され、貶められ、また美化されてきた神々・・・・


知らなくたって生きていける

知ったところで腹の足しにならない

定説を信じておけばよい


ハッキリ言うと、そういう事なんだろうと思います(笑)


私は神社に詣でるのは一種の「墓参り」だと思っています

神社と寺は別だろうとか、神社は墓じゃないと言われそうですが

私にとって神社とは「乞い・願う場所」ではなく、無念を呑んで

消えた「御霊」の居ます場所であり、感謝する場所であり

鎮魂をする場所だと思っています


祀るとは「纏る」事でもあり、神社という檻の中に閉じ込められた

我々の祖先だという認識です

神社のしめ縄も「悪い霊」が入り込まないようになどと、まことしやか

に言われていますが、これは祭神を外に出さない結界だと思っています


二礼二拍手一拝 などというのも、明治以降国家神道の整備で定まった

形式(常識)で、本来は神社それぞれで違っていたと言いますし、神様

だって「こうしろ、ああしろ」など言う訳も無く、「賽銭入れろ」とか供物を

奉納しろなどいう訳が無い

つまりは後世の「誰か」の思惑で「決められた常識」であって、正解等

あるものではないと私は思う



明治期、大正期に定まった日本の常識といえば・・・

喪服の黒も大正時代から常識化されたもので、日本は古代から

忌むものは通常「白」が基本でした、西洋に習ったというバカげた常識で

日本人の入棺の際の「死に装束」をみれば一目瞭然でしょう。


悪しき行いをした人間が化けて出ることも、祟る(たたる)事もあるはずが無く

化けて出るのは無念の死を迎えた人、祟るのは無実の罪を着せられた人と

昔から、きちんと相場は決まっています(笑)

祟りや霊を恐れるのは「己の気持ちに疚しさ」があるからであって、自分の心が

幽霊や怪奇現象を見せているだけ・・・・


神社に祀られている一部の例外を除いて、祭神は祟る神様なんですね

だから、身に覚えのある人々にとってきちんと奉って(祀って・祭って)おく

必要があったのです


皇祖だから祭神として丁寧に祭られる、なんて明らかな騙り(かたり)です

神武天皇はきちんと奉られているでしょうか?

神武天皇を祀っている神社は【橿原神宮】ですが、創建は明治23年です(笑)


参考までに・・・・

定説では、日本人は古来、亡くなった先祖はみな神となるという思想があるといい

天皇には神の血脈が流れていて、当然「人」としての使命を終えた後は神となる

第10代崇神天皇以前の天皇は、主祭神でないにせよどこかしらの神社の御祭神に

なっている

崇神天皇以降は、神社の御祭神として祀られなかった天皇も多いのだと、言い訳

してます


普通に寿命を全うしたのなら、手厚く供養する(祀る)必要はありませんから解釈に

困りますが (笑)



因みに天皇を主祭神として祀る主な神宮は以下の通り

〇 橿原神宮  1890年創建   神武天皇
〇 宮崎神宮  創建年 不明  神武天皇
〇 宇佐神宮  725年創建   応神天皇、神功皇后
〇 近江神宮  1940年創建   天智天皇
〇 白峯神宮  1940年創建   崇徳天皇、淳仁天皇
〇 平安神宮  1895年創建   桓武天皇、孝明天皇
〇 新日吉神宮 1959年創建  後白河天皇
〇 赤間神宮  1875年創建   安徳天皇
〇 水無瀬神宮 1873年創建  後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇
〇 吉野神宮  1873年創建   後醍醐天皇
〇 明治神宮  1920年創建   明治天皇

※ このほかにも祭神が天皇の神社はありますが、ほとんどが
  神社としてではなく寺院として創建され、のちに神社になった
  ものが多くありますので、創建年と由緒で書かれる年代が異なります

上記の天皇の名前を観て共通点が多いことに気づかれた方は、かなりの

歴史通だと、断言できますね・・・・。

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信じたくないという無意識


科学も歴史も考古学も、PCのソフトのように

常に書き換え、更新されねばならないと思います


しかし・・・宗教が絡んでくると、「変える」ことが悪になり

最終的にはタブー化され、禁断の領域に置かれてしまいます



さて私たちは縄文人の時代の後に弥生人が列島を支配したと

教えられてきたように思いますが・・・

水が浸透するように構図が変わったなどというのは夢想でしょう


当然のこととして、生死をかけた争いがあったはずで、そんな

事を窺えるのが「出雲の国譲り」です

例えば、九州に大陸国家や半島国家が入り込んできたとき

「はい、どうぞ」などと簡単に譲るわけがありません

それなのに、日本人の多くは目を開けようともせず、天皇家の

祖先が神徳で統治してきたと思い込もうとしてきました

縄文人は平和な生活を弥生人によって乱され、搾取され、命までも

奪われたことでしょうし、血を血で洗う争いがあったことは想像できます


しかし、多くの日本人はその事には触れようとはしないのです

自分は弥生人の末裔だと信じ切ってるからかもしれません



なぜ? 称徳天皇が僧・道鏡に天皇位を継がせようとしたとき

伊勢神宮ではなく、宇佐神宮に御伺いをたてたのでしょうか

畿内から九州に派遣するより、山を越えた伊勢に神宮があったにもかかわらず


なぜ、明治になるまで天皇は伊勢神宮に参拝しなかったのでしょう

自分たちの祖先神が祀られていると言われているにもかかわらず

熊野詣や金剛峯寺には参るのに・・・・


日本人が誰でも信じる天皇家は神道の家系

本当にそうでしょうか?

明治になって政治的理由から、神仏分離によって、天皇家は神道だけを

信仰する形に変えられましたが、そもそも天皇家は仏教の家系だったのです

御寺があったことは知られていますが、宮中にも仏教関係の施設が

あったことは分かっていますが、明治・大正・昭和と経るうちに、神道の宗家

という虚像が独り歩きしてしまいました


天皇は日々、国家安寧を祈っている尊い方である

不遜な言い方をすれば、私は実際に見たことが無いのです

本当に観た方がいるかもしれませんが、例えが悪いですが

見えない霊や幽霊の話を聞いているような、釈然としない話で

知らない赤の他人のおじさんに「君の無事を毎日祈っているんだよ」

と聞いて、信じる人はどれくらいいるのでしょう・・・・


私は全く不道徳で不遜で、敬う事を知らない無智な人間ですが

おかしいことは「おかしい」のであり、信じられないことは信じない人間です


また思いついたこと、本音を少しずつ書いていきたいと思います

※不快に感じた方は訪問ご遠慮願いますと共に、クレーム等は固辞させていただきます。

無意識


どんな為政者も権力者も最も望んでいるのは

従順な民の存在だと思います


大きな抵抗もせず、大きな声で批判もせず

黙々と成果(税金)を差し出す良民だけが歓迎される


現代の中国共産党を観ていると、古代の国々の歴史を

垣間見る思いがしています


御多分に漏れずわが国も、似通った歴史を歩んできましたが

日本人の多くはその史実すら気づいていないようです


一握りの特権階級と、黙々と租税を納める良民と、一部の権力に

対し抗い、足掻き続ける「零れし人々」・・・・


古代日本でも権力に従わぬ故に財産を搾取された人、土地を奪われ

流浪するしか生きる術がなかった人、権力闘争に敗れ命までも奪われた人

その「非定住者たち」が、所謂【被差別者】なのです


しかし多くの被差別者の社会においても、権力社会と同様に上下関係が発生し

差別民による差別が起き、時を経るごとに格差が大きくなり、現代の差別問題に

至っている気がします

本来部落差別をしている側の人間も、本をただせば被差別民だった

可能性は非常に高いと思います

知らないことは時として幸運であり、悲劇でもあります


毒は毒を持って制し、鬼は鬼の手によって駆逐する

権力者の常套手段である「自らの手を汚さない」手法にまんまと嵌まった

日本人の末裔が我々なのだと思います


天皇家を崇拝する人の多くは歴史事実を洗脳されたまま、無意識に

崇敬の念(崇拝)を持って、神道の長として妄信しているようです


早い話、例外なくどこの国の為政者も歴史を歪曲して「歴史」なるものを

紡いできました

明らかになった国もあれば、未だ夢想の世界の住人の国もあります


アメリカに移住した白人がどのような歴史を歩んできたか・・・・

原住民はどういう処遇を受けたのか・・・・

これは他山の石でもなければ、例外でもありません


日本の統治制度は大きく変化してなどしておらず、天皇家を頂点に

朝廷が国会という名に衣替えし、良民と呼ばれる中級国民が居て

その笊の目から零れ落ちた被差別民という「困窮者」が居るだけです


なぜ部落民が存在するのかは天皇家の歴史に起因しています

鬼が「鬼のつぶて」に傷つくのが日本の社会なのかもしれません


鬼は外  福は内  

鬼は何をしたというのでしょう?

鬼とは・・・自分の心の内に住む自分自身の「本性」だろうと思います

鬼の手(自分)によって仲間である鬼を追い払う事が喜ばしいとは・・・

まさに「権力者の思う壺」ではないかと・・・


例えば、上級生にしごきを受けた人間は、上級生になった途端

下級生をしごくと言います

これが追儺(ついな)であり、鬼遣(おにやらい)でしょう

為政者から迫害された怒り・鬱憤を、弱い差別者に向けてしまう

これが被差別者による差別の実態ではないかと思います


日本の歴史は天皇家の歴史であり、日本の最大の問題は

自分がどういう処遇を受けて来た者たちの末裔なのかということであり

自分が勝者の末裔なのか、敗者(まつろわぬ民)の末裔なのか・・・


どの位置から歴史を観るかで、その姿は大きく異なると私は思っております。


ではまたの機会に・・・。

思い込み


人間の体というのは「欲」でできているのかと

思ってしまうほど、人と欲は切り離せないものですね


歴史とは欲が生んだ結果の「結晶」と言えるかもしれません


この日本には神話というものがあります

神話とて書き遺されたり、口伝だったりしても、あくまでも

勝者の言い分に変わりはありません


古今東西、敗者の論理は「唾棄」されるものですから

残っている方が希少だと言えます


歴史と常識に嘘が多い

これが私の偽らざる本音です(笑)


私を含めて人というのは、自分の経験を物差しにして

様々な事柄を判断します

当然ながら、何を・何処を・何時を物差しにするかで、

判断基準、価値観は大きく変わります


近い歴史で言えば、「大東亜戦争」「第二次世界大戦」というのも

そういう物差しによって、判断も価値観も異なるでしょう


明治維新にしても、どう判断するかは前述の基準によって

大きく解釈が異なります


愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

と言いますが、これとて歴史=事実という基準です

今現在の私たちの価値観・経験・常識で歴史を判断することの

危うさは言うまでもありませんよね


ふぐの毒に当たったら、首だけ出して土に埋めるとよい

今なら笑えることですが、その当時の知識経験では

それが常識だったわけです


私たちは半島人の常識を笑いますが、あながち日本人も

それに近い状態だと思っています

韓国では国民のほとんどが「両班の末裔」だと主張しますが

李氏朝鮮が崩壊した時代、両班(やんばん)と呼ばれる特権階級

は人口の一割にも満たなかったと言います

そんな国が百年余りで人口の99%が両班の末裔になるはずも

無いわけで、これも冷静に考えれば「人の欲」が顕著になった

証明かもしれません


では、日本はどうかと言えば・・・・

例えば平安期の人口は不明確ながら5~600万人といわれ

その中でも貴族と称される人は1000人にも満たなかったという

説があります

太政大臣、左大臣、右大臣を称して「公」と呼び

大・中納言、参議および三位以上の貴族を「卿」と呼んで

その両方を合わせて「公卿」と呼びました

朝廷において、天皇の日常生活の場である清涼殿の殿上間に

昇ること(昇殿)を許された者は五位以上と言いますから

さらに少ない人だけが「殿上人」として厚遇されていたようです


ではそれ以外の人は・・・どういう扱いだったのか?

殿上人やそれに等しい待遇の人は「人(ひと)」と扱われ

それ以外の人は【人でなし】と蔑まれたと言います



その人でなしと呼ばれた人以外に、鬼・河童・狐・猿などと

人でなし以下の扱いを受けた人々が居たのも事実でしょう

敗者は命を閉じるか、貶められて生きるかの二者択一が

常識だったと推察します


私たちが「人」の末裔なのか、「人でなし」の末裔なのか

はたまた「鬼」の末裔なのかは誰にもわかりません


ただ言えることは、天皇の末裔や貴族(特に藤原氏)の末裔

では無い人の割合が、明らかに高いという事が言えますね(笑)


本音で言えば「天皇家称賛者」「天皇家擁護者」は勝者の末裔

だという事になり、日本人の大多数は間違っても虐げられて

人以下の扱いを受け、差別されてきた人たちの末裔でないという事

になるわけで

正直、お隣の国の話を笑っても良いものか・・・




そんなことを踏まえて、次回はもう少し考えてみたいと思います。

見解


どうにか、PCの不具合も解消できました


今回の原因不明の不調に、かなりダメージを受け

正直、何処か著しく痛いというわけでもなく

持病の鬱とも違い、精神的にも肉体的にも

常ならない自覚症状が、途切れること無く続いて

もしかするとこのままフェードアウトしてしまうのかと

正直感じていました

自分の体は自分が一番知っている

この言葉の信憑性が崩れたのは言うまでもありませんが・・・・


皆様もくれぐれも油断なさらずに覚悟を以て日々をお過ごしください


さて、無駄に時間を浪費している間にも、世間は時とともに

いろいろな景色を見せていたようですが、テレビ・ラジオなど

視聴しない自分には浦島太郎の気分です


私はブログで書いていることの内で、本音を書くのは僅かで

不本意ながら「当たり障りのない」事を書いてきました


私は常々人それぞれ見る角度や、切り取る断面が異なる

故に生じる「見解の相違」が無益な軋轢や衝突を生み

何の益も無い「無毛な争い」が生じることを忌避するため

本音を封印する「癖」が身についてしまっていました


その代表的な題材が「皇室問題」でしょう

歴史のどの部分を切り取るかで、大きく様変わりするのが

皇室問題ですから・・・


その問題を語るときに避けては通れないのが「部落問題」

この皇室問題と部落問題は歴史の中で複雑に絡み合って

今に至っております


歴史とは・・・勝者の言い分が色濃く残ったもの

敗者(死者)に言葉を残すことは許されていません


誰もが常識と思う事が、すべて勝者(権力者)の思惑が

反映されていることに気づけないほど、幾重にも張り巡らされた

巧妙な仕組みが出来上がっております


すべての事象には必ず「理由(わけ)」があります


そんな事など、夢現に頭に浮かんだ事などをこの先

少しづつ本音を交えて書いてみようかと思っております


病み上がりですので、時間をかけて少しずつ書いてみようかと

小さな決断をいたしました

熱に浮かされた爺の戯言です、脈絡のない書きなぐりになるかも

しれませんが、気の向いたときに覗いてみてください


あくまでも長屋の爺の私感ですから、クレームはご容赦ください(笑)


今日はここまで・・・・。



プロフィール

長屋の爺

Author:長屋の爺
代々 曹洞宗の信徒
何度も死の淵を覗いた爺の
言いたい放題の偏屈ブログ
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